第276話(4-5)アンドルー・チョーカー

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 復興暦一一一一年/共和国暦一〇〇五年 涼風の月(九月)一五日。

 アンドルー・チョーカー率いる部隊は、高山都市アクリアで公開処刑が始まる直前に、街の北麓にある捕虜収容所へ攻撃を開始した。

 先行したミズキ班は、少人数の一揆にふんして守備隊をおびき寄せ、罠を仕掛けた山裾まで誘い込んだ。


「さすがはミズキ。そつのない手際だ」


 チョーカーが塹壕ざんごうの中から双眼鏡で覗きこむと、山道の入り口に集まった兵数はおよそ三〇〇人程度だった。

 敵指揮官に危機感が無いのか、辺境勤務で暇を持て余していたのか、それともその両方か。彼が立てた作戦通りに、収容所に詰めていた守備隊兵の大半を釣りだすことに成功したらしい。

 緋色革命軍の兵士たちは、ガヤガヤと喚きながら死地へと踏み入ってくる。


「久々のキツネ狩りだ」

「へへっ。俺はこの前、八人も血祭りにあげたんだぜ」

「いきがるなよ。オレは一二人だ」

「どれだけ殺れるか競争だ」


 守備隊兵は、木々の陰で薄暗く霧で視界も利かない山中を、雑談に興じながら探索を始めた。

 山道に、草と泥で隠されたトラバサミが仕掛けられているとも知らず。


「ギヤアアアアッ」


 運悪く罠を踏み抜いた一人の兵士の悲鳴が、山の静寂を切り裂いた。

 チョーカー隊が戦闘開始とばかりに弩の狙いを定めたのに対し、守備隊は予想もしなかった攻撃に激昂した。


「ちくしょう、こんなもので」

「むしけらどもがあ」


 トラバサミにかかったことで感情を爆発させたのか、緋色革命軍兵士たちは、マスケット銃を無暗やたらに撃ち始めた。

 マズルフラッシュが焚かれ、山の鳥や獣が何ごとかと逃走する。

 銃の発射音が空気を揺らし、着弾した弾丸が木々に穴を空け、枯葉や泥を撒き散らす。

 山中に掘った穴の中で泥や枯れ枝を浴びながら、アンドルー・チョーカーは不敵な笑みを浮かべた。


「馬鹿め、装備に驕るからそうなる」


 人間の視界は基本、頭上と足元が死角になる。ましてや霧の濃い山中だ。狙ったとしてもそうそう当たるものではない。自ら光や音を発するような愚かな真似をしない限り――!


「射撃のいい的だ。一班から三班、七班から九班まで、マズルフラッシュに向けて斉射せよ」


 チョーカーが通信貝に向かって呼びかけ、樹上や地中に潜んだ仲間たちが、光と煙で濁る敵部隊へ、雨のように弩の矢を浴びせかけた。

 隠密性を要する今回の潜入作戦では、いつものように施条銃ライフルを持ち込めていない。

 だが、音を立てない弓矢だからこそ、このような場面では銃以上の効果を発揮する。

 チョーカー隊は交戦開始と同時に、不用意に接近した守備隊の約三割、一〇〇人を集中攻撃で地に沈めた。


「くそくそくそっ。時代遅れの反革命分子がっ」

「弩にトラバサミだって。さては猟師崩れの仕業か」

「貴族の豚どもが無駄な抵抗をっ」


 守備隊は、吠える言葉こそ強気だったものの、半ば恐慌状態に陥っていた。

 彼らはこの期に及んでなお、相対している存在が一揆を起こした農民だと信じて疑わなかった。

 もっとも、無理はなかったのかもしれない。大同盟は遠くヴォルノー島にいるのだ。

 カルネウス提督が指揮する精強な海軍を避け、緋色革命軍が築いた鉄壁の防衛線を迂回するためといえ、同盟軍が険しい山地を突っ切ってくるなんて、いったい誰が想像することだろう?


