第212話(2-165)悪徳貴族と悲劇的結末
212
クロードは、夢を見た。
いつ以来だろうか。どこかで見た夢の続きだと、彼はぼんやりと理解した。
視点となった少年は、グリタヘイズの湖と村を見下ろす高台で、昼食らしい蒸かした芋を食べている。
少年の目に映る山村は、段々畑が渦を巻くようにつくりあげられ、湖だけでなく石積みの人工池から水路を引いた
人が多くなった村は活気に満ちて、戦禍に見舞われた人々にもわずかな陽気が戻っている。
それは、少年の妹も同じだ。相変わらずフードを目深に被っているものの、かつて一文字に結ばれていた唇がほころんでいた。
どこかソフィに似た雰囲気の夫妻は、彼らの子供だろう赤ん坊を抱いてあやしながら、兄妹に向かって頭を下げた。
「こんな穏やかな日々が戻ってくるとは思わなかった。すべて君たちのおかげだ」
「わたしたちは幸せだよ。あんたたちは――」
「もちろん、幸せだよ。
「おじさま、おばさま。私も兄さまも、幸せです」
彼らは、努力の末に苦難と試練を乗り越え、得難い平穏を手に入れた。
だから、この夢物語はこう〆るべきだろう。めでたしめでたし、と。
(嘘だ)
クロードの胸に激痛が走る。
それは有り得ない
雪原の果て、赤と青の
わたしが視た未来に、クローディアス・レーベンヒェルムは存在しない。と。
そして。
(僕がいる現在に、幸せな結末を得た少年は存在しない)
ゆえに、この穏やかな日常は必ず引き裂かれ、結末は絶対の悲劇へと転落する。
……
……
「―ディアスっ。クローディアス!」
磯を渡る海風と潮の香りが鼻腔をくすぐり、誰かかが肩を揺さぶっている。
復興暦一一一一年/共和国暦一〇〇五年 若葉の月(三月)二七日午前。
クロードは、麦わら帽子の下、
何か悪夢を見ていたらしい。解けてゆく夢の
まるでキューピッドのように愛らしい
「クローディアス。こんなところで、何をしているのさ?」
「ファヴニル。見ればわかるだろう、釣りだ。最近は徹夜続きだから、休日に気分転換に来たんだ」
クロードにとってファヴニルは、憎むべき宿敵のはずだった。絶対に討つと決めた仇のはずだった。
しかし先ほどまで見ていた夢の影響か、あくび混じりに背伸びをして釣り竿を握りしめ、再び会話を続けた。
「けど、全然釣れなくてさ。やっぱり餌にパン屑を使ったのがよくなかったのかな? かといってミミズやゴカイを使うのも食べる時に気が引けるんだ」
「意外だね。虫が苦手なのかい、クローディアス? だったら今度スイカを使ってみるといい。皮でも結構釣れるんだよ」
「驚いた。詳しいんだな」
「ボクが得意なのは湖と川釣りなんだけど……」
クロードとファヴニルは、そんな益体もない会話をしばらく続けた。
そうして小一時間ほど経っても、魚は一匹も引っかからなかった。
「駄目だ。今日はボウズだ」
「おいおい、なんてことを言うんだ。ちゃんとボクっていう大物を釣り上げたじゃあないか」
上目遣いで媚びるように片目を瞑ったファヴニルに、クロードはげんなりした顔で道に停めた自転車の前籠に竿と桶を放り込んだ。
「こんな獲物はリリースしたい……」
「つれないなあ、なんちゃって」
クロードがサドルに座ると、ファヴニルもにやにやと笑いながら荷台に腰かけた。
取りあえず麦わら帽子を彼の頭にかぶせて、ゆっくりと少しずつ力を入れてペダルをこぎ出す。
「ああ、良い風だよクローディアス。一度こうやって乗ってみたかった。ボクの尊敬する人がね、弟の自転車で走るサイクリングは格別だって言ってたんだ」
「なんてことを。嫌なお姉さんだなぁ」
「へえ、よく女性だってわかったね?」
「兄貴だったら最悪どころじゃない。こんな風に男の二人乗りなんてして何が楽しいんだ?」
「ボクは愉しいよ」
ファヴニルのヤジを振り払うように、クロードは速度を上げた。
浜辺や道の脇に生えたヤシの木がびゅんびゅんと後方へ飛んでゆく。
「ファヴニルっ、ひとつ聞かせろ。アルフォンス・ラインマイヤーを融合体に変えたのはお前か?」
「そうだよ。彼が望み、ボクが力を与えた」
「わかった」
疑問の答えを得た時、クロードの胸の内に湧き上がった感情は、高揚でもなく憤怒でもなくただ納得だった。
「どうしたの、クローディアス。この悪魔って罵らないのかい?」
「アルフォンス・ラインマイヤーは自ら望んで怪物になって、最後には人間に戻った。それだけのことだろう」
「あいつが人間に戻った? アハッ、まあいいよ。そう解釈するのはキミの勝手だ」
クロードは自転車をこぐ。馬車や大勢の人が行き来する街道を、まるで駿馬のような速度で駆け抜ける。
「クローディアス、せっかくだからボクの質問にも答えてよ。
ファヴニルの問いかけを受けた瞬間、クロードは不意に石を踏んで自転車が宙に浮いた。
着地した車輪と車体が悲鳴をあげて、しかし、立て直すために更に速度を上げる。
(そういうことかよ!)
