第18話 旗幟鮮明

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 千年の昔、邪悪な魔女が、七つの鍵と呼ばれる第一位級契約神器の一つ「運命を歪める魔槍ガングニール」を掲げて、邪悪な怪物たちを率い、世界を滅ぼそうとしたという。

 魔女は、九つの大陸のうち八つを沈め、ついには虹の門を開いて、宇宙の根源たる、偉大なるトネリコの樹へと至ろうとした。

 だが、妖精族の女王によって、七つの鍵の一つ「光り輝く炎の神剣レーヴァティン」を授かった勇者が魔女を討ち破り、世界は救われた。

 これが、神焉戦争ラグナロクと呼ばれる、この世界に伝わる神話である。


 勇者の正体と行末には諸説あり……。

 曰く、どこかの国の王で、余生を愛する妃と平穏に過ごした。

 曰く、革命的な国の革命的指導者の盟友で、革命の遂行に生涯を賭けた革命的人生を送った。

 曰く、異世界からの来訪者で、戦後は元の世界へと帰って行った。

 曰く、戦争の爪痕を嘆き妻子を残して大陸を放浪するも、最期は家族に看取られて大往生を遂げた。


 何が真実で、何が脚色なのか、今となっては誰にもわからない。

 ただ、結果として、神々や巨人と呼ばれた存在は姿を消して、妖精族、小人族の大半もまた、人間族との混血が進んで同化した。

 人類は、地上に唯一残された大陸と、代替として造りあげた八つの浮遊大陸で、力を合わせて生き抜いていった。

 ラグナロクは遠い過去の伝承として人々に記憶され、史書からも少しずつ記述が消えて、遂には神話として語り継がれるようになった。


 しかし、およそ百年と少し前、ルガナン・ゼファノスという名の魔術師が、神焉戦争時代の古代遺跡から契約神器と呼ばれる遺産を発掘したことで、人々の意識は一変する。

 人知を越える強大な力を得る存在が明らかになったことで、人類は領土と資源を巡る争いを激化させ、浮遊大陸をも巻き込んで、二度に渡る世界大戦が勃発した。

 神話もまた、かつて”歴史上あったかもしれない”逸話として再評価され、大陸諸国は、軍隊、考古学者、神学者、そして、冒険者を組織して古代遺跡を探索し、契約神器や魔術道具の研究を進めている。


 復興暦一一○九年/共和国暦一○○三年 晩樹の月(一二月)八日午前。

 共和国でもっとも悪名高き冒険者、ニーダル・ゲレーゲンハイトは、マラヤディヴァ国議員、マティアス・オクセンシュルナによって、彼の邸宅へと招かれた。

 彼の養女イスカも一緒に行きたいと駄々をこねたものの、政治の絡む話はつまらないだろうと、先に宿へと向かわせた。雇用主である共和国の重鎮、エーエマリッヒ・シュターレンの客人という肩書きのおかげか、あるいはかつて訪れた際の事件の影響か、なんと老舗ホテルの最上階が予約されていた。

 普段の寝床は、野宿か、木賃宿だ。こんな機会は滅多にない為、きっとイスカも喜んでいるに違いないと、ニーダルは上機嫌だった。

 屋敷の奥に通されると、応接室の前で、見覚えのある茶色の髪と褐色の瞳の少年剣士が、家宰の服を着て控えていた。


「お久しぶりです。ニーダル・ゲレーゲンハイト卿」

「よぉリヌス。似合ってるじゃないか、奥さんは元気かい?」

「はい。お陰さまで元気いっぱいです。おじょ、家内もぜひお会いしたいと申しています。是非一度わが家をお訪ねください」


 以前、邪竜ファヴニルの魔手から救った二人が結ばれたことは、オクセンシュルナ議員から送られた書類に同封されていた手紙に書かれていた。

 リヌスの笑顔を見るに幸せそうだったが、手紙の内容を読む限りでは、完全に尻に敷かれているようだ。


(そういう趣味なのかね? 男たるもの、やっぱり亭主関白を貫かないと)


