第12話 調子にのっていたと後悔

「ん? どしたのさ、マスター何かあったの?」

 亘が声をあげたものだから、神楽がヒラリと飛んできた。そのまま亘の手首に跨ると、身を乗りだし一緒になって画面を覗き込んでくる。

 外ハネしたショートと掛襟との間にあるうなじが露わとなる。


 一瞬状況を忘れ、ドキリとしてしまう。しかも神楽が急に振り向いて目が合ったので、なおのことドキリとする。

 小さいとはいえ相手は女の子。年齢イコール彼女なしの、女っ気のない人生を送ってきた亘は戸惑うしかない。

「いや、その……そのなんだ、このステータス見てくれよ、いつの間にか称号ってのがあるだろ」

「ホントだ。餓鬼道の救済者ってなんだろね」

「神楽も知らないのか。それにしたって、称号とか分からないことだらけだな。うーむ」

 亘はひと唸りした。救済者とあるので、言葉的には悪くはなさそうだ。しかし単なる称号なのか、何かの意味や効果があるのかが分からない。

「まあ分からないものは仕方ないよな。明日の説明会で聞いてみるとするか」

「そだね、それがいいよ」

「しかし、このアプリは説明不足で不親切な部分が多いな。初期のファミコン並みだぞ」

「何それ」

「なんでもない、単なる例えだ。それよりだな、称号に効果があったら嫌だな。例えば救いを求めた餓鬼が群がって来るとか」

「でもマスターなら、DPが稼げるって大喜びでお米撒きそうだね」

 にこやかに合いの手を入れるが、神楽は随分と毒されてしまったらしい。それとも、この一日でいろいろ悟ってしまったのか。自分で戦うより米や塩で倒すのが当たり前といった認識だ。


 これでうるさいことを言われまいと、亘はシメシメ思いながら大きく伸びをする。そのまま肩を回すと、パキパキと骨が鳴る。実際には骨ではなく、関節内の気泡が弾ける音らしいが。

 思っていたより凝っている。

「んー! なんだか朝より身体が軽くて充実した気分だ。実によい気分だな」

「それさ、きっとレベルアップのせいだよ。マスターも存在の位階が上がって、身体が活性化してるんだよ」

「ほほう、身体の活性化か。なんだか、アンチエイジングに効果がありそうだな」

「そだね、あるんじゃないかな」

 その言葉に亘はニンマリ笑顔をする。三十五歳ともなれば、いろいろ気になるお年頃だ。主に衰えや、衰えとか、衰えだ。身体感覚は若いころのままだが、身体が反応しきれないことが時々起きだしている。


 倒した敵のDPで換金、さらには得られた経験値でレベルアップしてアンチエイジング。良いことずくめではないか。『デーモンルーラー』をダウンロードして本当に良かったと、亘は満足の笑顔を浮かべた。

「ねえねえ、お米もお塩もまだ残ってるけど、もっと敵を倒してくの?」

「そうだな……いや今日はもう帰ろうか。幾ら身体が軽くても状態が疲労で表示されているからな。それに、八時間労働は守らないとダメだよな。定時を超えて残業だなんてのは、仕事だけで充分ってもんだ」

「なんだが凄く実感の籠ってる言葉だね……って、あれ? 何だろこの感覚?」

 神楽が急に顔を上げ、辺りを見回す。

 その声色に、亘も気の緩みを表情と同じく引き締め周囲を見回す。しかし辺りの景色には特段変化は見られず、警戒する要素は特になかった。


 もっとも神楽の探知は見えない場所まで届くので、景色に変化がないからと油断はできないのだが。

「なんだか急にDP濃度が変化してるよ。これって、すっごく嫌な感じだよ」

「すぐ出口に走るぞ、それ急げ!」

 亘は即座に判断すると、頭に神楽を載せたまま走りだす。異変を感じたら即撤退するのは鉄則だ。避難する行動に躊躇は禁物だろう。

 車道の真ん中を全力で走っていく。


 しかし、いかんせん出口までの距離がある。最初は出口付近で戦っていたが、餓鬼を追い求めるうちに、いつしか出口から離れてしまっていた。キノコ穫りで遭難する典型的なパターンと同じだ。

