第324話 特別な訓練でレベルを上げているそうだね

 亘は主催者側なので、当然ながらバスの一番前の席に座っていた。

 運転席の真後ろのため目の前に仕切り板がある。元は観光に使用されていたバスのため、そこには観光パンフレット――海や温泉のご案内――が貼られたままだ。

 通路を挟んで反対側の席には志緒がいるのだが、その向こう側の席ではヒヨが座席前のパイプに掴まり身を乗り出している。見張らしが良い一番の席ということで、子供のようにワクワクしているらしい。

 バスが左折、遠心力を受けた亘は僅かに傾いた。

 隣の席に軽く体重がかかってしまい、亘は軽く目線を向け謝った。

「すまない」

「いえいえ、別にそんなことありませんよ」

 七海は楽しそうに答えてくれる。

 二人並んでいるが、亘の頭上には神楽が腰掛けサキは膝上を占拠している。エンジン音は重厚で、走りによる心地よい揺れもある。体温の高い両者に張り付かれ眠気を誘うような状態だが、しかしそんな余裕はない。

 今は七海と触れ合う肩の温かさと柔らかさに、意識が集中しているのだ。

 先程のように強めの揺れによって、時折強く触れ合ってしまうので少し緊張気味になっている。隣を歩くことには慣れてはいるが、こうして並ぶことには、まだまだ慣れていなかった。

 しかし居心地が悪いわけではない。

 特に何の会話をするわけでもないのだが、むしろ沈黙が心地よかった。このバスの移動という時間は、亘に間違いなく幸せと安らぎと心地よさを与えてくれている。

 喉の乾きを少し感じた。

 前にある網ポケットにあるペットボトルに視線を向けるが、しかし悩んでしまう。動けば膝上で寝こけているサキを起こしてしまいそうだ。

 さながら野生を失った猫の如く寝入っているので、これを起こすに忍びなかった。

――到着するまで我慢するか。

 そう思ったところで七海が話し掛けて来た。

「お水、飲まれますか?」

「ありがとう、ちょうど飲もうかと思ったところだった」

「そうですよね。はい、どうぞ」

 キャップまで外して渡してくれた。

 素晴らしい気の利かせ具合であるし、タイミングも丁度いい。相性というものがあれば、きっと最高に違いない。

 亘の気分はとても良い。

 頭上の神楽がもぞもぞと動き、まるで髪の間に身を隠すような動きをした。

 いつも煩いぐらいに喋るくせに、最近は七海と話をしていると妙に大人しい。気を使っているのだろうが、それに礼を言うのは照れくさかったりする。


「ところで、そっちの講習会はどんな感じだった?」

 ペットボトルの水を甘露に思って軽く飲み、特に意識もせず話しかけるのだが、口にしてから、しまったと思う。

 何故なら、それは前日の夕食時にも話題にしたからだ。

 人によっては同じ話を二度聞くことを嫌がる人もいて、たとえば同僚女性は――今でも理解不能な理不尽さで――突如としてキレもした。七海であれば大丈夫と思っても、その時の困惑は心に刻み込まれ不安をかき立てるのだ。

「そうですね初日は説明して、次の日は一人ずつ実際に召喚してました」

 七海の明るい声に亘は安堵した。

 安堵すると水をもう一口。心の不安が洗い流され、亘は満足して頷いた。

「随分とゆっくりだが、メインで戦闘させるつもりがないから仕方ないな」

「でも戦いたいって訴える人が何人かいますよ」

「それは……厄介だな」

 亘は軽く顔をしかめた。

 なぜなら七海の担当していた年代は十五歳から二十歳の年頃だ。

 子供時代を脱した直後の開放感から、精神的にも肉体的にも未熟なまま、反抗心は強く血気盛んな年頃で――だからこそ、一番無鉄砲で無謀で無茶をしやすい。集団になれば勢いだけで何をしでかすか分からない恐さがある。

 七海やチャラ夫のように上手くやれる人材は少ないだろう。

「下手すると、従魔同士を戦わせたりしそうだな」

「それは実際にもうありましたよ。たまたま藤源次さんが気付いて、割って入ってくれたので何もなかったみたいですけど」

「藤源次か、あれで面倒見がいいからな」

「そうですよね。ですけど、藤源次さんは随分と怒ってましたよ。当事者の人たちにもですが、この計画そのものにもです」

「まっ、そうだろな」

 亘は友人である藤源次を思い描きながら頷いた。生真面目な性格であるし、そもそも悪魔退治は自分たちの責務と思ってもいる。素人同然の子供を建前とはいえ戦力扱いするのは面白くないに違いない。

 果たして、この状況の着地点はどこになるのか。

 そんなことを考えていると、バスに制動がかかる。視線を上げれば、先導する防衛隊車両にブレーキランプが点灯している。そして少しずつ速度が落ちていく。

 停車すると目的としていた場所、即ち訓練地に到着した。


 亘は車内の忘れ物を確認し――特に必要はないが習性のようなもので――バスを降りようとすると、外で待機していた七海の側に入鹿がいることに気付いた。

 思わず最後のステップに片足を乗せたまま止まってしまう。後ろにいたサキが軽くぶつかり、足の間から顔を出してくるが今は気にする状況ではない。

 甲高い入鹿の声は興奮気味だ。

「俺めっちゃ感動してんだけど、マジモンの七海ちゃんだよね?」

「ええっと? 私に何かご用でしょうか……」

「ほえーはえー、やったね! 俺って、超ファンなんで。ワンチャン握手とかサインとか、よろしくおなしゃす!」

 亘は心の中を平坦として冷静であろうとした。七海は有名であるわけで、デーモンルーラーの啓蒙ポスターにも起用されている。それ以前からグラビアアイドルなどもしていたので、こうした人間がいるのは当然のことだ。

