第377話(5-15)勝利と凶兆

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 クロードはヌイグルミを蹴飛ばし、ウジの群れを踏みつけながら、二角獣バイコーンに跳び乗って、レベッカの胸元を狙い誤らず刃でひと突きにした。

 しかし、必殺の一撃は……、炎のように赤い髪の女がつけた豪奢な首飾りによって阻まれた。


「……レベッカ・エングホルム。首からさげているのは、ファヴニルの首輪か!?」


 クロードは、首飾りごと貫こうと力を込めるが、真紅の宝石をはめた金細工は揺るぎもしなかった。よくよく見れば、邪竜の傀儡であったダヴィッド・リードホルムが身につけていたものと同じ物だ。


「……惜しかったわね。クローディアス・レーベンヒェルム。ワタシを討てば、運命は変わったのに」


 レベッカがくすくすと嗤う。眉をつりあげ、唇を三日月にゆがめ、黒い瞳を青く輝かせた。

 〝巫女の力〟――並行世界を観る異能――を宿した魔女は、呪うように人差し指をつきつけた。


「予言をくれてあげるわ、敗北者。お前の末路は破滅のみ。吹きつける雪の中で、慟哭どうこくをあげて散りなさい。ワタシは必ずお姉さまを奪ってみせる」


 クロードもまた三白眼を細めて、不敵に笑った。

 彼もまた幾度も不可能を越えてきたのだ。今更、運命という言葉に怯えるはずも無い。


「悪いが、そんな未来はない!」


 クロードは刀を一度引いて斬りつけたが、レベッカが転移魔法の巻物を発動させる方が早かった。

 彼女の隣にいたチャーリーもまた、二角獣を駆って戦場から離脱する。


「辺境伯さん。また遊ぼうね」


 その影を追う様に、戦闘開始から半数に減ったウジの群れは、波が引くように炭鉱町エグネから去って行った。


「さすがに、転移を妨害する余力はなかったな」


 今回の防衛戦は、クロードたちが持つ全ての人員、装備、魔法を投入しての激戦だった。

 一〇倍の敵の半ばを討ち取り、退かせることが出来たのだから大勝だろう。

 残っていたヌイグルミ達も、チャーリーが逃亡したことで魔法が解けたらしく、タコの足を名残惜しそうに振りながら消えていった。


(あの子が使った糸巻きは、ヨアヒムと同じサポート特化の契約神器か。あの耐久力は脅威だな)


 障害が取り払われた今、ネオジェネシスを追撃することも可能かも知れない。

 とはいえ遠目から町を見ても、兵士達の鎧は傷つき、武器も折れたり壊れたりしていた。


(深追いは避けるべきだ。同盟軍だって万全じゃ無い。それに僕自身も……)


 クロードの肉体もまた、昨日ゴルトと一騎打ちを演じた結果、かなりの負荷がかかっていた。

 今日もまた、炭鉱町エグネを縦横無尽に駆け回り、無茶な体勢で突貫したのだ。体は耐えきれずに悲鳴をあげていた。


(しび、しびれる。この筋肉痛じゃ戦闘にならない)


