第216話 三つ指をついて

「それでは行ってきます。お昼までには戻りますから」

 にこりと笑った七海は、アマテラスの女性職員に連れられ巫女体験へと向かう。まずは祈祷と掃除をするのだそうだ。一緒に行きたい気のする亘であったが、邪魔してはいけないと我慢した。

 七海が振り向いて手を振るのに応え、軽く手を挙げてやる。若葉のような姿を見送ると、亘は小さく息を吐く。

「さて、どうしたものかね。暇になったな」

 とりあえず手持ち無沙汰だ。

 近場に観光出来るような場所などない。強いて言うなら、このアマテラスの本拠地の一部が参拝者が多数訪れる観光地などになっている。しかしながら、亘としては人の多い場所は嫌いだ。

 暇なら異界に行って悪魔退治でもしたいが、残念ながら場所が場所だけに存在しない。そうなると散歩ぐらいしか、する事がない。

「こうなったら、神官体験でもさせて貰おうかな」

 神官姿の自分と巫女姿の七海を想像の中で並べ、ほんわかしていると藤源次とヒヨがやって来た。気軽に挨拶をするが、そうした関係が何より嬉しい。

「五条の、ここにおったか。どうした、何やら考え事でもしておったようだのう」

「そりゃまあ暇なんで。どうしようかと思って」

「なるほど暇か。であれば、ちと我に付き合わぬか。知り合い衆に挨拶して回るとこなのだ。お主も一緒に来ると良い、知己を増やして損はなかろうて」

「いや、そういう営業活動は面倒なんで遠慮しておくよ」

 亘は首を竦め断った。

 親切心と分かってはいるし、そうする事が良いとも分かっている。だが、以前より改善されているとはいえ、知らない人と会うのは苦手なのだ。しかも、挨拶回りなんてだ――勝手な思い込みかもしれないが――相手に媚びを売るようで、なんだか気に入らない。

「ふむ、そうか。別に無理にとは言わぬので構わぬ。気が変わったら、またいつでも言ってくれい。それでは、我はちょっくら行ってくるとしよう」

 藤源次は苦笑すると、スタスタと行ってしまった。そして事務服姿のヒヨと二人で残されてしまった。


 亘はちらりとヒヨを見る。

 相手は女性で、しかも昨日知り合ったばかりの相手だ。その意味では話かけ難いのだが……知り合いに似た雰囲気があるので気にならない。なんとなく、女性版チャラ夫のように感じているのだ。

「七海の巫女体験の件、ありがとう。とても喜んでいた」

「いえいえそんな。それよりもですね、昨日は失礼しました。私も少し頭に血が昇ってまして。反省しました」

「こちらこそ迷惑をかけた。その前に襲われたりしたもんで、気が立っていてな」

 謝りつつも相手の非を突き、心理的優位を確保するという小せこい話術を展開する亘だが、もちろん効果は抜群だ。ヒヨは申し訳なさそうにしている。

「少し時間が空いて暇なのだが。ああ、そうだ神官体験とかあったりしないか?」

 亘はさも今思いついたように、とってつけたように言った。

「はい? 体験ですか。まずそれ、神官ではなく神職ですね。それから、専門課程があって身分の区分けも細かくありますから、どれかを体験とかは難しいかと」

「ああそうなの」

「それに、いろいろと口煩い……面倒な……そうですね、一家言ある方が大勢いらっしゃるので、関わらない方が良いですよ」

「さよか」

 どうやら、昨夜の長円老人のような人物が大勢いるのだろう。

 ヒヨの一生懸命言葉を選びながら説明する様子から亘は察した。そうなると、好き好んで面倒事に首を突っ込みたくはないので、あっさり引き下がる。

「そうなると暇だな」

 腕組みをして首を傾けていると、足下を放し飼いにされた鶏が通り過ぎていった。年賀状に描かれそうなほど立派な鶏冠と尾をしている。所謂ところの神鶏という存在で、人間を恐れるでもなく平然とした動きだ。よく見れば、そこらで日向ぼっこをする鶏もいっぱいいた。

