第251話 何しに来た

「何しに来た」

 亘は開口一番に言った。

 椅子にふんぞり返り腕組みすると、現れた志緒とヒヨをジロリと睨んで不機嫌さをアピールする――だが、その頭がペシッと叩かれた。

 もちろんやったのは母親だ。

「これ! お客さんに何て失礼な態度をするのっ! 謝りなさい」

「……どーもすいません。失礼しました」

「それが謝る態度ですか」

 また叩くが、今度はかなり強め。客人の前という事で、相手への謝罪の意味も込め叩いて見せたのだろう。とはいえ、叩いた方が痛がっているぐらいだが。

 なお、神楽はその絶妙な叱るタイミングを感心しながら学んでいたりする。

「いや、だってな。こいつら、絶対にろくでもない用事で来たに決まってるんだ」

「あんたの失礼さ加減はね、母さん悲しくって涙出てくるよ」

 涙を拭う小演技と共に、母は息子の代わりに何度も頭を下げる。

「ごめんなさいね。この子、若くて綺麗なお嬢さんが訪ねてくれて照れてるの」

「もういいから、母さんはあっちに行ってくれ」

 亘は母親の肩を押し台所へと追いやった。

 アマクニもシンソクも紅茶を飲み面白げに笑っているが、そんなリビングで寛ぐ二柱の姿にヒヨは気が抜け虚脱している。

「それで何の用だ。まあ、言わなくても予想はつくけどな」

「政府から正式の協力要請よ。ただちにNATSに加入し現状改善に協力して貰いたい、といった内容になるわ。今の所属から出向という形で処理するそうよ」

「NATSは本省と同格なのか?」

「もちろんよ」

「……本省出向!?」

 亘はぞっとした。

 地方出先機関の支分部局から中央省庁――通称、本省――に出向する事がある。だが、そこは地獄。会議が深夜から始まるような不夜城、冗談抜きで職場での寝泊まりで使い倒される。出向して戻れば人格が変わるぐらいだ。

 上昇志向のあるノンキャリにとって本省帰りという肩書きは、出世コースへの乗車券として必要不可欠。

 しかし、亘には上昇志向などあるはずもない。

「絶対に嫌だ」

「そんな事を言わないで。もちろんポストも凄いわよ、課長級よ課長級。ほら、良かったわね出世よ」

 志緒はパチパチと小さく手を叩いて見せた。

「課長!? 絶対に嫌だ!」

「どうしてよ、ほら課長なんて……ええっと、やり甲斐がある仕事でしょ」

「本気でそう思ってるのか?」

「うっ」

 志緒は目を泳がせた。

 今どきの課長など、なって良い事など聞こえが良い程度。上からの圧力と下からの突き上げで板挟み。責任ばかり増え、しかも管理職のため残業代は出ず部下よりも給与が安くなる。あげく飲み会が増え出費は増大。何かあれば矢面に立たされ、真っ先に責任を取らされる。

「本省出向で課長級ポスト、それは何の嫌がらせで罰ゲームだ?」

「仕方ないでしょ、私だって分かってるわよ。もっとまともな条件を提示すべきだってことぐらい。でもね、上の人たちは出世がご褒美と思ってるの。だから……仕方ないでしょ」

「仕方なくなどない。絶対に嫌だ」

 にべもない亘に志緒は不満そうになり、ついには軽く切れ気味となった。

「あなた公務員でしょ。公共の為に働こうって気は……まあ、あなたには欠片もないわよね。でもね、たとえば非常時の参集義務ぐらいは理解しているでしょう?」

「災害時の非常参集マニュアルでは、家族に危険があって家を離れられない時はその限りではないとあったな。それとも何だな、こんな状況で年老いた母親を置き去りにして仕事をしろと?」

「また、そんな事を。よく言うわよ、この地域ほど安全な場所はないでしょ」

「悪魔に対してはそうだな。だけどな、一番危険な存在は人間だろ」

 流石に思い当たる数々があるのか志緒は黙り込む。

 理論武装はばっちりだ。

「ふふんだ、ボクのマスターに口で勝とうなんて甘すぎなのさ」

 神楽は亘の頭上で胸を張る。

 腰に手を当て大威張りの様子に、志緒は悔しそうだ。反論も出来ない上に、追い回された過去があるため神楽に対し苦手意識があるのだ。

「さて話は以上かな」

 亘は素っ気ない。

 もっと別の何かを持って来れば話ぐらい聞いてもよかったが、今の条件では聞く気も起きやしない。それで思い出すが、アマテラスから謝罪として貰う刀もまだ受け取っていない。ますますもって相手にする気が失せてくる。

