第214話 小物なりの見栄とプライド
部屋の中も、大河ドラマでしかお目にかからないものだ。
香の漂う部屋は両脇に襖が並んだ畳敷き。御簾で区切られた奥は微かに透けて見えるが、二帖重ねの畳座には誰の姿もなさそうだった。
代わりに御簾の前には老人が一人座っている。深紫色した束帯姿で、麻呂とでも呼んでやりたくなるような感じだ。
戸惑っていると、藤源次がそっと自分の背後に座るよう示してくれた。
ヒヨが頭を下げつつ恭しくまかり出ると、正座から手を突き深々と礼をする。
「長円様におかれましては、ご機嫌麗しく。一文字ヒヨにテガイの里の藤源次が参上いたしました。また、件の人物を案内して参りました」
「ご苦労である」
「ははっ」
長円と呼ばれた老人が素っ気ない声で答え、ヒヨと藤源次が畏まって頭を下げる。つられて七海も頭を下げているが、しかし亘は下げない。
それは、あの例の良くない癖だ。自分より偉い相手や、皆が恭しくする相手ほど絶対に媚びてやるものかと対抗心を燃やす癖が頭をもたげているのだ。
先程の案内の者もそうだが、この長円老人も随分と偉そうではないか。つまり、むかつくという事である。
無礼を咎めるような目で睨まれようと、素知らぬ顔をする。
鈴が鳴らされた。
「盟主様が御入室なさる。一同頭を下げい」
長円老人は畳と向き合うほど深々と頭を下げ、ヒヨも藤源次も同じく倣う。七海も同じように床に手をつき頭を下げた。全員が背が床と平行になるぐらいに平伏している。
そうと分かるのは、もちろん亘だけが頭を下げていないからだ。
――なんで頭を下げねばならないのか。
御簾の向こうに白い衣装が揺れ動く様が透けて見えた。ゆったりとした動きで畳座に向かっているが、その足が一瞬止まる。どうやら亘の様子に気づいたらしい。
顔は見えないが、何となく目が合って笑われたような気がした。それで亘は軽く礼だけしてみせる。
またしても長円老人の声が響いた。
「一同面を上げい」
亘が平伏しなかった事を知るのは、隣に座る七海と御簾の向こうの人物ぐらいのものだろう。
「堅苦しいことはよい。もっと気楽にせよ」
御簾の向こうから投げかけられたのは女性の声だ。
張りのある若い声だが、同時に深い老成を感じる不思議な響きでもある。そこに面白がった色が少しばかり含まれていた。
とりあえず亘の感想は、ほらヤッパリなというものだ。
こういった歴史系組織のトップが若い女性ということは定番らしい。どんな相手か、御簾の向こうを覗いてやりたい誘惑にかられてしまう。
亘が誘惑を抑えていると声が投げかけられる。
「さて、五条と申すか。九尾を従えておると耳にしたが、それは真か?」
しかし亘が答えるより先に長円老人が口を挟んでしまう。
「そこの者よ直答を許す。盟主様に失礼の無きようお答えするように」
「爺よ、黙りなさい」
「しかし、このような者には――」
「二度は言わぬよ。控えなさい」
厳しさを含んだ声に長円老人は不承不承といった態で口を閉ざした。代わりに睨むように一瞥してくるのだが、そこには失礼は許さぬといった無言の声が込められているではないか。
――むかつく。とてもとてもむかつく。
車ごと崖から落とされたことに始まり、腹が立つことばかりだ。土下座までしてくれたヒヨに対してアマテラス本部の連中ときたら……案内の男たちに、この爺まで上から目線で失礼すぎるではないか。
「さあ、どうだ? 真に九尾の狐を従えておるのか?」
亘の心中など露知らず、ワクワクした声が再度問いかけてきた。それがまた腹立ちをかき立てる。
そもそも、この目の前の盟主様とやらが部下の手綱をしっかり握っていれば、今頃は七海と楽しい一時を過ごしていたはずなのだ。ひょっとすると、今頃二人きりの甘い夜を過ごしていた可能性だってある。
チャンスを邪魔され怒らない男がいるだろうか、いやいない。
「確かにそれは事実だ。もっとも、まだ尻尾は九本もないけどな」
そんな言葉に長円老人が目を剥いた。
「こんの無礼者がっ! このお方をどなたと心得る――」
「爺よ黙れと言ったはずよな」
「しっ、しかし……」
そんなやり取りの中でヒヨなど軋みをたてそうな動きで見返ると、極限まで目を見開き細かく震えている。
「なんてことを……」
なお藤源次は下を向き肩を震わせているが、どうやら笑いを堪えているらしい。
そして御簾の向こうから聞こえてくる声は嬉しそうだった。
「面白い。どうだ、この場に喚んでみてくれぬか。吾が許す」
「お待ち下され! この神聖なる社殿に下賎な悪魔を喚びだすなど、もっての外でございます! いかに盟主様とはいえど、お戯れが過ぎますぞ!」
