第66話(2-24)契約成立

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 ダヴィッド・リードホルムの半生を振り返るならば、次の一言で言い表せるだろう。


 すなわち――こんなはずではなかった。


 ダヴィッドは、十賢家のひとつ、エングホルム侯爵家の遠戚であり、レーベンヒェルム領でも随一の名家、リードホルム家の嫡男として生まれた。

 生粋のエリートであり、インテリでもあった彼は、成長すると朝妖精大陸アルフヘイムに留学、現地で革命主義グループに入って崇高な理想を学んだ。

 しかし革命活動に集中しすぎたが為に、試験に落第して帰国を余儀なくされてしまう。

 先進諸国の垢抜けた都市文化に触れたダヴィッドにとって、故郷はひどくすぼらしく見えた。

 新しい学問と技術に触れて革命の大義に燃える彼は、父親や周囲の大人たちを、狭苦しい土地を守るため窮屈で古臭い生活を続ける無能者と見下していたからだ。


(無駄に年齢を重ねただけの老害どもや、この世の真理に思いを馳せようともしないガキどもが、オレの優秀さを認めようともせずに、挙げ足取りや妬みに嫉みの言葉をぶつけてくる)


 だから、クローディアス・レーベンヒェルムが蜂起して、何もかもをひっくり返してしまった時、彼は心の中で喝采をあげた。

 あとは、ダヴィッド・リードホルムが悪徳貴族を打ち破ればいい。そうすれば、誰もが英雄として彼を認めるだろう。


(だっていうのに、こんなはずじゃ、こんなはずじゃなかったんだッ)


 ダヴィッドは、革命集団”赤い導家士どうけし”の幹部として成り上がり、来るべき日に備えた。

 復興暦一一○九年/共和国暦一○○三年、晩樹の月(一二月)八日。この日は、新生マラヤディヴァ革命政府の樹立とその立役者であるダヴィッドを祝う、歴史的な日として史書に記されるはずだった。

 しかし、クローディアス・レーベンヒェルムが、正しくは彼の名前を騙る影武者が”赤い導家士”の反乱を鎮圧し、なにもかもを台無しにしてしまった。

 武装蜂起が失敗しただけなら、まだ取り返しがついただろう。歴史上の革新者イノベイターも、幾度かの失敗を経て大業を打ち立てたのだから。

 ダヴィッドが許せなかったのは、影武者のクローディアスが、革命思想とはかけ離れたやり方で領都レーフォンを立て直してしまったことだ。

 ダヴィッドが得るはずだった名声は、悪徳貴族クローディアス・レーベンヒェルムによって、いまやこそ泥のように横から奪われようとしていた。

 

(世界で一番正しくて、先端を走っているのが革命思想だ。こんな現実はおかしいんだよ。なぜクズのアンセルがオヤジと同じ出納長についている? なぜエリックやブリギッタ、ソフィ程度のゴミが評価される? オレが一番あいつらの無能を知っているんだ。なぜ誰もオレを讃えない? オレより優れた人間なんて存在しないのに!)


 ダヴィッドに、もしも己を客観視できる余地があり、他者の意見を尊重できるだけの器があれば、あるいはこの後の歴史はまったく違う様相を見せたかもしれない。

 だが、彼が必要としていたのは賞賛の言葉だけであって、己の優秀さに泥を塗ろうとする苦言など道端に落ちている獣糞にも劣った。

 ダヴィッドを思う父の言葉も、弟の気遣いも、その他大勢の意見も、己の意に沿わないならば、すべて復讐と粛清の対象に過ぎなかったのだ。

 ゆえにダヴィッドは、自分たちを守ろうと奮戦する雇われの用心棒、ロジオン・ドロフェーエフすらも憎悪していた。

 たかが木っ端傭兵風情が、なぜそんなにも戦えるのか。なぜ同志たちから憧憬の目を向けられるのか。その力はお前になんて相応しくない。

 そんなダヴィッドの胸を焼き尽くすような憎しみも知らずに、ロジオンは、ひとりまたひとりと切り伏せてゆく。

 だが――。


「な、なんだあれは。き、傷がふさがっているぞ? やつら人間じゃないのか!」


 弩を射て援護をしていた、同志の一人が悲鳴を上げた。

 ロジオンが暗殺者二人と、契約神器の盟約者四人を倒した後、レベッカ・エングホルムがけしかけたのは、片手剣と円盾を持ち、獣皮製のフルフェイスヘルメットとレザーアーマーで武装した平凡な歩兵だった。

 にも関わらず彼らは喉を切り裂かれようが、胸を突かれようが、弩の矢を受けようが、まるでカビや菌が増殖するように、胞子があふれ出て傷を埋めてしまう。

 ロジオンはたまらず一体を蹴り飛ばして距離を取ろうとするも、歩兵の身体は奇妙に歪み、衝撃を吸収してしまった。離脱に失敗し、窮地に立たされた傭兵は、数に任せた剣の攻撃を受けきれず、無様に転がりながら包囲を逃れた。

 

