第13話 対外交渉

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「ねえ、あの中庭にいる、領主のカッコウした人って、誰?」


 復興暦一一○九年/共和国暦一○○三年 紅森の月(一〇月)三一日。午後。

 奪われた目の治療を終えて、帰ってきたソフィの言葉に、エリック達は凍りついた。

 ヨアヒムがソフトモヒカンをかきむしり、震える声で呻いた。


「ソフィ姐、ひょっとして記憶が……」

「野郎。やっぱり許せねえ。今すぐぶっ殺してやるっ」


 エリックは顔を朱に染めて椅子を蹴って立ち上がり、アンセルはそばかすの浮いた頬を真っ青にして彼の脚にしがみついた。


「よすんだ。いま辺境伯に斬りかかっても、何も!」

「どけ。アンセルっ、邪魔をするな」

「ゆるせない。やっぱりゆるせないよ。こうなったらアタシがっ」


 ブリギッタまでが部屋を飛び出そうとする。ヨアヒムも止めようとしたものの、右脚を骨折していて、追いつくことができなかった。彼女はドアを開けて、しかし、ソフィが奇妙なことを口にしたため、思わず足をとめた。


「あ、あれっ? そうじゃなくて。ほら、あのひと、領主じゃないでしょう? なのに、領主みたいな服着て変だなって。あ、兄弟かな?」

「しっかりしろよ、ソフィ姉ちゃん、あれが辺境伯だ。姉ちゃんを酷い目に合わせたクソヤロウだよ」


 ソフィの瞳を奪い、手のひらを穿ち、おそらくは穢した、憎むべき悪徳貴族。

 

「違うよ、エリック。人のこと、悪く言っちゃいけないって、いつも言っているでしょう? 顔は、確かにそっくりだけど、姿勢も足運びも、まるで別人じゃない? ほ、本物の、辺境伯はどこにいるのかな……?」


 エリックは、ブリギッタは、アンセルは、ヨアヒムは、ソフィの問いかけに応えることもままならず、互いに視線を交差させた。ひとたび疑問が生じれば、思い当たる点が多すぎるのだ。

 この一カ月、クローディアス・レーベンヒェルム辺境伯は、まるで別人にでもなったかのように悪行をやめて、領を盛りたてるべく精力的に働いていた。

 その変化は、”人が変わった”どころの話ではなく、”本当に別人がすり変わった”のだと考える方が自然なほどに……。


「どういう、こと?」


 ブリギッタの疑問に、答えられる者はいなかった。




 月が明けて、木枯の月(一一月)七日。

 マラヤディヴァ国レーベンヒェルム領も、そろそろ雨季が始まったのか、日のうちに何回か凄まじい暴風と豪雨に見舞われることが多くなった。


(つまり、雨季といっても、梅雨じゃないのか)


 クロードは外出用のスーツを身に付けたあと、念入りに雨具を点検した。

 曇り空と雨空が毎日続くのではなく、晴れているときは晴れているが、不意に嵐が来たかのような暴風雨スコールに襲われる。それが、マラヤディヴァ国の雨季らしい。

 人と会うのに濡れねずみというわけにはいかず、さりとて天候ばかりは人の手にあまる。おまけにレーベンヒェルム領には、気象台もなければ、当然ながら天気予報もないという無策ぶりだった。


「では、エスコートしましょう。ブリギッタ・カーンお嬢様」

「やめてよ。アタシは、もう家とは関係ないんだから!」


――

―――


 市場開催の後、共和国企業連幹部からのクロードへの招待が相次いでいた。

 レーベンヒェルム領における共和国企業連の経済力は絶大であり、傀儡かいらいの領主であるクロードとしても、彼らを無視するわけにはいかず、農園の管理はエリック達に任せて交渉に専念することにした。


