第217話 繊細で傷つきやすい
「違うなら、どうして何もしないで出てくるんですか。私がどれだけ苦労してると思ってます? 昨日だって盟主様相手にあんな態度とって。あれから、長円様に呼び出されてネチネチ叱られたんですよ」
「知らんがな」
「そうでしょうとも、そうでしょうとも。私の苦労なんて知るはずないでしょ」
怒り気味のヒヨだったが、急に肩を落とし項垂れてしまう。アマテラス本部の廊下で騒いでいるのだが誰も姿を現さない。少なくとも亘が背にする扉には女性が何人も居るのだが、誰も出てくる様子がなかった。
とにかく亘がヒヨの相手をせねばならない。
「あなたの担当が私ってことで、あちこちの里から照会がいっぱい来てるんですよ。紹介してくれって、何度もせっつかれて。ようやく準備できて、皆に声をかけて集めたのに性癖のせいで台無し――」
「だから違うって言ってるだろ」
「はいはい、そうでしたよね。ちょっと対象年齢が低いだけですよね。それはどうもすみません、私の言い方が悪うございました」
ヒヨはふて腐れたように言った。
――うわ、こいつむかつくなぁ。
のど元まで出かかった言葉を辛うじて呑み込む。
この状態になった女性には理屈も道理も通用しやしない。下手に反論しようものなら何倍にもなって言い返されるだけ。しかも自分の罵詈雑言は都合良く忘れ、こちらの発言だけは克明に覚えているのだ。
怒ってぶち切れた母親にそっくりなので、良く知っている。
「雲林院様には無茶振りされるし、寺社系列は勝手するし、やんごとなき方から問い合わせはあるし、毎日帰るのは日が暮れてからなんです。お腹が痛くって夜は8時間しか寝られないぐらいです」
賢い亘は沈黙を保つ。
この場での発言は悪手。黙って話を聞き、適度に相づちを打つ事が最良。なにせ相手は感情を爆発させているだけで、反論や意見を求めてはいないのだ。荒れ狂う川を堰き止めようとするバカがいない。つまりは、そういうことだ。
ただしちゃんと聞いておかねばならない。生返事は瞬時に見抜かれ、それは更なる怒りを燃え上がらせることになるのだ。
「頑張ってるんだな」
「ええそうなんですよ、私は頑張ってるんですから。でも毎日がストレスばっかりなんです。そのせいでお肌は荒れるし枝毛はできるし、どうしてくれるんですか」
「大変だなあ」
「ごはんだって一杯しか喉を通らないんですから」
「おい、いつもは何杯食べてんだよ」
あまりのバカバカしさに鉄則を忘れ、つい余計な事を言ってしまった。たちまちヒヨがまなじりを吊り上げる。
「三杯です!」
「おいおい食べ過ぎだろ」
「そんなことありません。お新香にお味噌汁があれば、三杯はいけます」
「ああそうなの」
亘は呆れ顔をするばかりだ。
そこからヒヨの話は大いに逸れ、いかにご飯を楽しみにして、それが食べられない自分がどれだけ哀しいかを語り出す。きっと神楽とサキが聞いていれば、涙ながらに同意してくれた事だろう。
もちろん亘は同意しないけれど。
一頻り聞いてやり落ちついた辺りで辟易としつつ慰める。
「まあいろいろと大変だな。可哀想に」
「……可哀想って思うのなら部屋に戻って下さいよ。それで適当に孕ませて下さいよ。ほら、彼女たちも部屋で待ってますから」
「だからそれは無理だって」
「幼女趣味じゃないんですよね。じゃあ行って証明してきて下さいよ。ほら、早く。ハリーハリー!」
ヒヨが引き戸を指差し、壁を叩きながら大きな声をあげた。その瞬間、亘は子供の頃の嫌な記憶を思い出し顔をしかめてしまう。
いい加減な父親と学級委員長気質の母親。性格の合わぬ二人は喧嘩し、最後には父親が物に当たり散らす。そして亘は自分の部屋で小さくなって怯えていた。
もし父親が来れば、書棚のものから何までぶちまけられ部屋が荒らされ壊される。もし母親が来れば、延々と気が滅入る愚痴を聞かされる。
どちらも、辛く重苦しい思い出だ。
「あっ、すみません。言い過ぎました」
亘のしかめ面にヒヨは我に返ったらしい。
けれど亘は無反応だ。薄暗い廊下の中にあって、その表情はなお暗い。辺りは静かなもので、どこかで機械が駆動する重低音が響くのみで――そこに、いきなり元気な声が響き渡る。
「ちょっとさっ! うちのマスターを苛めるとかなにすんのさ!」
亘の懐から神楽が飛びだしてきた。どうやってか不明だが、気分の落ち込み具合を察し勝手にスマホを飛び出してきたのだ。
本来であれば神域の、それもアマテラス本部内に悪魔が出現すれば一大事だろう。トップの盟主様から許可が出ている事は幸いだった。もっとも神楽は、そんなこと知らないし、知っていても気にしやしないだろうが。
そのままヒヨの眼前へ立ちはだかると、可愛らしい顔を怒りで満たし両手を腰に当て睨み付けた。
続けて光の粒子と共にサキまで登場してくる。緋色の瞳をした目を細め、口から真珠色した歯を覗かせカチカチと鳴らし威嚇する。
「喰うか」
「ふぇっ、すいません……これはその、つまりストレスが原因なんですよ」
