第120話(2-74)ドーネ河会戦

120


 復興暦一一一〇年/共和国暦一〇〇四年 木枯の月(一一月)一九日午後。

 川沿いの森に鶴翼かくよくの陣を敷くレーベンヒェルム領軍一万と、ドーネ河を渡ったソーン領軍五万が激突した。


「恐れるな! 偉大なる我が軍団よ。敵は五分の一だぞ、踏みつぶせ」


 マグヌス・ソーンの呼びかけに応え、血気にはやるソーン領軍の兵士たちは、我先にとなだれをうって飛び出した。

 先頭に立つ機械の巨人、第五位級契約神器が操るゴーレムが空間断裂の魔法で塵と化しても、彼らの勢いは止まらなかった。

 これまでソーン領軍は、レーベンヒェルム領軍を相手に一蹴し続けたのだ。

 たまたま今回運の悪い味方が死んだとしても、報酬の分け前を狙うライバルが死んだとしか受け止めなかった。

 その思いこみこそが大きな過ちであったことを、彼らはすぐさま気づくことになる。


「銃隊、撃てェエ」


 セイが大太刀を抜いて叫ぶや、レーベンヒェルム領軍は、左右両翼から銃弾を雨のように撃ち放った。

 突出したソーン領軍の先頭部隊は、無防備な横っ腹に十字砲火を浴びて転倒、沈黙する。


「ば、馬鹿もの。こちらも弩を射よ! 魔術師どもは敵に火球を撃ちこめ!」


 マグヌス・ソーンが怒鳴りつけるものの、ソーン領軍の部隊配置はでたらめで、まともな陣形も敷いていなかった。そのため射線もろくに確保できず、弓兵や魔法兵は、前を邪魔する味方に当たらぬよう配慮して、わずかな矢や火球を撃つのがせいぜいだった。

 そのように散発的な攻撃では、塹壕ざんごうを掘り、土のう袋を積み上げて待ち受けていたレーベンヒェルム領軍の防備を破ることはできない。


「ソーン領軍を包囲せん滅する。左翼、右翼は前進。中央、ここが見せ場だ。持ちこたえろ」

「す、進め。敵は目の前にいる。あの程度の数、取るに足らん!」


 火力を集中することを重視したセイと、兵力を集中することに固執したマグヌス。両者の思惑は、似ているようでまったく意味合いが違った。

 レーベンヒェルム領軍は、馬上槍を構えた騎兵が効果的に突撃し、遠間から矢や魔法弾を撃つソーン領軍の弓兵や魔法兵を排除した。

 レーベンヒェルム領軍の歩兵は、魔法盾で護られつつ前進して長槍で敵騎兵を圧殺し、弓隊と銃隊は、取り残された敵歩兵に矢と銃撃を浴びせかけた。

 セイの指揮の元で連携しながら攻撃するレーベンヒェルム領軍と、マグヌスがわめき散らすたびに兵数を生かすこともできず右往左往するソーン領軍。形勢は、素人目にも明らかだった。

 しかし押しこまれつつあるソーン領軍で唯一人、気を吐く男がいた。白髪の参謀アーロン・ヴェンナシュである。


「わしに続けェ。敵中央を突破して、逆に包囲をかける。侯爵様を信じよ、我々の方が数に勝るのだぁ」

「老いてますます盛んとは、彼のようなひとか。やるな御老体!」


 アーロンに率いられた民兵を中心とする歩兵隊は、剣と槍だけで驚異的な粘りを見せ、セイのひざ元を護る中軍を切り崩そうとした。

 一人へり、十人へり、百人へっても、彼らは突撃を続けた。武器はなく、訓練も足らず、しかし窮鼠きゅうそとなった兵士たちは、天敵たる猫をかみ殺さんと命の炎を燃やしていた。

 至近距離まで接近し、ひとたび乱戦となれば、飛び道具による援護射撃もままならない。

 老参謀は、射程の不利を大人数の兵力差でひっくり返そうとしたのだ。しかし――。


「お待たせたぬ!」

「司令。三千の兵を率いて後詰めに参りましたぞ!」


 ここで領都レーフォンへ続く街道を封鎖し、ドーネ河にかかる橋を護っていた別働隊が、援軍として到着する。

 黒虎姿のアリス・ヤツフサが乱戦の中に飛び込んで、ソーン領軍の兵士たちを片端から投げ飛ばした。

 ソーン領軍はいまだ総数で勝っていたものの、新たな軍勢を確認した途端、弦の切れた琴のごとく戦闘を放棄してしまう。


「何をしている。戦え、偉大なる私の為に戦わんか。阿呆どもがぁ!」 


 もはやマグヌス・ソーンの呼びかけに応える兵は、ひとりも居なかった。

 一週間の波状攻撃で消耗し、いままた最後の希望を失った民兵たちは、混乱の中でうずくまり、あるいは座り込んだ。

 機を見るにさとい共和国軍傭兵の一部は、背後のドーネ河へ向かって一目散に逃げ出し、殴り合い、もつれあいながらも渡ろうとした。


「待て。命令じゃ、河に逃げてはいかん! 命を粗末にするな」


 アーロンの必死の叫びも、傭兵たちの耳には届かなかった。

 雨季にも関わらず、”膝までしか水位がないドーネ河”、老参謀は最初からその異常性に気づいていたのだ。

 傭兵たちが河を渡りきる前に、雨季の雨水をたっぷりと食い止めた川上のせきが切られ、彼らは濁流に飲み込まれて逝った。

 この瞬間、レーベンヒェルム領軍の包囲は完成し、ソーン領軍の統制も完全に失われた。思考を放棄したかのように無理やりな突撃を試みる者もいたが、大半が武器を捨てて両手を挙げ、その場に伏せた。


