第三部/第三章 紺碧の遺跡編

第228話(3-13)グェンロック方伯領沖海戦

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 大軍事同盟が成立してから二ヶ月が経った。

 クロードが指揮するレーベンヒェルム領は、ルクレ領とソーン領を中心にヴォルノー島各地の復興と組織再編にまい進していた。

 一方、ファヴニルが黒幕となって糸をひく緋色革命軍マラヤ・エカルラートは、マラヤ半島統一に大手をかけていた。キャメル平原の戦いで敗北したグェンロック方伯領は圧倒的な兵力差で蹂躙じゅうりんされ、悲鳴と怒号が渦巻いた。

 領主一族はまるでなぶりものにされるように一人残らず公開処刑され、戦死した騎士たちの遺体いたい埋葬まいそうされることなく晒しものにされた。

 緋色革命軍は戦勝を祝い、理性の祭典と称する大規模な祝祭を開催する。

 しかしそれは、理性とはおよそ正反対の破壊と略奪、暴行を推奨したものだった……。


 この暴挙に対し、大同盟に打てる手は――何もなかった。

 まず同盟の主力たるレーベンヒェルム領軍は、激しい戦争と怪物災害を乗り越えた結果、古参兵の大半が負傷し入院していた。指揮官不在では新兵が多少増えたところで、大規模な軍事行動がとれるはずもない。

 ルクレ領では足元を見た旧貴族たちが蜂起してアンセルやコンラードたちに捕縛され、ソーン領では、ヨアヒムやアマンダが怪物災害の影響で活発化した徘徊怪物ワンダリングモンスターの対処に追われていた。


 メーレンブルク公爵は、正しく状況を理解していたのだろう。

 彼は、大同盟からの支援の申し出を拒絶し、救援のために北上した大同盟艦隊との共同戦線も頑として突っぱねた。

 メーレンブルク公爵は、自身と”自身の財産たる”メーレンブルク領のすべてを使い、大同盟が反攻するまでの時間を稼ぐつもりだった。

 しかし――。


「ナンド軍が勝手に先行した!?」


 復興暦一一一一年/共和国暦一〇〇五年 恵葉の月(六月)一七日。

 クロードは執務室で急報を受けるなり、転移魔術で港へと向かった。

 運良く……か。あるいは、ゴルト・トイフェルによって意図的に逃がされた避難民が、ナンド領に辿り着いてグェンロック領の惨状を訴えたのだ。


「命の尊さと人の心を知らぬ緋色革命軍に教えてやろう。我らが正義と熱情を。このマルク・ナンドに続け!」


 マルク・ナンド侯爵は激昂げっこうした。

 若き侯爵は黒い瞳に決意の炎をゆらめかせ、駱駝らくだ色の髪を振り乱して駆逐艦に乗り込むや、ナンド領海軍の武装商船八隻も続いた。

 マルク・ナンド侯爵はこの春に爵位を継いだばかりだったが、父の名代として自ら炊き出しを行って避難民を慰撫いぶし、ヴォルノー島各地の復興から需要拡大を見込んだ林業に力を注いで雇用を拡大するなど、内政面で高い成果を上げていた。

 領民たちに好かれ、部下たちに忠誠を誓われる、人もうらやむような好青年と言って良かった。

 問題は――、彼にはまったく軍才がなかったことだ。

 かのアルフォンス・ラインマイヤーが変じた”血の湖ブラッディ・スライム”戦には、傭兵部隊に偽装して参加し、撤退命令を無視して自身の部隊を壊滅させた。

 大同盟による合同模擬戦でも、マルクが指揮するナンド領軍は、無謀な突撃を繰り返して真っ先に脱落した。なお最終勝利者は、アンドルー・チョーカー率いるソーン領軍である。レーベンヒェルム領軍との決戦では、兵士全員を肉壁に使ってミーナと共に大将のセイを奇襲するという強行手段でちゃっかり勝利をもぎとっている。


「棟梁殿。油断した私が言うのもおかしいが、どうかマルク侯爵に気をつけて欲しい。あの青年は昔の私だ。放置しておけば、致命的な敗北に繋がりかねない」

「……セイ。彼が似ているのは僕の方だと思うよ。ちゃんと注意するよ」


 クロードは模擬戦後、マルクに軽挙を慎むように忠告したのだが――、効果はなかったらしい。

 彼は、善良だった。だが、その真っ直ぐな気性ゆえに緋色革命軍が付け入るのも容易かった。

 ナンド領艦隊は、ヴォルノー島西端のナンド領からまっすぐ北上し、マラヤ半島のグェンロック領沖に達したものの緋色革命軍の艦隊に捕捉された。

 マルクが遭遇した緋色革命軍艦隊は、駆逐艦一隻と装甲艦三隻、武装商船一五隻から成っていて、この時点で不利を理解するべきだった。しかし、彼は意気揚々いきようようと叫んだ。


