第254話 実際の処はどうなんです
防衛隊の古宇多一等陸佐は防衛隊の駐留地から指揮車を飛ばし川岸に到着した。
そこには推定大隊規模の部隊が展開している。現在の混乱状況を現すように、普通科から機甲科まで入り乱れ、通常ではありえないような編成のため推定でしかない。とりあえず、近隣で即座に動かせる隊をかき集めてあった。
車を降りた古宇多は見覚えのある下士官に黙礼すると、ごついライフルを構えた隊員たちに囲まれ歩く。
「兵員は足りているのか?」
「数字の上では。ペンしか持った事がない連中まで銃を持たせてますよ」
「よし上等だ」
古宇多は力強く頷いた。
「ところで、君のご家族は無事だったかな?」
「お陰様で。うちの坊主が一丁前に頑張ってくれたらしくて」
「良かったじゃないか」
「しかし、お陰でお前は帰って来なくていいと言われておりますよ」
冗談めかした下士官の言葉が場を和ませるが、それも少しの間だけだ。
古宇多たちは厳しい顔で指揮所に入った。
幕舎など用意されていない。飛行系悪魔に備えカモフラージュネットが巡らせただけの場所に、必要な機材が最小限設置されている。足元には踏み倒された草が萎れ、名前も知らない小虫が辺りを飛び回り、急ごしらえもいいところだ。
テーブルの上には周辺の地図が広げられている。
土地勘のある市役所職員が地理の説明する真っ最中だった。説明を受ける士官たちは真剣そのもので、古宇多の登場に気付いても軽く会釈するだけで集中しきっている。
部隊が急展開された理由は、悪魔の大規模な集団行動が確認された事であった。
「やはりこれは組織だった動きに思えるな」
市役所職員が退出したところで、古宇多は言った。
「タイミングが絶妙すぎる。部隊を展開させた時に手薄になった場所を狙って大群が動く? これが単なる偶然には思えんな」
「偶然でなければ、誰かが悪魔を指揮していると?」
「可能性は高い。今後の悪魔対策を見直す必要が出てくるだろうな」
悪魔対策における数少ない有利点は、相手の行動が本能に基づく事であった。野生動物を相手にするように、出現した悪魔を随時処理していけば良かった。
これがもし、何者かが悪魔を操りだしたのであれば話は別。悪魔の行動に知恵が付く。そうなると化かし合いの騙し合いの心理戦の様相がでてくる。
「どうされますか?」
「どうもこうもない、今回はこのまま普通に戦うさ。言いだしておいて何だが、今は目の前の問題に対処するしかない。とにかく、この川を渡らせるな」
幅広の一級河川がある。
古宇多たちが布陣する側から川向こうは混乱期に生じた火災で焼け落ち人はいない。堤防もあり河川に挟まれた土地もあり河原もあり、向かってくる悪魔を迎撃するには最適な場所だ。
「囮部隊による誘導は成功、こちらに真っ直ぐ向かって来ます」
二尉が報告すると古宇多はニヤリと笑う。
「今度は誘拐しないでくれよ」
「安心して下さい、自分はもう便所掃除は懲り懲りですので」
頭を掻く二尉の姿に笑いが広がった。
DP飽和直後に古宇多が無理矢理後送され、命令違反をした二尉が便所掃除を命じられた話は部隊の中に広まっている。それで古宇多には敬意と、二尉には尊敬の念が皆から向けられていた。
「あの時のような奇跡が起きると、ありがたいのですが」
「傷を治してくれた女神の事かな?」
「そうです。とても優しげで力強く、空を飛ぶ姿はとても美しい。私はですね、あれは間違いなく女神に見えましたよ」
「では、また現れてくれる事を期待しよう」
微笑する古宇多だが、奇跡は人事を尽くした後に起きると思っている。
たとえば、突如として桜が咲き誇り人々を救った奇跡。あれも、きっとどこかで誰かが尽くした全力に神の一柱が応えたのだと信じていた。
今は悪魔が彷徨く状況なのだから、きっと神なる存在も見ているに違いない。
「さて頃合いか――」
古宇多の呟きに緊張が高まる。
どうぞと渡されたマイクを手に背筋を伸ばし、一瞬の瞑目の後に語りだす。
「全員、そのまま手を止めず聞いてくれ。じきに悪魔の群れが目の前に現れる。だが、臆する事は少しもない。今現在も部隊の編成が急ピッチで行われ、援軍が続々とこちらに移動中だ。さらに、あのチャラ夫氏もこちらに移動中との事だ。我々が為すべきことは時間を稼ぐ事にある。気負わず全力を尽くそう」
マイクを置いた古宇多に対し、周りの者は軽く頭を下げ労をねぎらった。
「で、実際の処はどうなんです?」
「援軍が間に合うかどうか……まっ、タイミング的にはギリギリだな。我々の使う銃器は用意してあるだろ」
「もちろんですよ」
「よろしい。チャラ夫氏が推奨する金属バットの用意は?」
「近接用兵器として正式採用してますよ。一本どうぞ」
最初に金属バットで悪魔と戦うと聞かされたときは、チャラ夫という少年の正気が疑われたが、実際に使用すると極めて有効である事が判明。現在は殆どの隊員がマイバットを装備しているぐらいだ。
古宇多は手渡された金属バットを握りしめた。
少年野球チームで活躍していた時以来だが、妙にしっくりくる手応えだ。一瞬の郷愁めいたものを覚えていると、ドヤドヤと何者かが指揮所にやって来た。
「失礼つかまつる」
その風体は異彩を放つものだった。
まるで時代錯誤な戦国時代風。手には槍やら薙刀を持ち、胴鎧に腰蓑といった姿もある。その中から、古い時代の唐服姿の男が進み出る。吊り目顔の鍾馗のような顔をしていた。
「遅参の義、誠に申し訳なく。左兵衛尉藤国吉以下、十匹が微力ながら馳せ参じ申した。如何様にもお使い下され」
「あっ、稲荷神の……」
「数少ない点はお詫びしよう」
野太い声をはりあげ頭を下げる狐男だが、いかにも
「この部隊を指揮する古宇多です。援軍感謝します」
「おう、よき面構えをした指揮官かな。この身が倒れるまで共に戦おうぞ!」
「流石に倒れるというのは……」
「なんの戦って討ち死にするは武人の誉れ!」
「いえ、死ぬのは……」
藤国吉という狐は、どうにも空気の読めない暑苦しいタイプらしい。
この場の全員は死の覚悟ぐらいはしているが、だからといって声高にそれを言われて嬉しいはずもない。
余計な事を言わぬよう注意したいところだが、相手が相手であるし――。
そこで轟くような音が響き、テーブルが軽く浮き上がって振動した。
対岸の堤防の向こう側。
悪魔が接近する方角で爆発が生じ、空中に悪魔らしき影が幾つも舞い上がっていた。驚いた古宇多は堤防を這うように駆け上がり、状況を見極めようとした。
「何が起きた?」
どこかの部隊が暴走し勝手な攻撃を開始したのかもしれない。しかし、その考えは直ぐに否定する。明らかにそうした類の攻撃ではなかった。
目の前で起きる爆発は砲撃とは全く違う質のものだ。
「これはいったい……」
その爆発は途切れることなく続く。
しかも、爆発の連鎖はこちらに向かって近づいてくる。対岸の堤防付近で一際大きな爆発が起きると、その中から巨大な何かが飛びだした。
「なんて大きな狐で、なんて綺麗なんだ……」
古宇多は思わず見とれてしまった。
爆炎を背後に立つ巨大な狐。紅い隈取りのある金色の毛並みに、白い五本の尾と黒い二本の尾が揺らめく姿は幻想的ですらあった。
素晴らしく美しく、素晴らしく力強く、素晴らしい存在感。実際に何人かの隊員が感動のあまり涙を流しているぐらいだ。
「稲荷の方々、こんな援軍を黙っているとはお人が悪いですな。もといお狐が悪いと言うべきですかな……ん?」
軽く笑った古宇多であったが、稲荷の狐たちが軒並み珍妙な顔をしていることに気付いた。驚愕あり恐怖あり、何とも言えない複雑な感情を宿したものだ。
特に藤国吉などは恐怖の色が強い。
「あれは玉藻御前の系譜……そうなると、あの男も来た!? いやまさかまさか。そんなはずはない。大丈夫、大丈夫。来たとしても、もう大丈夫」
明らかに様子がおかしい。何かをとてつもなく恐れているらしく、尻尾が現れ顔形が狐になるほど動揺しきっていた。
指揮所に残してきた部下が声を張り上げた。
「NATSの長谷部女史より連絡、五条というデーモンルーラー使いが応援に向かったとの事です! 大きな狐は味方だそうです!」
しかし誰もそれを聞いていない。
目の前で起きている光景に見とれている。
向きを変えた大狐が口から火を吐き、それはビームのような指向性を持って向こうの大地を薙ぎ払う。さらに背中辺りから何か小さな影が飛び立つと、周囲に数え切れない大小様々な光の球がまき散らされた。
とても美しく幻想的で、とても恐ろしい光景だ。次々と火柱がたち炎があがり、姿は見えぬが悪魔の群れがどうなっているかは想像するまでもない。
誰からともなく声が上がり、それは大きな歓声へとなっていく。目の前の勝利に酔いしれ、声を上げ手を振り子供の様にはしゃいでいる。
そんな中で古宇多は眉を寄せ呟く。
「これが個人の戦力なのか?」
あまりにも強すぎた。果たしてこれだけの力を持った個人を制御しきれるのか、それが果てしなく不安だ。さらに言うなれば、全てのデーモンルーラー使いがこの域に達する可能性があるということだ。
仮に全ての悪魔を倒し世の中が平穏になったとして、その後には新たな問題が浮上しそうな気がしていた。
「けれど、今は心からの感謝を送ろう」
古宇多は爆炎に向け敬礼をしてみせた。
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