第255話 クールな兄貴がナイスなんっす

 交差点に狐が姿を現す。

 ふさふさした尾は簡単には数えられないほどあり、そのサイズは歩道に突っ込んだ普通車よりも大きく尋常ならざる姿だ。うっかり触れた信号機が倒れ、交差点内に破片を撒き散らす。

 しかし狐は気にした様子もなくフンフンと鼻を動かし辺りを見回し、ウキウキとスキップする子狐のような足取りで少し進み、ふいに伏せのポーズをとる。

 その背から軽い身のこなしで飛び降りたのは、もちろん亘であった。

 背後では狐の姿が忽然として消え、長い金髪に二房のみ黒髪が混じった幼げな少女サキが現れる。

 緋色をした瞳をキラキラさせ亘に飛びつくと、金髪をかき混ぜるように撫でてもらい、目を細め天使の笑みを浮かべている。

 少し遅れて白小袖の神楽が御幣のような飾りをなびかせ滑空してきた。

「まだ、みんな来てないね。ちょっと待たないとだよね」

 自宅を出てNATS本部に向かう途中、無線連絡で大規模な悪魔の群れが出たとの連絡があった。それで亘だけ先行し参戦する事になったのである。

 戦闘が終わり合流予定だった場所に来たのはいいが、予定より大幅に早く到着していた。数こそ多かったが、それほど強い悪魔はおらず戦闘は早く終わったのだ。

「無線だと、もっと大変そうな事を言ってたのにな。もしかして、間違えて別の場所に行ったとか……マズいな、勘違いで別の悪魔を倒したか?」

「そなの? でもさ、ボクの探知範囲だとあそこで間違いないって思うよ」

「だったらあれか、もう戦闘の終わった頃に到着したか」

 亘は額に手をやった。

 仕事ではよくある事なのだが、皆が頑張った終わりがけに来て少し手を出す奴は嫌われる。あげく、さも自分が協力したように振る舞う奴など最悪だ。

「後で余計な手出しで悪魔を倒した事を謝っておくか」

「マスターが謝る!? どしたのさ、大丈夫? 何か悩みがあるならボク聞くよ」

「……悩み? あるぞ、自分の従魔に妙な誤解をされてるらしいんだ」

「そなんだ、駄目じゃ無いのさサキってば」

「お前のことなんだがな」

 亘と神楽がわいわいじゃれていると、サキが視線をあげた。

「んっ、何か来る」

 金髪の間から狐耳がひょっこり立ち上がり、ぴくぴく細かに動いて音を確認している。辺りは無人で静まり返っているが、聴覚の鋭いサキには何か聞こえているらしい。

「なんだ悪魔が来てくれたのか? じゃあ倒すか」

「来てくれたとか、そーゆーことを言う。ボクの探知にも入ってきたけどさ、これって……」

「ほほう、手強そうな感じか」

「だからさぁ……とにかくさ、もう教えたげないけど。楽しみにしといてよ」

 少しすると長く響くような音と共に、スクーターが現れ交差点に進入した。体を倒し華麗にカーブを曲がり、こちらに向かって来る。

 運転しているのはチャラチャラしたアクセサリーを付けた若い男で、傍らを犬のような存在が疾走している。

 スクーターが急停止すると、ヘルメットを脱ぎ捨てたのはチャラ夫であった。

「やっぱり兄貴っす!」

「チャラ夫!」

 亘は数少ない友人の登場に驚き、このサプライズを嬉しく思った。

「久しぶりじゃないか。よく分かったな」

「悪魔の群れが出たって、大急ぎで移動してたとこなんすけどね。なんか全部跡形もなく倒されたって連絡があって、俺っちとしてはピンッと来たんすよ。これはもう兄貴の仕業に違いないと、なんせ兄貴が戦えばペンペン草の悪魔すら残らないぐらいなんすから。そんでもって、見覚えのある狐を見たっしょ。もう、これはサキちゃんに間違いないと思ったんすよ、いやー、ここで兄貴と会えるとは。見抜けなんだっす、このチャラ夫の目をもってしても」

 亘は騒々しい言葉に辟易となり、こういう奴だったと思い出した。

「相変わらず煩いやつだな」

「兄貴が冷静すぎなんっすよ。そんなクールな兄貴がナイスなんっすけどね」

 ガシガシと腕や拳をぶつけてくるチャラ夫に応えつつ、亘は再び嬉しく思い、それは感動の領域にすら達していた。

――いま、友達してる! 間違いなく友達してる!

 もうこれは親友で、心の友に間違いない。

 確信に至った亘は実家に引きこもった行動を棚上げし、さらには出て来た本来の理由を忘れ、ひたすら再会の喜びを噛みしめる。

 足元では神楽とサキがガルムを囲み、何やら従魔同士の交流をしてもいた。


◆◆◆


 さらに数台のスクーターが到着した。

 二人乗り状態で金属バットやら棒やら手にしたあげく、辺りを取り囲みエンジンを噴かすため亘は胡乱な目をして睨んだ。反応したサキが軽く唸るが、指示さえあれは即座に動くだろう。

 チャラ夫は慌てた。

「待って! 待って! あれ仲間なんす、殺したらダメなんす!」

「お前は人を何だと思ってるんだ?」

「そりゃまあ兄貴っすから」

 こいつを心の友と思うのは間違いかもしれないと、亘の心に疑念がさした。

「みんな、こっちが俺っちの超凄い頼りになる兄貴なんすよ」

 こいつは心の友で間違いないと、亘の心に光がさした。

 そしてチャラ夫は自分の仲間を集め説明するのだが……何やら和気藹々とやっているではないか。

 亘は困った。

 自分から何か話した方が良さそうだと思っても、そこで声がかけられない。友人の友人といった立場の相手にどう接すればいいのか分からないのは、そもそも友人がいなかったからだ。