 だが志緒は粘る。

「待って、待ってちょうだい。他のメリットもあるわよ。五条さんと、その家族に対して優先的に食糧を配給することを約束するわ」

「なんだそれ……別にいらないが」

「駆け引きとか腹の探り合いは止めましょうよ」

「そんなつもりはないが……配給ってのは本当か?」

 戸惑って尋ねただけの内容を、志緒は興味を惹けたと思い目を輝かせる。

「もちろんよ、流通も止まって食糧確保も大変でしょ。だから安心してちょうだい、今日だって非常食をいっぱい持って来たのよ。凄い量なのよ」

 志緒の言葉に合わせ、ヒヨがリュックサックから乾パンなどを取り出し並べてみせる。ようやくショックから立ち直ったらしい。

「恩着せがましいつもりはないけれど。これを見れば本気だって分かるでしょ。この量を確保するにもどれだけ大変だったか。本当に特別扱いなのよ」

「凄い特別扱いなんですよ。私なんてお腹いっぱい食べたのはいつでしたか……」

「ちょっとヒヨさん、やめなさいよ。本部に戻ったら秘蔵の缶詰を開けるから」

「本当ですか!?」

 そんなやり取りの間に神楽が非常食を一つ味見するが、一口囓って動きを止め、そっと押しやり飛び去ってしまう。猫またぎならぬ、神楽またぎな味らしい。

 亘は目の前で起きる全てを眺め、小さく息を吐いた。

「アマクニ様、あれを」

「やれやれ君って子は、私をなんだと思っているのやら」

「もちろん尊敬する神様です」

「これだから君ときたら。ほら、これでどうだい」

 アマクニは呆れ気味の口調だが、ホクホクした様子は隠しきれていない。そのまま虚空から米俵を取り出してみせる。細腕で軽々と取り扱う姿は流石だ。

 辺りに藁と米の香りが漂うと、ヒヨは硬直し志緒は呆然とした。

「えっ、なにこれ。えっ? ……これは?」

「長きに渡り私に奉納されてきたものだよ。しかし、今は全て彼のものだがね」

「でも米俵一つでは足りませんよね」

「人間たちが千年以上もかけ、この私に捧げてきた量がどれだけあるか数えてみるかい? その全てが彼のものだよ」

 しかし、なおも志緒は言いつのる。

「ですけど、お米だけでは駄目です。栄養バランスを考えて、ちゃんと栄養剤の支給も……」

「もちろん他にもある。肉も野菜も、少し味は違うが酒もあるね」

「海産物! 海産物は流石にありませんよね。それも頑張れば、そのうち確保出来るはずですから」

 志緒はムキになるが、それはそれでアマクニは嬉しそうだ。興が乗ったらしくノリノリで新鮮な鯛を取りだした。

 卓上で鯛がビチビチ跳ね暴れる。

 顔を出した亘の母が鯛を回収していく。きっと夕食の一品になるだろう。

「どうだい。知り合いの龍に頼めば、もっと手に入るよ」

「そんな……」

 項垂れた志緒を見やるアマクニときたら、齢千数百年とは思えぬ大人げなさだ。失礼な事を考えた亘だが、ジロリと睨まれ慌てて視線を逸らした。

 突然ヒヨが声をあげ座り込んだ。

「あああっ……!」

 しかも米俵に縋り付き、何度も叩きだす。

「お米、お米、お米様ですよ……ああっ、このお米様を炊いて、お握りにしたらどんなに美味しいのでしょうか。もうずっとずーっと、まともにご飯を食べてないです。お握り、私はお握りが食べたいです。お握りお握りお握りお握り」

 なんだかカウンセラーが必要そうな具合だ。

「君のところの人間は面白いね」

「こんな子だったのでしょうか? 意外ですが、これはこれで良いかも」

 アマクニとシンソクが面白げに眺め、志緒は恥ずかしそうにヒヨを諫める。

「ちょっとヒヨさん。今はそんな事を――」

「毎日毎日、乾パンと水と栄養剤じゃないですか。志緒さんは、このお米様を見て何も感じませんか? この香りにときめきませんか!? 炊いてさしあげたら、どんな味になるか。想像するだけでワクワクしませんか?」

 志緒はどん引き状態で助けを求め、ついには亘を見やるほどだ。

「それは気の毒にな」

 応えた亘は何度も頷き、親身な様子で語りだす。

「ちなみに昨日の夕食は猪鍋で、昼は焼きお握りに刺身付き。今朝は炊きたての白飯に卵焼きで簡単に済ませたな。さて、一昨日は何だったかな」

「あのさマスターさ、ご飯を忘れるなんて駄目じゃないのさ。朝は同じで昼は麻婆春雨で丼にして夜は炒飯だよ。その前は雉が獲れたから、団子汁にしたり鳥南蛮風蕎麦とかだったでしょ」

「雉は美味かったな。やはり普通の鳥とは風味とか味わいが全く違うもんだな」

「ボクねご飯何杯でもいけちゃったよ」

「はっはっは、神楽は毎日だろ」

 和気藹々と話す両者は楽しげに笑う。志緒とヒヨはそれこそ悪魔でも見るような目で睨んだ。少なくとも片方は実際に種族として悪魔なのだが、もう一方は心根がそうなのかもしれない。

「ううっ、お握り。お握りが食べたいです」

 その嘆きは聞き届けられた。

 台所から顔を出した母親がエプロンで手を拭きやって来る。

「そんなにお握りが食べたいのかね」

「食べたいですっ!」

「それなら待ってなさい。すぐに用意してあげますからね。ところで中の具は梅干しと佃煮に葱味噌、焼きお握りも出来るけど。どれが食べたいんだい?」

「全部お願いします」

「正直な子は好きだよ。良いわ、全部用意してあげるわ。でも食べきれるかしら」

「頂けるなら限界まで食べてみせます」

「まあ頼もしい。それなら張り切っちゃいましょか」

「本当ですか! このご恩は忘れません!」

 ヒヨは両手を合わせ――横に神様がいるのだが――亘の母を拝んでいる。

 お握りという言葉にアマクニは、ぐっと手を握り反応。シンソクに焼きお握りの美味しさなど、自分が食べたものを得意そうに語っている。

 もはや、亘への協力要請どころの話ではない。

 何しに来たと、図らずも亘が最初に言った通りの状況だ。

「この人数……外の人も考えると、七海さんたちが帰ってくる前の準備は一人では無理ね。これは光海さんにも手伝って貰わないと。これ亘や、あんたひとっ走りして光海さんを呼んで来とくれるかい?」

「へいへい、畏まりましたよ」

 一度言い出した母親相手に逆らう愚を亘は知っている。三軒隣りに暮らす光海を呼びに行くしかない。

 渋々立ち上がると、神楽をお供に家を出るのであった。

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