第102話(2-56)たとえ明日が見えなくとも

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「クロードくん?」

「どうしたぬっ。お腹でも痛いたぬ?」


 慌てて駆け寄るソフィとアリスの前で、クロードは連戦で傷ついた皮鎧を着たまま、がくりと膝をついた。


「使わせるわけがないでしょう? ”オッテルファヴニル様の巫女であるワタシ、レベッカ・エングホルムが許しません」


 炎のような赤い髪が目立つ少女レベッカ・エングホルムが、戦場には不似合いなワインレッドのカクテルドレスを着て、ゆっくりと丘をのぼってくる。


「ひょほほほっ。これが異界の獣か。良い研究材料になりそうじゃ。お主を糧にわし、ドクター・ビーストの兵器は更なる進化を遂げるじゃろう。ぐひゃっ。思わずよだれがこぼれてしまったわい」

「た、たぬっ!?」


 アリスは、まるまるした黄金色の身体を弾ませるようにして、ドクター・ビーストを名乗る白衣を着た老人の視線から逃れ、クロードの背中へと隠れた。

 かつて大勢の人間が、獣である彼女に恐怖と憎悪の視線を向けた。この世界に来て初めての友人を得てからは、イスカのように、あるいはレーベンヒェルム領の民衆のように、愛情の宿った瞳で接してくれる者も増えた。

 けれど、ドクター・ビーストがアリスに向けた視線はそのいずれとも違う。生理的に受け付けない、徹底的に気持ちが悪いものだった。


「ようやくみつけましたよ、愛しき薔薇」

「迎えに来たよ。ローズマリー、駄目じゃないか。逃げ出したりなんかしちゃあ」

「マ、マクシミリアンお兄様、なぜその男と一緒にいるのです?」


 ローズマリー・ユーツは、目の前が闇に包まれるような絶望に襲われた。

 レベッカが率いる騎兵、その先頭には商業都市ティノーで彼女を買おうとした卑劣漢アンドルー・チョーカーだけでなく、兄と慕う幼馴染みであり婚約者でもあった男、マクシミリアン・ローグが家伝の金属鎧に身を包み、嘘臭いほどに穏やかな笑みを浮かべて革命軍とくつわを並べていたからだ。


「なぜって、チョーカー殿がユーツ家にとって恩人だからだよ」

「恩人ですって? ユーツ領をめちゃくちゃにした緋色革命軍がっ!?」

「それは一面的な見方だよ、ローズマリー。ユーツ領は古いしがらみでがんじがらめになっていた。緋色革命軍はそういった束縛そくばくから解き放ってくれたんだ。キミの父上と母上、兄上たちは処刑された。それは悲しいことだ。けれど、嘆くことはない。キミを奴隷としてチョーカー殿に引き渡せば、この俺が当主となってユーツ家を継ぐことを許されたんだ。愛しいローズマリー、俺の頼みを聞いてくれるよね?」


 ローズマリーは、力なく崩れ落ちた。

 丘の草と土を掴みながら、涙で景色が歪むのがわかった。

 マクシミリアン・ローグにとって、ローズマリー・ユーツは、地位と権力を掴むための道具に過ぎなかった。

 アンドルー・チョーカーと、マクシミリアン・ローグが向ける下卑た視線から泣き崩れる少女を庇うように、ヨアヒムが割って入った。

 彼は何も口にしない。焼鏝やきごてが刻んだ邪悪な契約は、いまなお二人を縛り付けている。だから無言で背中を見せることだけが、彼にできる男気だった。


「賊軍に告げます。クローディアス・レーベンヒェルム、いえ、クロード・コトリアソビでしたか? 彼と、ソフィ、アリス、ローズマリー・ユーツの四名を差し出しなさい。そうすれば降伏を認め、いいえ、この場から逃げることを許しても構いませんわ」


 義勇軍は、困惑したように互いの顔を見合わせた。


「恐れることはありません。今この場でクローディアス・レーベンヒェルムはファヴニルの力を使えません。戯れに反則チート能力を与えられた暴君の振る舞いに、苦しんでいたのでしょう? ここにいるのはただの非力なもやし男です。望むなら今までの恨みを晴らしても良いのですよ?」


 レベッカの楽しそうな勧誘に応える者はいない。ただ黙って眼を瞬かせ、あるいは視線を四方八方に逸らすだけだ。

 それが、ある種の符丁であることを、緋色革命軍は掴めていなかった。


「元”赤い導家士”の俺からすれば、確かに恨みが無いわけじゃないな。なにせ、こいつのおかげで、俺たちの革命はついえたわけだし?」


 やがて禿頭の義勇兵ヴィゴがそうこぼしながら、背負ったレ式魔銃を外して両手で構えた。


「元冒険者のこっちから見ても、役所での残業三昧は酷いものでしたよ。いったいいつ殺してやろうかと、実は日々考えていました」


 出っ歯の目立つ義勇兵イェスタも歯を光らせて、ナイフを抜いて閃かせた。


「リーダー。この際ですから言っておきますね。ぼくは貴方のこと大嫌いです」


 キジーがいつでも魔術文字を描き、呪文の詠唱ができるように杖を手にした。


「「だから、勘違いするなよ悪徳貴族リーダー! オレたちはアンタを助けるために戦うわけじゃない。アンタを倒すのは、オレ達だからだ!!」」


「みん……なっ」


 感極まって目じりから涙をこぼすクロードとは対照的に、レベッカにとって義勇兵たちの反応は信じがたいものだった。

 彼女は、激情に身体を震わせながら、火の出るような目線で男衆たちを睨みつけて問いかける。


「貴方達なら、どちらに味方すればいいかわかるでしょう。賊軍と心中する義理なんてないでしょう?」

「義理ならあるさ。妻と息子を救ってもらった」

「ここでケツをまくるようなら、カアちゃんにどやされらあ」

「アンタたちには従えない。なにが革命だっ独裁者めっ!」


 決死の状況である。クロードに味方する民間人達ばかりではなく、数十人の男たちが命だけは助けてくれと緋色革命軍に泣きついた。

 だが、彼らは騎兵の馬上槍で貫かれ、あるいは馬の蹄で踏み殺された。


「うすっぺらな男たち。死にざまさえもつまらない。食前酒はもう十分、さあ皆殺しになさい」

「迎撃用意。民間人を庇いつつ、脱出する。殿軍しんがりは僕が引き受けた。生きろ! 生きてくれ、絶対にだっ」


 レベッカの怒声と、クロードの悲鳴じみた懇願が丘に響き渡る。

 ここに、クローディアス・レーベンヒェルムの領世において、最大の敗北の一つに数えられるベナクレー撤退戦が始まった。

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