「うちのマスターはさ、とーっても繊細で傷つきやすいんだからね。言われたことをすぐ気に病んじゃうんだから。そだよね、サキ」
「んっ、その通り」
「えぇっ、そんな。この歳の人が繊細で傷つきやすいとか言われても……」
怯えたヒヨは余計な事を言っている。
そちらを威嚇した神楽は一生懸命に亘を慰めだす。
「マスター可哀想に。ほらさ、ボクが付いてるからね。ほら頭撫でてあげるからさ。ほら機嫌直そうね」
白い小袖を揺らし小さな手が亘の頭を優しく頭を撫でる。さらには小さな身体でギュッと抱きしめ、頬ずりまでしてみせる。同じくサキも抱きついて甘えるように頭を押しつけている。
小さな少女悪魔二体に慰められ甘やかされる三十五歳の男の姿にヒヨが呟く。
「うわぁ、典型的なダメ男……」
「なに言うのさ。マスターに失礼だよ。落ち込んじゃったじゃないの!」
「す、すいません、つい本音が出てしまって。ほら泣き止みましょうよ。そうだ、生姜飴あげますから。辛いけど喉にいいんですよ」
怯えるヒヨは愛想笑いを浮かべ、ポケットから飴を取り出した。本人は精一杯の慰めのつもりなのだろうが、むしろこの場合は逆効果。亘は無言で踵を返し、その場をゆっくりと立ち去った。
後を追いかけようとするヒヨをサキが威嚇し追い払っている。
◆◆◆
亘は生姜飴を舐め玉砂利を踏みしめ歩いている。
横を飛ぶ神楽がせっせと話しかけてはご機嫌をとっている。
「ねー、マスターってばさ。元気だそーよ。ほらさ、森とか見てごらんよ。綺麗だよね。あっ、ほらさ鶏だっているよ。美味しそだね」
森の中は適度に日が差し込み、下草も多く生えている。木の根元には苔も生え、落ち着いた雰囲気の中で鶏が暢気に過ごしていた。
サキは生唾を呑みながら鶏を見つめていたが、不意に小首を傾げた。
「七海どこ?」
「……巫女体験に行っている」
「だったらさ、ナナちゃんを見に行こよ! ボクみたいな格好なんでしょ」
「ちょっと違うが……そうだな、様子でも見に行くか」
亘がようやく口を開いたため、神楽は胸をなで下ろした。小さいが小さくはない自分の胸をぎゅっと抱きしめ喜んでいる。
実のところ、亘は別に不機嫌でもなんでもない。とっくに気分を落ち着けていたのだ。ただ単に、神楽とサキに心配して貰えるのが嬉しくて拗ねたフリをしていただけである。やはり駄目な人間かもしれない。
「さてと」
足を止めた亘が振り向けば、一定の距離を空けながら後を追っていたヒヨがギクリとする。それで小走りで寄ってくると、申し訳なさそうに項垂れてみせた。
その後ろでは事務服姿の連中が一緒になって頭を下げている。
「先程は失礼致しました」
「別に気にしてない。あの程度の言葉は慣れている」
「ありがとうございます」
嫌みを込めた亘の言葉に、ヒヨは安堵した笑みを浮かべた。相手の言葉を素直に信じる様子からすると、これまで周囲の人に恵まれて生きてきたに違いない。
「巫女体験の場所行きたいが、案内してくれるか」
「はいです。今の時間なら奥宮で清掃のはずですから、ここからは近いですね。さあ参りましょう」
頬に指をあて思案していたヒヨは、こちらですと案内しだした。
そろって玉砂利をザクザク踏みしめながら歩きだせば、亘の頭には神楽が飛び乗り、腰にはサキが抱きついている。
存在を許されたとはいえ、両者とも並の悪魔より遙かに強大である。後ろに続く者たちは二体の悪魔に対する恐怖を懸命に抑え、それを従える亘と普段と変わらぬ様子のヒヨに驚きと尊敬の念を抱いていた。
ヒヨの気遣い窺うような視線に亘は気付いても反応をしない。
無視しているのではなく、何を話して良いのか分からないのだ。自分が子供っぽい癇癪を起こしていたと分かるだけに、きまりの悪い気分でもあった。その雰囲気を誤魔化すため、話のネタを探し周囲を見回す。
玉砂利の道が森の中を続き、両脇には両手を回しても届かないほど太い木や、細めの木などが何本も並ぶ。あのキセノン社の人工的にしつらえられた森よりも、ずっと重厚で存在感がある。
「ところで、ここらには参拝客や観光客はいないんだな」
「あ、はいっ。ここは関係者以外立ち入り禁止区域ですから。観光用とは全く切り離されてるんです。観光用はもう少しあちらになります」
ヒヨはあからさまにホッとした様子を見せると、人差し指を立て勢い込みながら答えた。先程の発言を忘れさえすれば、話していて悪くない相手ではある。
「普通では見られない場所か。そう考えると少し得した気分だな」
「よろしければ他にも案内しますから」
「まあ気になるところがあったらお願いするか。でもまずは七海を――」
その瞬間、周囲の空気が変わりだす。
神楽が視線を宙に彷徨わせ小さくため息をつく。サキは獣耳を出し周囲を警戒しだす。そして亘も手を開け握りしめたりと、力加減を確認した。
「おいおい、またかよ。しかも、ここでか……」
「えっ? 何ですこの感覚」
戸惑うヒヨの声を聞きながら亘は軽く息をついた。
「人工異界だよ」
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