第215話 全部言ってあります

「あなたバカですか阿呆ですか何者ですか! 盟主様にあんな態度をとるなんて、何を考えているんですか。私は、私は、私は……ううっ、お腹が痛いよう」

 最初の事務室に戻ったところで、ヒヨが早口で文句の声をあげた。半泣き顔を両手で覆っており、大半の者が罪悪感を抱くに違いない様子だ。

 しかし亘は素知らぬ顔を決め込むばかりだ。

 自分が悪いことを――ほんのちょっぴり――したと思ってはいるが、もちろん謝る気などない。そもそも自分の方が被害者なのだから。責められるべきは相手であって自分ではない。

「知らんがな」

「なんですか、その態度は。全員まとめて、首が飛んだかもしれないんですよ」

「生きてるだろ」

「その態度、その態度――むきゃあああっ!」

 およそ女性らしくない声をあげヒヨは地団駄を踏んだ。しかも、いつのまにか取り出したハンカチを噛みしめており、これは中々に面白い見世物である。

「まあまあ、ヒヨ殿。済んだことを言うても仕方あるまいて。五条のは、こういう奴なのだ。怒るだけ損ということで堪忍してやってくれ。さあ座ろうではないか」

「えらい失礼な評価だ」

 仲裁に入った藤源次に文句を言いつつ、亘はソファに座り込む。隣には七海がちょこなんと並ぶ。それでヒヨも渋々と向かいに腰を降ろした。

 既に夜も遅い。

 ヒヨの部下たちが宿泊の手筈を整えており、今夜はこの施設に一泊するのだ。

「藤源次こそ笑いを堪えていたように見えたが、気のせいだったか?」

「ふむ。バレておったか、我もまだまだ修行が足りぬのう」

 男二人で笑い合う様子にヒヨはむくれ顔だ。すっかりふて腐れている。

 その横で七海は下を向き、何やら思わしげに悩み込んでいた。そっと形の良い唇へ指をあて、恐る恐る声をあげる。

「あのですね、もしかしてなんですけど。そのう、さっきの盟主様って、もしかして……もしかして神様でしょうか?」

「娘御よ、我らの組織の名は知っておろう。つまり、そういうことよの」

「まさか名前そのまま……なのですか?」

「うむ」

 藤源次はゆっくりと頷いた。

 それで七海は泣きそうな顔でカタカタ震えだす。

 今にも倒れそうな様子を気遣い、亘は優しく背中を撫でてやる。だが、どう考えても諸悪の根源である。

「そうか、何様だと言った相手が神様だったとはな。洒落にならんな、はははっ」

 場を和ますジョークのつもりだったが、ヒヨは激しい眼差しで睨み付けてきた。

「だーかーらっ! なんで、その程度の感想ですかっ! もっとこう別の感想はないのですか。畏れ多いことをしたとか、今からでも侘びようとか、可哀想なヒヨさんに申し訳ないことしたとか! だいたい、なんでどうしてあなたは盟主様の前で普通でいられたんですか! おかしいですよね、畏敬の念とか尊敬とか感じませんか!? といいますか、私の前でいちゃつかないで下さいよ!」