 後日、彼の後輩にマグナム級の盛大なブーメランが突き刺さることになるが、この時のニーダルには知る由もない。

 応接室では、灰色の髪を短く刈った、鷹のように鋭い視線もつ威厳ある男。マティアス・オクセンシュルナ議員が待っていた。


「よく来てくれた。ニーダル・ゲレーゲンハイト殿」

「再び、お会いできて光栄です。マティアス・オクセンシュルナ議員」

「そう畏まることはない。以前のように、旦那で構わん。宿はどうかね?」

「高級ホテルの最上階なんてあまり機会がなくて、娘が騒いでましたよ。今日はゆっくり羽根を伸ばすつもりです」

「マラヤディヴァは観光に力を入れていてね。風光明美な海岸や祖先の残した史跡を、是非楽しんでほしい」


 二人は、紅茶を飲みながら、しばし会話に花を咲かせた。

 やがて本題に入り、探索する古代遺跡と、納品予定の契約神器と魔術道具、報酬等についての打ち合わせが始まった。といっても、契約はニーダルの渡航前に詰めている。厳密には細部の確認と、妨害が予想される、レーベンヒェルム領の邪竜ファヴニルへの対策こそが会談の主目的だった。


「俺の我がままで、旦那にまで迷惑をかけてすみませんね」

「何をいう? マラヤディヴァの民を守るのが、我ら政治家の役目だ。感謝こそすれ、迷惑などとんでもない」


 復興暦一一〇八年/共和国暦一〇〇二年の夏。

 マラヤディヴァ国に滞在していたニーダルは、依頼を果たしたあと、一夜の出逢いを求めて高級酒場に立ち寄った。

 そこで、美人なことで有名で、気さくな性格から民衆にも好かれていたアネッテ・ソーン嬢が危機に陥っていることを知ったのだ。

 お家騒動だけならどこの国でも珍しくない話だったが、関わるだけで死亡フラグが乱立するというファフナーだかハムスターだかが出張ってきたせいで、彼女の生存が絶望視されているという。

 ニーダルはえちぃな下心から救出を申しでたものの、酒場に集った貴族や豪商たちは尻込みして止めるばかりだった。

 ただひとり、もしもアネッテ・ソーンを救えたら全責任を負うと断言したのがオクセンシュルナ議員だった。彼の後押しあればこそ、ニーダルは後顧の憂い無くアネッテ救出に向かうことができた。

 結果として、ボコスカにやられて逃げ帰り、助けだしたアネッテ嬢にはリヌスという恋人がいたので口説くことも叶わなかったが、ニーダルは気にしなかった。イイ男は、風のように、次の出会いを探してマラヤディヴァ国を旅立った。


 さて、ニーダル自身は後日、依頼人クライアントであるエーエマリッヒ・シュターレンから知らされたことだが、マティアス・オクセンシュルナ議員は、学校教師から医師を経て、政治家へと転身し、強烈なリーダーシップと数々の経済政策で貴族達を牽引するマラヤディヴァ国有数の大政治家だった。

 愛国者であり民族主義者でもあったことから、挑発的な発言も目立ち、反対勢力から批判を浴びることも多かったが、彼が主導する議会あればこそ、マラヤディヴァ国は安定した成長を続けていた。……無論、レーベンヒェルム領のような議会決議を一切無視する独裁領を除けば、である。


 ゆえに、マラヤディヴァ国議会の雄、マティアス・オクセンシュルナと、西部連邦人民共和国の穏健派代表、エーエマリッヒ・シュターレンが、ニーダル・ゲレーゲンハイトを通じて知己となった影響は大きかった。

 マラヤディヴァ国で活動する共和国企業の大半はシュターレン閥とは敵対していたものの、本国第三位の軍閥の意向を無視できず、西部連邦人民共和国の政府首脳も、長年の友好関係にあるマラヤディヴァ国議会をむげには扱えない。

 つまり、本人には自覚がなかったものの、ニーダルの渡航自体が多分に政治的パフォーマンスを含んだものだったのだ。

 だからこそ、レーベンヒェルム領に巣食う邪竜ファヴニルと、共和国企業連の重鎮ヘルムート・バーダーは、テロリスト集団”赤い導家士どうけし”を動員し、ニーダルの娘、イスカが宿泊するホテルを、ためらいもなく爆破した。