 なんとはなしに鶏を眺めていると、ヒヨがさり気なさを装いつつ視界に入り込んできた。

「あのー、お暇なんですよね。お暇でしたら、実はお願いがありまして」

「面倒な内容でなければ」

「それは大丈夫ですから。五条様にとっても悪いお話しじゃないですから。是非協力して頂けると――」

「ちょっと待った」

 亘は軽く手を挙げ遮った。

「ふぁっ、なんでしょうか。何か気に障ることでも」

「そうじゃなくて、その様付けは止めて欲しい。普通に呼んで貰えたらありがたい。別に偉い人間ではないからな」

 ヒヨは目を瞬かせたかと思うと、親しみのこもった笑いをみせた。今の言葉に好感を抱いたようだ。

「分かりました。それでは、五条さんにお願いがあります」

「昼まで暇だから、それぐらいの間なら」

「ああ良かったぁ。時間なら大丈夫ですから。そこまで時間はかからないって聞いてますから」

 亘が首肯すると、ヒヨは大喜びだ。手を握り勢い込んでみせる。

 やはりどうにも、チャラ夫を連想してしまう女性だ。そうした自分の感情を素直に表す様子は好感が持てるものでもある。もっとも、少々子供っぽいが。

 亘はやれやれと好意の息を吐き、案内されるまま後に従った。


 ヒヨは機嫌良さげに、弾むような足取りで先導していく。そして建物内の奥まった場所で立ち止まった。目の前には木製の引き戸がある。

「さあ、こちらです。皆さんが待ってますから。軽く相手をしてあげて下さいね。ああ良かった、これで肩の荷が一つ下りましたよ。もう、あちこちからせっつかれていたので」

「せっつかれて?」

「はい、いろいろと希望が寄せられてまして。ちょっとした手合わせみたいなものだそうですよ。大丈夫です。問題ありませんから」

「手合わせか……そうか」

 亘は目を閉ざし気を引き締めた。

 考えて見れば、これまでアマテラス関係とは何度も揉め事を起こしている。昨日もそうだが、その前にはシッカケの里の者だって痛めつけているのだ。そもそもデーモンルーラーの使用者に対し良い感情を抱いていないとも聞く。

 そうなると、手合わせと称した立ち会いで痛めつけようという魂胆だってあるかもしれない。

 だが、ここで逃げるつもりはなかった。

 いざとなれば、神楽とサキを喚びだし戦えばいいのだ。アマテラスの盟主様から直々に許可を得ているのだから何も問題ない。使役する悪魔も実力の内である。

 亘はゆっくりと目を開いた。腹に力を入れ気合いを込める。

「よし、いくか」

「はい、頑張ってきてください」

「一緒には来ないのか?」

「えっと私は……誘われても、その困ります。さあ、どうぞお入り下さい」

 何故か顔を赤くしたヒヨに背を押され、亘は戸惑いながら引き戸に手をかけ中に足を踏み入れた。そこは道場でもなんでもない普通の畳部屋だった。

 床の間があって障子窓があり、見事な花が生けられた花瓶がある。そして――中央に一組の布団が敷かれ、長襦袢姿の女性が数人脇に並び三つ指をついていた。

「なんぞこれ」

 戸惑う亘に女性たちは蠱惑的な笑みを浮かべ、絡みつくような視線を向けてくる。呆然としている間に女性に囲まれ、手を取られ衣服を脱がされかけていた。

 亘は混乱しながら思考を巡らせた。

 目の前には布団がある。女性たちは潤んだ瞳だ。テガイの里では子作りが努めの一つとなっていた。何人か既に全裸状態だ。こちらも上着を脱がされ、ベルトに手をかけられている。

「失礼しましたぁ!」

 亘は回れ右して部屋から飛びだした。つまりヘタレたのだ。

 後手に強く戸を閉め荒い息をしていると、立ち去りかけていたヒヨが驚いた様子で振り向いた。とことこと、戻って来るではないか。

 目を数回瞬かせ人差し指を頬にあて、不思議そうな顔だ。きょとんとした様子には一片の悪意も無く、ただただ戸惑っている。

「あら、どうされましたか?」

「これは何のつもりだ、おい」

「何のつもりって……選りすぐりの綺麗どころが揃っているはずですけど。もしかしてお気に召しませんでしたか?」

「だから何のつもりだと聞いている。つまり、あれか? あの女性たち相手に……えーあー、つまり子孫を残せということか?」

「はい、そうですよ。各里から希望がありまして、テガイの里と同様に五条さんの血筋が欲しいそうなんです。凄いですよね、こんなに希望があったなんて前代未聞ですよ」

 亘は目を覆った。

「…………」

「あっ、もちろんご心配無用ですから。子供はそれぞれの里できっちり育てますから面倒事なんて、ありません」

 やっぱりそうだったらしい。

 男としては歓迎すべきことだろう。けれど、それでホイホイいける性格であったら、この歳まで女性経験がないままだったりしない。それに最初が複数相手だなんてレベル高すぎだ。

 亘はどっと疲れた気分で背後の戸に持たれたかかった。そこが開いたりしないか怯えつつ、しっかと押さえ付けている。

「あのな、こっちの気持ちも少しは考えろよ」

「えっ、どうしてです? 男の人って野獣だって話なのに……それにイツキちゃんは引き受けられたのに。あれ? そういえば従えてる悪魔って……」

 イツキは十六歳――なお数え年――であるし、従魔たちも小さいか幼いかの外見。それらを合わせ、ヒヨはひとつの結論を導きだした。

 得心したように頷いてみせる。

「ああなるほど、ちょっと育ちすぎでしたか。これは失礼しました」

「ちょっと待て。何か失礼なこと考えてるだろ」

「大丈夫ですよ。別に恥ずかしい性癖じゃありませんもの。私は理解できませんけど、性癖は人それぞれですからね。確か外の世界では、性癖で差別したらいけないんですよね」

「おい、人の話を聞け」

「趣味に合う年齢を大至急手配しますから」

 真面目な顔で頷くヒヨに亘は戦慄した。

「こいつ、とんでもないことを言い出したぞ」

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