第186話(2-139)悪徳貴族と侍女の慟哭

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 レアは、困惑の表情を浮かべて立ち尽くすクロードを前に、これまでのことを思い返した。

 彼女にとって”牢獄”だった領主館が”家”に変わったのはいつからだろう?

 決まってる。ファヴニルが愛しい彼を連れてきた、その日からだ。

 弱くて泣きだしそうだったクロードを、レアは支えると決めた。

 たとえ世界を敵に回しても、たとえ彼が領主でなくなっても、彼女は仕えると決めたのだ。


「領主さま、ここが限界点です。オズバルト・ダールマンは、決して強くない鋳造魔術と第五位級の契約神器を武器に共和国で名を上げました。その事実はオズバルト自身の強さを何よりも証明しています」


 レアは知っている。クロードは止まらない。

 どれほどの困難に阻まれようと、どれほどの強敵とまみえようと、彼は前へ進むことを止めない。

 辿りつく場所が奈落だと、彼自身が理解しているにも関わらず!


「そして、彼に勝利しても、その時貴方はエステル・ルクレとアネッテ・ソーンを救出した英雄として、竜殺しいけにえとして、緋色革命軍マラヤ・エカルラートと邪竜ファヴニルが待つ決戦場へ送られる。そんな英雄譚サーガなんていりません。クローディアス・レーベンヒェルムは死んでいるんです。だから私は、ここで貴方を貴方に還します。私は貴方を絶対に……失いたくない」


 レアが唱えた鋳造――という呪いの言葉は、まるで自分のものではないように彼女の耳に響いた。

 手にほうきを持ち、無数のはたきを宙に浮かべて、彼女はクロードの前に立ちふさがった。

 たとえ悪女として罵られ、町を石もて追われても、大切な友達……家族に嫌われても、この意志だけは貫かなければならなかった。


(愛しています、クロード。たとえ憎まれても、ここで私が貴方の物語を終わらせる)


 臨戦態勢をとったレアに、クロードはゆっくりと近づく。

 武器は持たない。鋳造魔術を使う気配もない。そもそも、怒気ひとつ感じられなかった。


「レア、心配かけてごめん」


 そうして、彼は彼女を優しく抱きしめた。あいかわらずもやしのように細く、しかし以前よりも確かな筋肉がついた少年の胸と腕が少女を包み込んだ。

 レアの手から箒がこぼれ、はたきも力尽きたかのように工場の床へと落ちる。 


「武器は嫌いだったよね。自転車の改造は、僕と技師たちがやるよ」

「貴方は何もわかっていないっ」


 レアはクロードを突き飛ばし、箒を掴んで穂先を向けた。

 殴りつけても、叩き伏せても無意味なことはわかっている。

 その程度で止まる男なら、最初から領主を演じようなんてするはずがない。

 詰んでいたのだ。終わっていたのだ。レーベンヒェルム領はどうしようもなく。

 破滅した故郷を蘇らせたからこそ、人々は幻想を抱き始めた。

 悪徳貴族とこきおろしながら、不可能を可能にするのではないかと、根拠のない期待を彼に押し付けている。

 その先に待っている未来は、どうしようもなく残酷なものなのに。

 レアがクロードを阻むためには、無理やりにでも表舞台から引きずり下ろすしかない。


「戦いは嫌いです。武器も嫌いです。契約神器なんて無ければかった。ファヴニルのようなものが生まれてこなければ貴方が巻き込まれることもなかった。領主さま、名前も知らない誰かのために、貴方が悪を背負って英雄になんてなる必要はないんです」

「それは違うよ、レア」


 強かに打ちつけられた尻をさすりながら、クロードは立ち上がった。

 再び近づこうとしたが、レアが一歩あとずさるのを見て彼は足を止めた。


「武器は道具だ。どう扱うかは使い手しだい。あっちに剣と弓矢で脅し射かけてくる無法者がいた時、こっちにも武器があれば、それだけで牽制になって住む人と財産を守ることができる。反撃しなければ、いいように嬲られて終わりだ。かつてのレーベンヒェルム領のように」


 平和や平穏は、互いにルールを順守してはじめて成立する。

 そんなことはレアにだってわかっている。法律でも交渉でも縛れないからこそ、ファヴニルは手のつけられない悪魔となった。


「やられっぱなしでいろ。被害者で居続けろなんて言う輩を僕は信じない。それは、自分だけ高みから見下ろして他人の不幸を喜ぶ卑怯者だ」

「ですが、契約神器は違います。自らの意志を持つ武器なんて、あってはならない歪みでしょう!」


 レアには、契約神器が存在しない世界というものが想像できない。

 クロードがいた世界、アリスがいた世界、セイがいた世界。どの世界にも規模は違えど争いはあった。

 しかし、武器自身が自由意志をもつことが、結果としてファヴニルという怪物を生んだのだとレアは疑わずにいられなかった。


「そうだ。ファヴニルにはちゃんと意思がある。生まれはどうあれ、僕はあいつを武器じゃなくて、人間と同等だと思っている」

「あ……」


 レアの意識が一瞬、真っ白に染まった。

 振り返ってみれば、クロードは最初からそうだった。

 彼は、”異世界人であること”を威張ることは決してなかった。

 最初は異相だったアリスを、迷いもせずに受け入れた。

 逆に、ある民族だから貴い。ある思想だから優位だ。そういった価値観に、クロードは絶対に賛同しない。

 ゆえにこそ、彼は赤い導家士どうけしと、緋色革命軍マラヤ・エカルラートと、楽園使徒アパスルと対立した。


「僕は人間ヒトで、ファヴニルも契約神器ヒトだ。だからこそ僕はあいつの悪行が許せない。始まりは巻き込まれただけだったかもしれない。でも、戦い続けることを選んだのは僕だ」