クロードは、改めてファヴニルの
彼は読んでいたのだ。レアが、クロードを守ろうとすることを。
同時に知らなかったのだろう。オズバルト・ダールマンと相対する前に、彼女が激発したことを。
(もしも、遠征先のソーン領ではなく、仲間の目があるレーベンヒェルム領でレアが僕を逃がそうとしたらどうなった? 彼女と仲間たちとの間に、取り返しのつかない亀裂が入っていたかもしれない。なんてことを考えるんだこの悪魔!)
ミズキが
レアがレアである限り、そしてクロードがクロードである限り、すれ違った互いの想いは毒となり、あの激突は避けられなかったのだろう。
「レアはわかってくれたよ。彼女は僕たちにとって大切なひとだから」
「そうか。レ……は、あいつは選んだのか。だったら、いいよ」
不思議なことに、演劇じみて逆に人間味のないファヴニルの言葉には珍しく、最後の嘆息は奇妙な愛惜を感じさせた。
そうして、走って走って、走って。クロードは領都レーフォンの公園に自転車を停めた。
「クローディアス。今日、この街を見て驚いたよ。よくここまで領を復興したものだ。でも、そろそろ気づいたんじゃないか? キミたちは今、たまたま同じ方向を向いているだけだ。組織は大きくなればなるほどに、方向性が揺らぐ。善意が、悪意が、どっちつかずの個々人の思惑が、統率者の意図を外れて暴走する。もしもキミが純粋な意志を貫きたいなら、絶対的な力をもった唯一人の英雄として……」
「ファヴニル。その理念には人間がいない」
クロードの黒い三白眼と、ファヴニルの緋色の瞳が交差し、互いの熱で火花を散らした。
「ならば只人として、ボクを、竜を殺してみせるがいい。でもボクの首に刃を届かせるその時に、キミは本当にまだニンゲンでいられるのかな?」
「お前という竜を討ち、マラヤディヴァ国を、レーベンヒェルム領を解放する。それが、悪徳貴族たる僕が願う唯一つの野望だ」
ファヴニルが半月型の笑みを形作り、クロードが奥歯を噛みしめる。
やがて麦わら帽子をかぶったまま、少年の姿をした邪竜は人ごみの中へと消えていった。
(そうだ。僕は知っている。幸福な結末を得た少年はいない。この物語にハッピーエンドは存在しない)
すべては、悲劇的結末へと流れ落ちるのみ。
しかし、クロードが虚無に囚われそうになった瞬間、ふと部長の声が聞こえた気がした。
『
「ぶ、ちょ?」
クロードは、何か大切なことを思い出そうとしていた。
しかし、公園に鳴り響く
「脱走した辺境伯様を発見しました」
「棟梁殿、逃げ出すなんて、それでも男か!?」
「クロードくん、もう練習時間ないんだよっ」
気がつけば、クロードは領警察とセイ、ソフィに包囲されてしまっていた。
「待ってくれ。やっぱり、僕のようなぼっちにバンドは無理!」
「成せばなる。ならずとも、これが青春の醍醐味じゃないか。さあ、館に帰るぞ」
「今は苦しくても、きっといい思い出になるよ」
「そういう体育会系な理論はどうかと思うよ。元はといえばセイが、おいこらお前ら離せ」
ことの発端は、新年の障害物マラソン大会の結果、セイとアリスが領軍にコンサートを約束してしまったことだ。
アリスは踊るたぬ歌うたぬと乗り気だったが、セイは三日三晩の間思い悩み――領都の商店街で演奏会を開いていたキャラバンを見て心を決めたらしい。
クロードがリュートギターを、セイがハープを、アリスが太鼓を、レアがオルガンを担当し、ソフィが歌うバンドコンサートを開けばいいのだと。はっきり言ってとばっちりもいいところである。
「部長、かえるもなにも、いままさにバッドエンドに直行しそうなんですがぁあっ」
クロードは屈強な警察官たちに捕らえられ、えっさほいさと領主館へと連行されていった。
「せめて自転車と釣り竿を回収させて、ねえ、誰か助けてェエエエッ」
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