第256話 大自然のパワーを全身に
流れ行く水は絶えずして、しかも豊富。水面の煌めきは微塵に厚く細かな白波が現れ、そこに淡く景色が映り込む。コンクリートの
「こんな場所で行水とか、子供の頃以来だ。チャラ夫のお陰だな」
幅広河川の川原で亘が不機嫌に呟くと、何を勘違いしたのか茶髪の少年は照れた様子で頭をかいた。
「いやいや、そんなの気にしないで欲しいっすよ。別の俺っちのお陰とか――」
「嫌味のつもりで言っている」
「あっ、そっすか。てっきり感謝されてるのかと。すんませんっす」
チャラ夫は軽く頭を下げると、鼻歌まじりで身体を洗いだした。少しは気にしろと思いつつ亘も水に浸したタオルで身体を洗いだす。
もちろん二人とも素っ裸だ。
ゾンビまみれになった惨事直後。七海たちと合流を果たしたのだが、さすがに一緒に動ける状態ではなかった。服も下着も全部取り替えねばならず、皆にそれを探して貰う間に、仕方なくこうして身体を清めているのだ。
とりあえず堤防に挟まれ丈の高い草もあり、男二人が行水していても目立ちはしない。特に今は状況が状況で、誰かに通報される恐れもなかった。
いきなりチャラ夫は両手を挙げ、深呼吸するように息を吸い込んだ。
「この開放感! 癖になりそうっす!」
「前ぐらい隠せよ」
「まあまあ、そう言わず。こんな事できる機会なんて滅多にないっすよ」
「お前のようなやつが、きっと夜中に素っ裸で走り回るんだろな」
亘は河原の岩に腰を下ろす。
大きめタオルを腰に巻いているが、後は何も身につけていない。日射しを浴びた岩は熱く熱せられ、先に軽く水をかけ冷やしてもなお熱い。しかし、岩に素肌で座るのは子供の時以来で、ちょっとだけ懐かしい。
確かにチャラ夫が言うとおり、こんな事はなかなか味わえないだろう。だからといって感謝する気は皆無だが。
「それよりNATSには、藤島秘書と法成寺主任がいるんだな」
「もっちのろんっよ、それが聞いて下さいっすよ。もう忙しすぎて綾さんと二人っきりになる時間もなかなか取れないんすよ。でもまあ、だから偶に会うともう燃え上が――」
恋人の話で盛り上がるチャラ夫だが、何を考えているかはよく分かる。なにせ開放感溢れる気分を体現する素っ裸のまま、少しも前を隠していないのだから。こいつは、ある意味で大人物なのかもしれない。
「そんなこと、どうだっていい。それよりキセノン社の問題は聞いてないか? つまりDPの換金が出来ない件とか、DPで買い物が出来ない件とか。それに社長はどうした?」
素直な亘は自分の関心事の順番に聞いている。
「実を言うと、俺っちのもよく分かっとらんのす。DP飽和ん時はキセノン社に居たっすけど、急に法成寺主任が逃げろって言って来て、訳も分からんまま逃げ出したんすよ」
「ほう」
「キセノンヒルズがなーんか、変なことになっとって近寄れないし。いやもう大変なんっすよ。なのにアマテラスの人ん中には、DP飽和がキセノン社のせいとか言う連中もいて。酷いっすよね、社長さんとか社員の人も行方不明ってのに」
「……そうか」
亘は静かに川面を眺めやった。
法成寺が何故逃げろと言った件からすると、何か関係ありそうな気がしないでもない。キセノンヒルズが近寄れないとか、新藤社長の行方も分からないとか……何か不穏すぎる。
なにが何やら分からないが、分かっていることが一つある。このままではDPの換金が出来ないということだ。
「困ったな」
「困ったっす」
両者の困った理由は確実に違うだろう。だが揃って深々と息を吐く事だけは同じだった。
川ではガルムが犬かきで泳いでいる。真面目で律儀なガルムにしては珍しい事に、右に左にと泳ぎまわるはしゃぎっぷりだ。きっと、ガルムなりに日々のストレスが溜まっていたのだろう。
◆◆◆
「ふぉう、俺っち野生にかえった気分っす。大自然のパワーを全身に感じるんす!」
チャラ夫は草をかき分け騒々しい。
もちろん何も身につけておらず、ブラブラさせながらブラブラしている。それで目の前をウロウロするものだから、亘としては大事な部分でも虫に刺されてしまえと思うぐらいだ。
「つーか、なんすかね。河原ってのは意外に自然豊かなもんっすね」
「ほとんど外来種だろうけどな」
「そうなんすか?」
「チャラ夫の前にある蔦はアレチウリ、横の木はニセアカシアで外来種の代表。足元の草も名前は忘れたが外来種。虫も魚も外来種が増えてるからな、そのうちには在来種は消えるかも知れんな」
「そりゃダメじゃないっすか。対策しないとか怠慢っすよ怠慢」
「簡単じゃない理由もいろいろあるんだよ」
