第六部/第四章 〝創造者〟ブロル・ハリアン

第490話(6-27)ブロル起つ

490


 復興暦一一一二年/共和国暦一〇〇六年 花咲の月(四月)一八日早朝。

 ネオジェネシスの総大将たるブロル・ハリアンは、近衛部隊に領民を託して脱走させた。

 ブロルは、ビール樽めいた恰幅の身体に白衣を羽織り、軍勢を率いて追撃するレベッカ・エングホルムの前に一人立ちはだかった。

 彼は共犯者であるファヴニルに、巫女レベッカを通して、邪竜が誕生した一〇〇〇年前の事件について問いかける。


「ファヴニル。君が、家族を殺したグリタヘイズの村人を許せなかったのはわかる。惨劇までの状況を入念に作りあげたゲオルク配下達も同様だ。だが……」


 ブロルは胸に渦巻いていた疑問を、噛み砕くようにゆっくりと口にした。


「直接の仇でも間接の仇でもなく、無関係だったはずの、マーヤ達の船を沈めたのは何故だ?」


 およそ一〇〇〇年前。

 終末戦争ラグナロクを生き延びた〝神剣の勇者〟は、ヴォルノー島に上陸し、マーヤ・ユングヴィら島民を救出してグリタヘイズの村を訪れた。

 勇者一行は、ファフナー一族とゲオルク一党の政争に巻き込まれるも、調停を諦めて海へと船出した。


「神剣の勇者は、別の場所でゲオルク一党と交戦中だった。勇者を味方に引き込むことも出来たし、敵として乱戦中に討つことも出来ただろう。どちらを選ぶわけでもなく、無関係の民間人を襲う必要がどこにあった?」


 ブロルには知るよしもないことだが、クロードもまた、テルから過去を聞き出した折に、ファヴニルの選択に悩んでいる。

 理性的に考えるならば、直接の仇でも間接的な仇でもない、戦闘力すらない第三者を殺す意味がどこにある?

 

「そ、それは、ニセモノの勇者に協力したマーヤ達こそ、グリタヘイズの村人にファヴニル様の家族を暗殺するようそそのかした犯人だからよ!」


 燃えるような赤髪を桜貝の髪飾りでまとめたレベッカが声をあげるも、ブロルは取り合わない。


「レベッカ、つまらないデタラメをさえずるのはやめろ。そんな記述は一次資料には無かったし、必要もなかった。〝神剣の勇者〟がグリタヘイズの村を欲っしていたのなら、奸計を用いずとも実力で奪えたからだ」


 ファヴニルと彼の妹レギンはその後、〝神剣の勇者〟によって封印されている。

 一〇〇〇年前のファヴニルは、今ほどに強かったわけではない。

 

『ブロル、キミと同じだよ。ただ憎かったから、殺した。船を沈めるのに、他に理由が必要かい?』


 ブロル・ハリアンは、ファヴニルの返答を得た瞬間、胸が裂けるような痛みに襲われた。

 彼もまた、その感情を重々知っていたからだ。


(愛する者を奪われた。大切な故郷を踏みにじられた。だから、そんな世界を許せない。関わった者も、見過ごした者も、等しく滅んでしまえ。存在そのものが罪深い)


 理性や合理で、謎が解けなかったのは当然だ。

 真実はかけがえのない存在を奪われた激情による、八つ当たりだったのだから。


「ならば、ファヴニル! お前がシュテンやイザボーを殺そうとしたのも憎かったからかい? あの二人がいったいキミに何の害を与えたというんだ?」

『わからない男だな、ブロル。ボクにとって人間もネオジェネシスも、憎くて愛しい玩具だよ。どう遊ぼうと勝手だろう?』


 ブロル・ハリアンは重い息を吐いた。

 彼もまた、過去ゲオルクに譲歩を続けたファフナーの長や、現代〝四奸六賊しかんろくぞく〟に操られるままだったユーツ領の貴族と同じわだちを踏み、同じ過ちを犯したのだ。


(クロード、君が正しかった。悪魔と取り引きなどするべきではなかった!)


 ブロルは嘆く。

 怒ることも、憎むことも、大切な感情だろう。

 だが、ファヴニルのように際限なく恨みを広げれば、悲劇も終わりなく広がってしまう。


(いいや、順序が逆か。クロードは私の復讐を否定しなかった。仇敵ニドリクを討つための停戦に応じ、子供達ネオジェネシスとも怪物ではなく、対等の存在として接してくれた。だからこそ、私は正気を取り戻したのだ)


 あるいは、クロードが一〇〇〇年前のグリタヘイズの村にいたならば、ファヴニルを説得し凶行を止められたかも知れない。

 けれどブロルに変えられるものは、古の時代でなく、生きている今だけだ。彼はどうにか折り合いをつけようと、言葉を尽くした。


「ファヴニル。君が愛した盟約者も家族も、人間だったのだろう。全員を赦せとは言わない。一部であっても、共に新しい時代を分かち合うことは出来ないかい?」

『ボクは今も、すべての人間を愛しているよ。だから管理するのさ、遊んであげるのさ。輝きをめでてあげる。愚かさをしつけてあげる。ボクとクローディアスで、永劫の楽園を創るんだ』


 ブロルは、遂に思い知った。


(ああそうか。善なる龍神は、〝家族を殺されたから〟ではなく、〝進むべき道を誤った〟からこそ、邪竜と成り果てたのか)


 世界救済を夢見たエカルド・ベックら〝赤い導家士どうけし〟が、佞臣ねいしん走狗そうくである国際テロ組織に堕落したように――。

 先進国に憧れたダヴィッド・リードホルムが、〝緋色革命軍マラヤ・エカルラート〟の独裁者として虐殺を繰り広げたように――。

 学問探求を志したハインツ・リンデンベルクが〝新秩序革命委員会メソッド〟を組織して無軌道な略奪を愉しんだように――。


 ファヴニルが抱いた愛情もまた、一〇〇〇年の憎悪を経て変質してしまった。

 

「ファヴニル。君が目指す未来に愛はなく、復讐もない。悪魔の手を取った共犯者として、かの青年に救われた者として、私は君を止める」

『うざいよ、ブロル。ボクとクローディアスの間に割って入るのなら、死んじゃえ』


 ファヴニルの意図を汲み取って、レベッカが指を鳴らす。彼女が引き連れた一〇〇名の兵士達がマスケット銃を斉射した。


「アルファ、我が伴侶よ。共に往こう」

「はい、お父様。いいえ、我が愛しき人マスター


 しかし、ブロルの足元にある地面が割れて、ネオジェネシスの長女たる白髪白眼の女が飛び出す。

 次の瞬間、アルファは黄金色の林檎へと変身を遂げて光を発し、二人に迫る弾丸の雨は砂のように崩れ去った。


「第一位級契約神器イドゥンの林檎が盟約者、ブロル・ハリアン。我が一族と友のため、邪竜ファヴニルを討つ!」

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