第65話(2-23)傭兵邂逅
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復興暦一一一〇年/共和国暦一〇〇四年 涼風の月(九月)二二日深夜。
ロジオン・ドロフェーエフは、テロリスト集団”赤い
そう、――残党だ。エングホルム侯爵領にある港を目指して、暗い森の中を逃げるように進む。
クローディアス・レーベンヒェルムに敗れ、マラヤディヴァ国政府から破壊活動禁止法の指定を受けた”赤い導家士”は、すでにマラヤディヴァ国内の確たる勢力を失っていた。
悪い知らせは、それだけではない。”赤い導家士”の本拠地である飛行城塞『グラズヘイム』との連絡が突如途絶えたのだ。世界各国に散らばった同志達は、混乱状態のまま各地で逮捕、拘留されていた。
そして今朝。馴染みの情報屋からロジオンの元へ、特級の厄ネタが舞い込んだ。
『西部連邦人民共和国政府パラディース教団との関係が悪化した”赤い導家士”は、共和国内で一大テロを画策するも、冒険者ニーダル・ゲレーゲンハイト、教主直属の”処刑人”クラウディオ・アイクシュテット、そして、シュターレン軍閥次期当主ツァイトリッヒの強襲を受けて飛行城塞が陥落した。幹部級の多くは生きて逃れたものの――総首領”アルファズル”は、死亡が確認された』
ロジオンは、御者席で、出立前に
灰色の煙が、吸い込まれてゆく夜空を見上げる。
今宵は晴れだ。三日月と星々が闇夜を照らす。……雪は降らない。
「そうか、総首領殿も逝ったかよ」
ロジオン・ドロフェーエフは、極めて近く限りなく遠い世界に思いを馳せた。
ボタンを掛け違った世界。春の後に夏が訪れることはなく、風の冬、剣の冬、狼の冬、三度の冬が続き、人々は争いの果てに滅んだ。
総首領”アルファズル”は、ロジオンの目から見ても傑物だった。
もはやすりきれた遠い思い出だが、かつて彼は「もし立場が違ったら、お前に仕えても良かった」と総首領に告げたことがある。
そうして、この世界では約束通りに傭兵として協力したものの、果たして総首領の理想を、どれだけの構成員が理解していたことだろうか?
気高い
「世界が違っても、結局お前が看取ったかよ、ツァイトリッヒ」
総首領の最期こそ似通ったものの、この世界は、ロジオンの知る世界と異なっている。
それは、あの忌々しい
ロジオンの世界と、この世界は、積み重ねてきた歴史そのものが違うのだ。
たかが異世界の住人がひとりやふたり、手品を披露したところで何も変わらないことを、誰よりも――ロジオン自身が思い知っていた。
「悪徳貴族、クローディアス・レーベンヒェルム。お前はよくやった」
ただひとりの意思では変わらぬがゆえに、多くの人々の意思を束ねて歴史を変えつつある。
「ま、本人に自覚なんぞないだろうがな。ありゃあ、ただの凡人だ。邪竜なんぞに見初められ、勇者を目指さざるを得なくなった哀れな男。だからこそ、オレはお前を信じよう。ちっぽけな勇気を振り絞って、
そう零した瞬間、ロジオンは不意に強烈な悪寒を感じた。
見えるはずのない夜闇に、閃光のような数本の線を感じ取る。
H型の柄が特徴的なジャマダハルに酷似した剣を掴み、一刀の元、袈裟斬りで飛来する複数の矢と
しかし、馬までは庇いきれない。毒矢を受けたのか、悲痛な声でいなないてがっくりと倒れた。
「皆、起きろ。敵襲だっ」
襲撃者達の攻撃は迅速だった。
ナイフを持った細身の刺客が二人、御者席へと突っ込んでくる。
ロジオンは毒にべっとりと濡れた刃を正面から受け止めるも、背後から迫るもう一人の刃をかわすことができない。
「阿呆が」
ロジオンは、前かがみになりながらも後方へ回し蹴りを放つ。
カウンターとなった足が刺客のあごを粉砕し、意識を断ち切ったと認識すると同時に、力任せに剣を下方向からぶちあげて正面の敵の胴を貫いた。そのまま容赦なく、意識不明となった敵の喉首を切り裂いて返り血を浴びる。
ロジオンがトドメを刺した次の瞬間には、大槌をもった巨体の戦士が襲い掛かってきた。一撃目はかわすも御者席に大穴が空いて逃げ場を失い、二撃目は円を描くように剣を振るって受け流した。
ロジオンは均衡を失った戦士に反撃するも、目に見えない障壁のようなものに阻まれてしまう。戦士は獰猛な笑みを浮かべるも、油断していた。ただの人間では魔術師一〇人分の魔力を行使する第六位級神器の加護は破れない。その
なぜなら、ロジオン・ドロフェーエフは生ける死者。
自らの心が正気を保てぬほどの罪を犯し、本来生きる世界を追放された男が、どうしてただの人間であるものか。
「盟約者か。残念だったなッ」
ロジオンは、無精ひげの浮いた口元を歪めた。
