第5話 選択の時

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「さすがは悪魔だ。目端が利いてるっ」


 領主部屋の豪奢ごうしゃなキングサイズベッドに倒れ伏して、クロードは悲痛な呻きをあげた。

 のせられた。誘導された。村で親娘を庇ったときに、あの悪魔は気付いたのだ。契約に誘うには何が一番効果的か。どこかの寓話のように、北風を吹かせて駄目なら太陽光をあてろと。

 あの娘達を見捨てるべきだ。見捨てなければならない。自分が一番大切だ。でも!


(僕は夢想家でも人道家でもない。そういうのは部長か会計がやってくれ)


 たとえばファヴニルのように、明確に悪意のある相手、もしくは自分を害そうとする相手なら、クロードは容赦なく切り捨てられる。しかし、地下牢に閉じ込められた少女たちは一方的な被害者だ。


「だからって、僕に何ができるっていうんだ。ただの高校生だ。斜め上にかっとんでる先輩達とは違う。社交家の彼女とも違う。ただの演劇部下っ端のキョロ充なんだよ!」


 叫んだ瞬間、クロードは頭を何かにぶつけた。枕元にあったのは日記だ。爪あとの残る傷ついた手で、最後のページをめくるとこう書かれていた。


『ファヴニルだけでは駄目だ。明後日儀式をとり行う。すべてを上手く収める異邦人を我が手足として呼び出すのだ』


「馬鹿野郎! どこまで無責任の他人任せなんだ!」


 典型的なモノカルチャー経済。

 経済を握っているのは西部連邦人民共和国の商人。

 そして、その手先となって横暴の限りを尽くす領主と悪魔。


「僕に、悪魔が支配する畜舎の管理人になれというわけか。それも、いつでも首のすげ替えがきくお飾りの!」


 こんな世界が正しいはずがない。しかし、正す方法が見つからない。


「ハハハハハハハ」


 クロードの口から、知らず乾いた笑いが漏れていた。状況は最悪を通り越して喜劇だ。

 港を見たときはここまでの状況だとは思わなかった。防衛を自国の軍事力だけで賄えないから、同盟国の軍隊に駐留してもらう。それだけなら、有史以来よくあることだから。

 だからって、同盟国でもない国に、交易の中心となる最大の港を売り渡すなんて論外だし、外国企業を招いて領内商工業を壊滅させるなんて、想像力が足りないにもほどがある。

 農業はモノカルチャーで自給自足すらままならず、領民は麻薬で飢餓を誤魔化す始末。

 元凶は一人、領民の怨嗟と悲鳴を気にも留めず、酒池肉林にふけっていたわけだ。


「無能な暴君めっ!」


 クローディアス・レーべンヒェルム。お前は死ぬべき領主だった。

 どこかの国々のように墓を暴き、死体を鞭打とうなんて思わないが、生前の所業を思えば豚鬼オークに貪り食われた末路は自業自得だ。


「こんなの、どうしようもない」


 ”首魁一家三代無能と暴虐の果て”とか”売国政治家、売国党の目指した理想の極地”だ。


(他領に泣きつくには図体が大きすぎる。隣に超絶善良な国家や領があって、一国一領を救えるほどの天文学的な金をポンと貸してもらえるとか? そんな国や領があるならいっそ併合でも願いたいよ、こんちくしょう!)


 考えがまとまらない。クロードは日記をベッドから投げ捨て、サイドテーブルを見た。水差しと琥珀色の蒸留酒が入ったボトルが置いてある。彼は勢いのまま酒瓶をあおった。喉が焼けそうだ。未成年? それがどうした? 投了だ。やけっぱちだ。襲っても、傷つけても自由。酒を飲むのも自由! クローディアスは法律に縛られない! くそったれ!

 アルコールが入ったせいだろうか、クロードの視界はぐるぐると回り始めた。


「そういや、徹夜だったっけ」


 ……

 …………

 クロードは夢を見た。

 部長と一緒に、学校から海岸まで走る夢だ

 あの時はたしか落ち込んでいて、部長に『そういう時は走るんだ』と無理やり連れ出されたのだ。

 確か、誘うなら部長に気のある男装先輩にすべき、とか言った気がする。


『この前誘ったぜ。……あいつ結構、足が速くてさ。置いてかれちまった』


 なぜ彼女は、自分からデートを台無しにしてるんだろう?