 亘は唇を噛み、調子にのっていたと後悔する。

「前っ!」

 神楽が叫ぶように言い放つ。

 ズンッと下から突き上げるような振動が響き、前方の道路が大きくひび割れた。

 慌てて足を止めた亘の前で、道路の舗装が弾け飛んだ。まず表層の黒いアスファルトが破片となって宙へと撒き散らされ、その下にある路床や路体の土砂を巻き上げられる。

 そして白く巨大な何かが現れ出た。

「……骨?」

 地面の中から真っすぐ突き出されたのは、巨大な骨の腕だ。その荒唐無稽な光景を、亘は呆然として見つめるてしまう。

 骨の腕が倒れるようにアスファルトへと叩きつけられ、風圧が離れていた亘まで押し寄せる。思わず身を庇っていると、続いてせり上がるようにして髑髏が現れる。

 巨大な骸骨が地面の中から這い出ようとしていた。

 上半身が引き上げられていき、さらに反対の手が地面を掴み一気に上体が現れる。片足が地面にかけられ、言葉こそないもののヨッコラセといった仕草で巨大な骸骨が現れた。


――おおおおおっ!


 巨大骸骨は猫背気味に立ち上がり、暗い眼窩でもって明らかに亘へと視線を向けてくる。そして茶褐色な乱杭歯をむき出しにすると威嚇をしてきた。

「マスターぼさっとしたらダメだよ! 逃げなきゃ!」

「っ、そうだな!」

 神楽の叱責で我に返る。

 さっと周囲を精査するが、巨大骸骨が現れた向こうにコンビニがある。出口はその先にある路地だが、そこに行くには、巨大骸骨とその巨体が這い出した穴が邪魔だ。

 迂回する道はある。だが、巨大骸骨がわざわざ立ちはだかるように登場したことが、ただの偶然と思えるほど楽観的ではない。

「どうやら逃がす気はないみたいだな。餓鬼や亡霊とも違うタイプだな、これは手下がやられてボス悪魔が出て来たということだな」

「ボクも全部を知ってるわけじゃないから何とも言えないよ」

「でかい骸骨か、だったら餓者髑髏だな……でも、餓者髑髏ってのは最近の創作だったはずだが」

 敵を前に逃げもせず会話するのは理由がある。

 這い出した餓者髑髏は威嚇をしたものの、カタカタ顎を鳴らすだけでジッとしている。もし餓者髑髏が襲ってきたら、その隙をついて逃げるつもりだったためアテが外れてしまった。


 少しだけ距離をとってスマホを弄ってみせる。

 敵を目の前にしては余裕のありすぎる動作だが、これは挑発でもある。餓者髑髏の動きを常に意識しており、もし動きがあれば出口まで突っ走るつもりだ。

「動かないな。あそこ以外に出口はないのか?」

「うーん、きっと探せばどこかにあるかもしれないよ。でも絶対にあるとは限らないけどね」

「そう甘くはないか」

 亘は眉を寄せ悩む。

 別の出口を探してもいいが、神楽の言うよう探しても必ずしもあるとは限らない。今はお互いの出方を伺っている状態だが、もし亘たちが別の場所に行こうとすれば襲ってくる可能性は充分にある。

 その場を動こうとしない敵と、動く敵。どちらが脅威かは考えるまでもない。

「こうなったら奴を倒す方向で考えてみるか……しかしでかいよな、高さは表示板と同じか。だったら五メートル弱か。ボス悪魔だとすれば当然強いだろうな」

 亘とのスケール比でなら三倍はあって、赤ん坊と大人ぐらいの差がある。いかに餓者髑髏が巨大かわかろうものだ。

 アプリの図鑑で餓者髑髏の項目を発見する。

「レベル8でDP量は30DPか。さすがに餓鬼よりDPが多いのな」

「そりゃそうだよ。でもさ、頑張れば倒せるかな。そんなにレベルが変わらないでしょ」

「そうだな……どうかな……身体が大きいってのは、それだけで脅威なんだよな」

 巨体というものは、それだけで充分脅威だ。リーチも違えば質量も違う。何でもない腕の一振りが大ダメージになりかねない。戦うには厄介すぎる相手だろう。

「大丈夫だよ。今日は殆どMP使ってないし、ボク、魔法をバンバン撃っちゃうからさ!」

「そうだな……だが、まずは今日のセオリーで行こうじゃないか」

「つまり、お塩とお米だね」

「ああ。それに、まだ用意して使っていないのもあるしな」

「まだ何かあるんだ」

 亘と神楽はヒソヒソ耳打ちし頷き合い作戦を打ち合わせるが、餓者髑髏は身じろぎ一つせず虚ろな眼窩で見つめてくるままだ。

 曇り空のような薄明るく薄暗い空と平凡な街並みをバックに立ち尽くす巨大骸骨。その姿は酷くシュールで間抜けでさえある。もし筋肉だけでもあれば、巨人じみて恐ろしかったかもしれない。

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