長円老人が御簾の向こうへと向き直ると、血相を変えて文句を言いつのる。なんだか、腰巾着のご意見番のような有様だ。側に控え相手に仕えるようで、その実は相手の行動を制約してしまう厄介なタイプだ。
「この吾が見たいと言っているが」
「なりませぬ。なりませぬと言ったらなりませぬぞ!」
「よいではないか。爺は煩いの」
「煩いではありませぬ。この伝統あるアマテラスの中枢において悪魔を、それもかの九尾に連なりし悪魔めを喚ばせるなど、言語道断もってのほか。よろしいですか、先祖代々ここを守りし我らの志というものは――」
「やれ、また爺の長話が始まった」
なんやかやと、御簾の相手と長円老人が言い合いを続けている。
無視される形になった亘は軽く咳払いすることで注目を集めた。長円老人はバツの悪そうな顔になり、そして御簾の向こうの人物は身を乗り出す様子が薄らと見える。きっとワクワクした顔をしているに違いない。
「あー、つまりこの場に従魔を召喚してみせろと?」
「その通り。なに爺の言葉など気にする必要はない、盟主たる吾の命じることだ。誰にも文句は言わせない。さあ、喚んでみよ」
「なるほど、なるほど。ここはアマテラスの本部で盟主様が命じるなら何の問題もないってことだ。それでは――嫌なこった」
亘は御簾の向こうに笑ってみせた。それは会心の笑みですらある。言ってやったと大満足なのだ。
「なんじゃとっ! 盟主様の命じることを断ると申すか!」
真っ先に反応した長円老人は額に皺を寄せ眉を限界まで上げ、怒り半分驚き半分といった顔で睨んでくる。さっきまで反対していた癖に何なのだろう。
そして、御簾の向こうからは、ほうっという驚きとも感心ともつかない声が聞こえた。流石に断られるとは欠片も思っていなかったのだろう。
「それは何故だ?」
「従魔ってのは大切な仲間なんだ。それを見世物にしろと? 冗談じゃない巫山戯るな。盟主だからと、あんた何様のつもりだ。人を馬鹿にするな」
場の空気が凍りついた。
今度こそ、御簾の向こうの人物さえ絶句してしまう。ヒヨなんぞ全身を携帯のマナーモードばりに震わせるぐらいだ。そして長円老人は空気を求める金魚のように口をパクパクさせ声すらでない。
亘は秘かにほくそ笑んだ。悦に入り、言ってやったと満足さえ感じていた。鬱憤晴らしには最高だ。
もちろん何も考え無しではない。
仕事の関係でよく知っているが、こうした組織の上に立つ者は案外と立場が弱いものだ。部下や外部への対面があるため、いちいち相手の無礼に目くじらを立てられないのである。
あははははっと高笑いが聞こえた。
御簾の向こうの人物は膝を叩き、心の底から愉快そうだ。
「確かにその通り。ああ大切な仲間を見世物にさせようなどと、これは大層失礼を言った。申し訳ない。あれも良き主を得たようだ。そうではないか、長円よ」
「ははぁっ、盟主様の仰る通りでございます」
「愉快、ああ愉快。こんなに愉快な気分になったのは、何百年ぶりか。さすが桜の姫が自慢するだけはある。これはさっそく、他の御柱にも話してやらねば」
さらっと何かとんでもない言葉が聞こえた気がした。
意味を理解するより先に、御簾の向こうから新たな言葉が飛んでくる。それまでの楽しさを含んでいたような声ではない。もっと遙かに厳粛で荘厳さすらある声だ。自然と身が引き締まり頭が下がるような、畏敬の念を抱いてしまう。
「なれば五条亘とその使役悪魔がことを吾が認めよう。この日の本において、誰はばかることなく動くと良い」
「…………」
「そしてもう一つ忠告しよう。その身が使う振るう力は危険なもの、無闇に使わば蝕まれ戻れなくなるだろう。心せよ」
その声には本物の威厳があった。
亘は自分の矮小さ加減を思い知らされ、一瞬たじろぐ。思わずひれ伏しそうになる気持ちを必死で抑え込み、最後まで小物なりの見栄とプライドを総動員させ、前を向いたまま堪えきってみせた。
またしても御簾の向こうから小さな笑いが聞こえるが、まるで小さな子供が必死に頑張る様を楽しむような声だ。きっと全て見抜かれているのだろう。
長円老人が御簾へと向き直ると、大仰な仕草で平伏してみせる。追従ではなく、それは心の底から敬った仕草だ。
「なんと勿体なきお言葉。この者も盟主様のお心遣いを頂き、感じ入っているようでございます」
「まったく長円ときたら、どうしてこんな堅苦しい子に育ってしまったのだろね。昔は可愛らしく、盟主様盟主様と子犬の如く後ろをついてきたのに」
「なななっ、何を仰いますか……さあさあ盟主様、もうお戻り下され。ささっ、早う。謁見はお仕舞いじゃ、者ども下がりゃ」
長円老人が大慌てする姿に、アマテラスの盟主は愉快そうに涼やかな笑い声を響かせていた。
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