第103話(2-57)クロードの死

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 ベナクレー丘の戦いにおいて、後世の歴史家のうち、海外の極一部の歴史学者たちは、以下のように批判している。

 悪徳貴族クローディアス・レーベンヒェルムは、短期視野から先遣隊をマラヤ半島に送り込んで孤立させ、無為無策むいむさくのまま民間人を人質にとって退却をはかったのだ――と。

 しかしながら、彼らの主張はマラヤディヴァ人の支持をまるで得られず、卑劣なプロパガンダであると激怒されることになった。


 第一の反論根拠は、緋色革命軍マラヤ・エカルラートが『現世に地獄を生み出した』統治を占領地域に強いたことだ。辺境で農業に従事させるため、「病院を閉鎖して、瀕死の怪我人を輸血用の点滴袋をぶら下げたまま徒歩で移住させた」「妊婦が移動中に出産を余儀なくされて、母子共に死んだ」――生存者からは、そんな聞くも無残な報告が相次いでおり、エングホルム領の住民たちが逃亡をはかったのは当然だった。

 第二に、義勇軍が保護した民間人のうち、病人、怪我人、高齢者、子供、女性の多数が都市国家シングに送り届けられていたことだ。彼女達は間一髪で死地を逃れ、ヴァリン領やナンド領、そしてレーベンヒェルム領へ避難している。

 第三に、義勇軍の後退行動が組織立ったものであったこと。参謀長ヨアヒムは民間人を中立国の仲介を受けて避難させ、出納長アンセルは先行して漁村ビズヒルに一時的な退避施設を準備し、併せて脱出用の船を買い集めている。放棄した商業都市ティノーや道中の村には、緋色革命軍の追撃を遅滞させるためのデコイも複数設置しており、もしもあと一、二日の時間を稼ぐことができれば、全員無事に離脱することが可能だったかもしれない。


 しかし、緋色革命軍司令ゴルト・トイフェルは冷静かつ非情だった。

 同盟したルクレ領とソーン領を利用することで、レーベンヒェルム領軍本体と司令官セイを釘づけにするや、幹部である”オッテルの巫女”レベッカ・エングホルムを総大将とし、ドクター・ビーストが支配する菌兵士五〇〇体と、旧ルーツ領騎士団員マクシミリアン・ローグが指揮する騎兵部隊一〇〇〇人に追撃させた。

 追いつかれた義勇軍には、もはや馬や馬車といった足さえなく、多数の民間人を抱えたまま、数の暴力に飲み込まれた。



 クロード達は人事を尽くした。その上で彼らに待ち受けていた宿命シックザールに救いはなかった。


「皆、森に逃げこめっ」


 義勇軍と民間人たちは、隊列を組む余裕すらなく、緋色革命軍に背を向けてバラバラに南の森へと駆け込んだ。


「たぁぬっ!」


 殿軍しんがりに残ったアリスが、もこもこした黄金の毛玉から漆黒の虎へと姿を変えて、菌兵士たちを殴り飛ばしたが、それらは千々に爆ぜた後、まるで何事もなかったかのように寄せ集まって再生した。


「た、たぬっ?」


 そして、クロードはわずかに残った友軍と共にレ式魔銃を撃ちながら、傍らで薙刀を振るう赤いおかっぱ髪の女執事ソフィを、残された魔力で転移テレポートさせようとしていた。


「ソフィ、君を解放する。僕のような悪徳貴族につきあってくれて、ありがとう」

「クロードくん、こんな時に悪い冗談はやめてよっ」

「冗談なものか。ソフィはもう人質をやめていいんだ。君を汚し、光を奪った男なんかに、これ以上縛られることはない。行くんだ。早く行けぇええっ」


 クロードの魔力は光となってソフィを包み、空間をこじ開けようとしたが、直前になって消失した。


「くそっ、ジャミングかっ!」

「わ、わたしは人質だからクロードくんの傍にいたんじゃない。貴方のことが……」

「二人とも、ケンカしてる場合じゃないたぬ。数が多すぎるたぬっ」


 クロードとソフィが言い争っている間にも、アリスは丘の中腹で大人数の菌人間達にのしかかられていた。

 四肢をばたつかせて暴れる彼女は、首輪と足枷をつけられ、更には鎖でがんじがらめにされてしまう。

 そうして身動きのとれなくなったアリスに、ドクター・ビーストが狂気の宿った笑みを浮かべて近づいた。白衣を着た老人は、壺に入った血のように赤い泥を漆黒の虎にぶちまけて、馬車ほどもある大きな機械からなにがしかの光を放射する。 


「はなせっ。はなすたぬっ。き、気持ち悪いたぬ」

「ひょほほっ、恐れることはない。この泥は原初の土を模したもの。虎よ、お前はこの天才科学者ドクタァアビィイイストの手によって生まれ変わるのじゃ。より強く、より本質的な兵器となってぇええっ」


