第250話 街で流行ってると噂のアレ

 志緒は和モダンな家の玄関前でチャイムを押した。周囲の和風な家に比べ随分と洒落ており、この数年のあたりで立て替えたに違いないと分かる家だ。

「あ、電気が来てなかったのよね……」

 悪魔は施設そのものを破壊しないが、それを運用し維持管理する人間は襲う。結果として、電気ガス水道といった社会インフラの大半はほぼ停止している。

 NATSなど政府関係の施設は自家発電設備を備えており、さらには予備燃料も優先的に供給される。そのお陰で忘れがちになるが、一般地域への電力供給は途絶えて久しい。

 そうとはいえ、もともと官公庁は物資を最大五日分しか備蓄しないため、非常時が長期化した現在は物資欠乏に苦しんでいる状況だ。活動のために物資を確保しているものの、それで一般住民と軋轢が生じる負のスパイラルが生じている。

「あれっ、入らないのですか?」

 後ろで待機していたヒヨは不思議そうだ。

「ごめんなさい。チャイムが鳴らない事を忘れていたわ、どうしましょう」

「そうですか」

 言うなりヒヨは玄関を開けた。驚く志緒を余所に土間までスタスタと入り込んでいくではないか。

「ごめんくださーい、五条さんのお宅ですか」

「ちょっと勝手にそんな……」

「えっ? 何か変ですか」

 田舎育ちと都会育ちが認識の相違に戸惑っていると、奥から足音がやってきた。やや小柄な年配の女性が現れた。柔和で穏やかな顔をしている。

「はいはい。どちらさんですか」

「あ、はい。突然の訪問失礼します。私、一文字ヒヨと申します。念の為ですが、変な訪問販売じゃないです。そこは安心して下さい」

「あらそうなの安心よね」

「はい安心なんです」

「最近来なくなったけどねぇ、こんな田舎にも押し売り紛いがしょっちゅう来てたのよ。印鑑とか化粧品とか、買え買えしつこくって大変よ」

「それ分かります。いらないって言うのに、しつこくって。でも干物を売りに来た時は美味しそうだったので、買っちゃいましたけど」

「干物は悩むわよねぇ。お味はどうだったかしら」

「大正解でした」

「まあ良かったわねぇ」

 まるで旧来の既知であるが如く二人は和気藹々と喋っている。

 その間に志緒は相手を観察した。察するまでもなく、この女性が五条亘の母親である事は間違いない。あの人物の母親にしては、人の良い穏やかそうな顔だ。突然の訪問者に警戒するでもなく笑う様子は大らかで、少し前まで当たり前だった平和な日常を思い出させてくれる。

 しかし、話が進まない。

「えーと、すいませんがよろしいでしょうか。我々は政府機関の者ですが、今日は職務の関係で訪問させて頂きました」

 志緒は軽い咳払いで会話を切り替えさせる。

「私は悪魔対策組織に所属する長谷部志緒、こちらの彼女も組織は違いますが同じく悪魔対策の者。それに関連しまして、各地に発生する悪魔の件なのですが……」

「ああ、はいはい。街で流行ってると噂のアレね、知ってるわよ」

 確かに流行っていると言えなくもないが、それは絶対に違うと志緒は思った。

「ええまあ……その件でして」

「うちの息子が連れてきましたけどね、とっても良い子でお利口さんたちよ。もしかして、何かご用かしら?」

「むしろ、その息子さん――五条亘さんでよろしいですよね。息子さんに用がありまして」

「あらまっ、そっち?」

 軽く驚く女性であったが、やや困り顔となる。

「在宅しておりますけど。今は来客中なのよ、どうしましょうね」

「ぶしつけで申し訳ありませんが、呼んでいただけないでしょうか」

「あらあらどうしましょう。ちょっと特殊なお客様なのよね」

「そこを何とか、お願いします!」

 志緒は深々と頭を下げ、ヒヨは手を合わせ拝んでみせる。どちらも必死さの伝わる仕草で、無下に断るには忍びないと思わせる姿であった。


 タイミング良く奥のドアが開いた。

 話を聞きつけた五条亘が出て来たかとヒヨは期待するが――現れたのは緑なす古雅な衣姿の女性であった。辺りに桜の香気が満ちたように思えた。

「実佐子、お茶のお代わりをお願いしたいのだがね」

 抑えられているが明らかに人の域を越える尋常ならざる存在。しかも並の悪魔とは違う。なまじ勘が鋭いだけに、ヒヨは反射的に相手の本質を見極めようと見鬼の力を使ってしまう。

 だがそれは愚かな行為だった。

 その存在を迂闊に見るなど、望遠鏡で太陽を直視するに等しい。膨大な力を前に人の心などかき消されかねず、実際そうなりかけた瞬間――気付いた相手が即座にはね除けてくれた。

「やれやれ失礼な子だね。力には代償が伴うものだよ、もっと気を付けて使いなさい」

「あっ……」

 命拾いしたヒヨは衝撃のあまり、立つのもやっとの状態だ。ふらついたところを志緒が支える。

「どうしたの大丈夫? 溜まった疲れが出たの? もう少し頑張りましょう」

「あぅあぅ……」

 だが、今のヒヨの意識は心配してくれる友人にはない。目の前に現れた存在に向けるばかりだ。

「そんなっ。ど、どうして……ありえない……桜の姫御前? どうしてここに!?」

「ここは私の領域。それであるならば、どこに居ようが関係あるまい?」

 いかに悪魔が跳梁跋扈するようになった状況とはいえ、誰がどうして尋ねた家に神たる存在がいると思うだろうか。しかし同時にヒヨはこうも思っていた、ここは五条亘の家なのだからある意味納得だと。

