第六章

第62話 扱いのムツカシイマスター

『兄貴っ、助けて欲しいっす!』

 電話に出れば、いきなりソレだった。

 声の主は言わずと知れたチャラ夫だが、いつもの脳天気さはなく必死さがある。何か緊急事態が起きているのは間違いないだろう。

 亘は思わずスマホを握る手に力を込めた。

「ちょっと待ってくれ、場所を変える」

 ザワザワ騒々しい職場ではあるが、同僚たちがいる前で異界云々の話を大っぴらにできやしない。仮にゲームの話と思って貰えたとしても、それはそれでアウトだろう。

 チェック中の書類を机の上に放り出し、スマホを耳にあてたまま執務室を飛び出す。課長にジロリと睨まれたようだが、それを気にするどころではない。貴重で稀少な友人のピンチなのだ。

 そのまま誰もいない給湯室に駆け込むと、電話を続ける。

「悪い待たせたな。場所はどこだ、救援に行くまで持ちこたえられそうなのか」

『えっ、何のことっすか?』

「えっ、異界で死にそうになってる……とかじゃないのか?」

『そんなことねっすよ。やだなあ、俺っちを勝手に殺そうとしないで欲しいっす』

 ヘラヘラとした声が返ってくる。てっきり異界で予測不能な状況か絶体絶命の状況に陥っていたと心配していた亘は安堵したと同時に、怒りを覚えてしまった。思わず電話を切りたくなるが、それをすんでの所で堪える。スマホを握る手に力が込もってしまうが、キセノン社謹製のスマホは頑丈でビクともしない。

 職場という場所柄もあって、声を荒げないようにする。これでも職場では温和で通しているのだ。

「……だったら、助けて欲しいってのはなんだ」

『そっす! それなんすけど、学園祭に行きたいんすよ』

「学園祭、学園祭って……ああ、あれか。学校でやる祭りの学園祭のことか。なんでそれで助けが必要なんだ。わけが分からん」

『だーかーらー、七海ちゃんの学校で学園祭があるんす。あそこは在校生の紹介状がないと入れないっす。そんで七海ちゃんに頂戴ってお願いしたら、兄貴を連れて来たらOKって言われたんすよ』

 あまりの下らなさに亘はがっくり肩を落とした。息急き切らせ執務室を飛び出した自分がバカみたいだ。万感の思いを込め、ため息をついてみせる。

「あのなぁ……お前は自分とこの学園祭で満足できないのか? なんでまた、わざわざ他所の学校の祭に行きたがるんだよ。そんなの、どこも大して変わらないぞ」

『違うっす! 顔面偏差値が全く違うっす! うちの学校が四十なら、あそこは八十っすよ! まじっす! そんで学園祭で可愛い彼女をゲットっす!』

 必死に叫ぶ声は五月蠅くて、スマホを耳から離してしまうほどだ。あまりに下らなさすぎてスマホをマジマジ見つめ、通話を切ろうか迷ってしまう。

 青年の主張が終わった様子を見計らい電話を再開する。

「お前それ自分の学校でも同じこと言えるのか。だいだいだな、そんな学園祭に参加したって出会いがあるとは限らないだろ」

『ちっちっちっ、兄貴はダメっすねぇ。いいっすか! どんなに可能性が低かろうと、それはゼロではない! でも行動しなければゼロなんっす!』

「チャラ夫如きに偉そうなことを言われる日が来ようとは……でも、どうせアニメの台詞だろうな」

『残念マンガっす。ま、それはいいとして、あそこはセーラー服なんすよ』

「……あっそう」

 荒い鼻息が電話越しに聞こえてくる。こうなったチャラ夫を止める術はなく、亘が頷くまでしつこくお願いしてくに違いない。承諾する以外に道はないだろう。

 チャラ夫の制服談義はまだ続く。

『うちの学校はブレザータイプなんすよね、やっぱ、セーラー服の方が清純な感じっすよ。上はタイトでスカートがふわっとして、女の子らしくて可愛いと思うっすけど、兄貴はどうっすか』

「だがブレザーも味わい深い……ごほんっ。チャラ夫の趣味嗜好はどうだっていい。どうせ承諾するまで納得しないんだろ? わかったよ行ってやる。それで学園祭があるのはいつなんだ」

『あざーっす!』

 チャラ夫が告げる日の予定をざっと頭の中で考えるが、特に問題はなかった。今のところ予定は入っていないし、入る予定もない。

『絶対っすよ、約束っすよ!』

「分かったかった、そう吼えるなよ。大丈夫だ、ちゃんと行けるから。あとで七海の通う学校と集合時間をメールで教えてくれ。今仕事中だからな。じゃあ切るからな」


 スマホを内ポケットにしまい、これだから十代の子供は駄目なんだよとぶつくさ言いながら自分の席へと戻る。チェックしかけていた資料の内容を思い返し仕事を再開――しかけたところで、不機嫌な声が亘に投げかけられる。

