第387話(5-25)暗躍する邪竜

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 巌のように鍛え抜かれた、ベータの肉体が溶けてウジに変わる。

 彼は真っ赤な口で毒や酸を飲み、触腕を伸ばして刃物や罠、家具を食らって同化した。


「クローディアス。貴方には伝えておこう。我らネオジェネシスの誕生には、邪竜が創り上げた融合体術式が応用されている」


 領主館を襲撃したイルヴァとカロリナが、キメラに変えられたように。

 楽園使徒アパスルの頭目アルフォンスが、〝血の湖〟となったように。

 ネオジェネシスもまた、ファヴニルによる干渉を受けていた……。


「ファヴニルのクソったれっ。あいつ腹ワタくさってるんじゃないか?」

「邪竜の評価ついては同意だ。けれど、おかげで貴方に挑むことが出来る」


 ベータがガラスを破るような甲高い声で鳴くと、クロードめがけて衣装箪笥や机といった家具が天井から降り注ぎ、壁や柱が床から生えて襲ってきた。


「鋳造――雷切らいきり火車切かしゃぎり――!」


 クロードは、打刀と脇差を呼び出して抗った。

 けれど、ベータにとっては、地下要塞全体が彼の武器だ。

 クロードは一〇の机を砕いて、二〇の柱を焼き払ったが、間髪入れずに三〇の衣装箪笥と四〇の壁槍が飛んできた。

 このままではジリ貧だ。防御に専念している限り、絶え間ない攻撃で圧殺される。


(逆転の策はある。でも実行するには手が足りない)


 クロードはたった一人だ。頼れる仲間はここにはいない。否――!


「ただいま戻りましたでゲス」


 返り血で青や緑の結晶体まみれになったドゥーエが、部屋の扉を蹴り破って入ってきた。


「頼む、ドゥーエさん。一〇秒セシウト稼いでくれ」

「あいよ。任された」


 ドゥーエはベータの変貌にも驚くことなく応えると、左の義手で机や箪笥を断ち切り、鋼の糸で壁や柱を縫いとめた。

 隻眼隻腕の傭兵が作ってくれた勝機に、クロードは雷を放つ刀と燃える脇差を交差させて床へと叩きつけた。

 

「ベータ。僕の知る御伽話に『一寸法師』って逸話がある。どんなに強力な怪物も腹の中は鍛えられないんだよ」


 ちなみに、ギリシャ神話の英雄ヘラクレスにも同じような逸話がある。

 クロードが斬り込んだ二刀から雷と炎が迸り、地下要塞中に魔術文字を刻みこむ。


「熱止剣。こいつは、あらゆる魔法を焼き尽くすが、生命は殺さない!」

「クローディアス、本当に貴方というニンゲンは」


 クロードは、ベータのかすれるような声を聞いた。

 彼とドゥーエの周囲を転移の魔法陣が包み込み、そのまま地上へと転送された。


「辺境伯様、ご無事でしたか?」

「ひょっとして、事件を解決されたんですか?」

「さすがはヴァルノー島の覇者様だ!」


 無事だったらしい捜査員達が、満面の笑みを浮かべてクロードに駆け寄ってくる。

 ベータは再び人型の肉体を取り戻して、異形の壺に背を預けて項垂うなだれていた。

 ドゥーエは油断なく刃を向けていたが、もう決着はついただろう。


「ベータ、話を聞いて欲しい。僕にも覚えがあるけれど……」


 もしも、ソフィがルンダール遺跡で固まっていた心を解きほぐしてくれなければ。

 もしも、ブロルが平行世界の末路を教えてくれなければ。

 きっと、ベータと同じことをしていただろう。


「ベータ、命を投げ捨てるな。対等な友人として、僕達人間と一緒に生きて欲しい」

「ああ、本当になぜ貴方なんだろうなあ」


 ベータは泣いていた。白い瞳から赤い血涙を流して嗚咽おえつを漏らしていた。

 嫌な予感がした。かつてクロードは、ファヴニル相手に命がけの相打ちを覚悟した。


(もしも、僕にとってのファヴニルが、ベータにとっての〝僕〟だとしたら……)


 奇跡でも起きない限り、和解などあり得ない。


「辺境伯、対等な関係なんて論外だ。ネオジェネシスが上で、ニンゲンは下。我々は正義で、お前達は悪。新生命が、旧人類を導かなければならない」


 ここに和解の道は閉ざされた。

 それでも、クロードは声を上げた。

 わかりあえるはずだと、幻想を掴もうとした。


「ベータ、何を言っているんだ? 上と下、正義と邪悪しかない関係なんて、イカれてるだろう?」

「クローディアス、本当かい? 同じイデオロギーは、ニンゲンの中にもあるんじゃないかな? たとえば四奸六賊しかんろくぞくとか――」


 クロードは否定できなかった。

 ブロル・ハリアンの故郷を滅ぼした宿敵も、本物のクローディアス・レーベンヒェルムも、そんな歪んだ価値観の信奉者だったからだ。


「四奸六賊の残党は、他の誰でもないブロルさんが討っただろう。新しい生命を名乗っているのに、人間の悪いところを真似してどうするんだ?」


 クロードの呼びかけに、ベータは血の涙を流しながら頷いた。


「そうとも。被害者だった創造者ちちうえが至った価値観は、どうやら加害者のものと同じだったようだ」


 捜査員達が剣を鞘から抜き、小銃を構えた、あるいは防御の呪符を取り出した。

 ドゥーエもまた糸を閃かせ、それでも血の気が引いた真っ青な顔で呼びかけた。


「――最悪だ。古い鏡を見ているようだぜ。おい、ベータ。もしも少しでも家族に疑問を感じたなら、辺境伯様を選べ。お前までオレと同じ轍を踏む事はない」

「いいや。できない、できるはずがない。このベータは同胞かぞくを何よりも愛している。傭兵、お前なら選べるか? 選んだとして、愛する家族と戦って後悔しないのか?」


 ドゥーエは首を横に振った。彼の心中は伺い知れない。

 けれど、クロードはただならぬ表情から勘付いた。

 ひょっとしたら、隻眼隻腕の傭兵は愛する者を手にかけてここにいるのではないか?


「辺境伯様、捕らえるゲスか? 殺すでゲスか? 今はこいつの説得は不可能だ」

「わかった。ドゥーエさん、皆、彼を拘束しよう」


 クロードは鎖を生み出して、ベータに詰め寄った。


「いいや、まだだ。まだ、終わっていない!」

 

 ベータは、異様な壺を抱え込んだ。

 彼の身体がウジに変貌し、呪具を取り込み始める。


「やらせん、死ねっ!」


 真っ先に飛びかかったのはドゥーエだった。

 彼は背負った竹刀袋を、ベータであった肉塊に叩きつけた。白い光が輝き、なんらかの損傷を与えたようだが足りない。

 ぐすぐすに溶けた肉体は弾けて膨張し、全長一〇mはある三頭竜へと成長した。


「すべては、ネオジェネシスの新世界創造の為に!」

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