第333話 この困難に立ち向かって下さい

 神楽の放つ光球が白猿に命中。

 その白猿の剣と鎧を身に付けた腕が爆発によって千切れ、宙を舞ってアスファルト舗装の上に音をたて転がった。けれど白猿は怯まず苦痛と怒りの咆哮をあげ、円輪を投擲。これに神楽は、目を見開いて敏捷に上昇することで回避。

 だが、そこを狙って別の白猿が跳躍し、人に似て人に非ざる動きで両手を伸ばし襲い掛かる。上手くすり抜けたところに、さらに別の白猿が飛び掛かり、今度こそ神楽は悲鳴をあげ必死になって逃げた。

 白猿は三体もいる。

 巧みに連携をしてくる上に、それぞれが異界の主と呼べる強さがある。しかも、世界に悪魔が溢れる以前には見られなかったほど強い――つまりレベルが高い――のだ。

 もちろん神楽も強くなっているが、苦戦するには理由がある。

 背後に人間たちを庇っているのだった。講習会参加者の何人かで、強くなった勢いにのって、相手の力量も考えず戦いを挑んだせいでボロボロになっている。神楽がかけつけ治癒しておかねば、恐らく死んでいただろう。

 ここに駆け付けた神楽は、皆を庇いながら戦って治癒までこなして大忙しだ。

「ああ、もうっ! なんなのさ!」

 光球を回避され神楽は苛立ちの声をあげた。

 そこに油断があったと言えば、あったのだろう。白猿の一体が仲間を踏み台に跳び上がり、予想を越える高さにまで到達。白毛に覆われた腕がしなやかに振り抜かれ、神楽はそれを回避できない。

 きゃんっと悲鳴をあげ、叩き落とされ地面に激突――その寸前でサキが飛び込んだ。

 凄い勢いで走ってくると、両手を前に飛びついて受け止める。ただし着地を考えていないので、勢いを止められず諸共に地面を転がっていく。コンクリートの塀に突っ込んで、これを破壊しているぐらいの状態だ。

「おい、何をした」

 追撃に動く白猿三体が、弾かれたように振り向いた。

 そこに亘がいる。

「何をした」

 抑えた声は問いただすものではなく、詰問し咎めるものだ。目付きは鋭く鼻の頭から眉間に皺を寄せ、軽く開いた口の中で歯は噛みしめられている。

「何をした!」

 亘は一気に突進して、一番手前の手近な白猿を突き飛ばし、腕を振るったかと思うと手にしていた棒を閃かせ、そのまま脳天に叩き付けた。さらに止まらず、次の白猿の胴にも打ちつける。

 もう一体は身を翻し道路標識の上に飛び退いた。

 攻撃をしかけた亘に驚いたようだが逃げはしない。そこから様子を窺っている。

「大丈夫か!?」

 崩れたコンクリート塀に向かって声をかけると、瓦礫が動きサキが顔を出す。細かな破片や粉塵を、頭を振って振り払い、両手に持っている神楽を確認し頷いている。

 それに安堵していると、道路標識の上から白猿が剣を手に襲いかかった。

 じろっ、と見やった亘が一歩引き、手にした棒を下から上に突き込んだ。ここまで三体を倒した亘の動きは、素晴らしく戦い慣れをしている。実戦の中で磨かれた技術としか言い様のないもので、地面に倒れたまま傍観していた近村や老人たちは唖然とするばかりであった。

 

「まったく油断大敵だぞ」

「そだね」

「もっと注意しないと駄目だからな」

「そだね」

「分かってるのか」

「うん。ボク分かってるからさ、マスターの気持ちとか」

 神楽は亘の肩で上機嫌だ。戦いのダメージは自力で回復して、まったく問題がない。それどころか、先程の亘の反応を見て聞いて知って、御機嫌なのだから。

 これに対し亘は、軽く鼻を鳴らして不機嫌そうだが、要するに照れている。そしてサキの髪を手で梳いてやりながら、そこから細かい砂埃や小さなコンクリート片をとってやっているのだった。

「あのっ、申し訳ありませんでした」

 近村を先頭にして、戦いに加わっていた数人が頭を下げに来る。言葉通りに反省している部分もあろうが、それよりは亘の怒りを恐れてのことに違いなかった。

 ただし、亘は気にもしていない。

 よっぽど露骨で明らかでもない限り原因と結果は切り離し、誰のせいで何が起きたかといった、因果関係に文句を言う気はないのだ。そういう事で嫌な思いをした経験があるからこそだった。

「気にしなくていいですが。でも、もっと相手の力量を見極めて……」

 言いながら気付いた。

 よく考えれば、相手の力量を見極め戦う相手を選ぶことは難しい。亘の場合は神楽が探知で調べてくれるが、そうでなければ相手の力量を見極め、強さを推し量る事は難しいだろう。