「五条係長、ちょっと来たまえ」

「……はい」

 ああしまった、そんなため息を隠し不機嫌な声の主、つまり顎をあげ椅子にどっかと座る課長の前に移動する。

 職場の中はシンッとしている。パソコンのキーを打つ音や紙をめくる音だけとなり、しわぶきひとつ聞こえない。これから始まるお小言が飛び火しないよう気配を消す同僚たちの、それでも興味津々でこちらを伺っている様子をヒシヒシ感じながら、背を伸ばして居住まいを正す。

「君ねえ、係長でしょ。勤務中に私用電話なんていいと思ってるの? 席を離れて戻ってくるまで、どれだけあったか分かる? 五分三十二秒だよ」

「すいません。なにぶん緊急の連絡でしたので」

「緊急だろうがなんだろうが、今は勤務中でしょう。緊急だからと、その都度席を外したら仕事にならないと思わない? 思うよね。我々は国民の貴重な税金で仕事をしているんだよ。公私をきっちりと分けねばならないと常々……」

 ぐだぐだと続くお小言に相槌をうちながら、実際には聞き流す。

 確かに今回は実に下らない内容の電話だった。しかし、最初は緊急と思って電話に出たのだ。事によっては、家族が急病や危篤という事態だってあり得たではないか。

 そもそも離席を責めるなら、課長も吸っている『煙草』はどうなのだろうか。喫煙ルームまで移動し、一本二本吸って戻ってくるだけで軽く十分は離席している。それを一日で合計一時間として積み重ねていけば、一年にすれば勤務時間換算で一ヶ月分は煙草に費やしていることになる。

 それが許されて、電話が許されないのは釈然としない。なにより、この無意味な説教の時間こそが一番無駄だ。


◆◆◆


 その日の夜。

 夕食を終えた亘は珍しく異界に行くこともなく腕組みして考え込んでいた。今日の仕事はバカバカしい小言もあったので早々に帰っている。こうして仕事を早く終え帰宅することも多くなったが、仕事の進捗状況には意外に影響なかった。それどころか、早く帰るため仕事の段取りを熟考し効率良く片付けるようになったぐらいだ。

 それはそれとして、亘は苦笑するように口元を歪めてみせた。

「ふっ、七海もまだ詰めが甘いな」

「どしてさ、何が甘いのさ?」

 コタツの上で栗鼠のように煎餅を抱え、パリポリ囓っていた神楽が小首を傾げた。巫女装束に煎餅の欠片が散っているが、気にした様子もない。外ハネしたショートの髪をクスグリながら、亘はニヤリと笑う。

「チャラ夫の頼みを断る方便で、こっちを引き合いに出したつもりだろうな」

「はい? 何言ってるのさ」

「だからさ、こっちが面倒がって行かないだろうと考えたってことだよ。まさか承諾するとは思わなかったのだろうな」

「ボクね、マスターの考え間違ってると思うよ」

 神楽はガックリうな垂れ、ため息をついた。早く帰宅した亘が異界に行こうとしないことを驚きつつも安心し、これでマスターも少しは真人間になったと喜んでいたところだ。それがバカげたことを言い出したため意気消沈だ。

 しかし、当の亘はそんな様子などお構いなしだ。演説ぶって拳を突き上げている。

「今の生活状況から鑑みると、同じ空間に数百人の女の子が存在することなどあるだろうか、否!! ない。まして若い女の子など職場に一人もいない!」

「あー、このお煎餅おいし」

「しかし今ここに女子高生が大量に存在する場所へと向かうチャンスを手に入れ、大いなる期待を禁じ得ない!」

「ああ、情けないね。これがボクのマスターだなんてさ……ボク泣けてきちゃうよ」

 現実逃避気味にお菓子を食べていた神楽だが、ついにこれが自分のマスターかと情けなさそうに小袖で涙を拭う真似をしてみせた。

「たとえ女の子に一目ぼれされる確率が一%だとしても、百人の女の子がいるのなら確率上では一人はいる計算になるはずだ」

「でもさ、それだったらさ。とっくに一目ぼれされてるんじゃないの」

「…………」

 言ってはならぬ指摘に亘はズーンッと落ち込んでしまう。袖で涙を拭う真似をしてみせるが、こちらは本当に涙がにじんでいる。グスッと鼻をすする音さえあった。

 あわわっと神楽は煎餅を放り出し、慌ててフォローに回らねばならない。

「あっ、でもね、マスターのことが好きな女の子なら一人は居るよ。うん、少なくとも一人は居るね」

「……はんっ! 慰めなんて要らないぞ。どうせ自分はイケメンじゃないさ」

「本当のことなのに。それにねボクね、マスターのこと大好きだよ。あと、マスターは世界一格好いいと思うよ」

「おだてたって、お菓子はやらないからな」

 などと言いながら、そっぽを向いた亘がそっとお菓子の皿を差し出してみせる。神楽はため息をつくと、扱いのムツカシイマスターだねと呟いた。

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