 兵士達が喜びに湧いて、町の方角から歓声が上がっている。


「皆、僕たちの勝利だ!」


 クロードは、何でもないような顔で、拳を振り上げて勝利を宣言した。


「さすがは辺境伯様!」

「セイ司令は最高だっ」

「コンラード隊長お見事です」

「大同盟に栄光あれ」


 一〇倍もの敵と向き合う初戦に勝利を収めたことで、兵士たちは喜びのあまりどんちゃん騒ぎを始めた。

 上官であるセイやコンラードも互いの健闘を称えあい、アリスは踊り、ふさぎこんでいたミーナも笛を奏で始めた。

 ただソフィは、赤いおかっぱ髪の女執事だけは、クロードが無理を押したことに気づいていたのだろう。真っ先に駆けつけて、労わるように抱きしめてくれた。


「クロードくん、お疲れ様」

「ありがとう。ソフィ」


――――

――


 復興暦一一一一年/共和国暦一〇〇五年 木枯の月(一一月)一〇日。

 ヴォルノー島大同盟は、ネオジェネシスと炭鉱町エグネで戦端を開き、完勝した。

 その後も大同盟は、ショーコが開発した不死性打破のモニュメントの助力もあって、連戦連勝を重ねる。

 アンセル・リードホルムは五〇〇〇の兵を率いて、要塞化した高山都市アクリアに篭り、押し寄せてきた一〇〇〇〇の軍勢に相対した。


「へえ、確かにネオジェネシスは強いね。一体一体の能力は、ぼく達人間の比じゃ無い。けれど、力押しだけじゃないか。戦争は駆け引きで、集団戦なんだ」


 大同盟、特にレーベンヒェルム領の兵士達は、およそ二年に及ぶ戦争を潜り抜けてきた猛者ばかりだ。

 昨日今日戦に出てきた新兵とは、踏み越えてきた戦場が違う。相対した強者の数が違う。そして、仲間に背中を預けて戦う練度が違い過ぎた。

 二週間に及ぶ篭城戦の末、大同盟はネオジェネシスの次鋒を瓦解に追い込み、防衛を万全なものとした。


「ここから先には一歩も行かせない!」


 作戦に失敗したネオジェネシスだったが、彼らもまた無策ではなかった。炭鉱町エグネと高山都市アクリアへの行軍はあくまで陽動らしく、大同盟の意識を引きつけた上で、より大きな部隊がユングヴィ領への侵攻していた。

 ネオジェネシス二〇〇〇〇の大軍は、寝返り貴族を中心とする緋色革命軍残党を一呑みにして粉砕、勢いを駆って首都クランへと迫った。

 大同盟は、この危機に対し、参謀長ヨアヒムが指揮する一〇〇〇〇の主力部隊を投入して迎えうった。


「ま、絶対不死のインチキが保証されていた頃ならともかく……。互角の条件、いやいや圧倒的に優位な今、負けるわけがないっすよ。戦争は、前線だけでやるものじゃない」


 ヨアヒムは勝利を確信していた。

 大同盟とネオジェネシスでは、兵の練度以外にも絶大な差があった。

 それは、戦線を支える経済力と生産力だ。

 彼の主君、クロードが必死で育て続けた農園は、今も兵士達が飢えることのないよう潤沢な食糧を供給していた。

 市場は栄え、工場は回転を続けている。剣に槍、銃に弾丸、魔術道具の数々が生産されて、日々磨耗する前線を繋ぎ止めていた。

 それは、道路を舗装し、鉄道を敷設し、海運を抑えるという、万全な輸送体制あってのことに他ならない。


「人間より上等な新生命だかなんだか知らないっすが、そいつはいきなり人間と同じだけの商業力と工業力を生み出せるんですかねえ? 机上の空論とはまさにこのことっすよ」


 無論、クロードが治めるのはレーベンヒェルム領だけだ。

 しかし、国一番の学者トーシュ教授が研究を支えるヴァリン領も、マルクが開発に勤しんだナンド領も、アンセルやヨアヒムが骨を折ったルクレ領やソーン領も、絶えず進歩を続けていた。

 ネオジェネシスは大軍こそ擁していたものの、一週間も経てば弾薬は枯渇し、大砲は置物と化し、剣や槍も使い物にならなくなっていた。

 ヨアヒムはゲリラ戦で散々に消耗させた後、自身の契約神器で生み出した幻影を使って、モニュメントが持つ不死性打破の影響下へと誘いこみ、全滅に近い痛撃を与えた。

 かくして、大同盟はネオジェネシスの二路侵攻作戦を頓挫とんざさせ、念願のユングヴィ領の掌握と、首都クランの奪回にあと一歩まで迫る。


 大同盟の兵站は完璧で、進軍も滞りなく、すべてが上手く回っていた。だから、誰もが迫る陥穽かんせいを想像すらしていなかった。

 晩樹の月(一二月)下旬。レーベンヒェルム領、領都レーフォン北部にあるルンダールの山中で雪が降った。

 常夏の国で局所的に起こった異常気象は、動物と徘徊怪物ワンダリングモンスター以外の、誰にも見つかることなく消える。


「きゅい?」


 森に住み着いたモンスター、緑色のスライム達が目撃した奇怪な雪は、まるで邪神の手跡のように不吉だった。

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