遺跡ダンジョン怪物モンスター、じゃねぇな。異世界由来の技術かよ?」

「さぁ、どうでしょう?」


 レベッカは、酷薄な笑みを浮かべて、右手をかざした。

 彼女の指示に連動するように、ブンブンという蝿の羽音に似た音が聞こえて、木々の狭間から、エビを象ったような兜鎧を着た兵士が二人、降りてきた。

 ――否、装備などではない。彼らは甲殻類じみた顔と胴体に、背には昆虫の翼が生えて、手足からは爬虫類じみた鉤爪を伸ばしている。もはや、まっとうなヒトガタをしていない。

 ロジオンは、急降下する怪物が振るう鉤爪を、起き上がりながら辛うじて打ち払った。


「参ったね。こいつは、盟約者よりも厄介だ」

「降伏なんて許しませんよ。ちゃんと五体を裂いて、苦しみの中で殺してあげます」


 ロジオンは、翼を羽ばたかせて浮遊する怪物を前に、ジャマダハルに似た剣を中段、正眼に構えて、息をわずかに整えた。


「……弟を殺した兄は嘆いた。偉大なるものよ、我が罰は重く、背負うことは叶わない。あなたは、今日、我を地上より追放しました。我を見付けた者は、必ずや我を殺すことでしょう」


 まるで、詩か何かを口ずさむように、ロジオンはダヴィッドには理解できない一節をそらんじた。


「偉大なるものは諭します。否、そうではない。お前に仇なすものは、誰であれ七倍の復讐を受けるだろう。お前を打ち殺すことのないように、一つのしるしをつけよう」


 意味不明な傭兵のパフォーマンスに困惑したのか、レベッカもまた、けげんそうに声をかけた。


「傭兵さん、いったい何の話です?」

「最初の人殺しを描いた異世界の神話だよ。わからないか、占い師の嬢ちゃん。レーヴァ……、否、システム・ヘルヘイムの呪いは生きている。オレは、世界を変えるその日まで――死ねない」


 ロジオンの剣が、うっすらと霜をおびた。刀身にまとわりついた血と体液は、洗い流され、あるいは氷の粉となって剥がれ落ちる。

 彼は、まるで氷の上を滑るように大地を蹴って、浮遊する甲殻蝿男に斬りかかった。鉤爪による迎撃を右に跳ねるように避けるや、次の瞬間には袈裟斬りで深々と胸を切り裂いていた。


「こっちの耐久力は、たいしたことねぇな」


 ロジオンは、斬り捨てざまに呟いて、距離を置いたもう一体の甲殻蝿男を無視し、残る四体の菌兵士へと間合いを詰める。

 傭兵が繰り出す円転自在の連続攻撃が、菌兵士たちを傷つけるたびに、異形兵達の身体は凍りつき微塵に切り刻まれて、遂には砕けた。


「氷片に砕けちゃあ、再生だって叶わないだろうが!」


 ロジオンは、まるで踊るように菌兵士達を殲滅した後に跳躍し、滑空する甲殻蝿男の首を足で絡めとって着地しながら首を叩き折った。


「なんてめちゃくちゃな剣術」

「死んだ師匠から聞いた話じゃ、故郷じゃ複数の地方を制覇した超メジャーな剣術らしいぜ?」


 元はそういう剣術だったのかもしれないが、こうまでアクロバティックに変質してしまっては、亡くなった師匠とやらも草葉の陰で呆れていることだろう。

 森にはいまだ兵の気配が残るものの、当座の敵は排除された。けれど、それもまた計算どおりなのだろう。レベッカ・エングホルムは、きっと最初から意図していたのだから。


「ど、同志ダヴィッド、何をしているのです!?」


 ろくに当たらなかったといえ、弩を射かけ石を投げてロジオンを援護する赤い導家士の仲間達から離れて、ダヴィッドは独りでレベッカに近づいていた。


「レベッカ。オッテルは、オレに力をくれるのか」

「はい。ダヴィッドおにいさま、貴方は選ばれたのですよ」


 ロジオンは、他の赤い導家士の同志は、彼女が言外に含めた言葉を容易に想像できた。

 しかし、ダヴィッドは気づけない。鬱屈した反抗心と、肥大化しすぎた虚栄心が、彼の目を曇らせている。


「オッテル様と契約を結ぶ条件は、悪徳貴族クローディアス・レーベンヒェルムの殺害。もしもこの契約を果たすなら、ダヴィッドおにいさまは無敵の力を得るでしょう」

「ひ、ひひひ。無敵の力か、それはオレにこそ相応しい」

「手付けとして、まずはおにいさまにこびりついた汚れ、そこの塵どもを掃除して、ワタシと一緒にエングホルム領を落としてくれますか?」


 レベッカが妖艶に上目遣いに微笑んだ。彼女の招きは、悪魔の誘惑に他ならない。


「同志ダヴィッド! その女の言葉に耳を貸すな。崇高な革命の理念を忘れたか?」


 しかし、今のダヴィッドにとっては、仲間の諌めすら妬みに嫉みの言葉に過ぎなかった。

 

「ひょうっ、当然だとも。革命は遂行せねばならない。だから、契約を結ぶぞ。レベッカァ」

「ええ。貴方は思ったとおりのひとだった」


 レベッカは、赤い宝石が飾られた豪奢な首飾りをダヴィッドにかけて、接吻を交わした。

 二人の舌が、まるで軟体生物のように絡み合い、唾液が糸をひいた。


「契約、成立ですわ。ダヴィッドおにいさま」

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