 会談は正午を過ぎても続き、オクセンシュルナ議員がニーダルを昼食に連れ出そうとした時、応接室の扉が乱暴に叩かれた。


「オクセンシュルナ様。ゲレーゲンハイト卿、大変です!」

「リヌス、騒々しいぞ。何があった?」

「首都クランで、大規模な暴動が発生しました。テロリスト集団、赤い導家士が街に放火、銀行や商店で略奪を働いています。御息女の泊まっているホテルも、爆破されたとのことです」


 呼吸すら忘れて、ニーダルは無意識のうちに床を蹴り、応接室から飛び出そうとしていた。

 否、もしリヌスが身を呈して阻まなければ、屋敷をすぐさま後にしたことだろう。


「待て。ゲレーゲンハイト殿。短慮たんりょはよしたまえっ」


 制止したオクセンシュルナ議員もまた、青ざめた顔で手早く着替えていた。


「リヌス、私は今すぐ官邸へ向かう。馬車の準備を!」

「もう出来ています」

「わかった、すぐ行く。すまないが、ゲレーゲンハイト殿はしばしの間、屋敷に留まってほしい」


 オクセンシュルナ議員は、ニーダルを見た。感情を抑えてつけているのか、彼の顔から表情が消えて、まるで能面のようだった。


「旦那。ファヴニルの仕業だな」

「おそらくは……。御息女は、必ず我々が保護する。あの邪竜と、盟約者であるクローディアス・レーベンヒェルムには、しかるべき報いを受けさせる!」


 ニーダルは自制した。彼は自分が政治的な感覚に欠けていることを自覚していたから、オクセンシュルナの顔に泥を塗るような真似は避けたかったし、同時に娘が存命であることを確信していた。

 イスカに持たせた発信機からは緊急事態を告げる反応は届いていなかった。そもそも寝床を吹き飛ばされたくらいで命を落とすような平凡な生活を、二人は送っていない。


「……待つのは、苦手なんだけどね」


 それでも、娘の危機に真っ先に駈けつけられないのは、苦渋の決断といえた。ニーダルが玄関までオクセンシュルナ議員に同行したのは、彼自身の迷いゆえだ。


「どうした?」


 馬車の前で、泥と血で汚れた服を着た少女が、警備の兵と揉めていたのだ。


「だから、わたしは、本当にレーベンヒェルム辺境伯の使いなんです。お願いだから通してください」

「オクセンシュルナ議員は、テロ対策のために官邸へ向かわれます。お引き取りください」


 ニーダルとオクセンシュルナ議員は、互いに目を合わせた。ニーダルが一歩下がり、オクセンシュルナ議員が少女に向かって踏み出した。


「私がマティアス・オクセンシュルナだ。今、辺境伯の使いと聞こえたが……」


 声をかけられて、焦燥しょうそうに曇っていた、少女の顔に光がさした。


「ああ。良かった。オクセンシュルナ様。ソフィと申します。クローディアス・レーベンヒェルム辺境伯様から、ニーダル・ゲレーゲンハイト殿に伝言を預かってきたんです」

「俺っちが、ニーダル・ゲレーゲンハイトだが、なんて伝言だい?」

「はい。イスカちゃんは安全のため、レーベンヒェルム領で預かります」


 伝言を聞いた瞬間、オクセンシュルナ議員が眉を吊り上げて一喝したのは、その場にいたソフィ以外の者にとって当然のことだった。


破廉恥はれんちなっ。つまり人質だと言いたいわけか」

「違う!」



 クロードは燃え盛る炎を前に、ゆっくりと拳を握りしめた。


(あの領主館襲撃事件で、三〇〇余人が、死んだ。僕がファヴニルと共に殺した)


 法律に照らした結果といえば、その通りだろう。それでも、手に掛けたことに違いはない。

 だから、彼らの遺志を継ぐとクロードは決めて、この三カ月、ファヴニルを討つために領を復興しようと走り回った。

 クロードは、破壊されたクランの街と傷ついた人々を見渡した。


(たぶん、その結果が、目の前の惨劇だ)