 最初にクロードが招かれたのは、故クローディアスと懇意こんいにしていたという、共和国企業連の代表的重鎮、ヘルムート・バーダー氏のパーティだった。

 しかし、彼主催の乱痴気らんちき騒ぎはひどくクロードを消耗させた。バーダーという男、外向きには、それなりの仮面を被っていたようだが、一皮剥けば、女性蔑視もはなはだしいというか、自分の奥方や娘すら名前でなく女性器の蔑称で呼ぶという、人格破綻者だったのだ。

 その後、連日のようにパーティ詣でが続き、どいつもこいつも企業家としての才覚はともかく、クロード以外のマラヤディヴァ人を貧乏だと蔑んで馬鹿にし、いかに共和国が金持ちで優れた国かを説いてふんぞり返るという有様だった。


(マラヤディヴァ国を批判するのはいい。良い面だけ見て悪い面から目をそらすのは、それこそ愚行だ。問題は、こいつら何一つ明確な根拠がないとか、すぐにばれる嘘をつくとか、いったいぜんたいどうなってんだ!?)


 事実を論じずに、曲解とねつ造と罵詈雑言と弁明に終始するコメンテーターと議論すれば、どういった状況が生じるか、クロードは元いた世界のテレビ番組等で知っていたつもりだった。

 しかし、いざ自分がそういった場に出るとどれだけ疲れ果てるのか、我が身をもって知る羽目になった。

 食事もろくに喉を通らず、レアが毎朝作ってくれる梅干し入りのおにぎりと、野菜ジュースだけが心と体の癒やしとなる日々が続いた。


「領主様。今日で共和国企業重鎮との会談が終わります。明日は”楽人”代表のパウル・カーン氏に招かれています」

「”楽人”って、ああ、マラヤディヴァ国に帰化した共和国人をそう呼ぶんだっけ。レア、何時からかな?」

「十七時です。領主様、先方からの特別な申し出で、……娘である、ブリギッタ・カーン嬢を同席させて欲しいとのことです」

「むすめぇ、どーでもいいよ。……ブリギッタ、って、まさか!?」

「はい。領主様もご存じのブリギッタさまです」


 言葉づかいこそ荒っぽいものの、時々、妙に立ち居振る舞いが上品だったことから、薄々、良家の出だろうと思っていたブリギッタだったが、想像以上に大きな家の出身だったらしい。


―――

――


 かくして、ブリギッタを連れて、カーン家に赴こうとしたクロードだったが、彼女を見るや眠気が吹き飛んだ。

 いつもの冒険用の白い皮鎧を脱いで、ブリギッタが着替えた背中の大きく空いた深い藍色のドレスは、山吹色の長い髪と灰色の瞳、白い肌によく映えて、一瞬目を奪われた。馬車に乗り込む際に、妙に芝居がかった台詞を言ってしまったのは、その為だ。


「なによ。いやらしい目で見ないでよ。このろくでなし辺境伯」


 もっとも、彼女の言葉遣いは、とても良家のお嬢様とは思えなかったが。


「なんだって!? 思い上がるなよ。そんな平べったい」


 ドレスから伸びたブリギッタの健康的な手足を見つめていたことが気恥ずかしく、クロードが売り言葉に買い言葉を返そうとしたところ、レアが馬車のドアを叩いた。


「領主様、傘をお忘れです」

「あ、危ない。危ない。レア、ありがとう。ブリギッタ、そんな平べったい首飾りはドレスに似合わないんじゃないかと思うぞ」

「辺境伯様? いま、レアさんの前だからって、台詞変えたでしょう!」

「馬鹿なことを言うな」


 クロードは、ちょっと豊満な胸の女性が好きなだけである。ぺったん子大好きヘンタイ会計先輩や、おっぱいと見れば何でも欲情する節操なしのエロモンスター部長先輩とは違うのだ。

 馬車が走りだすや豪雨に見舞われたものの、幸いカーン家に着く頃には雨もあがり、予定通りに会談が始まった。


「レーベンヒェルム領の経済が停滞しているのは、金銭が偏り、正常な循環が行われていないからです。賃金の上昇と内需の拡大は、共和国企業連にも有益であり、当方としては……」


