第169話(2-123)色惚け隊長の衝撃

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 アンドルー・チョーカーは、辺境伯クローディアス・レーベンヒェルムに、ルクレ領とソーン領を制圧中の楽園使徒アパスルから侯爵令嬢を救出するのに力を貸して欲しいと請われ、事情を聞いて困惑を隠せなかった。


「なるほど、親愛なる悪徳貴族サマは、ルクレ領とソーン領を楽園使徒に、いやさ、共和国にくれてやるのが惜しくなり、さりとて、エステル・ルクレ嬢とアネッテ・ソーン嬢は自分のモノにしたいということか。なんて強欲さだ!」


 チョーカーは顔を歪めて腹を抱えて笑いだしたが、辺境伯は視線を合わせたまま、相変わらず何を考えているのかわからない仏頂面ぶっちょうづらで黙り込んでいる。


「わからん。なぜ小生に声をかけた? いったい何を企んでいる? レーベンヒェルム領軍ならば、その程度のことはやれるだろう?」

「検討の結果、お前の隊の力を借りるのが、もっとも確実に二人を救出できると判断した」


 クローディアスの瞳には迷いがない。だからこそ、チョーカーは理解できない不安に駆られた。全身にまとわりつく悪寒を振り払うように、彼は口角泡を飛ばして、ヒステリックにわめきたてる。


「ベナクレー丘で精鋭を失ったからか。そうとも、小生が殺したぞ」

「そうだ。僕の采配で多くの仲間を失った…。商業都市ティノーの防衛陣。マラヤ半島の迅速な追撃。領都レーフォンへの潜入と先の強襲作戦。これまでの戦いを振り返れば、アンドルー・チョーカー、お前は確かに恐るべき敵だ。だからこそ力を借りたい」

「ひっ……」


 その瞬間、チョーカーを貫いたのは恐怖だった。

 悪徳貴族クローディアス・レーベンヒェルムは、アンドルー・チョーカーを脅威として認めている。

 商業都市ティノーを奪われた後、ベナクレーの戦いで勝利したにも関わらず、緋色革命軍マラヤ・エカルラートの同志達は彼を露骨に軽んじるようになった。

 チョーカー自身は知らぬことだが、マクシミリアン・ローグが失態の責任をなすりつけようと工作したから、という理由もある。だが、それ以上に、保守貴族勢力の首魁しゅかいにして稀代きだい売国奴ばいこくど、クローディアス・レーベンヒェルムをあと一歩というところで取り逃がしたからだと、彼は認識していた。

 だから、ミーナたち、ルクレ領とソーン領残党の要請を受けて、無謀ともいえる強襲暗殺作戦に参加した。かの悪徳貴族さえ討ち果たせば、再び同志達に認められ、英雄として喝采をあびるに違いないと信じたからだ。


「こいつはケッサクだ。この小生が、よりにもよって弱き民を踏みにじり、国土と資源を売りさばき、まるで生き血をすするように私腹を肥やす最低のひとでなしに、かくも認められていたとは。小生を甘く見ないでもらおう。お前のようなっ、お前のような……?」


 悪徳貴族と続けようとして、チョーカーは言いよどんだ。

 彼の記憶にあるクローディアス・レーベンヒェルムは、仲間を守らんと危険な弾丸へ向かって飛びこんでゆく雄姿であり、ローズマリーやユーツ領、エングホルム領の民間人を逃がすため、最後尾で果敢に戦う威容であった。

 ベナクレー丘では、レーベンヒェルム領の兵士たちが命を懸けて散っていった。彼らはいったい何のために、誰のために、どのような想いで戦ったのか。


「ひひっ。ひひひひひっ。ひゃはははっ」


 騙されるなと、チョーカーの心が叫ぶ。

 目の前にいるのは悪徳貴族だ。だから、あらゆる行動は自動的に悪となる。

 自分は正義の味方であり、気高い理想を抱いてマラヤディヴァ国を改革すべく、緋色革命軍の同志達に賛同して立ちあがったのだ。

 だから、物の道理がわからぬ余人が何を言おうと、絶対に自分たちは正しい。破滅へと転がり落ちる国家を救おうとする自分たちが英雄でないはずがない。


 ――緋色革命軍は、正義の旗を掲げて、エングホルム領で、ユングヴィ領で、ユーツ領で何をやった?

 ――アンドルー・チョーカーは、商業都市ティノーで何をやった?

 ――日々を笑って生きるレーベンヒェルム領の住民と、絶望に瞳を濁らせた緋色革命軍の統治下の住民。その差を分けたのは何なのか?


 何かがおかしいという心の奥底から湧きあがる逡巡しゅんじゅんを、チョーカーは必死で握りつぶそうとした。辺境伯の怪しげな言葉に惑わされてはならない。緋色革命軍の正義は、人民通報をはじめとする海外のメディアからも賞賛されている。

 完全無欠の正義に疑問を抱くなんて、絶対に認めてはならないことだ。なぜなら自分は間違っていない。間違っていないからこそ、高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に対処することが重要なのだ。さあ、現実に目を向けよう。目の前にいる男の顔を、ちゃんと見て。

 その瞬間、アンドルー・チョーカーに電流のような衝撃が走った。


「お前は誰だ?」

「……クローディアス・レーベンヒェルムだが?」


 クローディアス・レーベンヒェルムは、そう名乗る少年は表情を変えなかった。

 ただ、驚きのせいか、瞳孔が拡大した一瞬をチョーカーは見逃さなかった。


「あ、あ。そうだったな。クローディアス・レーベンヒェルム、お前は何を望んでいる」

「囚われたエステル・ルクレと、アネッテ・ソーンを救出し、二人に自由を――、そしてルクレ領とソーン領とレーベンヒェルム領により良い明日を――、僕は望んでいる」


 そうか、と。少年の返答にチョーカーは頷いた。


「部下たちと相談する。ミーナ嬢や、ミズキたち、部下の女性兵士たちと面会させて欲しい」

「すぐに準備する」


 席を立った辺境伯の背中に、チョーカーは声をかけた。


「頼みがある。ローズマリー嬢に、謝らせて欲しい。叶わぬなら、せめて伝えて欲しい。すまなかった、と」

「取りつごう。必ず伝えるよ」


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