「今は講習会中ですから。まずは頑張って訓練をしましょうね」

 にっこり笑って七海は拒否した。

 しかし入鹿は舞い上がったようで、拳を突き上げ片足で跳ねながら回転しているぐらいだ。面白くない気分の亘だが、七海がそそくさ移動して来たので、軽いストレスを押し殺し平静を装うことにした。

 バスのステップから降りる。

 続いて最後のステップを跳んで降りたサキは軽く顔をあげ、すんすんと空気を嗅ぐと何かに興味をひかれたらしく気ままに走りだし、どこかに行ってしまった。

 七海がやって来るが、軽い困り顔の笑顔だ。

 何か話をするより先に、肩から肩へと神楽が飛び移ってくる。どうやら機嫌が悪いらしく、いつもより足に込める力が強めだ。

「どうした」

「あのさマスターってばさ、ちょっと聞いてよね」

 亘の耳を両手でひっぱり小さな声で訴えてきた。内緒話というよりは、周りに知らない人間がいるので人見知りで声を抑えているだけだ。

 殆ど張り付くような感じのため、耳にかかる息が微妙にくすぐったい。

「今の人間って煩いんだよ。ボクのことさ、いきなり指さして大声だすしさ。しかもだよ、しかも捕まえようとかして追いかけてくるの。もうっ、ほんっと嫌い」

「あんまり気にするな。こっちも同じ気分なんだ」

「そなの? それじゃあ倒しちゃっていい?」

「相手にするだけ無駄な人間もいるんだ」

 むしろ最初は自分の方が怒りなどを感じていた亘だったが、神楽の不満を聞く内に、少しずつ収まってきた。

 同じ不快を他の誰かが感じていると分かれば、心理的に共通の敵が存在すると認識され、不快はそのままでも鬱憤は抑えられる。今ここで亘と神楽と七海の間で、その共通認識が形成されたということだ。

 そのまま揃って視線を向けた先で、入鹿がキャハハッと笑い声をあげている。

「マジ凄くね、こんなん出会いがあるとか凄くね? 付きあうとか、ワンチャンあるかもしれん。俺ワンチャン頑張る。やってやるずぇー、やばい超燃えてきた」

 入鹿は簀戸を捉まえ一方的に自分の思考や感情を垂れ流し喋っている。それが若さなのか馬鹿さなのか両方なのか。自分がどんな立場で、周りからどう見られているか、そうしたことに少しも意識が向いていないようだ。

 他の講習会参加者たちは露骨には態度に出さぬが、入鹿を避けているのは間違いない。さらに志緒は苦々しい顔をしているし、ヒヨは奇異なる存在を見るように不思議そうだ。そちらでも共通認識が形成され、連帯感が生じているのは間違いない。

 その辺りが分からず気付かぬのは本人だけ。

 年相応という言葉は見た目に対して使われるが、やはり言動にも使われてしかるべきだろう。人の振り見て我が振り直せで、亘は自分も年相応にあろうと少し考えた。


「皆さん、整列してくださーい」

 ヒヨが声を張りあげ手を挙げ、ぱたぱたと動き皆を誘導する。参加者の大半は歳の行った男性なので、明るく素直で一生懸命な姿を微笑ましく見ながら素直に従った。整列とはいかないまでも、それなりに行儀よく並んでいる。

 合図を受けた亘は一歩前に出た。

 少し慣れたのもあるが、今日は七海もいるので堂々としている。

「それでは今日の訓練ですが、昨日の倍で二十体ほどを倒して下さい」

 昨日は十、今日は二十、明日は四十、明後日は八十、その後は百ぐらいに討伐数を設定するつもりだった。かつて亘がレベル上げをした時と違い、今は探すまでもなく悪魔が出現するので十分に可能だろう。

 しかし、そこに口を挟む者がいる。

「ちょっと待っとくれんかね」

 列の中から一歩前に出た男が言った。意気軒昂だが、かくしゃくという表現が相応しいような年齢だ。最近の年寄りは若く見えるものだが、七十は超えているだろう。

「そちらの大宮君と木戸君は、特別な訓練でレベルを上げているそうだね」

「えーっと、そう言われましても」

 特別扱いがばれ、ひやっとした。

 そして、これまで何度もあったクレーマー対応を思い出し、ぞっとした。

 反論は許されないまま延々と怒鳴られ続ける人間サンドバッグ。二時間コース三時間コースで疲弊し摩耗していく精神。困った時は組織で対応と言う上司は姿を消し、同僚たちは見て見ぬ振りで近寄りもしない。

 そんな刻み込まれたトラウマが冷や汗を呼び起こす。

 駆け戻ってきたサキの差し出す白い綺麗な花を受け取りながら、心ここにあらずの状態。それでも逃げ出さなかったのは七海の前という理由だけだ。

 必死に打開策を考える前で、男は軽く笑って否定するように手を振った。

「いや文句というわけではないよ、我々も参加させて貰いたいのだよ」

「……えっと?」

「かなりハードで、死んでもおかしくない内容とは聞いて知っている。だが、そこを踏まえた上で是非ともお願いしたい」

「えっ、そこまで酷くはないですけど……」

 あんまりな評価に亘は戸惑った。

 ちらりと大宮と木屋を見れば、むしろ亘の言葉が信じがたいように眉を寄せている。志緒を見やれば、腕組みして何度も頷いていた。何やらそちらでも共通認識――敵ではなくとも、厄介な難物に対するような認識――が形成されているらしい。

 亘は戸惑いながら首を傾げ、白い綺麗な花をサキの金髪の間に挿し込んだ。

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