「あのさ、マスターさ、そのさ……」

 神楽がコソコソするのは人見知りだからで、見知らぬ人間たちを警戒しながら亘の後ろで小さな声をあげる。

「悪魔が何体か来てるみたいだけどさ、どうすんの?」

「なんすか、悪魔っすか!? それに気付くとは、流石は神楽ちゃんっす!」

「チャラ夫うるさいの!」

「別に普通っすよ普通。神楽ちゃんてば、何を言ってるんすか。っしゃぁ、悪魔が来たならここはもう兄貴の出番っす! ビシッとバシッと倒して、兄貴の凄さを皆に見せてやって欲しいっす!」

 チャラ夫は神楽に怒られようと調子が変わらない。

 しかし、これはチャンスだ――ここで悪魔を倒してみせ、それを共通の話題として、上手くコミュニケーションをとる事が出来る。

 そんな考えも、現れた悪魔を目にするまでだった。

「……げっ」

 やって来る悪魔はゾンビの群れ。

 足を引きずり両手を突き出し、半分腐り落ち骨の露出したような姿で向かってくる。ホラー映画などのゾンビよりも生々しく、皮膚がズルッと脱落し腐った肉がボトボト落ちる状態だ。

 不快悪魔にして不衛生悪魔は、何よりも臭いがいけない。

 たとえDPで再現された、死体の姿をした悪魔だとは言えど絶対に近づきたくない相手だ。

「兄貴! お願いしやす!」

 チャラ夫の目はキラキラと輝き、百%混じりっけ無しの期待と信頼に満ちている。これを前にして断る術を亘は知らない。

 世の中で本当に厄介なのは悪意よりも善意だ。

 窮地に陥った亘は必死に思考を巡らせ――前にも、似たような事があったではないか。

「いや待ってくれ。ここは、チャラ夫に任せたい」

「えっ、なんすか? いや俺っちは兄貴にガツンッとやって欲しいんすけど」

「そう言ってくれるのは嬉しいけどな、チャラ夫がどれだけ強くなったか知りたいんだ。お前がどれだけ頑張ってきたのか、それを見せてくれないか」

 汚い大人とピュアな少年の違いとは、素直さにあるのかもしれない。

「俺っちの頑張り……任せて欲しいっす! そっすね、そっすよ! どれだけ頑張ったか、俺っちも兄貴に見て欲しいっす!」

「そうかそうか、チャラ夫は偉いな。さあ見せて貰おうか、成長したチャラ夫の実力とやらを」

「だりゃあああああっ!」

 チャラ夫は雄叫びをあげ走りだしてしまう。

 戦いが始まりゾンビ汁が飛ぶ有り様に、亘は自分の判断の正しさを確信した。

「あのさぁ、マスターってばさ。ちょっと酷いんじゃない?」

「そうか神楽はゾンビ汁にまみれになりたかったか、変わった嗜好だな」

「またそーゆーこと言う」

「無理強いはしてない。チャラ夫が自発的にやるって言ったんだ、どこが悪い」

「ほんっと、このマスターときたらさ」

 神楽が空中で肩を竦め呆れていると、亘は素知らぬ顔をしながらサキを抱き上げた。間が持たない気分を誤魔化そうとする所作なのだが、思わぬ棚ぼたにサキはきゃっきゃと声をあげ大喜びだ。

 そうこうする内にチャラ夫は全てのゾンビを倒した。

 どうやら本当に強くなったらしい。

 そして何の疑いもない素直な眼差しで駆け戻ってくる姿は、流石の亘も良心の呵責を覚えてしまうほどであった。だからと言って、どうするわけでもないのだが。

「どうすっか、兄貴!」

「チャラ夫が頑張ってきたことがよく分かったよ。やっぱり、お前は凄いよ」

「兄貴っ……」

「ガルムと一緒に真面目にやって来たんだな。もう何も言うことはない」

 他人を褒めるということは案外と難しい。

 特に亘はそんなことを言える相手がいなかったため、言葉少なにしか褒めてはやれなかった。

 それでも、いやそれだからこそ真心が伝わったらしい。

 チャラ夫は感極まった様子となった。

「そっすよ。俺っちは、俺っちは……頑張ってきたんすよ。ずっと、ずっと頑張ってきて。そんで兄貴に褒めて貰えるなんて、俺……俺……俺っぢばぁあああっ」

 瞬間、いろんなことが同時に起きた。

 気配を察したサキが亘を蹴って離脱し、神楽も飛翔。それで亘の動きが阻害されたところへ、両手を広げたチャラ夫が飛びつく。もちろん足元では二足歩行のガルムが全く同じことをしている。

 ヌメッとしてドロッとして強烈な臭いを纏うチャラ夫とガルムに抱きつかれ、亘は悲鳴すらあげられない。下手に口を開ければ得体の知れないものが入りかねないのだ。

 そうなると鼻で呼吸するしかないわけで、すると強烈な臭いが脳天まで突き抜け悶絶する事になる。

「あーゆーのを自業自得って言うんだよね」

「んだんだ」

 二体の従魔は安全圏で呟いていた。

 チャラ夫の仲間たちは、それを不思議そうに見つめるばかりである。

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