「これ落ちつかぬか、どうどう」

 ついには指を突きつけ喚きだしたヒヨを藤源次が宥める。

「しかしのう、五条の。ヒヨ殿の申すことは我も思うたのう」

「そうですよね、藤源次様だって目の前でいちゃつかれると腹が立ちますよね」

「ふむ? いちゃつく?」

 藤源次は視線を向け、七海の背を撫でる亘を見やった。

「ふうむ、いちゃつく。我もスミレのやつが怯えた時は、よくやっておるが。あ奴はああ見えて雷が苦手でな。我が背を撫でてやると安心するのだ」

「くっ! 惚気られるなんて!」

 ヒヨは悔しそうに歯を噛みしめるばかりだ。

 小首を捻る藤源次だが、気にしないことにして話を続ける。

「五条の、お主はようも盟主様の前で平然としておれたものだ。普通であれば、神威に打たれ頭も上げられぬものだがのう」

「あっ、私そうでした。何と言いいますか……恐いわけではないですけど、何だか顔が上げられませんでしたよ。五条さんは、どうして平気でしたか?」

 この状態で単に偉い者相手にむかついたとか、小物なりの意地だったとか。そんな下らない理由だなんて、誰がどうして言えようか。

「……気合いかな?」

「そんなわけないでしょう。そんな態度ばっかりして行動するから、いつも私が苦労させられるんです。私の苦労もちょっとは分かって下さいよ」

「どうして苦労するんだ?」

「よくぞ聞いてくれました。いいですか、あなたがしでかした不始末の対応とか苦情とか調査とか謝罪とか説明とか、とにかく全てが私の部署に持ち込まれているんです」

「へー、そうだったのか。知らない場所で意外なことが起きていたんだな」

「そうなんです! ちょっとは悪いと思って下さいな!」

 ヒヨは自分の膝をバンバン叩きながら怒りだした。きっと、日頃の鬱憤が溜まっているのだろう。だが、どうにも憎めやしない。

 この感情豊かで大袈裟な仕草は、まるでチャラ夫みたいだ。

 納得した亘が軽く笑うと、それが火に油を注ぐことになった。


◆◆◆


 アマテラスの宿泊施設で夜を明かした。

 六畳一間の畳部屋に布団敷きといった簡素な部屋だ。嬉しかったのは食事で、昨夜に出されたものは宿坊の精進料理のように素材の味を活かした丁寧なものであった。残念なことは一人部屋だったことだろう。

「ふぁああ。あふうっ、眠っ」

 建物の外で朝の日射しを浴び、亘は大きな伸びをした。

 まだ早い時間のため、空気はひんやりとしたものだ。巨木が密生した森からは、朝露によって湿った土と木の香りが漂ってきていた。

 そんな爽やかな空気の中で何度も深呼吸をする。

 実は少々寝不足気味であった。

 あのまま何事もなくデートが続いていればどうなったか、と下らない妄想を続けたことが理由だ。そして、これから先は妄想が現実になる可能性が高いと気付いてからは、ますます寝られなくなったのだ。

「おはようございます。寝られませんでしたか?」

 そこに涼やかな声が響く。

 爽やかな朝に相応しい相手に会えたことが嬉しくなり、亘は嬉しげに振り向く。おはようと言いかけ……あんぐりと口をあける。

 そこにいた七海は巫女姿をしていた。

 豊かな緑に囲まれた爽やかな空間の中に、白と緋の衣装が良く映える。眩しい光の中で、ふんわり優しげな笑みを浮かべた七海の姿。その髪を微風が揺らす。

 胸をつかれるほどの感動だ。


 亘がぽかんとして見つめ続けるため、七海は恥じらうような顔になる。

「どうでしょうか、似合わないでしょうか?」

「その……とても似合ってる」

「良かったです。ヒヨさんが着てみないかって、準備してくれたんですよ」

 そう言って、両手を広げながらくるりと回ってみせる。白衣からは掛け衿が覗き、袖には身八つ口だってある。緋袴からの足下は足袋に草履だ。本物の巫女装束だ。

 亘は照れたことを誤魔化すように鼻の下を擦るしかない。

「良かったじゃないか」

「後で、ちょっとだけ巫女さん体験をさせてくれるそうなんですよ。行ってきてもいいでしょうか」

「それは良いじゃないか。折角だから行っておいで」

「はい。帰りが遅くなっちゃいますけど、ごめんなさい」

「気にしなくていいさ。こっちは別に構わないからな。でも大丈夫なのか?」

 亘は気まずげに頬を掻いた。

「ほら、門限とかあるだろ。ここに泊まっておいて今更だが、親御さんに怒られたりしないか」

「それは大丈夫ですよ。だって、五条さんと一緒に泊まってきますって言っておきましたから。お母さんたら、もう一泊ぐらいしてきなさいって言うんですよ」

 そう言った七海はくすくすと笑っている。爽やかな朝に相応しい涼やかな笑いだ。

「ほう、そうか……ん?」

 亘は頷きかけ、しかし絶句して目を瞬かせた。何を言っているか分からない。

「ええっと? それってどういう意味だ。お母さん知ってるの?」

「はい? 何がですか?」

「いやだから、なんと言うか。悪魔とか、その……処々諸々をだ」

 亘は口ごもり問いただすのだが、七海はキョトンとした顔で瞬きするだけだ。

「もちろん全部言ってありますよ。デーモンルーラーのことも、アルルのことも。それから五条さんのことも。全部」

「全部?」

「はい全部です」

 染めた頬を押さえる七海を眺めながら、亘はますます混乱する。この娘は何を言っているのだろうかと。

「あのさ、そういうのって普通は家族に内緒にしとかないか?」

「そうでしょうか? 内緒にする必要はないと思いますけど。だからイツキちゃんのことだって、すぐOKしてくれましたんですよ」

「ああそういや……まあデーモンルーラーのことは、いいとして。その……もしかして、自分とのこと全部言ってあるの?」

「はい、言ってあります」

「もしかして、前にキセノン社であったこととか……」

「はい」

 亘は驚愕した。

 この七海の母親はどんな人物なのだろうか。超常現象みたいな状況を素直に受け入れ、さらにはイツキを受け入れ家に預かったり、そして自分と同じ歳の男と娘の仲を認めるなど……誠に解せぬ。

冷や汗をかく亘の前で、七海はにこやかに笑うばかりである。

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