 クロードは、隣のヴァリン領の大学教授と打合せ、レアに添削てんさくしてもらったプランに基づいて、どうにか穏便に会談を終わらせようと尽力した。

 レーベンヒェルム領としても、領民を農奴として使い潰す共和国企業連による収奪機構が問題なだけであり、可能ならば協力して行きたかった。WINWINの関係になれるならば、それが一番いいのだ。

 しかし、残念ながら、共和国企業の重鎮たちからは「マラヤディヴァ人は問答無用で格下なので話にならない」という、けんもほろろな反応が返ってきただけである。


「なるほど、領内での購買力が上がれば、確かに我々にもメリットがあるだろう。なかなか見どころのある政策だったよ。ところで、辺境伯殿。この世でもっとも信用がおけるものは、何だと思うかね?」


 顔に深い年輪が刻まれた紳士の問いかけに、クロードは即答することができなかった。

 友情? 愛情? 絆? 国? 故郷? どれもが正しく、どれもが間違っている気がした。


「……」

「辺境伯殿、私はね、この世でもっとも信用できるものは、利害関係だと思っている」


 言葉に詰まる。パウルの指摘は、一面において真理だ。


「そうかも、しれません」

「だからね、辺境伯殿。そこのブリギッタ、不肖の娘だが、君のめかけになど、どうかな?」


 クロードの意識が一瞬、ホワイトアウトした。

 ドレスが際立たせた白い肌。襲撃を受けた際に押し倒して見えた下着姿。

 なるほどブリギッタは美しく、胸が薄いことを除けば、実に魅力的だ。だが――。



 ナニ イッチャッテルノ コノヒトハ?



「父さん!」


 ブリギッタの抗議を、企業家は視線だけで封殺した。

 駄目だ、と、クロードは直感する。ブリギッタとパウルでは、生きてきた時間、背負っているものに差がありすぎる。


(かぶれ、仮面を。今だけでいい。部長でも、痴女先輩でもいい。架空のクローディアス・レーベンヒェルムを作って演じきるんだ!)


「カーン殿。僕は、お嬢様の明るくて、快活な人柄に何度も励まされました。ですが、辺境伯という家を継ぎながら、このレーベンヒェルム領を満足に治められない無能な僕は、お嬢様とはとても釣り合いません。僕の右腕にエリックという者がいます。彼はこの一カ月、農園の準備や市場の開催で目覚ましい成果を上げました。お嬢様とも親しいようですし、きっと彼の方がお嬢様を幸せにできることでしょう」

「……そうか、残念だよ。辺境伯殿。気が変わったら、いつでもブリギッタをもらってくれたまえ」


 パウル・カーンの衝撃的な発言を区切りに、会談はなし崩し的に終わり、クロードは夕食を御馳走になった後、ブリギッタと共にボーが待つ馬車へと戻った。

 『実家なんだからゆっくりしていけ』という、クロードの勧めを、ブリギッタは『絶対にイヤ』と苛烈な態度で拒否した。実の父親から贈答品プレゼント同然の扱いを受けたのだから、当然と言えば当然か。


(でも、カーン氏はいったいどこまで本気だったんだ? どうにも試されていた気がしてならない。うぷっ)