亘はため息を吐き、だからお前は子供なんだよと呟いた。
河川は長い延長を持つが、その全てで対策するなど予算面からして現実的ではない。少しずつ対策しようと生物の繁殖の方が早い。
さらには反対だってある。環境を大事にする集団や学識経験者、孫に虫取りさせたいお爺さん、木を見ると癒される主婦。賛成より反対の方が声高であるし、感情論は説得も出来やしない。
「おっと、外来生物の典型が来たぞ」
ふと空を見上げ、冗談めかした口調で言う。
亘めがけてまっしぐらに飛んでくる小さな姿があった。もちろん大切な相棒なのだが、確かに外来生物と言えば、そうかもしれない。
同じ方向の堤防を見れば、金色の髪をなびかせ走って来る姿があった。こちらも大切な相棒だが、伝承からすると古い時代の外来生物と言えるかもしれない。
「どうやら着替えが来たらしいな」
「俺っちとしては、もう少し解放感を楽しみたいんすけど」
「前を隠せ。見苦しいものを神楽とサキに見せるな」
「見苦しいって、これでもけっこう立派と言われ――」
「潰すぞ」
亘は拾い上げた小石を砕いてみせた。
DP飽和の状態で、軽く本気を出せばこの程度は造作もない。脅しとしては、この上ないぐらいのデモンストレーションだろう。
目を見開いたチャラ夫は恐怖し、文字通り身体の一部が縮みあがった。
「はーい、着替えの配達だよ」
神楽がシャツをぶら下げ飛んでくると、ぽいぽいっと投げて配達した。
サキがズボンを上に掲げ運んでくると、ぽいぽいっと投げて寄越した。
亘とチャラ夫は手を伸ばし受け取ると、ばさばっさと着替え……なかった。
広げた服はトロピカルな雰囲気の色合いでヤシの木の絵柄がプリントされている。しかもズボンの方は膝丈のもの。
これまで着たことのない種類の服に亘は抵抗を覚えてしまう。
「なんでアロハシャツなんだよ」
「だって他にないんだもん。文句言わないの」
「ほんと最悪だ」
渋々と着替えるのだが、亘はズボンから派でチャラ夫はシャツから派だ。特にそれで意味はないのだが、何となくそれぞれの性格が分かるような気がする。
「これ凄いっす、本物のアロハシャツなんすよ!」
「ん? 本物と偽物があるのか」
「俺っちも詳しくは知らないんすけど、ヤシの木か実のボタンを使ったシャツだけが本物のアロハシャツらしいんすよ。このボタンって、プラスチックじゃなくて木っぽいっしょ。ヴィンテージ品なら、めっちゃ高いっすよ」
「経費で落ちるんだろうな」
喜ぶチャラ夫を尻目に、まず金の心配をする亘。ここら辺りに社会人経験の差なのかもしれない。つまりは自分の稼ぎで生きているかどうかの差だ。
不平不満を言いつつ亘が着替え終わると、飛んできた神楽が上から下までを見渡し品評した。
「なんかさ、えーっと……麦わら帽子とスイカが似合いそうな感じ?」
「んっ、変」
「サキってばさダメじゃないのさ。もっとこう、オブラ何とかに包む感じで言ってあげなきゃさ」
「変は変」
神楽とサキから酷評され、自分でも似合ってないと思う亘は白目になりそうなぐらい不機嫌だ。
そもそも亘は普段からして背広系を着る事が多い。
別にカッチリした服装が好きなのではない。社会人になれば普段は背広で事足りてしまい、私服を着る機会はめっきり減る。しかも三十代も半ばを過ぎれば、あまりに子供っぽい格好はできなくなるので服選びが難しい。
そうなると、わざわざ悩んで私服を探すよりは、背広の延長線上で服を着た方が楽なのだ。
「こんな格好で出勤……いや、NATSに行ったらマズいだろ」
「兄貴大丈夫っすよ。アロハシャツはハワイだと、冠婚葬祭に着るぐらいの正装なんっすよ。つまり伝統的な立派な民族衣装として認められているんっす」
「ここは日本だ」
「それを言うならスーツとネクタイもあれっす。元は西洋の正装ってもんじゃないっすか」
チャラ夫は得意そうに言って見せた。
「つーまーりー、堂々と自信を持って着ればいいんすよ。アロハのシャツと共にハワイの熱き魂を受け継ぎ、四十八の必殺技と共に燃え立たせるんす!」
「うるさい、黙ってろ。五十二の関節技で締め落とすぞ」
亘は不機嫌そうに河原の砂を蹴った。
そうとはいえど、実は久しぶりにチャラ夫とゆっくり会話が出来て気は楽だ。チャラ夫がその部下という少年少女と親しげな様子を見て、少しばかり寂しく複雑な気分だったのだ。
だから仕方ない素振りをしながらアロハを着て……チャラ夫とペアルックっぽいと気付いて少し苦笑した。
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