 証拠はないが、盟約によって繋がっているのだ。逢わずとも確信できた。

 テロリスト集団”赤い導家士”とやらを使って、罪もない人々を傷つけ殺めたのはファヴニルだ。

 崩壊したホテルの下敷きになった死体、火傷を負ってうめく人々、矢や飛礫つぶてを受けてくずおれた者、すべてはあの悪魔を止められなかったクロードの不甲斐なさが招いた犠牲だ。


(終わらせよう。これが僕の、責任だ)


 クロードは、薙刀を手からとり落としたソフィの赤いおかっぱ髪の下、黒い瞳をみつめた。

 彼女と過ごした時間は楽しかった。平日は仕事に明け暮れて、週末には遺跡に潜り、帰宅後は屋敷でたわいないおしゃべりをした。短い時間だったけど、どれも大切な思い出だ。

 ああ、でも、ソフィにとっては悪夢だったろう。おそらくは、彼女の貞操を穢し、片目を奪い、両のてのひらを穿った悪徳貴族に仕えるのは、どれほど苦痛だったことだろう? それでも、弟分のエリック達を守るため、人質として嫌な顔ひとつ見せずに仕えてくれた。

 感謝しかない。だから、自分に残された、ただひとつのモノでつぐなおう。


「ソフィは、救援が来たらオクセンシュルナ議員の屋敷へ向かってくれ。イスカちゃんを、安全の為にしばらくうちの領で預かるって伝えてほしい」

「か、構わないけど。ね、ねえ、クロード君、ニーダルさんが有利になるって、どういうことかな?」


 ソフィは困惑しているようだった。でも、もう悩む必要はない。状況次第だが、彼女はきっと恥辱と忍耐から解放される。


「もしファヴニルが、直接ニーダル何某と戦うなら、僕に手出しはできない」


 クロードは、背筋を伸ばした。最後の花道だ。せめて見苦しくないように振る舞おう。


「けれど、あいつは弱点を見逃さない。きっとイスカちゃんを狙ってくるだろう。そして、ファヴニルを追って、ニーダル何某もやってくる」


 レアは、クロードの深意に気付いたのだろうか、目をふせている。イスカはよくわかっていないようで、目をぱちくりさせていた。


「レアの話では、ファヴニルはニーダルと一度引き分けたらしい」


 クロードだけは、知っているのだ。ファヴニルが安易にクロードを始末できなかった理由。彼の、唯一の弱点を――。


「もしも戦闘力が互角なら、その場で僕が自害すれば、ファヴニルは僕という契約者を失って弱体化する。上手くいけば、レーベンヒェルム領から悪徳貴族と邪竜が消えるんだ。こんなことで償いになるなんて思わないけど、ソフィ、どうか僕の首を受けとって欲し……」


 言い終わる前に、パンという乾いた音が左頬から響いた。

 平手で打たれた箇所が、じんじんと熱く、ずきずきと痛んだ。

 ソフィの両目から、こぼれ落ちたのは涙だろうか?


「そんなのいらないっ。クロード君の馬鹿ぁあああっ」


 ソフィは身を翻して走り出し、離れた場所で怪我人の治療を始めてしまった。


「ハハ。そんなに憎まれていたのか、僕は」

「いえ、領主様が、まだまだ、駄目駄目のすっとこどっこいなことに気づいて幻滅したのでしょう」


 レアが、まるで幽霊にでも憑かれたような陰気な顔で、彼女には珍しく、容赦ない毒舌を浴びせてきた。


「正直申し上げて、私もひっぱたきたいところですが、時間もないので急ぎましょう。領主様、貴方がもし命を落とすことがあれば、共和国は必ず野心をあらわにします。どうかお忘れなく」

「ン。パパのいってたとおりだ。くろーどは、女心がわかってない」

「ぐっ」


 それは、元の世界で、部長や会計や痴女先輩に、何度か忠告された言葉だった。

 まさか異世界で、こんな小さな女の子にまで指摘されるとは思わなかった。


(でも、この子はともかく、先輩たちだけには絶対言われたくない!)


 クロードだって死にたくはない。クローディアス・レーベンヒェルムの死後、西部連邦人民共和国が暴発する危険性も重々わかっている。だが、たとえそうだとしても。


(ファヴニル。あいつだけは、必ず!)

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