『ハンニバルは象を連れてアルプス山脈を越えたという。チョーカー隊長なら、僕たちを連れてユーツ領まで行けるよな』

『かあーっ。小生ってば天才だからナー。行けないはずがないんだなあっ。ところでコトリアソビよ、誰だそいつは?』

『天才、かな』


 クロードの知識では、大国ローマを震えあがらせた、地球史の中でも五指に入る名将の中の名将である。

 チョーカーが知るはずもなかったのは、幸いだったろう。彼はクロード自身が、やっぱり無謀じゃないかと迷う困難な作戦を、見事に開始までこぎつけたのだから。


「親衛隊、特殊武装を許可する。革命に抗う蛆虫どもに鉄槌を!」


 残された二〇〇余人の兵士たちは、アリじみた異形の甲冑姿へと変身した。

 緋色革命軍が、亡きドクター・ビーストの遺産を解析し、開発したパワードスーツだ。

 チョーカー隊が立て続けに放った矢は、確かに胸や肩に的中したものの、全てが硬質な音を立てて弾かれてしまう。


「我々こそは完全なる正義にして公正、普遍を体現する緋色革命軍、選ばれたエリートたる我らが理性の鎧に、劣等なる反動主義者どもの矢玉は通じない。いつものように蹂躙じゅうりんせよ」


 隊長らしい男が、一際大きい触覚を振りかざして部下たちを煽った。

 事実、緋色革命軍は武器を持たない民衆たちを、これまで一方的に殺戮してきたのだ。

 占領地から命からがら逃げ出してきた避難民たちが、絶望の表情で嘆くほどに。


「偉大なる一の同志の力と、異世界由来の技術が世界を変えるっ。愚昧な抵抗は無意味と知れ」

「無意味などではない。ミーナ殿の手は、温かいのだぞ!」

「アンドルー。何を叫んでますの?」


 チョーカーが思わず口走った言葉に、ミーナは背中をぽかぽかと叩き、戦友たちは思わず吹きだす。

 角が生えていても、髪の毛の手触りがふかふかでも、ミーナが愛らしい女の子であることに疑いはなく、隊員たちにとって彼女は大切な仲間だった。

 緋色革命軍なにするものぞ。理性の鎧パワードスーツ? みょうちきりんな格好が見たければ、レーベンヒェルム領に行けばいい。デモと称したお祭りが週の休みごとに絶賛開催中だ。 


「四班から六班は魔法攻撃。七班は撃ち方をやめて、付与魔法エンチャントに切り替えろ。残りの班は斬り込み準備。ミーナ殿、酒霧を頼む。小生はルーンホイッスルを吹く」


 隊長は、防御魔法を展開しつつ隊員たちを分散させ、秀でた個々の力に任せてチョーカー隊を撃ち破ろうとした。

 しかしそれが、各個撃破に繋がる致命的な失策となった―ー。


「氷矢、撃ち方はじめ」

「土槍、ぶちかまします」


 チョーカー隊の放つ魔法の矢や槍が次々と親衛隊に命中し、対魔法障壁を薄いせんべいのように砕いてゆく。

 ある兵は氷漬けにして、ある兵は泥の槍で飲みこみ、ある兵は魔法で穴の空いた鎧に弾丸を叩き込んで打ち倒す。 

 矢避けや硬質化といった物理対策であれ、障壁や結界といった魔法対策であれ、防御魔法は何重にも重ねてこそ意味がある。そのための陣形、その為の部隊運用だ。

 親衛隊が重ねてきたのは戦闘でも戦争でもなく、ただ与えられた力を誇示する蹂躙劇だった。ゆえに、対等の力をもつ敵と殺しあうということを、これっぽっちも理解していなかった。


「に、逃げろぉ」

「人質だ。人質を取れえ」

「邪魔だ。死ねえっ」

「ぐぎゃっ」


 チョーカー隊の集中砲火をあびて、収容所守備隊は潰走した。

 アリの甲冑に身を包んだ異形の兵士たちは、同僚の死体を踏みつけ、傷ついた戦友を斬って捨て、まるで水を流し込まれた巣から逃れ出るように、一目散に山から離れようと駆けだした。


「総員抜剣。突っ込めぇ」

 