『部長、だめだめですね』

『ああ、だめだめだ』


 そんな懐かしい夢を見た。


 クロードが目を開けて、硝子窓から外を覗き見ると、まだ陽は落ちていなかった。

 眠った時間はわずかだったのだろう。それでも、意識ははっきりしたし、大事なことを思い出した。

 彼は、酔い醒ましに水差しの水を飲み干して、館から外へと走り出した。

 

「頭だけで考えるから、身動きがとれなくなる。そうでしたっけ、部長」


 館から階段を下りて、訓練場にひかれたトラックを走る。どれだけ走ったかわからない。彼は生来、運動なんて得意じゃないのだ。

 息は乱れ、心臓は早鐘のように鳴り響き、足はぐずぐずと熱を持ち、ついにはぶっ倒れた。痛い。けれど、痛みを感じるということは、生きているということだ。

 クロードはまだ生きている。生きているなら、死ぬその時まで、生きあがける。


(ファヴニルと会う前の記憶を思い出せ。演劇の練習が終わって、帰り道で大きな何かにはねられた。事故に巻き込まれたのは、僕を含む演劇部全員だ。もしもあれが引き金になったのなら、転移させられたのはきっと皆が同じだ)


 クロードは、顔についた泥と目じりから流れ落ちる涙を、袖口でぬぐった。


(あの部長だぞ、絶対に生きている。他の部員達だって、殺されたって死ぬものか。一番頼りないのが僕だ。だから絶対に生き延びてやる。そうすればきっと)


 クロードは、両腕に力をこめて上体を起こし、立ち上がった。もう一度苦手で、懐かしい仲間と再会するために。


「お水をお持ちしました」


 気がつけば、目の前に青い髪のメイド、レアがいた。


「レアさん、だったか。僕は……」

「知っています。別人なのでしょう? ファヴニルが連れてきた身代わりの」


 のっけからバレていた。

 考えてみれば、クロードが屋敷に来てからの行動は、まるで隠す気もなかったし、当然と言えば当然だろう。


「お逃げください。ここに、地図と路銀を用意しました。金貨と銀貨はできるだけ使わずに、銅貨を用いるように。レーべンヒェルム領さえ出てしまえば、ファヴニルも追わないでしょう」


 クロードは、コップに入った水をゴクゴクと音を立てて飲み干して、硬貨の入った皮袋と地図を見た。

 千載一遇せんざいいちぐうの好機だった。地獄に降りてきた一本の蜘蛛の糸だった。けれど、その糸を掴むわけにはいかなかった。逃げ出すわけにはいかなかった。


「駄目だ。僕は逃げない」


 クロードは怯える心を叱咤しったして、必死で頭を働かせた。

 理由があるはずなのだ。ファヴニルが、本物のクローディアス・レーべンヒェルムを抹殺した道理。その方が愉しいと、あの悪魔が決断した原因が――。


「もしも領主の座や財宝に目がくらんだのなら、再考をおすすめします。貴方はファヴニルにとって、ただの玩具です。遠くない未来、貴方は飽きられて、破棄される」

「それでも、だ」

「なぜ、ですか?」


 可愛らしい女の子に、息も触れ合う距離でじっと見つめられて、クロードは思わず唾を飲んだ。

 そういえば、演劇部員以外の女の子と向かい合って話すのは苦手だったのだ。考えていた返答が吹き飛んで、無茶な台詞を口に出してしまう。


「部長ならきっと、こう言うんだろう。アンタはいいひとだ。こんなイイ女、置いてなんていけない」


 顔から火が出るかと思った。うん、コレを真顔で言えるあの部長は、きっと羞恥心しゅうちしんのネジが外れている。

 レアは首を傾げ、数回瞬きして、彼女もまた真っ赤になった。


「こ、こんな時に、なにを、いいだすのですか。冗談が過ぎます」

「う、うん。今のは部長だったら、だ。僕だって本当は怒鳴りたいさ。こんな邪竜がのさばる領になんていられるかって。ハハ、まるで死亡フラグじゃないか」


 推理小説なら九割以上の確率で、翌朝死体になる末路を迎えそうだ。


「死亡フラグとはなんですか?」

「冗談だ。ファヴニルは、どこにいるんだ?」

「海岸です。もう一度警告します。彼と契約を結べば、貴方は確実に破滅する。それがわかっているのなら、どうしてファヴニルの元へ向かおうとするのですか?」

「理由はさ、いろいろあるんだ。一番デカいのは、僕はあいつが心底気に食わないってことだな」


 クロードは思う。この世界で、地球の常識や己のモノサシが通用しないことは、よくわかった。


(でも、この胸の中で燃える怒りだけは、疑いもなく僕自身の感情だ)