篭手が震える。かすかに氷が割れる音が聞こえ、契約神器の加護は打ち破られた。勢いのままに振るわれた
更に三人、槍を手にした第六位契約神器の盟約者が、今度は慎重に間合いを計りながら接近してくる。
(波状攻撃か。理由はわからないが、敵が飛び道具を使ってきたのは初撃だけ。ならいけるっ)
一人目が振るった紫電を帯びた槍の刀身がロジオンの額を裂いて、二人目の炎をまとった石突きが肩をしたたかに打ち据えて焼き焦がした。だが、こんなものは気付けも同然の浅い痛みだ。
最後の一人が放った光り輝く槍による渾身の突きを、ロジオンはわずか半歩の跳躍で避けて、右膝を勢いのままに彼の胸板に叩きつけた。
神器の加護を破り、内臓を破壊した手応えを感じる。そのまま死体を盾に一人を斬り、もう一人の喉首を貫いた。鮮血がしぶきをあげる。
「どうした、どうしたっ、もう終わりか?」
半壊した御者台の上で見得をきるロジオンを守るように、荷台に隠れていた赤い導家士の同志が六人、おのおの剣や弩を手に森道に降りて円陣を組む。
ふいに、パチパチと手を叩く音が聞こえた。
「熟練の暗殺者二人と、盟約者四人がこうも容易く討たれるなんて。相変わらず恐ろしいまでの腕ですね」
樹々の下、三日月の光に照らされて姿を現したのは、燃えるような緋色の長い髪をもつ少女だった。
「レベッカ。レベッカ・エングホルム。お前が追ってきたのか?」
同志の一人、ダヴィッド・リードホルムが感極まったような悲鳴をあげる。どうやら顔見知りのようだ。
「いいえ、ダヴィッドおにいさま。貴方を迎えにきたのですわ」
「た、助けてくれるのか?」
「ええ、おにいさまは大切なヒト。お喜びください。貴方は、第三位級契約神器オッテル様に見初められたのです」
ダヴィッドを含む赤い導家士六人は動揺した。
彼らは、追われることに飽いていた。救いの手がもたらされるのなら、それが藁であっても掴みたいと、そこまで追い詰められていたのだ。
だが、ロジオンは違う。レベッカという少女の、木の洞めいた瞳。ある意味で同類だからこそわかる。彼女は、正気ではない。
「騙されるな。第三位級契約神器オッテルは空番だ。千年前の戦いでぶっ壊されて、誰もその名前を継いじゃいない」
「あら、傭兵さん。どうしてそんなこと、貴方にわかるのですか」
妹のレギンに聞いたからだよ。と答えようとして、ロジオンは言葉に詰まった。
なぜなら、この世界では、ロジオンはレギンに出会ってなどいないのだから。
「答えられないでしょう? 一介の傭兵に過ぎない貴方が知るはずもない。かつてオッテル様は、邪竜ファヴニルに謀られて、ひどい傷を負ったのです。共に復讐を果たす
「ファヴニル、クローディアス・レーベンヒェルム……」
まるで取り付かれたように、狂気をはらんだ目で、ダヴィッド・リードホルムはコーンロウスタイルにまとめたトウモロコシ色の髪をかきむしり、ダボダボのチュニックとタイツズボンをせわしなく弄り始めた。
「信じるんじゃないダヴィッド。その女はどこかおかしい。領主であるエングホルムの血縁が、赤い導家士を救う理由がどこにある?」
「ありませんわね。特に、傭兵さんだけは。ええ、まさか、こちらに来ているなんて思わなかった。仇というのもおかしいですが、討たせてもらいます」
「は、どこで恨みをかったのやら、モテモテで困っちま」
ドクン。と、ロジオンの心臓が一際大きく弾んだ。
知っている。彼は風貌こそ重ねた年齢の差があれど、少女の、否、女の顔を憶えていた。
異なる世界において、邪竜ファヴニルの巫女に寄り添った”赤い
ロジオンが手ずから斬った、掛け値なしの悪女。
「お前、あの時の占い師……」
ロジオンの脳裏を、電流のようにイメージが迸り、千々に乱れていたパズルの欠片が組み合わさってゆく。
「傭兵さん、世界を歪めようとする貴方を生かしてはおけない。革命し、正しい世界に導くために」
「占い師のお嬢ちゃん、あんたはあの世界を正しいというのか、あの地獄を肯定するというのかっ」
レベッカ・エングホルムは、無言のまま満面の笑みで応えた。
ロジオンもまた、八双の構えをとってゆっくりと呼吸を整えた。
「貴様は殺す。余りにも危険すぎる」
「死ぬのは、貴方です」
レベッカ・エングホルムと、ロジオン・ドロフェーエフ。
彼と彼女の因縁を理解できるものは、この世のどこにもいなかった。
狂った世界への道筋を変革しようとする男と、狂った世界への道筋に変革しようとする女。
二人は、この夜に出会い、別れるだろう。
結末を決めるのは――果たして。
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