第213話 五十歩百歩でも五十歩分まし

 まず案内された部屋は、普通の事務室だった。

 よくあるスチール机が並び、パソコンが置かれ各種紙ファイルの書類が積まれた雑然とした状態。この古さボロさ雑然さ。

 亘は強烈な既視感を覚えた。

 まるで自分の職場を見ているような気分になってしまう。だが、僅かに漂う黴臭さと天井から吊された蠅取り紙の存在に、ちょっとだけ勝ったと思った。たとえ五十歩百歩でも五十歩分ましなのである。

「そちらにどうぞ」

 ソファセットを勧められる。スプリングの効きが悪く、中のスポンジもへたったものだ。細かな傷が目立つ木のテーブルに、お茶と菓子が出された。

 亘の隣に自然と七海が腰を下ろし、向かいに藤源次とヒヨが座る。

「実はですね、五条様たちをお招きしたのは役員と会談して頂こうかと思いまして。それで、えーと……」

 言葉をきったヒヨは拝むように手を合わせた。

「非常に言い難いですけど、形だけでもアマテラスに恭順したと示して頂けないでしょうか。そうすれば、もう今回みたいなことは起きませんから」

「なるほど、それはいいな」

「あれ……怒られると思ってましたが」

 ヒヨは意外そうな顔をした。もっと反発されると思っていたに違いない。

「別にいいさ。頭を下げて丸く収まるならそれでいいだろ……仕事柄上、そういうことは良くある」

 亘とて、その程度には大人だ。社会人になれば理不尽はいっぱいある。下げたくもない頭を下げ言いたい事を堪えねばならない。

 しかも、下手すれば全面対決を覚悟していたぐらいだ。頭一つで平穏が戻るなら――そして賠償金が貰えるなら――幾らでも下げる。どうせ安い頭なのだから。

「役員には頭が固くて居丈高な人がいますけど大丈夫です?」

「慣れてる」

「あと、凄く嫌みっぽい人とか、怒鳴るぐらい責める人とか」

「大丈夫慣れてる」

「あとあと、弱みを突いて得意がる人とか、ネチネチ言う人もいますけど」

「とても慣れてる」

「……苦労してるんですね」

「……そっちもな」

 ヒヨと亘の眼差しが交差し、シンパシーのようなものが生まれた気がした。

 世の中には他人に平然と暴言を放てる異常者が一定数存在する。それに苦しめられるのは、どんな職場でも一緒らしい。

 藤源次は苦笑しているが、まだ学生の段階にいる七海は目を瞬かせ不思議そうに形の良い眉を寄せている。

「本部には宿泊用の施設もあるんですよ。全国から関係者が集まって会合を開くこともあるのですから。宿の手配をしてきますから、待ってて下さい」

 ヒヨはパタパタと走って行ってしまった。


 事務室には亘たち三人だけとなる。

 亘は確認のため室内を見回したが、間違いなく無人だ。ふと見れば、可愛らしい小物が置かれた机にある名前立てには、ピヨ席と紙が貼られていた。ヒヨとピヨで似ているが、よく分からない。

「あのヒヨって娘は実際、どういった立場なんだ。まだ若そうだが部下もいて、しかも今の話からすれば役員とも普通に会える立場っぽいだろ」

「ふむ。ヒヨ殿はのう、アマテラス内で少々特殊な立ち位置になる。格付けとしては、役員に次ぐかのう」

「キャリアみたいなものか」

 しかし藤源次はキャリアという言葉を知らず首を捻っている。

「要するに将来の官僚になる出世コースの人って事だ」

「おお、そうか。確かにのう。ヒヨ殿は名家一文字の名を次ぐ方よ、将来にはこのアマテラスを背負って立つはず」

 藤源次の言葉に、とてもそうは見えないと亘は腹の中で思った。

「もちろん今は、年若いからのう。才あるが故に半ば無理矢理、立場を与えられた感じもある。それで何かと苦労しておるのだ」

「そうだろうな」

 亘は頷いた。それは想像に難くない。

 年功序列が良いとは言わぬが、やはり人は自分より若い者を軽く見る。若輩者が自分より上の立場にいれば面白く思わぬ者も存在するだろう。妬みやっかみで陰口をたたいたり、足を引っ張ろうとする者も多いに違いない。

「とても良い娘なのでな、どうか歳の近いお主らが良くしてやってくれぬかのう」

「はい」

 まるで父親のように言った藤源次に七海は大きく頷いた。

「それは構わないが、歳が近いとは思えないがな」

「なんのなんの。五条の、お主と娘御の歳を足して割れば同じぐらいだろうて。ふふふっ」

 そう言って藤源次は笑っている。どうやら面白いことを言ったつもりらしいが、いつもの笑えない冗談並に面白くない。二人で一つとの表現は非常に良いのだが、割るなんて表現は最悪だ。


