第125話(2-79)アリスの誘い

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 クロードは、マラヤ半島のベナクレー丘撤退戦を経て両腕を半ばから失っていた。


「たいせつなソフィとアリスの命と比べれば、僕の腕なんて安いものさ」


 と、本人は強がっていたものの、日常生活に問題があったのは言うまでもない。

 瀕死の状態であった頃は、両手が使えないこともあって、ひとりで食事も出来なければトイレも行けず、着替えもままならないという有様だったからだ。

 クロードは、ヴァリン領軍艦の中では軍医や衛生兵に付き添ってもらい、館に帰還した後は看護師を呼ぼうとしたのだが、――侍女のレアが強硬に反対した。


「問題ありません。私は看護師資格を持っています」

「レ、レア……。なんで?」

「メイド、いいえ、ナースですから」


 表情の変化に乏しいながらも、わずかに頬を染めてにじりよる青い髪の侍女レアに圧倒されて、クロードは思わずあとずさりし、バランスを崩して転倒した。


「くっ、殺してくれ」

「生かします」

「恥ずかしいから、嫌だぁっ」

「領主様に恥ずかしいところなどありません。誠心誠意お世話します」

「た、たすけ。うわぁああっ」


 かくして、哀れにも芋虫の如き格好で逃げようとしたクロードは捕まって、レアのご奉仕を受けることになった。

 悲鳴を聞き付けたソフィ、アリス、セイは、思わず口を挟もうとしたものの。


「……」


 レアが赤い瞳を剣呑に光らせると、そそくさと退散した。なにせ、クロードが傷を負った原因が二人に、死亡報告を聞いて職場放棄をやらかしたのが一人である。勝ち目はなかった。

 しかし、彼女たちも諦めていなかった。


―――

――――


 復興暦一一一〇年/共和国暦一〇〇四年 木枯の月(一一月)二七日夜。

 負傷から約二週間が経って、クロードはどうにか魔術で箸や匙(スプーン)を動かしたり、衣服を着替えたりできるほどに回復した。

 起き上がってトイレを済ませられるようになった時、彼は男泣きに泣いた。といっても、外出時や入浴時は転ばぬよう必ずレアが寄り添っていたし、今まさに二人でお風呂に入っていたのだが。


「たぬったぬー♪」 


 そこに乱入を試みたのが、アリス・ヤツフサである。


「むふふ。クロードは、最近エロ本も読めなくて困ってるたぬ。一緒にお風呂へ入って、あわよくば今晩、既成事実たぬ」


 アリスは浴室の前でポポイと服を脱ぎ散らし、一糸まとわぬ日焼けした大人姿になると、尻尾をふりふり豊かな胸を弾ませて、がらりと浴室の引き戸を開いた。


「クロード、一緒にお風呂入るたぬう」

「アリス。今は男の入浴時間だぞ。三〇|分(コーツ)ほど待ってくれ」


 湯船につかったクロードが、足先で魔術文字を描いたのか、引き戸は即座にぴしゃりと閉められてしまった。


「ま、前は、一緒に入ったことがあるたぬ」

「あの頃は勘違いしていたからだ。年頃の女の子と男の子は、一緒にお風呂に入っちゃいけないんだ」

「かたいことは言いっこなしたぬ。レアちゃん、二人でクロードを洗いっこするたぬ」


 アリスはそう言って、もう一度元気よく引き戸を開き、金の虎耳を期待にピンと立てて、健康的な太ももを伸ばして浴室に踏み込んだ。

 そこには、真珠のように白い肌と華奢な体躯にバスタオルを巻き付けた少女、レアが大量の水が入った桶の山を背に立ちはだかっていた。


「アリス様。お引き取り下さい」

「い、いっしょに、洗いっこしよう、たぬ?」

「見敵必殺(サーチアンドデストロイ)!」

「たぬううううっ!?」


 レアが指を鳴らすと桶の山が一斉に崩れ、大量の水がぶちまけられようとした瞬間、アリスは小さなぬいぐるみのような獣姿になって逃げ出した。無情にも、引き戸は閉められ、鍵が掛けられた。


「ひどいたぬ、ひどいたぬ。あんまりたぬぅ」


 ほうほうのていで逃げ出したアリスは、食堂で滂沱(ぼうだ)の涙を流しつつ、試験農園と参謀本部から帰ってきたソフィとセイに愚痴りはじめた。


「でも、アリスちゃん。レアちゃんが怒るのも仕方ないよ。だって、お仕事中なんだから」

「レアちゃんも、バスタオル一枚だったぬ!」


 ソフィが省エネモードのアリスを膝にのせて、撫でながら諭すものの、アリスは納得がいかないとばかり、頬を大きく膨らませた。

 二人の隣では、セイが茶柱の立ったカップを、優しげな視線で愛でている。


「レア殿は、忠義と愛情を意図的に混同して、納得している気配があるからな。なかなかに厄介な御仁だよ」

「クロードくんのお世話をするのが、女中としての忠義で、レアちゃんとしての愛情だってこと?」

「そうだ。アリス殿だって、棟梁殿と遊んでいる時に他人が割って入ると腹を立てるだろう? 昨日約束を結んだからといって焦りすぎだ」


 確かに今回は自分が悪かったとアリスは反省した。しかし、彼女にもまた急がなければならない理由があったのだ。


「だって、このままじゃ、たぬたちは、イスカちゃんみたいになっちゃうたぬ」

「イスカちゃんがどうしたの?」

「棟梁殿の御学友、ニーダル・ゲレーゲンハイトの養女だったか。何か不都合な点でもあるのか?」


 アリスは、親友のイスカから聞き出した親子生活を話し始めた。

 朝起きて、歯を磨いて一緒に朝食を取る。昼は一緒にお仕事へ行くか、別行動。夕方には帰ってきて一緒にご飯。夜になるとお布団を敷いて寝る。父親は毎日夜遊びに行くけど、それは見ないふりをするのだ――と。


「夜遊び以外は、良い父親だと思うけど」

「仲の良い家族じゃないか? 私も、あまり家族とは……。慕ってくれたのは、弟だけかもしれない」

「もう! ソフィちゃんもセイちゃんも、どうしてわからないたぬ? これは、クロードとたぬ達も同じたぬ。同じ屋根の下で暮らしているのに、イチャイチャがないたぬ」


 あ、とソフィとセイは思わず声をあげて、開いた口を手で塞いだ。


「イスカちゃんは、これでいいたぬよ。イスカちゃんにとって、ニーダルパパはパパたぬ。でも、たぬはそれじゃ困るたぬ!」

「アリスちゃんが言いたいこと、わかる気がする。わたし、エリックやアンセルやヨアヒムのこと、異性じゃなくて弟みたいに感じてる」

「このままだと、なあなあの関係が続いてこう着、ファヴニルとの決戦にもつれこむのか。あまり望ましくないな。いかにも棟梁殿が陥りそうな結末だ」


 アリス、ソフィ、セイは額を突き合わせて対策を考えた。

 そして出た答えは、――正面突破だった。風呂上がりのクロードに、アリスは跳ねるように抱きついた。


「クロード、明日は一緒にデートに行くたぬ」

「明日の予定は、鉄道敷設の見学と、ガートランド聖王国から届く積み荷の受取だったっけ。いいよ、一緒に行こう」

「たぬったぬぅ♪」


 ちょっとした逢引こみの遠出のはずだった。しかし、二人はまだ知らない。

 クロードとアリスの行く手には、とんだ騒動と出会いが待ち受けていたのだ。

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