第480話(6-17)悲しみをぶっ飛ばす拳

480


 復興暦一一一二年/共和国暦一〇〇六年 花咲の月(四月)一日夕刻。

 クロードら大同盟遠征部隊と、イザボー・カルネウスが指揮するエングフレート要塞守備隊の決戦も、ついに決着の刻を迎えた。

 イザボー隊は士気も高く、契約神器、理性の鎧パワードスーツ、マスケット銃といった兵器を己が手足のように扱う、極めて強力な精鋭部隊だった。

 けれど大同盟遠征部隊もまた、どんな珍しい兵器もどんな新しい戦術も、一度ならず打ち破ってきた猛者の集まりだ。

 クロードの奇策と仲間達の底力が天秤を傾けて、彼等は〝殺すことも殺されることもなく〟最善の勝利を掴んだ――はずだった。


「はは。何もかも無くしたと思っていたが、ここがアタイの、本当の終わりになりそうだね」


 誰もが肌の泡立つような不穏な気配に困惑する中、クロードとソフィの眼前で、先ほどまで刃を交えていたイザボーが膝をつく。

 

「よく聞きな。わんぱく小僧とやんちゃ娘たち。エングフレート要塞は降伏するよ」


 イザボーは足を震わせて立ち上がり、鬼気迫る表情で部下達に呼びかけた。


「あとのことは、辺境伯とベータに任せる。アタイがいなくなっても真面目に生きるんだよっ」


 イザボーがまるで遺言のような言葉を発すると、彼女の口からゴボリと赤い血がこぼれ落ちた。

 しゅうしゅうと異音が響き、彼女が身につけたまだら模様の装甲鎧と半透明の翼を引き裂きながら、白く冷たい吹雪が湧き上がる。


「こいつは顔なし竜、第三の魔剣ニーズヘッグかっ。くっ」

「イザボーさん、気をしっかり。いま治療をするね。あうっ」


 クロードとソフィは、イザボーを介抱しようと試みたものの、彼女の背を突き破った吹雪が、蛇のような形となって二人の手足に噛みついた。


最古の魔剣レーヴァテインも、第二の魔剣ヘルヘイムも、使い手に干渉する能力があった)


 クロードはソフィを守って切り払いながら、冬虫夏草とうちゅうかそうと呼ばれる、幼虫に寄生する菌類を思い出した。


(ドゥーエさんの幽霊姉弟が僕に憑依したように、ファヴニルの模倣した第三の魔剣ニーズヘッグもまた、イザボーさんの肉体をのっとろうとしているのか)