 見透かしたような態度で、詰みへと誘導した悪魔の勧誘手腕は、素直に賞賛しよう。しかし、そんな小細工がいったい何だというのだ。


(あの赤い髪の女の子は、僕に勇気を与えてくれた。気高い人間の心を見せてくれたんだ。ここでケツをまくるなんて、男のやることかよ)


 勝利条件があるのなら、勝ちようだってあるのだ。皮肉にも、あの悪魔と渡り合える可能性があるのは、領主であるクローディアス・レーべンヒェルムだけだろう。


「レア。僕は、あいつの考えている脚本を台無しにしてやる。この領を解き放つ」


 ――――

 ――


 かくして時間は冒頭へと戻る。

 海岸線に沈もうとする夕日を背に、愛くるしいキューピッドのような顔で、天使に似せた血のように赤い瞳を残酷に光らせて、悪魔はクロードに質問という名の汚物を投げつけてきた。


「ボクと契約する決心はついたのかな?」

「ファヴニル、僕は……」


 クロードは、乾ききった口内ともつれる舌を動かして、最後の選択を掴みとる。

 が、その直前で踏みとどまった。まだだ、まだ悪魔の意図を確認していない。


「ひとつ聞かせてくれ。本物のクローディアス・レーべンヒェルムには、家族や親族はいないのか?」

「いないよ。ボクは気前がいいからね。クローディアスにとって邪魔な父親、煩い母、遺産を狙う兄弟や親族、彼の願いを叶えてすべて消してあげた」


 よくあることだ。建国の功労者が次々と消えたソ連に中共、血の繋がった兄と叔父を抹殺した北半島の独裁者。重要なのはそこではない。今回の場合、独裁者の後釜に納まる親族が誰もいないというのがカギになる。


(OK。きっと、これこそが、この悪魔の最初の目的だった)


 つまり、現在、領内を立て直せるものはいない。

 もしも、今、独裁者クローディアス・レーべンヒェルムの死が明らかとなれば、最悪の場合、利権を巡って内乱が勃発するか、無政府状態による飢餓崩壊を起こすだろう。最良の場合ですら、傀儡政権が打ち立てられ、西部連邦人民共和国による植民地化が進むだけ。クローディアスの死を引き金とする混乱と流血こそが、悪魔が望む祭りに他ならない。


(地盤をつくろう。ファヴニルに対抗できる戦力を準備する。カミサマに等しい力? 一○万人分の魔力だと? 笑わせるなよ。要はそれだけの戦力さえあれば抗えるってことだろうが!)


 農商工が壊滅した領地で、どれだけ困難な手段となるのか想像もつかない。クロードが持つ手札は、先輩たちとの交流で得たわずかな雑学と歴史の知識だけ。それでも、生きている限り道はあるはずだ。


「いいだろう。僕の名において契約を結ぼう、ファヴニル。クローディアス・レーべンヒェルム。いや、クロード。本当の名前を取り戻すまで、これが僕の名だ!」


 目標となる勝利条件は二つ。

・西部連邦人民共和国によって壊滅したレーべンヒェルム領の農商工を復興させ、戦力を整えること。

・レーべンヒェルム領に巣くう悪魔ファヴニルをはらい、平穏な日常をこの手で掴むこと。


「第三位級契約神器ファヴニルの名において契約を受ける。ボクを愉しませて、クローディアス・レーべンヒェルム!」


 クロードはファヴニルから、指輪を受け取り、人差し指にはめた。

 太陽は沈み、残照もやがては消えて、暗い夜が始まる。


(どんな夜もいつかは明ける。朝は必ず来る)


 かくして、長きにわたり、悪徳貴族と罵られる男の挑戦が始まった。


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復興暦一一○九年/共和国暦一○○三年 紅森の月(一〇月)三日


共和国資本による報道機関、『レーべンヒェルム人民通報』二面

「名君帰還す」

 マラヤディヴァ国屈指の大貴族であり、西部連邦人民共和国との友好の立て役者でもあるクローディアス・レーべンヒェルム辺境伯が領内の遺跡調査より無事帰還した。若手改革派貴族の筆頭として、今後も辺境伯には更なる革命の進行を期待し(以下略)


レーべンヒェルム領『冒険者ギルド瓦版』


 領主に関する目立った記述なし。


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