「い、一騎打ちじゃ。レーベンヒェルム領軍司令セイ。マグヌス・ソーンはここにいるぞ!」

「侯爵様。おやめ下さい。この期は指導者として潔い、御振る舞いをっ」


 アーロンの制止の言葉を振り払い、マグヌスは戦場に似つかわしくない華美な装飾を施した馬を駆って、レーベンヒェルム領軍の前に躍り出た。

 セイもまた、レ式魔銃を構える部下たちを制止して、太刀を手に馬を進める。

 二人は、他に誰もない戦場の空白地帯で邂逅かいこうし――。


「マグヌス・ソーン侯爵。降伏を……」

「ふはは。やはり、女は浅はかよのう!」


 見苦しくもマグヌスは、緋色革命軍マラヤ・エカルラートから購入した、劣化複製品デッドコピーのマスケット銃をセイへ向けた。

 今さら大将を倒したところで、自身の命運はとうに尽きている。そのことを、卑小な彼は理解できなかった。


 ダン! という発砲音が、ひとつ響いた。


 セイを護ろうとしたサムエルの狙撃は、的確に卑劣漢の肩を撃ち抜き、続いて三発の弾丸が右腕と胸と腹に風穴を空けた。

 イヌヴェが騎馬で駆け寄りつつ、試作された騎兵銃カービンをたて続けに撃ったのだ。


「なぜだ? なぜ撃つ? 私を助けよ。我は有徳の長者、隣人愛の君主マグヌス・ソーン侯爵であるぞ」

「自分には、ずっと言いたかった言葉がある。マグヌス・ソーン。”悪徳貴族討ち取ったり!”」


 両騎は刹那、交錯こうさくする。

 イヌヴェの軍刀が、マグヌスの喉元を裂いて介錯かいしゃくした。

 こうしてソーン領の簒奪者さんだつしゃは、最後まで自らの敗北を認められぬままに、事切れた。

 セイは馬を下りると、落馬したマグヌスの遺体に近づいて、カッと見開かれた彼の瞳を閉じた。


「セイ様。無事で良かった! 肝が冷えましたよ……。こんな卑怯者の屍、うち捨ててしまえば」

「イヌヴェ、このひとは昔の私と同じだよ。棟梁殿と出会う前、私は、ずっと努力していた。皆の信望に足る戦歴を重ねた。だから、異を唱える者も少なくて、私もまた、このひとのように勘違いをしたんだ。自分自身さえも見失って、――敗北した」

「セイ様……」


 決して褒められた敵将とは言えなかった。しかし、黙祷もくとうを捧げるセイを前に、イヌヴェは言葉を失った。


「セイ司令。人間、生きてりゃ勘違いもするし、間違いのひとつやふたつあるでしょう。それでも生きてればなんとかなるものですぜ。勝ち鬨をあげやしょう。我々の勝ちです」

「ああ……。皆、ご苦労だった。我々の勝利だ!」

「うおおおおおおおおっ!」


 なし崩しに指揮権を引き継ぐことになったソーン領軍参謀アーロン・ヴェンナシュが降伏し、ドーネ河の会戦はレーベンヒェルム領軍の大勝に終わった。

 わずかな死傷者で自軍に倍する五万の敵を無力化し、四万を越える捕虜を得た。この勝利によって、セイの名は、姫将あるいは飛将軍の二つ名をつけて、周辺諸国に響き渡る。

 レーベンヒェルム領の兵士たちは、誰もが彼女の勝利を喜び、今日の日を生き延びたことに感謝した。

 だから、セイが日が傾きつつある青空を見上げ、呟いた言葉を知るものは、彼女自身しかいない。


「私は、生まれてきてよかった。棟梁殿。我が友、我が愛するひとよ、貴方と共に行こう。たとえ死が分かつとも」


 マグヌス・バンデッドは、この日、戦死した。

 マラヤディヴァ国の内戦において、緋色革命軍を相手に保守系貴族としての意地を見せたメーレンブルク公爵や、グェンロック方伯。海賊討伐などで功績をあげて、地元では一定の評価を得たトビアス・ルクレ侯爵らとは異なり――。

 彼は、領民の血税と労力を絞って外国に利益と便宜を図り、見返りとして私腹を肥やすことのみに溺れた最悪の売国奴、簒奪者として歴史に名を残す。爵位継承において、暗殺を教唆きょうさしていたことも露見して、内戦終結後にはソーン領の相続も無実化した。

 ゆえにソーン領において、”悪徳貴族”と言えば、マグヌス・バンデッドを指すことになる。

 そして、同日、夕刻。セイ率いるレーベンヒェルム領軍の勝利を知った、もうひとりの悪徳貴族こと、クロードは執務室に侍女レアを呼んだ……。


「勝ったか。レア、皆を集めて欲しい。真実を明かすよ」

「わかりました。領主様」

「もう、領主じゃなくなるかもよ?」

「この先に何が起ころうとも、貴方が私を不要とされるその日まで、貴方は私のあるじさまです」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます