第253話 それでは人事異動通知書
「なんと言うのかな。その、ありがとな」
亘は前を見たまま告げた。
日射しに照らされた顔は快活……とまではいかないが、そこそこ明るい。もちろん悩みは少しも解決していないが、気は晴れている。
神楽は亘の前で後ろ向きに飛びつつ小威張りした。
「ふふん、当然なのさ。もっともっとボクに感謝していいんだよ」
「調子にのって……だが、そうだな。偶には何かお礼でもしないとな。ほらDPで装備が買えただろ、最近使ってないから忘れてたけどな」
「そだね忘れてたね」
「可愛い服とか分からんが、何か買うとするか」
「もー、マスターってばボクに気を使うよりはナナちゃんに何かプレゼントしなきゃだよ」
などと言いつつも、神楽は明らかにウキウキだ。空中で器用にスキップなんぞしている。
久しぶりにDPでの買い物をしようとスマホを手にしすれば、神楽が一緒になって画面を覗き込む。そこは互いに慣れたもので、お互いに相手が画面を見やすい位置角度を心得ている。
タップを繰り返しショップへと入る。
「武器防具は止めといて、やっぱり可愛い服だな。ネコの着ぐるみとかどうだ?」
「やだマスター、センス悪すぎ。もっと他のにしてよ、ボクに似合いそうなやつとかさ」
「だったら怪獣の着ぐるみか?」
「どーしてそーなるかな」
神楽が今後に為にも亘のセンスを教育しようと誓う間に、亘は勝手気ままに幾つかタップをしていく。なにせ購入代金となるDPは大量にあるのだ、適当に自分の良いと思った――微妙にセンスのズレた――服を選択した。
「あーっ、勝手に変なの見てる。サンタのコスプレとか……ちょっと露出が多すぎない?」
「見るぶんには問題ない」
「着るぶんには問題大ありだよ……でもね、マスターにだけ見せるならボク――」
「むっ、現在取り扱いをしていませんだと? 残念だがサンタは止めてトナカイにするか。って、何で蹴る?」
「つーんだ、マスターのばかぁ!」
「…………」
賢い亘は知っている、こんな時は何を言っても逆効果だと。神楽の蹴りに耐えながら、そっと関連商品の中からトナカイを選んだ。
だが、それも買えなかった。
次に選んだドラキュラコスプレも同様。次に選んだ制服もメイド服すらも同様。次に選んだ普通の服も同様、次に選んだ下着すらも買うことができない。
確認のため武器防具を選ぶが、全て同じで購入不能であった。
そして遂には――。
「んなっ!」
いきなり亘が目を見開き声を震わせる。
「DPが換金できない……」
亘の所有するDPは有に25万を超える。1DPが5百円の仮想通貨みたいなもので、換金すれば億を超えてしまう。
それが換金不能なのだ、顔面蒼白になるのも当然だ。
動揺のまま拳を打ちつけた木がへし折れ、地響きと共に転がった。枝葉の擦れる音が収まると、辺りに真新しい木の匂いが漂う。
「バカなっ、DP貯金が……」
「そんな名前付けてたんだ」
「毎日寝る前に数えて楽しみにしてたのに、換金できないなんて!」
「コソコソ確認して変だと思ってたらさ。そーいうことだったんだね」
「電話電話、新藤社長に電話――くそっ、回線が繋がらない! どうなってんだ!?」
「普段からマメに電話しないからさ」
「さっきから横でうるさいっ」
亘の目が据わっている。冗談めかした様子もなく、かなり焦った様子だ。
「どうすればいいか、少しは考えたらどうだ」
「別にDPが消えたわけじゃないでしょ。いーじゃないのさ」
「良くない! 楽しみが一瞬で台無しだぞ。それを自分の身に置き換えてみたらどうだ、どれだけ哀しくて悔しいことか分かるはずだ」
「うーん? うん、楽しみにして待ってたこと。それが台無しとか……」
神楽は腕組みしながら何度か頭を左右に傾ける。
「あの日あの時、ボクが楽しみにしてたドラ焼き。そう、あれはマスターに食べられちゃった。しかもボクの目の前で最後の欠片を食べて……なるほど、それは確かに悔しい」
「そんなもん如きと同レベルで語ってくれるな。そんなの、いつの話だ。え? いつどこで何時何分何秒か言ってみろよ」
「95日前の日曜日、アパートの台所のコンロの前で、13時43分15秒だよ」
「うぐぅっ」
亘は心の片隅で誓った、絶対に神楽の食べ物には手を出すまいと。それならまだヒグマの食べ物を横取りした方がマシに違いない。
だが、目下の一大事はDPについてだ。
「だったら分かるだろ、このDPが換金できなくなった哀しみが! 毎日数えて確認して計算して、いろいろアテにして楽しみにして、もう少ししたら換金しようと毎日考えて、あれこれ欲しいものとか考えて……それが全部パァじゃないか」
「マスター、落ち着きなよ」
早口でまくしたてる亘の様子を見るに見かね、心優しき神楽は宥めに回る。
希望的に観測によれば、きっとドラ焼きの恨みは忘れてくれたはずだ。亘は本気で嘆き悲しんでいるが、嘆いた何割かはそれが狙いだったりする。
「ほらさ、世の中がこんなわけじゃないのさ。一時的に取り扱い中止しても仕方ないんじゃないの? ねっ、泣かないで元気を出そうよ」
「一時的にってのは、いつまでだよ。さっきみたいに、いつどこで何時何分に再開されるんだ」
「そんなのボクが知るわけないじゃないのさ」
困った顔の神楽だが、それでも真面目に考えている。
「でもさ、うーん。ボクが思うに世の中が平穏無事になるまでは無理ってもんじゃないの?」
