閑29話 一文字ピヨの受難

 日本の歴史を陰から支えてきたアマテラス。その重鎮たる一文字家は四家から成りたつ。それら血族が集まり、一族中から最も優れた者を選出し一文字を名乗らせてきた。

 故に一文字の姓を冠する者は常に一人しか存在しない。

 その名を冠された者は常に優れし者で、アマテラスの中にあって燦然と輝き一族に繁栄をもたらし、無辜の民を悪魔の手から守らねばならない。それだけに、一文字の名を受け継ぐ者には重すぎる期待と重責がのし掛かることになる。


 アマテラス総本宮の社務所にNATSの課長を迎え、一文字ヒヨは疲れた顔で頭を下げた。

「正中課長様、お久しぶりです。雲林院は、すぐ戻りますので、もう少々お待ち頂けますか」

「承知した。ならば、待つ間は従兄として待たせてもらおうか。ピヨは壮健そう……では、なさそうだな」

 来客用の応接室のソファーに座り、正中は気遣わしげな顔をする。それに対しヒヨは力なく微笑んでみせた。灰色の地味な色合い事務服姿だが、小柄で童顔なため実年齢の二十五歳よりずっと若く見える。それはショートのボブという髪型のせいもあるだろう。

「いろいろ忙しくて大変なの……あと、私はヒヨですから。ピヨじゃありませんから」

「そうか、アマテラスは相変わらずのようだな。この建物といい、昔と何も変わらない」

 さらっとピヨ否定をスルーし、正中は辺りを見回した。

 アマテラスの社務所は基本的に簡素なものだ。質実剛健を是とすると言えば格好は良いが、打ち放しのコンクリートの壁にリノリウムの床は殺風景である。建物の中にあって、夏暑く冬寒いという季節の移ろいを感じ取れる建物だ。

 しかも建築されたのは年号が一つ前の初期頃のため、現在の耐震基準を満たしていない。それで建て替え計画もあったが、キセノン社による経済制裁の影響によって頓挫していた。

 内部ではアマテラスが壊滅するなら、まず地震が原因だろうとの冗談があるぐらいだ。

「ええそうなんです。本当変わらないんですから。相変わらず上層部はカチカチ頭だし。私は責任ばっかり押しつけられるし、もうダメです。一文字の名は私には重すぎます。ううっ、お腹痛いよう」

 ヒヨは嘆きのため息をついた。他の者には見せられない弱音も、この二回り近く歳の離れた従兄になら見せられるのだ。幼い頃から可愛がってもらい、実の兄のように慕っていたのだから。

 ただしピヨの渾名をつけたことだけは恨んでいるが。


 そうしながら従兄である正中の過去に思いを馳せた。

 かつて一文字の名を受け継ぐのは、この従兄だと誰もが思っていたという。幼い頃は神童として一族の期待を一身に受け育てられ、そして退魔の才が皆無に近いと判明するや手の平を返され冷遇されたそうだ。その辺りのいきさつはヒヨが生まれる前のことなので、しかとは分からない。

 けれどヒヨが物心ついた頃には、あまり良い扱いを受けていなかったことは確かだ。じきに外の世界へと放り出されてしまった従兄だが、その優れた頭脳はそれで終わらなかった。逆境にめげず国の悪魔対策機関へと入り込み、そこで才を発揮し組織を主導する者にまでなったのだ。

 NATS課長としてアマテラス本部に現れた際は一族の誰もが驚いていた。きっとあと少し、ほんの少しでも従兄に退魔の才があれば、一文字の名を継ぎアマテラスの歴史に名を残す存在となったに間違いない。

「ずいぶん気が滅入っているようだな。気がかりがあるなら、せめて相談にのろうじゃないか」

「従兄さんの苦労に比べたら、私の悩みなんて大したことないよ」

「大したことのない悩みなら、なおのこと吐き出せばいい。ほら、聞いてやるから早く話すといい」

「吉兄ちゃん……」

 つい昔の呼び方をしてしまった。従兄が外の世界へ放逐される前、よく悩みを聞いて貰っていた。といっても子供の悩みだ。年上の従兄の裾を掴み、あれやこれやと文句や愚痴を言っていた少女時代を思い出す。あの頃は幸せだった。