 クロードが、レアを見つめる視線は揺るがない。


「そして、僕も、レアも、ソフィも、アリスも、セイも……。レーベンヒェルム領に住むすべての人が運命共同体だ。誰かの為じゃない、僕たち自身のためにファヴニルは討たなきゃいけない。その為には、より多くの力と仲間が必要だ」


 レアは、ずっとクロードを巻き込まれた被害者だと考えてきた。

 けれど、違うのだ。本人の意思とは関係なく、ファヴニルの玩具に選ばれてしまったその時から、彼はずっと当事者だった。

 だからこそクロードは、ファヴニルと戦う道を自ら選んだ。

 楽園使徒も、ルクレ領、ソーン領だけの問題ではない。

 彼らがマクシミリアンに協力して内戦を引き起こした時から、危うくセイが命を落としかけたその時から――楽園使徒は、レーベンヒェルム領にとってもクロードにとっても、看過できないリスクとなった。

 どちらも、すでに多くの血が流されている。


「クロードさま」


 レアは箒を捨てて、クロードに抱きついた。

 止められないとわかってしまった。否、ずっとわかっていたのだ。

 たとえ彼女がクロードの元を去っても、彼女がクロードを国外へと逃しても、どんな手段を講じても、クロードはファヴニルとの戦いを続けるだろう。

 誰かに与えられた使命ではなく、彼自身の決意として。その結果、多くの希望を背負い、悪意に蝕まれてなお、彼は前へと進み続ける。

 レアにも、他の誰にも止められない。クロード自身が願わない限り、彼の意志は決して折れない。


「昔、大勢のひとを救ったひとたちがいました。抱擁する者ファフナーと呼ばれたひとたちは、限界を超えて救い続け、そうして破滅しました。人は誰もが善良なわけではありません。領主さま、私は人間を信じられない」

「僕にはそんな人たちみたいに、だいそれたことは出来ないよ。皆に支えられてどうにかやっているんだから。……綺麗な部分もあれば、汚い部分もあるのが人間だ。だからレアは、信じられる人を信じればいい」

「約束してくれますか? 死なないって、ちゃんと生きるって誓ってくれますか?」

「誓うよ、レア。ファヴニルと決着をつけるその日まで、最後の瞬間まで僕は決して諦めない」


 レアは、クロードの欺瞞ぎまんに気付いた。むしろ正直だというべきだろうか?

 クロードは諦めないだろう。生きる意思を捨てないだろう。

 しかし、ファヴニルと決着をつける最後の瞬間は条件外だ。

 

「わがままを言ってごめんなさい。自転車の改造は、私が指揮を執ります」

「いいの?」


 レアはクロードが差し出したハンカチで涙をぬぐって、彼に微笑みかけた。


「この自転車には、きっとソフィの夢がこめられている。もしも他人に任せてしまったら、先輩として、いいえ友達失格じゃないですか?」

「わかった。レア、お願いする」


 そんな二人のやりとりを、工場入り口の物陰から覗く三つの視線があった。


「撃たずに済んだってことかな?」


 ミズキは、マスケット銃を降ろして大きな息を吐いた。


「イスカちゃんのお姉ちゃんを、ポカポカしなくて良かったぬ」


 アリスが、ミズキの背後で力いっぱい背伸びをした。


「アリスさんとミズキさんを酔っ払わせずに終わって一安心です」


 ミーナが、飲まなければやっていられないとばかりに皮袋のワインを飲み干す。


「うーん、この集まりって何なんだろうね?」

「問題児ばかりで困っちゃうたぬ」

「貴方達がそれを言いますかっ」


 囁き声で吼えあうアリスとミーナを横目で見ながら、ミズキはこれもまたひとつの友情かもしれないと、わずかに頬を緩めた。 


「おーい、アリス。外にいるのか?」

「クロードが呼んでいるたぬ。今いくたぬ♪」


 クロードに呼ばれて、アリスがその場を去ってゆく。


「アリス、今から万が一に備えて特訓したいんだ。つきあってくれ」

「お任せたぬ。早速夜のプロレス技を……」


 ミーナもまたチョーカーを放置していた危険性に気付いたのだろう。足音を忍ばせてその場を後にした。

 だからレアがこぼした声を聞いたのは、ミズキだけだ。


「契約神器が人間と同等だと言ってくださるのなら、私は望んでもいいのでしょうか」


 ミズキは、その言葉を胸に秘めた。

 誰にも告げないと決めて、彼女はマスケット銃を担ぐ。

 きっともう二度と、この銃口をレアに向ける必要はないだろう。


「ああ。やってらんないっ」


 そして、復興暦一一一一年/共和国暦一〇〇五年 芽吹の月(一月)三〇日がやってくる。

 夜明け前の空の下で、クロードは高らかに宣言した。


「これより侯爵令嬢救出のため、昇葉作戦を開始する!」

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