 泥をかけられたアリスの毛皮は、光を浴びることによってまるで同化するように溶け落ちた。


「と、とけてる。たぬの身体がとけてるたぬ。クロード。たすけてたぬっ」

「アリスッ。今そっちへ行く」


 クロードは残弾の切れた銃を捨てて、アリスの元に駆け寄ろうとした。ソフィも同じように駆けだして――。


「茶番ですね」


 レベッカが嘲笑うと同時に、上空から全長一〇m(メルカ)はあるだろう大太刀が、急降下してきた。


「クロードくんっ」

「皆っ、伏せろっ」


 クロードは、自分を庇おうとしたのだろうソフィを、思い切り突き飛ばした。彼女は危うく難を逃れたものの、数名の義勇軍兵士が胴を真っ二つに両断されて、伸ばされたクロードの右腕が宙を舞った。


「っっっ。あああああ!!」


 激痛にのたうちまわり、丘を転げ落ちるクロードを、青く輝く三本の杭が追尾する。

 杭は、クロードの残された四肢、左二の腕、右ふともも、左ふとももを的確にえぐって、森の端にある大木に縫い付けた。


「がっ、ご、がっ……」


 激痛に声すら上げられないクロードを穿つ杭を、レベッカが滑るように追いついて、至福の笑みを浮かべて蹴りつける。鮮血がしぶき、地面へとしたたり落ちた。


「あの方の爪を加工した杭です。煎じて飲んだらいかがです?」


 尖ったヒールのついた靴で、レベッカは磔にされたクロードの額を思い切り踏みつけた。そして、顔面を、蹴る。蹴る。蹴る。サンドバッグを殴り、あるいはリフティングでもするかのように、揺れるクロードの頭を蹴り回した。


「勘違いしていませんか? お前の力はすべてファヴニルから与えられたもの。一皮いてしまえば、中身はただのもやし男じゃないですか?」

「やめて、レベッカちゃん!」


 ソフィは、アリスとクロードの間で、一瞬だけ逡巡しゅんじゅんしたものの、今にも死にそうなクロードを見ていられずに、レベッカの背後から薙刀で斬りかかった。


「おねえさま、この時を待ちわびていました」


 レベッカは振り返りつつ、残る七本の杭を投じた。

 青白く輝く杭は、ソフィの薙刀を撃ち砕き、彼女が着た執事服、橙色の上着と若草色のベスト、臙脂色のキュロットパンツを引き裂いた。雪のように白い肌があらわになり、羞恥しゅうちで頬が赤く染まる。

 レベッカはそんな最愛の女性の反応を愛しむように、ソフィを組み伏せ、うなじを舐めまわしながら、豊かなふくらみを揉みしだいた。

 ソフィは、意味がわからなかった。レベッカの邪恋を彼女は今の今まで気付かなかったのだから。それでも、己にできることをしようと奥歯を噛みしめて、目を閉じた。


「レベッカちゃん。お願い。わたしはどうなってもいい。だからクロードくんとアリスちゃんを助けて」


 かつて無垢そのものの笑顔で、レベッカを魅了した少女が絶望に沈んでいる。

 ソフィの請願に、邪悪なる少女は会心の笑みを浮かべた。しかし、その横顔に小石がコツンと当たった。


「……」


 杭を力任せに抜いたのだろうか、クロードは大量の血潮を垂れ流しつつ、赤子のように這いずりながら二人の方へと近づいていた。


「無粋ですよ、悪徳貴族いもむし。ワタシとおねえさまの愛の時間を邪魔するなんて」


 レベッカは立ち上がり杭を投げつけようとして、ふと悪戯心いたずらごころが芽生えたか、死体となった義勇兵からレ式魔銃を取り上げた。


「爪で殺す価値もない。自分がつくりだしたツマラナイ武器で死になさい」

「いやっ、やめて!」


 ソフィが阻もうとするも、レベッカは人間離れした力で彼女を振りほどき、銃をクロードに向けて撃った。轟音が響き、瀕死の肉体がはねる。

 レベッカは、撃つたびに銃を持ちかえて、一発、二発、……三発を数えた頃には、クロードは動かなくなっていた。


「死んじゃう、クロードくんが死んじゃう」


 ソフィは泣きながらクロードに駆け寄り、治癒魔法をかけた。しかし、彼の傷は塞がらない。


「もう遅いですよ、おねえさま。その男、もう心臓が止まっています」


 クロードは死んだ。伸ばされた手は何も掴むことなく空をきり、地へと落ちた。


「い、いやぁああああっ!!

「たぬ? クロード、クロードォォ!」


 ソフィとアリスの喉もかれよとばかりの絶叫が、ベナクレーの丘に虚しく響き渡った。

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