「そら明るい顔をするといい。ほうら飴をやろう。ピヨの好きなイチゴ飴だ」

「もう! 私は子供じゃないんですよ。それに、ピヨでなくてヒヨです」

 子供扱いする従兄にヒヨは頬を膨らませた。殊更子供扱いしてみせる態度が、こちらを元気づけるためだと分かるので怒ってはいない。

「ピヨには飴より、見合い話の方が良い歳になったかな」

「それセクハラです。あと、ピヨでなくてヒヨです」

「そんな言葉をピヨが使うなんて。だが実際、一文字の名を継いだら出会いなんてないだろう。どうなんだ」

「そうなの。寄ってくるのは、一文字の名が目当ての連中ばっかなの! せっかくイケメンとお見合いと思ったら、相手は恋人がいて途中で帰っちゃうし!」

 むくれたヒヨは飴の包装紙を解き、薄いピンクがかった乳白色の塊を口に放り込む。子供の頃と違い、感じる甘さは強すぎるが今はそれが心地よい。

「毎日毎日、事務仕事ばっかり。私は、もっと外に出て実際に悪魔と戦いたいのよ」

「ピヨは昔から実働部隊を希望していたからな。どうせ福岡家の叔父上が手を回しているのだろうな」

「父様にも困ったものなの。一文字の名を持つ者が、悪魔と戦わないなんておかしいでしょ。あと私はヒヨ」

 子供だった頃のように口を尖らせて文句を言う。その姿に正中が軽く笑い声をあげ、穏やかに頷いてみせる。そんな従兄の様子は昔のままで、ヒヨは自分が少女時代に戻った錯覚さえ感じる。

 お茶の入った湯呑みを弄びながら、ヒヨは言葉を続けた。

「あとね……『デーモンルーラー』の件で大変なの」

「確かにな。あれはアマテラスにとって厄介きわまりない代物だからな」

 ヒヨは従兄の言葉にハッと胸をつかれてしまった。今の言葉はアマテラス側の者でなく、完全に部外者としての発言だ。アマテラスを追われた従兄が隔意を持って当然だ。

 そんなヒヨの心中に気付いたのか、正中は苦笑してみせた。

「アマテラスに恨みなんてないさ。こうして正中の姓を名乗らせてもらえるだけで充分だ。それに外の世界に出たからこそ、知ることができたことが沢山ある。今では感謝しているぐらいだ」

「吉兄ちゃん……」

「おっとデーモンルーラーの話だったな。あれで、アマテラスの退魔家業にかなり影響が出ているのだろ」

 優しげな従兄の声に、ヒヨは再び子供のような表情を浮かべ窓の外を見やった。そこは手入れされた竹林で、外の世界の騒音を遮断し隔絶した静けさを生じさせてくれている。

「それもあるけど、問題はデーモンルーラーの使用者のことよ」

「確かにそうだ。あれは年端のいかない子供を、戦場に送り込むようなものだ」

「別にそれはいいのよ。悪魔と戦うなら、傷つくことも死ぬこともあって当然でしょ。自分で選択し行動した結果よ」

「おや手厳しい」

「なんで外の人間は考えもせず、異界に突撃して死んでいくのかしら」

「そうだな……」

 正中は言葉を濁す。

 外の世界の人間は幼い頃から様々なサブカルチャーに晒され生きている。そこでは主人公は必ず成功し、自らの望む物を手に入れ最後は大団円となる。

 幼い頃から、そうしたサクセスストーリーをみて育った人間は、大なり小なり意識の底にそれが根付いている。特に影響されやすい子供などは自分は大丈夫、自分は特別だと根拠のない自信のまま大喜びで異界へ足を踏み入れていくのだ。