 混乱するヒヨの前で、更にありえない光景が繰り広げられる。

「おやまあ、アマクニちゃんのお知り合いだったのかい?」

「美佐子それは違う。向こうが私を知っていただけだ」

「そういうのってあるわー。私もね突然話しかけられて困ってたら、パートしてたお店のお客さんだったのよ。そんなの覚えてるわけないでしょうに」

「ふむ、きっと美佐子のことが好印象だったのだろう」

「いやだわ、そんなおだてないで」

 目の前で神様がどつかれ、ヒヨは小さく何度も首を横に振り続けた。自分の中にある価値観や世界観の根底にヒビを入れられた気分だ。

 そんな友の姿を、志緒は心配する。

「ちょっと大丈夫? なんだったら、少し座らせて貰ったらどうかしら」

「えっ、ええっと大丈夫。これぐらいなんとか、頑張れ私」

 ヒヨは何とか立ち直った。

 相手が相手だけに、恭しく礼の仕草をとり丁寧に挨拶をする。

「私はアマテラスに所属、一文字家の当代当主をしております一文字ヒヨと申します。先程の失礼につきましては平にお許しを」

「やれやれ堅苦しい。しかし、アマテラスの一文字家か……ちょうどいいね」

「はいっ! どのような事でしょうか」

「いや君に対してではないよ」

 アマクニは返事をするが名乗りは返さない。

 この辺りの感覚を人間に喩えれば、自分の可愛がる猫であれば名前をつけ話しかけるが、そこらの猫はただの猫としか認識しないようなものだ。

「アマテラスの者が来たよ。これは君が相手をすべきじゃないかな」

 家の奥に向け呼びかけられる。その対象は五条亘かと期待するヒヨであったが、返ってきた声は女性のものだった。

「それは真か、まさもう気付かれたのか」

「いやそうではなさそうだ、どうにも別件で来たようだね」

「やれ、何と間の悪きことか」

 奥のドアから純白の衣を纏う女性が、ヒョイッと顔を出す。

「おや一文字のヒヨでしたか。奇遇ですね」

 そこには隠しきれない神の力がある。姿を直接目にした事はないが、ヒヨには分かった。分かってしまった。これまで御簾越しに何度も感じたものだ。

「ひいいいぃぃぁぁあああああああああっ!」

「さて、こんなに騒々しい子でしたか」

「盟主様!? 盟主様ですよね! どうしてこんな場所に」

 ヒヨは腰が抜け、その場で膝から崩れ落ちた。志緒が支えねば、間違いなく床にへたり込んでいたことだろう。

「まあ待ちなさい。吾は盟主などではありません」

「えっ、違う?」

「これは新たにつくった分霊でしかありません。本体は向こうです」

 平然と告げられた内容にヒヨの力は完全に抜けてしまう。志緒の腕をすり抜け、そのままずるずる座り込んでしまった。土間の床に手を突き項垂れ虚脱状態だ。

 一方で目の前では人智を超越した存在同士が語り合う。

「随分と力を抑えましたからね、これであればそこらの悪魔とも互角で渡り合えますよ。我ながら自信作の分霊ですよ」

「普通は逆の意味で言うと思うがね。だが、分霊というのは便利だ」

「後で教えておきましょう。さて、この身の名を何としますか。元と同じはマズいでしょうし、昔に使ったヒミコやトヨの名にしましょうか」

「待ちなさい。折角新しい分霊なのだよ、新しい名を付けないでどうする。息吹から創り出した分霊なのであれば、神の息でシンソクとすればいい」

「さすがは桜の姫、良い名を頂きました。それでは我が名はシンソク、よしなに」

 聞いてはいけない部類の話を目の前でされ、ヒヨは泣きたい気分になる。だが、本当に泣きたい気分になるのはそれからだった。

「まあシンソクちゃんね、可愛らしい名前ね」

「可愛らしい、それは嬉しい」

「皆さんお知り合いっぽいから、奥で話しましょうね。ほらほら、いつまでも玄関で立ち話というのもお客様に失礼だもの。はいはい、奥に行った行った」

 両手で犬か猫でも追うような仕草で二柱の神が奥の部屋へと追いやられていく。

 ヒヨは戦慄した。

 これほど誰かをたしなめたいと思った瞬間はあっただろうか……あった。しかもそれは、この女性の息子に対してだ。

「それで、お茶のお代わりをお願いしたいのだよ。君の息子に頼んだら、あっさり断られてしまってね。この家の決まりで、自分のお茶は自分で煎れるそうだね」

「まあ、あの子ったら本当困った子だわ」

「家主の決まりには従うよ。だけどね、神楽の話ではあの紅くて良い香りのする茶は煎れるのが難しいらしいね。だから、できれば頼みたいのだが」

「はいはい、お任せ下さいな」

 ヒヨはさめざめと泣いた。

 もう価値観も何も滅茶苦茶だ。崇拝し畏敬の念を抱いていた存在にお茶を煎れさせようとか、自分が大切にしてきた思いを踏みにじられた気分。これが泣かずにいられようか。

 突然泣きだす友人の背を撫でつつ、志緒はそのメンタルを案じていた。

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