第325話 我らこれより修羅に入る

 小山があって川がある。その手前に広がるのは、古びた感のある住宅街。

 平穏そうな景色だったが、小山の斜面では木々がなぎ倒され、露出した土砂が道のように刻まれている。手前にある道路表層は破壊され、アスファルトが残骸となって路盤の土が露出。路肩は大きく抉られ、千切れたガードレールが宙に浮いていた。

 手前の信号機や植栽がなぎ倒され、ブロック塀は突き破られ、家屋には何かが突っ込んだ痕跡がある。路上や周囲には家財が散乱し、さながら日常が掻き出されたかのようだった。

 日常と非日常が混在したような景色を背に、かくしゃくとした男は言った。

「あんたの訓練ってのが楽でないのは理解している。だが私は、いいや! 我々は! 強くなって戦いたい。今日これまで多くの若者が命を落とすしかなく、我々は為す術無く見ているだけだった。守るべきところを守られ、救うべきところを救われ。現状に甘えたまま、何もせぬまま生き延びてしまった」

 手を振り熱弁を振るい、唾の飛沫まで飛ばすぐらいだ。

「しかし、それは間違いだ。それは何故か! 世の中には死ぬべき順番というものがある。ならばこそ年寄りである我々が先頭に立ち、我が身をもって戦い続け、少しでも戦い若い世代に楽をさせねばならん! 若い者には生きる権利がある、我々と同じ歳まで生きる権利があるはずなのだから」

「…………」

 亘は黙り込む。

 こうした熱血的に語る輩は嫌いだった。熱意とか意欲というものは表には出さず、むしろ内に秘めて黙々とやるべきだ。わざわざ自分の気持ちを喧伝するように主張するなど、目立ちたいという虚栄を感じてしまう。

 そもそも世の中の役に立ちたいのであれば、しゃしゃり出てお節介をするよりは、大人しくしていればいいのだ。それぞれが自分の人生を丁寧に生きさえすれば、それだけで世の中は良くなるに違いない。

――面倒だな、本当に面倒だ。

 小さく嘆息して……しかし意識を仕事モードに切り替え、笑って頷いた。

 口先一つで体裁良く無難に終われるのであれば、調子を合わせておくべきだろう。表面を取り繕うのは慣れている。

「了解しました。それでは一緒に頑張りましょう」

 しかし嘘は言いたくないので、同意はしない。相手の気持ちに沿った方向で、同調するような言葉を口にするだけだ。

 髪を揺らす風の中には、土を深く掘り返したとき特有の酸味ある臭いと、湿った木材や埃や何やらの臭いが混じっている。ちょっとだけ、それが鼻について嫌だった。


 何か鼻をすするような音が聞こえた。

 見れば志緒がヒヨの差し出すハンカチを受け取り、顔に当てるところだった。

 今の話のどこに泣く要素があったか亘には分からなかったが、何かが志緒の琴線に触れたようだ。

「五条さん、私からもお願いするわ。皆さんもこう言ってるでしょ、思いっきり好きにやって頑張ってちょうだい」

「別に、最初からそのつもりだが」

「うんうん、良かったわ。皆さん、大変かもしれないけれど頑張って下さい」

「ちょっと待て」

 亘は手を上下に――まるで手招きするように――動かした。

「何を他人事みたいに言ってる? 志緒も参加するに決まってるだろ」

「えっ……えっ? やるって何を」

「そりゃ訓練だ」

 志緒の涙が瞬時に引っ込み、同時に血の気も引っ込んでいる。

「あのね、そういう冗談はやめましょうよ。心臓に悪いわよ」

「冗談のわけないだろ」

「私はまだ死にたくないわよ」

「安心しろ、神楽がいるから大丈夫だ」

「それ安心できないし、大丈夫でもないでしょ! むしろ最悪じゃないの!」

 志緒がムキになって言い募れば、言われた神楽は目を怒らせた。

「へー、ふーん。ボクに文句あるんだ」

「ひいっ!」

 小さな姿が近寄ると、志緒は頭を抱え怯えてしまう。この小さくも可愛らしい存在が、見た目とは裏腹に、どれだけ恐ろしいか――食糧を食べ尽くすとかも含め――よく知っているのだ。