 そんなことを考えていた正中だが、続くヒヨの言葉に危うく湯飲みを取り落とすところだった。

「ところで、五条亘って名前を知ってる? ……あれ? 吉兄ちゃん?」

 ヒヨは従兄の反応に眉を寄せた。沈着冷静なはずの従兄の額に冷や汗が浮かび、お茶を何度も飲みながら視線を落ち着かなげに彷徨わせさえしている。

「あ、ああ。あの男か、知っているとも。つい先日も一緒に仕事をしたところだ」

「そうなんだ。吉兄ちゃんから見て、どんな人物?」

「……いいかピヨ、お前に忠告しておこう。あれを怒らせるな、敵に回すな。いいか絶対にだぞ」

 アマテラス上層部に対してさえ平然と逆らってみせる従兄の態度にヒヨは驚きが隠せない。ピヨと呼ばれたことを訂正するのも忘れている。

「ねえ、どんな人なの? 五尾の狐を倒したとか、前鬼様たちを倒したって噂は聞いているけど。本当にそこまで強いの」

「そりゃ強いさ、あれは本当に強い。おまけに何と言ったものか……私の部下など、悪魔よりヤツの名を恐れるぐらいだ」

「それ……人としてどうなんだろ」

 最近のNATSでは『五条の訓練』がお仕置き扱いにされている。その言葉を聞くだけで、部下たちは恐怖体験の記憶を呼び覚まし品行方正となって仕事熱心になるぐらいだ。

「キセノン社の新藤社長。あいつがアマテラスに経済的打撃を与えただろう。その理由は聞いているか」

「シッカケの者がキセノンヒルズに押しかけ、騒いで怒らせたのよね」

 ヒヨはが苦々しく呟いた。なにせ、そのお陰でアマテラスの資金繰りが苦しくなり、幾つもの活動に支障をきたしているのだ。ただ、ヒヨの不満は社務所建て替え計画が頓挫し、この冬も寒い社務所で過ごさねばならない点につきるのだが。

「正確には違う。あれは五条を怒らせたことが原因だ」

「ふぇっ?」

「シッカケの連中が怒らせた相手は五条だ。新藤はその依頼に応じ行動しただけにすぎん。分かるか? その意味が」

 キセノン社の新藤は損得の計算が冷静にできる。それが、アマテラスを敵に回しても構わないと考えた。つまりそれだけの価値を五条亘に見出しているということだ。

 弱体化したとはいえ、日本国内に大きな影響力を持つアマテラス。それと敵対しても構わないだけの価値とは如何ほどか。

 ヒヨは、ごくりと唾をのんだ。

「ううっ、どうしよう。寺社系列の連中が何もしないといいけど。大丈夫よね、きっと大丈夫。そう大丈夫。もうこれ以上、面倒事は勘弁して……ううっお腹痛い」

 そんな従妹の姿に、正中は真面目くさった顔で腕を組む。かなり元の余裕を取り戻しつつある。

「外の世界で学んだ知識によるとな。その台詞を、フラグが立つと言うんだ」

「なんですそれ?」

「何かが起きる条件が整ったという意味だ。つまり、この場合は寺社系列が何かしでかすことが確定した、という意味になるな」

「そんな縁起でもないこと言わないでよ」

 慌てた様子のヒヨの姿に従兄がカラカラと笑う。

 これは昔からそうだった。悩みを相談すると、いろいろと慰めてくれて最後に茶化される。昔のまんまで……ちっとも嬉しくない。

「一文字ピヨの受難。どうだ、小説のタイトルのようで格好いいだろ」

「だーかーらー、私はヒヨなの。一文字ヒヨ! なんで吉兄ちゃんは、私をピヨって呼ぶのよ!」

「なんでだと? それは子供の頃に、お前が自分でピヨピヨ自称していたからだぞ。つまり、自分で名付けたんだ」

「ううっ。そんなの覚えてないよ!」

 ヒヨは頭を抱え、子供時代の自分を呪った。それでも鬱屈としていた気分は楽になり、もう少しだけ頑張ろうという気分になる。ただそれは、遅れてきた雲林院にピヨの由来がばらされるまでだが。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る