第370話(5-8)宣戦布告
370
クロードの視界が、一瞬、暗転する。
とっさに右手で両目を押さえると、火と鉄と草木と、水の匂いが鼻をくすぐった。
(なにか、大切な夢を見ていた気がする)
夢は終わった。まぶたを開いたときには、もう視力は戻っていた。
ここは、炭鉱町エグネの北、ユングヴィ領とユーツ領の両境にある湿地帯だ。
クロードと共に戦う大同盟の兵士達は、ゴルトが指揮する
しかし、ネオジェネシスの創造者ブロルが、宝石に記録された終末の映像を公開したことで、両軍とも大混乱に陥っていた。
(ダメだ。夢の中身を思い出せない)
ひとりぼっちで泣いている、孤独な少女の涙を止めたかった。
けれど、目覚めた今、彼女の顔も交わした言葉も忘れてしまった。
時と共に砂像が崩れるように、絶え間なくボロボロと解けてゆく。
(大丈夫だ。僕は、約束した。それだけは絶対に忘れない。ラグナロクを止めて、あの子に逢いに行く)
ブロル・ハリアンが掲げた宝石の輝きが消える。戦場一帯を巻き込んだ、世界の滅びを刻んだ記録は終了した。
大同盟の兵士たちも、緋色革命軍の兵士たちもパニックに陥っていた。ある者は武器を投げ出し、ある者は棒立ちとなり、しゃがみこんだり、突っ伏したり、暴れ出す者までいた。
「諸君、気をしっかり持て」
「たかが映像だ。惑わされるんじゃない」
セイとコンラードは、部隊を統率すべく駆け回っていた。
「ゆっくり息を吸って、吐いて。大丈夫だよ、貴方はちゃんと生きている」
ソフィは、緋色革命軍の只中で半狂乱となった敵兵をなだめていた。
その一方で――。
「よくも、よくも。たぬの親友をバカにして!」
アリスは、黒虎に変身して毛をビリビリと逆立てていた。金色の目が釣りあがり、怒気が炎のようにメラメラと燃えている。
「やってくれたな。てめえは、あたしの家族を侮辱した」
森に伏せたミズキの遊撃隊からは、肌を刺す、凍りつくような殺気が伝わってくる。
「……この戦場に集った戦士達よ、どうか聞いて欲しい!」
様々な感情が唸りを上げる中で、ブロル・ハリアンは、両軍の視線を奪うように声を張り上げた。
「今見せた映像は極めて近く、限りなく遠い並行世界の記録だ。来るべき運命の日は近い。人類は新しい生命に進化することで、ラグナロクを乗り越えねばならないのだ!」
ネオジェネシスをすべる太鼓腹の男が、衆目の意識を刈り集めたまさにその瞬間――。
「黙れ、たぬっ!」
黒虎は、胸を灼く怒りのままに跳躍した。
「くたばれイカレ野郎!」
同時に、狙撃手もまた、凍てつく殺意のままに銃の引き金を引いた。
「……!」
されど、アリスの突撃とミズキの狙撃は、二人が想像もしなかった人物の介入で防がれた。
クロードだ。彼は右手で黒虎を抱きとめて、左手の脇差しで銃弾を切り裂いた。
「違う。間違っているよ、ブロルさん」
クロードは、巨体で暴れるアリスの背を撫でながら、ブロルに向かって告げた。
「たとえ世界に終末が訪れようと、ラグナロクが起ころうと、僕たちは人間のまま乗り越える。〝悪徳貴族〟クローディアス・レーベンヒェルムが、この僕が誓おう。この大地で生きる僕たちは、終末なんかに負けやしない」
クロードは、ブロルに正面から向き合って、威風堂々と宣言した。
「たぬう」
アリスは小さな狸猫姿に変わって、愛する男の頬をペロリと舐めた。
「くくっ、ははっ。そうだ。アンタはそうじゃなきゃいけない」
ミズキもまた、次弾を装填した銃を地面に投げ出した。
「惚れ直したぞ、棟梁殿」
セイは頬を赤らめて、恥じるように部下達の視線から顔を逸らせた。
「ふはは。チョーカー、お前が託した男の肝はたいしたものだ」
コンラードは湿った声で笑うと、亡き戦友に黙祷を捧げた。
「クロードくん、吹っ切ったんだね……」
ソフィは柔らかな視線で、ずっと共に歩き続けた少年を見守った。
大同盟の兵士達の顔に生気が戻る。「辺境伯! 辺境伯!」と、力強く雄叫びをあげる。
クロードの宣言が与えた影響は、味方だけにとどまらなかった。
緋色革命軍の兵士達もまた、示し合わせたかのように剣を捨て、鎧を脱ぎ始めた。
「ちょっと、何をしているの? ここは戦場ですのよっ。武器を取りなさい。貴方たちが殺す相手は、クローディアス・レーベンヒェルムです!」
レベッカが般若の形相でわめき立てるも、兵士達は武装解除を止めなかった。
「ハリアン卿。すまない。我々は、人間です。どこまでいっても弱い人間なんです……」
「ゴルト司令官。これまでお世話になりました。我々は大同盟に、いえクローディアスに降伏します」
「先ほどの映像に心を飲まれました。けれど、あの悪徳貴族は、あの光景を乗り越えることをつゆほども疑っていない。……負けました」
ブロルは投降する兵士達を前に、彼らを止めようとも諫めようともしなかった。
「自分の心に従いたまえ。素晴らしい宣戦布告だった。辺境伯、ネオジェネシスの代表として、確かに受け取ったとも」
いっそ無邪気に微笑みながら、クロードの宣言を受け止めて、兵士達を見送った。
「構わん、構わん。気にするな」
ゴルトもまた豪快に笑いながら、ここまで守り抜いてきた同胞との別れを受け容れた。
「殺したり殺されたり、戦を楽しむのに、絶望なんぞ興醒めじゃろう。勝った方が奪い、未来を掴む。まったくわかりやすい戦争じゃ!」
彼の指揮下に留まった兵士達は、馴染み深い古参兵ばかりだった。それでも、ゴルトと共に戦うことを選んだ者もまた多かったのだ。
「ふ、ふざけないで」
レベッカだけが唇を噛み、クロードに向けて憎悪をたぎらせていた。
「やっぱり、お前だ。お前が一番の
――
――――
復興暦一一一一年/共和国暦一〇〇五年 木枯の月(一一月)九日。
大同盟と緋色革命軍の、最後の戦いが終わった。
盟主クローディアス・レーベンヒェルムと、総司令官セイは、無敵を誇った〝万人敵〟ゴルト・トイフェルを撃ち破ることに成功する。
湿地帯で繰り広げられた決戦で、大同盟側に負傷者および死者はほとんどなく、緋色革命軍部隊の八割を投降させる大勝利だった。
しかして、この日の勝利は、大同盟とネオジェネシスとの開戦を示していた。
マラヤディヴァ国を巡る、最後の戦いが幕を開けたのだ。
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