「…………」
亘は地面に両手をつき項垂れた。そうかと思うと、強く土を掴み握りしめ静かに顔をあげる。ゆっくりと立ち上がれば、空の彼方を眺めやった。
「いいだろう、世の中が平穏を取り戻せるよう努力しようじゃないか。全ての人が平穏無事に暮らし、以前の暮らしを取り戻せるように!」
そこには決意があった、意思があった、目的があった。何も知らぬ者が見れば青雲の志――徳を磨き立派な者になろうと誓う男の姿に見えたかもしれない。
だが横で見つめる神楽は、やれやれと頭を振った。
「うーん、なんかさ偉そうに言ってるけどさ。結局は私利私欲なんだよね、マスターらしいと言うか何というかさ……でも、それならそれでボクにお任せだよ」
両手を腰にあて胸を張る神楽の姿こそが、何より頼もしい。
◆◆◆
リビングとダイニングが一緒になった部屋では、お握りパーティーが開催されていた。喜びのあまり涙するヒヨに、ひたすら黙々と食べる志緒。
外で待機する防衛隊員も含め、本当にしばらく米を食べていなかったらしい。
ひと仕事終えた光海と母は和気藹々とお喋りに興じている。親子ほど歳の離れた二人だが、極めて仲が良い。
「もう一人、子供がいても良かったと思うのよね」
「そうなんですか? 私は一人でも充分に満足ですよ」
「うちの子もね、小さい頃は可愛げがあって素直だったのよね」
「あら、五条さんも可愛いと思いますよ」
くすくすと、七海そっくりに光海が笑っている。
そしてアマクニとシンソクは焼きお握りを食べつつ、語らっている。
「どうかな、この焼きお握り。絶品だと思わないかい?」
「確かにそうですね。味噌焼きお握りは最高ですね」
「いいや違うね、そこは醤油味が最高なんだよ」
「「…………」」
両者が大人げない態度で睨み合い、和製ラグナロクが生じそうな雰囲気さえある。しかし神楽が舞い降り、残った焼きお握りを食べ尽くしてしまう。それこそ止める間もない素早さだ。
「「あっ……」」
「うーん、そだねどっちも美味しいってボク思うよ」
二柱はショックを受け、神楽を前に呆然としている。
そんな賑やかしい中で、亘は思いっきり真面目な顔をすると咳払いをした。志緒とピヨへの合図のつもりで、片方は食べることに夢中だが、もう片方は気付いた。
「あら、なにかしら」
「先程の話だが協力させて貰う」
「えっ!? それ本当に!」
「ああ、もちろんだ」
「じゃあ課長待遇も……」
「それはいらない。とにかくだ、世の中をこのままにはしておけないだろ。以前のような暮らしが取り戻せるように、誰もが安心して普通に暮らせるように! 頑張ろう!」
光海は小さく両手を叩いて称賛し、志緒とピヨは口に手をあてありえないと驚愕。そして超常の力を持つアマクニとシンソクは、相手の心を感じ取れるからこそ、亘の言葉が心からのものと知って感動さえしていた。
だが、母の目は誤魔化されない。
他の者とは違い、白々とした眼差しで沢庵などを囓っている。
「あたしゃ知ってるよ。どうせまた、何か下らない理由だってことは」
さすがっと呟く神楽の声は、幸いにして誰にも届かなかった。
「うるさいな。人がやる気になった時に水を差さないでくれ」
「あーらどーもごめんあそばせ。正直さだけが取り柄の年寄りなんでね」
「昔っからそうだ、人がやる気になると口出ししてやる気を削ぐんだ」
「その程度で、やる気が削がれるなら意味なかろうに」
亘がどれだけ文句を言おうとも母親には通用しやしない。周りの手前もあって咳払いと共に、今のやり取りを無かったことにしてしまう。
「とにかく、また暫く家を開けるから。それから、間違いなく多分だけど七海とか他の皆も一緒に行くと思う。いいかな」
「どーぞどーぞ。好きに行ってきなさい。光海さんも居るし、アマクニちゃんとシンソクちゃんもここに居るそうだから。別にあたしのことは気にしなさんな」
「…………」
さらっと言われてしまうと、それはそれで寂しいものがあった。
「でもまあ、頑張り過ぎない程度に頑張っておいで。嫌になったり辛くなったら、いつでも戻ってくればいいんだから。ここがあんたの家なんだから」
「了解」
頷いた亘は視線を転じた。
「さて、そこの志緒とピヨ。準備が終わったらNATSまで案内してくれ」
「準備なら要らないわよ、必要なものは向こうで全部揃えるから直ぐにでも出発しましょう」
「いやそうじゃない。何本か手入れしておきたい刀があるんだ」
「あなたって人は……そうよね、そういう人よね。いいわ、分かったわ。でもその前に、これだけは渡させて貰うわね――」
志緒はそそくさと鞄の中から紙切れ一枚を取り出した。
大事そうに扱っているが、お握りを食べた直後のため、端っこに海苔が付いてしまう。だが、本人は気付いてもないのか両手で持ち読み上げだす。
「えー、それでは人事異動通知。五条亘、右の者の現在の職務を解き、次の職務への配属を命じる。配属先、日本悪魔対策組織悪魔対策総合研究所悪魔災害研究室。命令権者、内閣総理大臣則重新五郎。以上」
恭しく差し出された通知書だが、文字も押印も印刷だ。
「……せめて手書きで書けばいいものを」
亘は拍手を聞きながら辞令交付を受け取った。
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