第169話 ピーマンのフルコース

「さあ今日の夕飯だ。残さず食べるんだぞ」

 亘は食卓代わりに使うコタツへと料理を並べていく。その笑顔には少しばかり人の悪いものが混ざっていた。

 皿が並ぶにつれ、サキの顔が引きつっていく。

 なにせピーマンとジャコの醤油和え、ピーマンご飯、ピーマンの天ぷら、ピーマンの肉詰め、ピーマンの味噌汁。とにかくピーマン尽くしなのだ。

 ほぼ何でも食べるサキだが、唯一苦手とする食材はピーマンである。泣きそうな顔で亘と料理を交互に見やる。

「これ……」

「ピーマンのフルコースだ。さあ食べようか」

 亘はエプロンを外しながら床に座る。これは、ささやかな復讐というやつだ。

「マスターってばさ。一人で料理するって言うから何かと思えばさ……こんな事にかんしてだけ、なんてマメなんだろね」

「もちろん残さず食べてくれよ」

「やだ」

「あっそう。残したら明日以降もピーマン尽くしになるだけなんだがな。ピーマンのレシピは、まだあるからな」

 亘はニンマリ邪悪に笑い箸を手にした。

「いただきます」

「いっただきまーす」

 好き嫌いのない神楽は気にもせず美味しそうに食べだすがが、サキは恨めしげな顔だ。食べたくはないが、食べねば明日からもピーマンなのだ。

 泣きそうな顔で盛り付けの少なそうな皿を選び、心の底から嫌そうにモソモソ食べだす。次第に表情が曇り、ドンヨリしていった。

 神楽がピーマンを囓る。

「なんかさ、ボクさピーマンの新しい境地に達しそな気分だよ。というか、ほんと良くやるよね。マスターは性格悪いってボク思うよ」

「飲み物までやらなかった点に、優しさがあると思わないか」

「あーはいはい。マスターの考えからするとさ、そだろね」

「ほら、サキ。箸が止まってるぞ、この後で異界に行くんだ。早く食べろよ」

「うっうぅ……」

 むせび泣くサキはさておき、亘はくつろいだ時間が取れるありがたさを噛みしめる。毎日定時に帰るなんて無理だろうが、それでも人が人らしく生きるにあたっては、こうした時間はあるべきものに違いない。


◆◆◆


「ピーマンがピーマンが……」

 異界の静けさの中に、サキの嘆きが響く。獣耳に尻尾を現わし膝を抱え、シクシクと泣いているのだ。恐らく十人が見たら十人全員で慰めに駆けつけるだろう。それぐらい哀れな様子であった。

 さすがの亘もバツの悪い顔で頭をかく。

 態とらしく傍らのブティックへと目をやるが、中にディスプレイのマネキンが立っている。その服はまともに買えば一ヶ月分の給料が消えそうな値段で、そんな高級品が売られる商業ビルは、本来なら大勢の人が行き交う場所だ。

 しかし今は誰の姿もない。もちろんそれはここが異界だからだ。

「そうも泣くなよ。なんだか悪いことした気分になるだろ」

「あのさ、悪いことしたじゃないのさ。ボクだって途中から嫌になっちゃったもん。デザートのアイスがなかったらさ、ウンザリだよ」

「デザートか。やろうと思えば、ピーマンのケーキも出来るが。いるか?」

「いらない!」

 たちまちサキが弾けるように立ち上がると、歯をみせ威嚇した。よっぽど嫌だったらしい。おまけに苦みのある青臭さがいかに嫌か、力説しだしている。

「はいはい。ちょっとは悪かったと思ってるんだ、ほら機嫌直せよ」

「ちょっととな?」

 サキは下唇を噛み上目遣いで睨んだ。獣耳もあって、亘の罪悪感はいや増すばかりだ。両手をすり合わせ拝んでみせた。

「悪かったよ。調子に乗った。すまない、この通り許してくれ」

「式主、悪いと思うか」

「もちろんだとも」

「……撫でよ」

 ちょこちょこと寄ってきたサキが抱きついてきた。腹に顔を押しつけだすと、ハンカチ代わりに涙を拭きだす。要求通りその頭にポンッと手をやり撫でてやり、さらにはサラサラとした金色の髪を手櫛で梳いてやる。ついでに獣耳の後を掻いてやるサービス付きだ。

「サキってばさ、マスターに甘いよね」

 神楽は両手を上に向け頭を振った。

「おいおい甘いって、これのどこがだよ」

「分かんないならいいけどさ。これだから、マスターってばダメなんだよね」

「ダメってなんだよ、ダメってのは」

「そのまんまだよ」

「だから何がだ」

 下らない押し問答をしていると、服が引かれた。目をやれば、サキが口をへの字にして見上げている。緋色の瞳はまだ少し涙に濡れていた。

「手、止まってる」

「ああすまない。ほら、悪かったな」

 せっせと髪を梳いてやるのだが、サキの様子はグルーミングされる犬か猫のようだ。ためしに喉をくすぐれば、クルルッと甘えの声をあげだした。機嫌は直ったようだが、これでピーマン料理はしばらく封印せねばなるまい。