「ところで役員に会う時は、本当に大丈夫だろな」

「大丈夫とは何がだ」

「だからさ。いきなり攻撃してきたり、もしくは拘束されたりとかないだろうな」

「心配するでない。お主が考えておる以上に、お主の味方は多いのだ」

 そう断言した藤源次はソファに背を預け、どっしり構えた。

「もっとも会談する前に襲われる可能性は、なきにしもあらずだがのう。ふむ、今のは冗談だ。そう警戒せんで良い」

「相変わらず冗談が笑えない」

 亘は苦笑し、同時に藤源次が一緒にいる理由を理解した。冗談とは言うものの、本当に襲われる可能性があるのだろう。

 だからこそ、戦闘力もさることながらアマテラス内部で一目置かれた存在の藤源次が側に居てくれるのだ。そうして周囲に牽制してくれているのだ。

 頼りになる友人に感謝していると――廊下をバタバタと走る音が聞こえた。

「うん?」

 藤源次が訝しげに目を細めた。ドアが開きヒヨが飛び込んでくる。顔は青ざめ、動転しきった様子だ。どうやら冗談が本当になったらしい。亘は腰を浮かせた。

 しかし違った。

「大変です。盟主様が、盟主様が! 今から五条様たちにお会いになるそうです」

「はい?」

 それは全くの予想外で、亘は目を瞬かせた。

 いや確かに一大事というニュアンスは伝わるが、そもそも盟主って誰だ、という感じだ。おまけに藤源次ですら血相を変えている。

「なんと、それは真か!」

「はい! 藤源次様もご一緒に奥ノ院まで来るように、お声がかりです」

「あなや、我までもか! しかし、我は謁見用の装束なぞ持ってきておらぬ」

「そのままで構わないとのことですから、直ぐに迎えの衛士が参ります」

「むうぅっ、これはなんたることか」

 いつも冷静な藤源次が驚きと動揺を隠せず声をあげている。亘と七海は顔を見合わせ盟主様とは何者かと訝しがるのだった。


◆◆◆


 亘は古めかしい雅な衣装を纏う男たちに先導されていた。

 学校の授業で習った――ずっと昔なので適当な記憶だ――平安時代か鎌倉時代の貴族か武人のような姿だ。確か狩衣とか言っただろうか。そんな衣装で裾を僅かに引きずり歩いている。

 現役女子高生の七海なら、きっとはっきり覚えているだろうが、今は話しかけられる雰囲気ではなかった。

 案内の男たちが進めば、途中で行き会うアマテラスの者たちは大慌てで道を譲り、恭しく頭を垂れてみせる。

 なんだかそんなことをされると、自分が偉くなったと勘違いしていまいそうだ。

 こうして地位の高い人は、自分が偉いと錯覚していくに違いない。自分はそうなるまいと亘は戒めるのだが、案内の連中はそうではないらしい。

 高圧的な声が放たれる。

「これより奥ノ院へと参る。一同、神妙に致すように」

 上から目線な言葉で、亘は思わずカチンとした。だが、そこは空気を読み不機嫌な顔で首肯するにとどめた。

 目の前のコンクリート壁には、不似合いな白木の扉が嵌め込まれている。

「なんだってんだこれは――」

「言葉は慎めい!」

 問いかけた言葉は叱責にて遮られた。

 腹立たしく思うのだが、今にも泣きそうな顔で見つめてくるヒヨに免じて我慢することにした。それでも前を歩く男が引きずる服の裾を踏んでやろうかと思ったのだが、藤源次に手振りで制止されてしまった。流石は忍者だ。勘が良い。


 大人しく扉をくぐる。いきなり素木造りの建物内になった。

 明らかに別世界だが、異界ではない。もっと別の何か特殊な空間のような感じだ。神楽でもいれば分かるのかもしれないが、今はそれ以上は分からない。

 建築の知識はないが、社殿と住居を混ぜたような不思議な造りをしている。照明に本物の灯火が使われ、細々とした光を放っている。

 どこか香を焚いた匂いがする。

 大河ドラマでしかお目にかからないような、浅緋色の束帯姿をした衛士が背筋を伸ばし立っていた。けれど、亘たちが現れても微動だにすらせず、丸木造りの棒を手に不動の姿勢のままだ。

「ん?」

 袖を引かれた。見れば七海が捉まっており、その顔は不安そうなものだった。

――ああ、そうか。

 それも仕方がない。遊園地で楽しく遊んでいたかと思えば襲撃され死にかけ、アマテラスの本部に来たかと思えば盟主と呼ばれるトップに会うことになった。ここまで状況が二転三転しているのだ。不安になって当然だろう。

 亘は気を落ち着け背筋を伸ばし、堂々と構えた。こんな時こそしっかりせねばならない。やはり人は守るべき者がいると強くなれるのだろう。たとえ、それが心構えだけだとしても。

 白木の板の床を滑るように歩き幾つもの角を曲がり、何人もの衛士の前を通り過ぎる。そして、ようやく先導の足が止まった。

 目の前には重厚な扉があった。まるで神社の拝殿のように布で飾られている。

 扉の両脇には、見るからに選抜された優秀な者といった衛士が控えていた。

「これよりお目通りとなるが、くれぐれも失礼のないよう心得るように。よいな」

 相変わらず偉そうな言葉と共に案内の者は横に退いた。どうやら中までは入れないらしい。亘はにやりと笑う。

「案内ご苦労」

 言って堂々と通り過ぎるのだった。

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