第252話 人生を左右する選択

「お握りピヨちゃんに感謝しないとね。ボクさ、何個でも食べちゃうから」

「頼むから二個ぐらいにしてくれよ」

 亘の言葉に神楽は目をわななかせた。

 まるでとんでもない暴言を吐かれたぐらいの顔だ。

「酷い、何て酷いマスターなんだろね。ボクせめて十個は食べたいけど」

「十個ってのは、せめてを付けるような数ではないと思うぞ。他の人のことも考えたらどうだ」

「もちろんボクだって考えてるよ。だから十個って言ってるじゃないのさ」

 光海が暮らすのは三軒隣り。

 ただし、ここは田舎で一軒当たりの敷地は広く畑やら空き地も点在する。三軒隣りと言っても少しばかり距離がある。

 日射しは穏やかで心地よい。

 道の脇の水路を水がサラサラ流れ、空にはトンビが舞う。

 細かな砂利を踏むザクザクした音に、神楽の小さな歌が聞こえてくる。亘の頭上で寝転がって張り付くなど、どうにも上機嫌だ。

「なんだ、そんなにお握りが楽しみなのか」

「ううん違うよ。だってさ、マスターと二人っきりなんて久しぶりだもん」

 確かにその通りだ。

 普段はサキが一緒であるし、世の中にDPが飽和して以降は七海と一緒に行動していた。実家に戻ってからは、常に誰かが亘の側に居る。もちろん神楽もそれに対する不満はないのだが、やはり独り占めできる喜びは格別らしい。

「さよか」

 照れた亘は言葉少なに呟くばかりだ。

 おかげで神楽は、ますます機嫌良くゴロゴロ転がった。

 しばらく互いの存在を感じるだけの時間が流れ――ふいに神楽が呟く。

「あのさ、ナナちゃんだけどさ……悩んでるんじゃないかなって、ボク思うんだ」

「悩み?」

「でもさ、変な意味じゃないよ。こないだ逃げて来た人を保護したじゃないのさ、あの時にさ自分たちだけ平和に暮らして良いのかなって呟いてたの」

「それは……」

「志緒ちゃんとピヨちゃんはさ、マスターを呼びに来たでしょ。それ知ったらさ、きっとナナちゃんは悩んじゃうよ」

「…………」

 その通りだと思いつつ、亘は足取りを重くした。

 七海が世の為人の為に活動したいと思うなら、きっと今の状況には不満があるに違いない。ふと、彼女が自分を置いて街へ行ってしまわないか不安が込み上げた。

 考えるだに気が重くなる。

 志緒とピヨを逆恨みしては駄目だが、現実を連れてきた二人がやはり恨めしい。

「もちろんボクはマスターの気持ちは分かってるよ。でもさ、誰も何も言わないからさ……あえてボクが聞いちゃうよ。どうしてマスターは戦わないの? マスターが本気を出せばさ世界だって救えちゃうって、ボク思うよ」

「買いかぶりってもんだな」

「そかな? ボクさマスターのこと、本当に凄いと思ってるよ。レベルとか強いとかじゃなくってさ、誰かのために動ける人だもん。そりゃまあね、たまに変な事しちゃう時はあるけどさ。でも、最後は誰かのために戦ってるじゃないのさ」

「……そんなわけないだろ」

 全ては私利私欲で行動している。

 他人から嫌われ失望されることが何よりも恐いため、周りの目を気にして周りの期待や希望に添った行動をしているだけだ。その場しのぎで生きて何の信念も信条もない人間なのだ。

 だが、神楽はそうは思ってくれないらしい。

「そんなことあるよ。ボクは知ってるし認めてるんだからさ」

 小さな手が頭を撫でてくれるのだが……そんな事をされてしまうと、やっぱり期待に添った行動を取らねばならない気になってしまう。

 志緒とピヨに応え誰かの為に動かねばならない、そんな気がしてくる。

 元より信念も信条もないのだから、誰かに何か言われると亘の気持ちは直ぐ揺らいでしまう。

 亘はついには立ち止まり、そのまま考え込んでしまう。

「…………」

 行きたくないのは確かだ、でも迷いがないわけではない。

 あれだけ否定をしたが、心の中にはせめぎ合いの気持ちが幾つも存在する。

 人助けをせねばならない義務感と、そんな事はしたくないという反発心。周囲の期待に添わねばならないと思う気持ちと、それが嫌だと思う意固地な気持ち。活躍し皆に称賛されたい気持ちと、利用されるだけで終わりそうな不安。