 それを見逃すチョーカーではない。

 彼はルーンホイッスルを吹き鳴らし、無防備な横腹を食い破るように、強化魔法支援を受けた戦友たちと共に側面から斬り込んだ。


「この時を待っていた」

「妹の仇だ。緋色革命軍っ」

「知るか。この鎧に武器は効かな、ぎええっ、な、なんでえええっ?」  

「なんで、なんで。お前たちはキツネだろう。人間を狩るなんて道理、あっちゃいけないんだ」


 チョーカー隊は、血と泥に塗れながらも守備隊と取っ組み合いを始めた。

 隊長がわずかな部下と共に収容所にたどり着いたとき、門にはユーツ侯爵家の旗がはためいていた。


「なんの悪夢だ? 我々は選ばれた存在だぞ。完全なる正義にして公正、普遍を体現するエリートだっ。平凡な既存技術の延長に負けるはずがない!」


 隊長が呻き声をあげたまさにその時、収容所の窓から閃光がほとばしり、銃声が高々と響いた。

 この朝まで痛めつけてきた捕虜が放つマスケット銃の弾丸を浴びて、守備隊はひとりまたひとりと倒れてゆく。そして、鎧が砕けた隊長の横腹にも深々と穴が空いていた。


「守備隊隊長と見た。降伏しろ。命だけは保障する」

「なんだ。誰かと思えば、裏切り者のアンドルー・チョーカーではないか。この私が、このような無能に敗れるなんて不覚にもほどがある」


 背後を振り返った瀕死の隊長は、自分たちを追い詰めた将の顔を初めて確認した。


「教えてくれ。なぜ選ばれた我々が、貴様たちのような劣等に敗れた?」

「理由ならば山ほどある。だがあえてひとつ挙げるなら、お前たちは高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に対処することを怠った。それが敗因だ」

「そうか。我々は行き当たりばったりでなかったから、負けたというのか。理不尽にも程がある……」


 隊長は、悔しげに血を吐くと、そのまま事切れた。

 アンドルー・チョーカーは、守備隊を収容所から山裾に誘導して罠にかけ、収容所を陥落させて、敗走した敵軍を挟みうちにして殲滅した。柔軟な指揮で、徹頭徹尾戦況を動かし続けたが故の作戦勝ちと言えるだろう。

 剣戟の音もいつしか消えていた。収容所解放を巡る戦いは、決着したのだ。


「ねえ、アンドルー。勝つには勝ったけど、この割り振りで良かったの?」


 背中合わせで闘っていたミーナの問いかけに、チョーカーはまっすぐに頷いた。


「当然だ。罠をしかけ、部隊を効率的に投入するためには、これだけの人員が必要不可欠だった。どうやら無事に味方を死なせずに済んだようだ……」


 チョーカーは、死んだ守備隊長のまぶたを閉じてやると、隣にどっかと座り込んだ。

 肉体と精神の疲労が、傍若無人な彼をも追い込んでいた。


「ミーナ殿、小生は疑いも無く天才だ。かの姫将軍とも、ゴルトとも戦って勝つ自信がある。しかし、な。コトリアソビとだけは、二度と戦いたくない」

「アンドルー……」


 ミーナを含めて、作戦に参加した誰もが理解していなかった。

 アンドルー・チョーカーは、その特異とも言える鼻の良さで、最適解を嗅ぎ分けていた。


「ミーナ殿の言いたいこともわかる、普通の領主であれば、このような作戦は絶対に受け入れまい。勝つ為ならば、小生の進言すら迷いなく受け入れる。だからこそ、コトリアソビのやつは、恐ろしくも頼もしい」


 チョーカーは、持っていた剣を杖代わりにしてよろよろと立ち上がった。

 部隊を再編し、高山都市アクリアの救援に向かわねばならない。


「そもそも、コトリアソビは強い。共和国の処刑人、オズバルト・ダールマンさえも凌いだ男だぞ。兵の五〇程度なら軽く吹き飛ばすとも。いったい誰なのだ? あやつがスライムにすら負けるなどと噂しているのは」

「アンドルー。この前、アリスちゃんと一緒にルンダール遺跡に行ったの」


 俯いて腕に触れたミーナを、チョーカーは不思議そうに見た。


「見てしまったの。クロードさんは、青く輝くスライムにボコボコに負けていたわ」

「急ごう。不安になってきた!」

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