「帰ったら、洗って」

「へいへい、お嬢様。シャンプーにリンスでよろしゅうございますかね」

「髪以外も」

「それぐらい自分で洗いなさい」

 サキが頬を膨らます。

「洗って」

「だったらボクも一緒にお風呂入っちゃおっと」

「ああもう、分かった。とにかく話は帰ってからだ。おっと、何か聞こえないか」

「そだね、敵さんだよ」

 あに図らんや、街中で聞くには時代錯誤なパカラッパカラッとした軽快な音が響いていた。亘がサキを引きはがし身構えると、薄曇りの向こうに馬が現れ突進してくる。しかし、頭部のみ骨という不気味な姿だ。

「首の断面が見えて不気味なもんだな――ってこら! 勝手なことするな」

「許さない!」

 威嚇の唸りをあげたサキが馬へと襲いかかる。

 撫でて貰っていたところを邪魔され怒り心頭だ。緋色の瞳でヒタと敵を睨み据え、金色の髪をなびかせアスファルトの上を跳ぶように駆けていく。その本性のように、獣の如き疾走だ。

 すれ違った直後、馬がいななきをあげ転倒した。骨の頭でどうやって声が出たかは不明だが悲痛な声だ。そこへサキが襲いかかり屠る様子は、まるで大自然のドキュメンタリー番組で見る狩猟シーンのようであった。

 見ているだけだった亘は頭に手をやり嘆きの声をあげる。

「これじゃあ出番がないじゃないか」

「あーそれそれ。それだよ。ねえ、ボクの気持ちが少しは分かった? 最初の頃さ、ボクにちっとも戦わせてくれなかったじゃないのさ」

「よく覚えてるもんだな。執念深いヤツだ」

「何か言ったかな?」

 神楽はドスンと頭に着地すると、ぺたりと張り付きながら覗き込んでくる。それを笑って誤魔化すと、異界での戦いを開始することにした。


「よっし。これで五十は倒したよな」

 高層ビルの合間で、亘は鹿らしき悪魔を倒した。頭が骨なのでよく分からないが、身体が鹿っぽい感じなのだ。少なくとも馬ではない。

 速度表示の白線の上に、鹿らしき悪魔がドサリと倒れ血が流れ出す。赤黒い液体が排水性舗装の隙間へと吸い込まれていく。これが現実であれば掃除が大変だろうが、ここは異界で相手は悪魔だ。DP化しだせば薄れて消えてしまう。

 DPを回収しながら、亘は少し不満顔だ。

「効率が悪いな。いや、それでも最初の頃に比べれば良いのだろうがな」

「そだよね。今はサキが敵を呼び寄せられるから良いよね」

「にしても、雨竜くんと戦えないのが辛いよな。手頃なDP供給源、もとい戦いの相手だったのに。一回ぐらいなら誤差の内と言うそうだが、どうだろうな」

「アマクニ様に怒られちゃってもボク知らないよ」

「怒らす、危険」

 サキが恐ろしげに身を震わせた。見た目はともかく、九尾の狐の系譜として過去の記憶を有しているため、神という存在の恐ろしさを熟知しているのだ。

 亘は顎をさすり思案顔だ。

「約束を破るのはマズいよな。だがどうだろうか、たとえば雨竜くんに襲われて返り討ちにした場合は問題ないのではないかな。そうなると、上手いこと向こうが襲ってくるように仕向けるとか……」

「あのさ、そんなこと止めたげなよ。可哀想だよ――あれっ?」

 呆れた声を出していた神楽が視線を宙に彷徨わせる。中央分離帯のフェンスで両手を広げバランスを取っていたサキも様子に気付いて戻って来た。

「んっ、何あった?」

「えっとね、人間がいるよ。でもさ、一人はあの人だよ。ほらさ、前に戦ったお爺さんだね」

「左文教授か!」

 亘は素早く身構えたが、けれど神楽は大丈夫と呟いた。

「もう行っちゃったよ。残りの人間も移動しだして……うん、異界から出て行っちゃったみたい」

「そうか、なら安心だな。でも何だ、人と会っていただけなのか? 何かを企んでいるのか? このタイミングを考えると大臣が狙いかもしれないな」

「どーすんのさ。志緒ちゃんにでも、教えたげる?」

 真っ当に考えれば、それが妥当だろう。NATSに通報して――だが、亘は頭を横に振った。

「止めておこう。関わり合いになって巻き込まれでもしたら、面倒だからな」

 通報すれば間違いなく協力を求められる。そうなれば折角の定時退庁が台無しだ。自分本位な考えかもしれないが、そもそも、自分から面倒事に首を突っ込む方がおかしい。どうせ事件が起きたって大臣が襲われるだけだ。

「それさ、いいのかな?」

「念のため、明日の定時退庁後にでも覚えてたら連絡しよう。どうせ今から話したって変わらないだろ。しかも、近くに居たってだけかもしれないし」

 暢気に呟きながらアパートへと帰り約束を果たすと、のんびりしながら夜を過ごす。そして定時退庁の喜びを噛みしめながら、心安らかに眠るのであった。

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