 仮面を被り続けるのも、もう限界だった。


「辺境伯様、今日はありがとうね。エリックって荒っぽいように見えて、優しいところもあるんだよ」


 ブリギッタが珍しくしおらしい態度で感謝の言葉を述べたが、クロードはそれどころではなかった。

 馬車に乗り込むやいなや、エチケット用に準備された、革袋の中にげーげーと胃の中のものを吐き出し始めたのだ。


「ね、ねえっ、どうしたのっ? 大丈夫!?」


 何かを伝えようとした気がする。しかし、それが何かをまとめられないまま、クロードの意識は混濁した。


――

―――


「ボーさん。馬車を出すのは止めて。辺境伯様の様子がおかしいの。使用人から薬をもらってくる」


 ブリギッタは、焦りながらも考える。

 大嫌いな父だが、毒を盛るような人間では決してない。

 急な病かと背を撫でさすると、呻くようにつぶやいた。


「もう、イヤだ。かんべんしてくれ。部長も、痴女先輩もおかしいよ。なんで大人と平然と交渉できたんだよ。なんで、ここにいるのが僕なんだよ。たすけて、くれ」


 冒険者として鍛えた、ブリギッタだからこそ聞き取ることができた小さい声で、そう呟くと、クロードは眠るように気絶していた。

 一週間続いた心労が限界に達したのだろう。朝から顔色も良くなくて、彼がレアの施した化粧で誤魔化していたことを、彼女は知っていた。


「お疲れ様。頑張ったんだね。クロード……」


 外套コートを脱がせて、毛布のように身体にかける。


「貴方は、一人じゃないよ。レアさんが傍にいる。エリックや、アンセルや、ヨアヒムや、アタシだって。それに、明日からは……」


―――

――


 クロードが退去したカーン家の寝室では、パウルが一人、ぼんやりとテーブルに座っていた。

 奥方が、冷やした葡萄酒とグラスを二つ持って入ってきて、彼の隣に座る。


「あなた、ブリギッタが無事で良かったわね」

「ああ、あの少年ならば利害関係者としての信用はおけずとも、人間として信頼ができよう。ファヴニルめ、肝の太い男を見出したものだ。まるで別人どころか、きっぱり別人ではないか!」


 パウル・カーンは、ほんの少しだけ、笑みに頬を緩ませて葡萄酒をあおった。

 家に縛られることを嫌い、出奔しゅっぽんして冒険者などというヤクザな仕事を始めた、末娘との親子関係は決して良くなかった。それでも、パウルにとってブリギッタが、目に入れても痛くないかわいい愛娘であることに違いないのだ。

 今日、観察した限りでは、悪徳貴族と評判だった“クローディアス・レーベンヒェルム”に酷い目に遭わされている様子はなかったし、逆に反発するパウルへの当てつけに、ブリギッタ達が領主を操っているという可能性もはっきり消えた。

 パウルの見たところ、あの少年は、ブリギッタ程度が手玉に取れる器ではない。


「今、辺境伯殿を演じている彼は、冷静さといい、機転といい、元のクローディアス・レーベンヒェルムとは比較にならないほど優秀だよ。おそらくは、隣領の学者どもが入れ知恵したのだろうが、政策面でも目に見えた不備はなかった。金銭欲だけが突っ張って、義務も責任を放棄したごうつくばりどもより、人の上に立つ器量も遥かに上だろう」


 なにせ本国の連中ときたら、利益の為には、異臭を発しカビの生えた肉を他の肉に混ぜて売るわ、禁止された危険な薬物をガンガン使うわ、ミルクを革製の廃棄物や有毒化合物メラミン入りの蛋白質で水増しするわ、挙句に開き直って「腐りかけた肉で、死ぬわけではない」「たかが工場の一件を、大げさに取り扱う外国こそ問題だ。わが社に非は一切ない」などと抜かす腐敗ぶりだ。

 正直パウルとしても、利害関係がなければ即座に距離を置きたかった。


傀儡かいらいどころの話ではなかったな。こうなると、ブリギッタが、彼の寵愛ちょうあいを得られなかったのが惜しまれる。血縁さえ結んでおけば、私が風除けになることも、上手く操縦してやることもできた。今の私が彼にしてやれることは、せいぜいが消極的な中立だ。孤立無援のこの状況を、いかにして乗り切るつもりだ、辺境伯殿?」


 夜は更けてゆく。

 その後、夫妻は無言で娘の無事を喜ぶ杯を干して、穏やかな時間が過ぎて行った。


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