「わずかな艦の差に臆するものか。かの辺境伯殿は、わずか一〇〇人で緋色革命軍を圧倒し、怪物災害さえも鎮めて見せた。先の模擬戦ではチョーカーなる男が名将セイ殿に勝利した。すべては心のあり方一つ。諸君の輝きを見せてくれ。私と共に勝利を掴もう!」


 もしもこの場にクロードかチョーカーが居れば、すぐさまハリセンで殴りかかったことだろう。しかし、この場にマルクを止める者はいなかった。ゆえに、彼は無謀にも突撃を始めた。

 一方の緋色革命軍は、突出するマルク乗艦を無視して、艦速に劣る武装商船へ魔法弾の一斉砲撃を加えた。


「敵旗艦は装甲艦に任せよ。アレは沈めるな。餌にして、ヴァリン領とレーベンヒェルム領を釣りだすのだ」

「ハッ! カルネウス提督の指令が出たぞ。各艦に手旗信号を送れっ」


 緋色革命軍艦隊は軽妙な艦隊機動でナンド領艦隊を分断し、一隻また一隻と沈めていった。

 マルク・ナンド出航の連絡を受けて急行したヴァリン領艦隊も巻き添えになり、武装商船二〇隻が尽く海の藻屑もくずとなった。

 クロードとロロン提督が乗った巡洋艦”龍王丸”が戦場に辿り着いた時、生きていた友軍艦は装甲艦の魔法障壁に阻まれて立ち往生するナンド領旗艦だけだった。


「一時方向に向け、魔力砲照射。副砲、撃ち方始め!」


 ロロン提督の指揮に従い、巡洋艦から魔力エネルギー波が放たれた。

 三隻の緋色革命軍装甲艦は魔力障壁を束ねて受けとめるも耐えきれずに砕け、かすめた一隻の艦首を抉ることに成功する。

 更にレールとシリンダーを組み合わせた駐退復座機ちゅうたいふくざきを装備した、改良型の火薬式大砲が続けさまに砲撃して二隻の武装商船を引き裂いた。


「さすがはトビアス・ルクレが買った艦だ。だが、こちらにも隠し玉がある」


 緋色革命軍の提督がパチンと指を鳴らした。

 ドクター・ビーストの遺産である飛行大太刀が五振、隠れていた雲間から出て急降下し、巡洋艦”龍王丸”へと迫った。


「ベナクレー丘で見た兵器か。そう何度も同じ手を受けるものかっ」


 だが、甲板で待ち受けていたクロードが、雷切と火車切を手に跳躍する。


源義経うしわかまるみたく八艘はっそうは無理でも、これくらいならっ」


 クロードは大太刀を足場に使い、斬っては飛び、斬っては跳び移った。


「ひとつふたつみっつよっつ、ラスト!」


 そうして人影が五振りの太刀を撃墜するのを目撃した緋色革命軍の提督は、旗下の艦隊に撤退を命じた。


「あれが悪徳貴族か。侮りがたい。目的は果たした以上、撤収する」

「ハッ。駆逐艦はいかがしますか?」

「ふん。生かして置いた方が役に立つだろう。そうだ、私の名前で敵艦に通信を送ってくれ。再戦ヲ望ム―ーとな」


 グェンロック方伯領沖での海戦の結果、大同盟は主力艦の沈没こそ免れたものの、貴重な艦船と熟練海兵を多数失うことになった。

 クロードが敵艦隊の港への転進を確認して艦橋に戻ると、ロロン提督が真剣な表情で何かを見ていた。


「ロロン提督、どうしたんだ?」

「敵艦隊から再戦ヲ望ムと通信が届きました。差出人は、ヨハンネス・カルネウス」


 カルネウス家は、ルクレ領とソーン領にまたがる名門貴族であり、クロードも聞きおぼえがあった。


「強すぎたがゆえに忌まれ、追放された元ルクレ領艦隊司令。かつて、わしの船を沈めた男です」

「……提督、考えるのは後にしよう。今はひとりでも海に投げ出されたひとを助けないと」

「辺境伯様! 空飛ぶサメのような怪物が、凄まじい速度でこちらに向かっています。迎撃の準備を――」

「あ、それ放っておいていいから」

「ハイ。ハイ?」


 グェンロック方伯領沖海戦以降、大同盟と緋色革命軍との戦闘は大きな変化を迎える。

 ひとつは、互いに勢力規模が拡大したことによって、軍事行動が鈍化したこと。

 もうひとつは、舞台が陸戦から海戦に移ったことだ。

 両陣営は、こののち海軍を強化すべく奔走ほんそうすることになる。

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