 普通の人間同士で考えても、何となく相手の態度や体格や雰囲気で腕っ節の強さを見たりはするけれど、それで本当のところは分かりやしない。

 言葉を濁した亘だったが、近村たちが続きを待っている事に気付いた。

「つまり、自分と相手の力量を見極めることも大切。それが分からず相手に攻撃するようでは、まだまだ鍛錬が足りないかな」

 ちょっと言ってみたかったことを言ってみる。それなのに、皆が真面目な顔で肯き真摯に受け止めてくれるではないか。これが何とも言えぬ、癖になりそうな心地よさだ。

 これまで、こんなことはなかった。

 学生時代は元より、社会に出て仕事をしてからも自分の意見など、誰もまともに聞いて貰えなかった。物事は常に右から左に動き、我の強い人に翻弄されることが常だった。

 ――でも気を付けないといけない。

 自分の意見を聞いて貰えて嬉しい気持ちがエスカレートすれば、自分の意見に相手を従えたくなり、さらには相手が従って当然という気持ちになりかねない。

 亘はそれを恐れて反省する。


 白い大きな建物は食品加工工場の駐車場に、講習会参加者たちは勢揃いをした。辺りでは防衛隊や他の車両が動き、確保された工場の確認作業に忙しい。おかげで少し排気ガス臭く、サキなどは顔をしかめている。

 志緒が紙資料を胸に抱きつつ、皆の前に立つ。

「それでは、これで講習会全体の内容は終了となります。全体を通じまして、五条さんに講評をして貰います」

 タイミングを合わせ、さっと動いたヒヨが木の台を運んできた。

 亘が目を向けると、笑顔で頷いており、そこに上がって喋って欲しいらしい。仕方なく息を吐くのは、見知った相手ばかりとは言え、やっぱり大勢の前で喋るのは緊張するからだった。

 それでも意識を仕事モードに切り替える。

「では、皆さん。本日はお疲れ様でした。そして、講習会もお疲れ様でした」

 何となく台詞を考えていただけで、細かい言葉までは考えていなかったが、思ったよりもすらすらと言葉が口を出てくる。

 こうした場面では、不思議と二回に一回は失敗するが、今回は成功の時らしい。

「えー、悪魔と戦うことは、これからも必要なスキルですので、そうした面からも、今後も弛まぬ努力と研鑽を続けて欲しいと思います。えー、明日は講習会の修了の式典がありまして、その後にそれぞれの部署に配属されると思いますが、是非とも鍛錬の時間を設けて頂き、この講習会の内容と……」

 少し言葉に詰まる。

 どうやって喋ろうか思案する間も、皆は大人しく耳を傾け待ってくれている。

 今まで人前で喋ることは辛いことで苦手で嫌だった。子供時代に向き不向きを無視され、大勢の前で無理矢理喋らされた苦痛や、そこでの失敗体験が蓄積されていたせいだ。

 ここには喋る途中で茶々を入れる者や、些細な言い間違いを笑う者もいない。

 だから安心して喋っていいのだと、自分を落ち着かせる。

「そう、この講習会の空気というものを伝えて貰いたいと思います。皆さんが、ここで身に付けたものは、悪魔の召喚だけではない。それは悪魔と戦うという力ですね。新しい部署に行って、そこの新しい仲間たちにも、それを伝えて欲しいです。そして、一人一人が悪魔と戦うという意気込みを持って。この困難に立ち向かって下さい」

 喋っている内に楽しくなってきた。

 こうした場面で茶々を入れそうな奴は、講習会の開始した頃には居たが、今は居ない。どこに姿をくらましたか知らないが、お陰で面倒はなくなった。居なくなって以降の講習会は、すっかり雰囲気も良くなって、皆が協力的で助け合う理想的な状態になっていた。

 居なくなった事が、ここまで皆に喜ばれるとは、むしろ気の毒になるくらいだ。

「しかし、今日の講習会では危険なシーンもありました。そうした事が常にありうるので、物事が上手く行っている時にこそ慎重になるように。是非にも、その経験を活かして下さい。そして仲間との連携は大切かと思いますが、その中で自分を見失わなず、引き続き努力して欲しいと思います。以上です。ありがとうございました」

 途中から自分の発言を少し見失ったが、何とか勢いで言い切ってみせた。

 こうした語りで大切なことは、きっと内容よりも途中で言葉に詰まったり迷ったりせず、堂々と自信を持って語ることなのだろう。

 皆からの力強い拍手が心地よく、やっぱり癖になりそうだ。

 そうとは言えど、ここで調子にのるのは宜しからず。次はもっと上手くやろうとして、却って逆に緊張して失敗するに違いない。だから二回に一回は失敗するのだ。

 ――だけど、心配しなくていいか。

 講習会が終われば、しばらく人前で喋る機会はないのだから。

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