第105話(2-59)立ち上がれ。彼と彼女が望んだ竜殺し

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 覚醒と共に感じたのは、胸を押す痛み。次に唇に触れた柔らかな感触だった。

 クロードが自覚したキスは、己の血とソフィが流す涙の味がした。


「ごめんなさい。本当は知ってたの、クロードくんが辺境伯様と別人だって、謝るから、謝らせて。お願い死なないでっ」


 人工呼吸を終えたソフィは、胸を骨も折れよとばかりに何度も圧迫した。

 クロードは血を吐き、せき込みながら呼吸して、酸素を体内に取り込んだ。

 心臓は止まっていた。蘇生したのは、きっと彼女たちのおかげだ。


「なんだ、そっか。知ってたんだ」

「クロード、くんっ」


 二人は互いに、ずっと負い目を感じていた。

 クロードは、領を守るために偽りの領主を演じ、本物が犯した罪をかぶろうとした。

 ソフィは、傍にいるために人質を演じ、家族のように愛おしむ弟たちとの板挟みになった。

 彼と彼女の心はすれ違い、しかし今、ひとつに重なった。


「アリスを助ける。一緒に来てほしい」

「はい」


 右腕を失ったクロードは、残された左手で彼女を抱き寄せて、ソフィもまた彼に身をゆだねた。

 二人の抱擁を目撃したレベッカは、炎のように赤い髪を逆立て、般若のように顔を歪めた。


「害虫がっ。しつこいですわね。何度だって殺してあげますわ」


 レベッカにとって忌まわしい間男の右腕はすでに失われ、左の二の腕と、左右の足太ももには大きな穴が空いている。蘇生したといえ、もはや動くこともままならぬ死に体だ。


「小汚い首をはねてやる。死ねぇええっ」


 レベッカは確実な止めを刺すべく、左右の掌から青白く輝く杭を二本投じた。ファヴニルの爪から作り上げられた杭は、彗星が如く尾をひきながら弾丸のように直進する。


(セイ、エリック、ブリギッタ、イヌヴェ、サムエル、ボー爺さん、パウルさん、エドガーさん、ヴァリン侯爵、イスカちゃん、高城部長。そして、レア)


 クロードは、ソフィの体温を感じながら迫る凶器をにらみつけ、これまでに友誼を結んだ仲間のことを、レーベンヒェルム領の民草たちのことを想った。

 

「……皆、僕に力を貸してくれ」

「レアちゃん?」


 ソフィは、抱きしめたクロードの中に、友人の気配を感じた。

 青い髪の侍女が微笑む。赤い瞳を細め、桜色の貝を髪から外して、祈るように両手で包む。

 海に隔てられても、心は今も繋がっているから。


ちゅう……ぞうっ……。雷切らいきり! 火車切かしゃぎり!」


 クロードの眼前に大小の日本刀が現れて、レベッカが投擲とうてきした杭を弾き砕いた。

 雷光と火花が羽のように散る。クロードの背には、雷が渦を巻いて8の字を横倒しにした翼を形作り、足からは火炎が噴き出す。

 ∞の雷翼は周辺の魔力と空気を取りこみ、足からは変換された魔力エネルギーと爆発燃焼した排気が噴射された。

 クロードとソフィによる雷光と火花をまとった突進。わずか一瞬で、彼らを包囲していた数十体の菌兵士が千切れ飛び、雷と火に焼かれて消し炭になった。


「レベッカ、後ろにさがれいっ。わしの研究を、最強兵器の創造生誕を、決して邪魔させんぞぉ」

「やめなさいドクター・ビースト。おねえさまも巻き込むつもり!?」


 白衣の老人が吠えて、赤髪の令嬢が叫ぶ。

 上空から飛来した一〇|m(メルカ)の大太刀は二〇口。

 クロードとソフィの前に立ちはだかった菌兵士は三〇〇体以上。


「アリス、今助けにいく!」


 クロードは飛翔する。

 レアは、最初にマジックアイテムだと釘を刺した。

 だが、雷切とは立花道雪の佩刀を、火車切とは上杉謙信が残した遺産を指す。


「軍神の誉れ高い彼らの刀と同じ名前を持つのなら、目の前の邪悪を払って見せろぉっ」


 創造主であるクロードの願いに応じ、雷切は稲妻に変じて大太刀を討った。神鳴かみなりの放電を被った二〇口の魔導兵器は内部から破裂して爆発四散する。

 火車切もまた降り注ぐ雷の中で巨大な焔の輪と化して、三〇〇体の菌兵士たちをわずか一振りで焼き尽くした。


「悪徳貴族、その命もらったっ」


 自軍が消し飛ぼうとも、レベッカ・エングホルムは揺るがない。

 あたかも針の穴を通すように雷と焔を避けて、一本の杭がクロードの喉元へと迫っていた。

 彼女が投じた杭は五本だが、四本は失われた。すでに半ば以上を失ったことになるが構わない。

 武器を失ったクロードさえ殺してしまえば、レベッカが望んだもの、愛するおねえさまは彼女の手に落ちるのだ。

 しかし、宝の輝きに目が眩んだか、彼女は重要な一点を見落としていた。

 ソフィはただ抱かれていただけではない。損傷を受けたクロードの肉体を癒やしていたのだ。

 右腕は失われたまま。しかし、左腕と両脚に空いた穴はもう塞がっている。


「鋳造っ。八丁念仏団子刺はっちょうねんぶつだんござし!」


 クロードは、左手に現れた三本目の刀を振るい、杭を切り裂いて受け流した。


「ふざけるなぁっ。特別な力もない凡人が。クズが調子に乗ってぇっ」


 そんなクロードたちの戦いを、遠く離れた商業都市ティノーの神殿上空から、ファヴニルが見下ろしていた。


「レベッカ・エングホルム、ここからが正念場だよ。確かにクローディアスは凡人だ。選ばれた勇者じゃないし、英雄なんて器でもない。だけど、あいつ自身が選んで、ボクと妹が望んだ竜殺しだ」


 ファヴニルは確信している。

 最愛の宿敵は、必ずや約束の刻限に自分を殺すためにやってくる――と。


「ああ、だから見せてよクローディアス。どんなに無様をさらしても、キミこそボクが殺し、ボクを殺すに足る、ただひとりの男だって信じさせてくれ」

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