 クロードが防御に徹する間に、ソフィは魔術文字を綴って解呪を試みたが、イザボーの変化は止まらない。

 彼女の足元が凍りつき、要塞の床へ音をたててヒビが入る。


「二人ともありがとうよ。そんな顔をするんじゃない。人間には運命がある。他人から与えられたものじゃない、自分が選んだ道ってヤツさ」


 イザボーは吹雪に肉体を蝕まれながらも、クロードとソフィへ気丈に微笑みかけた。

 彼女の背から雪が花のように咲いて、肉体もまた氷の繭で覆われてゆく。


「悪魔に魂を売ったんだから、身ぐるみ剥がされるのも覚悟の上さ。アタイがまだアタイであるうちに、殺しておくれ」


 イザボーの全身を氷が覆いつくすと、手が爆ぜて、足が捻れ、胴が膨れ始めた。


「あたいのぶかを……コドもタチをよろシクたのむよ」


 末期の言葉が弱々しく響き、後にはしゅうしゅうと鍋が沸き立つような、蛇の吐息が聞こえるばかりだ。

 彼女の身体はゆっくりと膨張し、獣のような機械のような壺めいた何かを背負う、全長五mほどの顔のない蛇へと変貌した。

 巨大化の衝撃で、鉄壁の防御を誇ったエングフレート要塞の一角が、積み木倒しのように崩れ落ちる。


「ファヴニルっ。僕は諦めないぞ」


 クロードはソフィを抱きしめて跳躍しつつ、右手人差し指にはめたファヴニルとの契約の証、血のように赤い宝石の指輪を見た。


「お前の腐った計画も悲劇も、この手でぶっ飛ばしてやる!」


 クロードは、拳を固く固く握りしめる。


「そうだよ。悲しみになんかに負けちゃダメ」


 彼の胸に抱かれた赤いおかっぱ髪の少女ソフィが、固く握られた拳に柔らかな手のひらを重ねた。


御主人クロードさま、お待たせしました。イザボー様を助け出しましょう」


 青髪の侍女レアが宙を舞うはたきに乗って駆けつけて、クロードの肩へと飛び移った。


「レア、ソフィ。僕は未熟だ。だけど、二人と一緒なら、不可能だって乗り越えられる!」


 クロードは肩にレアをのせ、ソフィの手を引いて、壊れゆく要塞の中を走った。

 イザボーが変身した顔なし竜ニーズヘッグは瞳と鼻の欠けた顔を三人に向けて、一文字に裂けた口を開けるや、全身から一〇〇を超える氷雪の蛇を伸ばしてきた。


「「我々のマムを救うんだ。辺境伯様を援護するぞ」」


 その窮地に、エングフレート要塞の守備隊が飛び込んだ。白髪白眼の兵士達は、折れた剣や槍、砕けた盾を振り回しながら死力を尽くしてクロード達を守り――。


「「仕事はまだ残っていたか。残業手当、はずんでくださいよっ」」


 大同盟遠征部隊もまた橋から乗り込んで、銃や魔法で支援する――。

 

「必ず助ける。終わったら祝いの宴をやろう!」


 クロード達三人は、先ほどまで争っていた二つの部隊に背を押され、顔なし竜の背部へと跳躍した。


「ノロワシイ……ウラメシイ……コロシタイ」


 吹雪から、おどろおどろしい声が聞こえてくる。

 壺めいた魔道具から吹き出す雪と風の中には、エカルド・ベックやハインツ・リンデンベルクら、ニーズヘッグに取り込まれた者達による呪詛じゅそ怨嗟えんさの声が混じっていた。


「キエロ、キエテシマエッ、ギャハハッ」


 彼らの悪意は際限なく膨れあがり、吹雪という圧倒的な質量で三人を飲み込んだ。


「イザボーさん、こんな人達に負けないで。見たでしょう、貴女は何も失っていないっ」


 けれど、ファヴニルの過去たる〝グリタヘイズの龍神〟の巫女ソフィが、クロードの左手を握りしめて舞い祓う。


「貴方と共に、どこまでも……」


 邪竜の妹分レギンである青髪の侍女レアが、半分の桜色の髪飾りへと姿を変えて、クロードの後ろ髪を結ぶ。


「ああ。三人で、いやアリスとセイも一緒に、ずっと……」


 そして、クロードは愛しい二人の熱を感じながら、右手の指輪にありったけのエネルギーをこめた。


魔剣ムラマサを知って、シュテンさんとの戦いを乗り越えたからこそわかる。病疫の抗体、毒物の血清。ファヴニルに天敵がいるのなら、それは僕達に他ならない!」


 新しい武器を作る必要はない。

 最強の対抗手段はここにある。

 右手にはめた指輪の赤い宝石が、太陽のような光を発する。


「イザボーさん、僕は貴女の選択と過去を肯定する。でも、血塗られた運命はここで終わりだ。鋳造――!」


 クロードが指輪へ被せるよう作り上げた〝光〟は、武器ではなかった。

 それは、焼け溶けた鉄であり、未知なる可能性であり、いまだ〝名前のない必殺技〟であった。

 彼は光り輝く右手で、ニーズヘッグの中枢たる壺を殴りつける。

 顔のない竜が絶叫し、巨大な身体が真っ二つに裂けて肌が泡立ち、天を貫く光の柱に包まれる。


「い、いやだ、我々だけが死ぬわけがない」

「こ、こ、この女も道連れだ」


 暴力的な思惟しいは、どこまでも執念深く怨みつらみを叩きつけようとしたが……。


「術式――〝抱擁者ファフナー〟――起動!」


 クロードはレアとソフィの力を借りて、限定的に時間を巻き戻す。

 イザボーの肉体は、トンボの装甲服をまとう人間体へ戻り、顔なし竜は最期のあがきに空振りし、なすすべもなく光の中へ消えてゆく。


「「なぜだ、なんでだあああっ」」


 クロードは顔なし竜の断末魔に背を向けて、歓喜に湧く守備隊兵を見つめた。

 なぜという疑問の答えは明白だ。因果応報いんがおうほう――。


「怨霊は暗黒の世界へ帰れ。僕たちは生きて未来を取り戻す!」

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