 頭の中はごちゃごちゃだ。

 行きたくない気持ち七割、行かねばと思う気持ち三割……だが、その三割がなかなかに強い。スパッとなんて決められない。

 世の中には失敗を恐れず、迷いを捨て前に進み決断が出来る人間もいるが――亘はそんな人間ではない。迷って迷って、迷いを引きずり選択し、後になってしまったと思うのが常だ。

 あげくに人生を左右する選択など、ろくに経験していない。

 進学も就職もなんとなくの選択であったし、人生に目標を持って行動した事もない。強い意志もなければ、判断も決断も主張もせず。周囲の目や言葉を気にしながら唯々諾々と従い、けれど腹の中では不満を溜め込み、流されるように生きてきただけ。

 それがどうして、迷いなく判断できようか。

 できるはずがない。

「どうして皆で勝手に期待するんだよ。こんな人間に大層な選択を迫るなよ……世界を救いたいとか思うなら自分たちで何とかしろよ」

 それは誰もが思う、自分は関係ないと思う小市民的な気持ちだ。

 世の中の事件や情勢に口でこそ偉そうに言うものの、いざ行動を求められると自分は関係ないと逃げてしまう。どこかの誰かが何とかしてくれると期待し、それで何とかしようと動く者がいれば、出る杭を打つように叩きまくって文句を言う。そして誰かが必死で出した結果に対し、識者ぶって論評しケチを付け汚点を探す。

「いかんな考えがまとまらない……なあ、神楽は行くべきだと思うか? つまり志緒たちに協力すべきかどうかだが……」

 恐る恐ると尋ねてしまうのは、亘もその問いが狡いと理解しているからかもしれない。

 つまり決断を神楽に委ね、それに従ったと言い訳する理由が欲しいのだろう。もちろん、それは作為的にではなく無意識にやっているのだが。

「ボク? ボクはどっちでもいーよ。マスターが望むことがボクの望みだから」

「……答えをくれよ」

「マスターがお家でゴロゴロニートで引きこもるなら、一緒にいられるでしょ。でもマスターが活躍するなら、それはそれで皆にマスターは本当は凄いんだぞって伝えられるでしょ。だからさボクどっちでも構わないの」

 ふいに神楽が飛び立ち、目の前に浮遊してみせた。外はねしたショートの髪に明るく快活な顔立ち。お日様のような笑顔で亘の顔を覗き込んだかと思うと、そのまま鼻先に軽く唇を触れさせ抱きしめ優しく撫でてみせる。

「大丈夫だよ、マスターはマスターが思うように行動すればいいからさ。たとえ世界の全てがマスターを嫌ってもさ、ボクはマスターが大好きだからさ。きっとサキも同じだよ」

「神楽」

「マスター」

 しばし見つめ合う。

「お前ってやつは……なんて失礼な奴なんだ」

「はいぃ!? ちょっとなんでさ!?」

 予想外の言葉に、神楽は何度も目を瞬かせる。身を乗り出すように、亘の鼻に跨がると手を振り回し額を叩き抗議しだす。

「あのさボクさ、いま凄く良い事言ったよね。それがどーして、失礼なのさ」

「当たり前じゃないか。ゴロゴロニート? 本当は凄い? それに何で世界の全部に嫌われるんだよ。何したらそうなるってんだ」

「…………」

 神楽は後ろ向きに飛んで距離を取ると、小さくもない胸の前で腕を組んだ。上を向き下を向いては深々と息を吐き、そしてきっと睨む。

「あのさぁ、物事の喩えじゃないのさ」

「喩えであってもな、もっとこう……気遣いってものが必要じゃないか」

「やだもう、このマスターってば面倒すぎ」

「面倒!? やっぱり失礼だな」

「あーもー!」

 神楽は亘の頭に跳び蹴りを放った。それで追い払われると、今度は横に回り込む。両手で耳を掴むと大きく口を開け、カプッといった。

「あだっ! 噛んだ、噛んだな」

「このっ、このっ!」

「いだっ、いだだだっ! 一度ならずも三度まで!」

 飼い犬ならぬ、飼いピクシーに耳を噛まれ亘は悲鳴をあげた。頭を動かし振りほどこうとすれば、食い付いたまま離れないぐらいだ。

しかし……じゃれあいを終えると寄り添いながら歩きだすのであった。

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