第104話(2-58)寂滅
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クロードが鼓動の止まる刹那に感じた激情は、胸が張り裂けそうな悔しさと、奈落に落ちるような無力感だった。
全身を焦がす痛みさえもいつの間にか感じなくなった。何かを叫ぼうとして、口を動かす力さえ残っていないことを知って、望みを絶たれた。
意識が真っ暗な闇の中へと墜ちてゆく。溶けて、砕けて、飛散する。
「やあ、また会ったね。クローディアス」
気がつけば、羽根付き帽子を目深に被った青年が闇の中に立っていた。正しくは、クロードがそう感じた。
あるいは、生命の尽きる瞬間に、夢を見ているのかもしれなかった。
(わずか一瞬の間に一生分の夢を見るのは、
仙人が見せた幻を見たのが杜子春で、邯鄲の枕で夢を見たのが
どうやら、死の瞬間までクロードはクロードにしかなれなかったらしい。
最後に顔を見せに来たのが、わずか一度だけ顔を合わせた彼だというのが、いかにもらしいではないか。
「アランか。すまない、僕はアンタの意志を継ぐことができなかった。それとも恨みを晴らしに来たのか? いいよ、アンタにはその資格がある」
かつて隼の勇者と呼ばれた男。領主館を襲撃して処刑された冒険者パーティのリーダーは、困ったように肩をすくめた。
「今から死ぬ男に復讐しても意味がないさ。良かったら、ひとつだけ教えてくれないか?」
「なにを?」
「クローディアス・レーベンヒェルム。キミは、なぜ戦ったんだ?」
投げかけられた問いは、根源的なものだった。
「死にたくなかったからだ」
クロードの返答を聞いて、羽根付き帽子を被った勇者は腹を抱えて吹き出した。
「ハハハ! ば、馬鹿言っちゃいけない。だったらどうして今、キミは死にかけているんだ? エングホルム領の民衆なんて捨てて、逃げ出せば良かったじゃないか? 戦闘が始まるまで、
挙げられたものは、クロードが選ぶことのなかった選択肢だった。
確かに”死にたくない”だけならば、他にやりようはあったのだ。
「キミはひょっとしてマゾかい? そうでないのなら、教えてくれないか。キミは、なぜ戦ったんだ?」
クロードは戦った。
ファヴニルや緋色革命軍だけではない。
飢餓と、貧困と、犯罪と、経済植民地主義と、内戦と。
レーベンヒェルム領をとりまくあらゆる脅威と歪み、むしろ
「太陽に背を向けたくなかったんだ」
悩んだ末に、クロードの心から出てきた答えは、そんな単純な言葉だった。
先代と共和国企業連によって、荒れ果てた赤い大地に涙した。
理不尽な暴力にさらされて泣いている女の子や、疲れて弱りきった人々の力になりたかった。
我が物顔でのし歩き、他者の命を省みもしないテロリストの暴挙に憤怒した。
金銭はなく食料もなく仲間もいなくて、それでもレーベンヒェルム領の惨状をくつがえしたいと
「つまり、自己満足だよ」
「だったら、もう満足したかい?」
クロードは、勇者の問いかけにうつむいた。
悔いはある。でも、もうどうしようもないことだ。
「ボクはキミを肯定しよう。キミの戦いを胸に留めよう。届かなかったとしても、キミの歩んだ軌跡が美しいものだったと称えよう」
自分が英雄の器なんかじゃないことは、最初から自覚していた。
己の腕に余る多くを救おうとして、最後に取りこぼしたのは、当然の末路だ。
でも、なにか大切なことを忘れてはいないか?
『……あああああっ!』
『……クロードォォ!』
ソフィの泣き声と、アリスの慟哭が聞こえた。
クロードの足は動かない。戻れば待つのは極大の恐怖だと、心が理解しているから。
(また多くのものを失うだろう。痛みはたくさんだ。悲しむのも勘弁だ。――だけど、知ったことか!)
現実では失われてしまったからだろうか? クロードは、ぼやけた右腕を、眼前の男へ向かって伸ばした。
「自慢じゃないけどさ、僕は友達が少ないんだ」
「へえ、ぼっちってやつ? 本当に自慢にならないね」
「だから、数少ない友達が泣いてるのにさ。おちおち死んでなんていられないんだよ。そして、果たさなければならない約束がある」
クロードは、羽根付き帽子を奪って宙へと投げる。
「ファヴニル、お前を討つ」
隼の勇者アランを
「なにが変化の邪竜だ、ファヴニル。途中から演技をやめていただろう? じゃなきゃ、部長並みの大根役者だ」
「キミを相手に本気で演じるなんて大人げないじゃないか、クローディアス。差し向けたボクが言うのもなんだけど、レベッカは業の深い女だ。キミが守ろうとするもの、そのすべてを壊すだろう。凡人のキミは、今ここで死んじゃった方が幸せかもしれないよ」
ファヴニルの言葉にも一理はある。と、クロードの脆い心が弱音を吐く。
どれほど憧れても、自分はきっと先輩たちのようなヒーローにはなれないだろう。
それでも、たとえそうだとしても。
「多くの力を分けてもらった。僕は、あいつらと、あそこで、生きていたいと思うんだ」
闇の中に飛散した、砕けて溶けた自分の欠片を寄せ集め、クロードは浮上しようとする。
しかし、手足はまるで鉛にでもなったかのように重く、生きるために大切な何かが底の抜けたバケツのように絶えず流れ落ちてゆく。なぜなら、クロードの心臓はすでに停止していたのだから。
それでも無我夢中で空へと手を伸ばすと、誰かがその手を掴んでくれた。懐かしいぬくもりに抱きしめられた。彼女の気配をクロードは憶えていた。
「レア?」
「たとえどれほど隔てられようとも、私の心は貴方と共に!」
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