「まあ、そう怒ってやるなって」

「ふんっだ、志緒ちゃんだけ回復したげないもん」

「戦う人の援護は、ちゃんとやってくれよ」

「はいはい、了解なのさ」

 神楽は軽く飛んで、亘の立てた指の上で片足立ちをした。

「志緒はデスクワーク中心で外に出てなかったな。これから先は何がどうなるか分からないなら、ここらでレベルを上げないとマズかろう。つまり戦力増強とか身の安全とか、いろいろな理由だな」

「ううっ、また反論し難いような理屈を……」

 助けを求める視線を方々に送る志緒であったが、ヒヨは一緒にやる気で気合いを入れているし、その他の講習参加者はきょとんとしているだけ。つまり孤立無援だ。

 亘と七海が歩きだせば、燃え上がる気持ち年寄り方も後に続く。大宮に木屋、そして志緒に簀戸が歩きだす。

 これからの訓練に皆が気合いを入れるのだが、しかし入鹿だけがはしゃいでいた。


「では、始めるか。サキ、呼んでくれ」

「んっ!」

 サキは白い綺麗な花を髪に挿したまま上を向き、大きく息を吸って、長く吠える。張りがあって強く美しく、厳かさのある音が耳を打つ。ケルベロスのスナガシは、まるでトップアイドルの歌唱を聞くように目を輝かせ尾を振っている。

 遠くから応えるように、地鳴りのような響きが聞こえてきた。

 小山にぽつぽつと異形の姿が現れたかと思えば、瞬く間に数を増す。走り、這い、跳ね、飛び、転がり、蠢き。無秩序な動きが一つの流れとなって斜面を駆け下り、草木を踏み荒らし蹴散らしなぎ倒し向かってくる。

 その数は、百や二百ではない。

 もちろん、千や二千でもない。

 押し寄せる数を前に、覚悟は決めていた者たちでさえも立ち竦んでしまう。

 志緒はトラウマを発症し、頭を抱えうずくまってしまう。それでも腕まくりしたヒヨに励まされると、やや虚ろな目だが立ち上がりマイ金属バットを手に身構えた。

「やるしかないのね」

「その意気です、私も応援しちゃいますから頑張りましょう」

「今日さえ乗りきればいいのよ、今日一日を悪夢の中で過ごせば全てが終わる。明日からは平穏な日々に戻れるはず。そうよ、明日を信じるのよ」

「あっ、でも明日からも同じ訓練するって話ですよ」

「……いいわ、こう考えればいいのよね。戦って強くなれば、戦わなくてすむ。でも戦わない為には戦って強くなるしかないなんて。とっても哲学的ね、ふふっ」

「私、なんだかワクワクしてきちゃいました。では、一番槍は頂きなんです」

 ヒヨは笑って符を取り出すと、先駆けで突っ込んできたゾンビ犬に投げつける。青い炎が迸り、あっさりと焼き尽くしてしまう。

「嬢ちゃんがやったぞ!」

 大宮は大声をあげ木屋の肩を叩いた。

「おいおい、こりゃ言うしかないなぁ! 我らこれより修羅に入るってな!」

「皆さん! 数が数なので離れないで固まりましょう。互いに互いをフォローです」

「木屋の言う通りだ。自分を信じろ! 仲間を信じろ! 己の信じるままに戦え!」

「自分の従魔も信じましょう」

 二人の言葉に他の面子も気合いを入れるのは、大宮には力強く他を引っ張る素養があり、木屋には他をサポートし気遣う素養があるからだろう。さらに老犬の姿をしたスナガシが勇ましく立てば、講習会参加の年寄りたちも気合いが入る。

「はっはぁ、機動隊相手にバカやった頃を思い出すな」

「お前……俺は取り締まる側の人間だったんだぞ」

「だったら今日からは肩を並べようや。スローガンは人間死守、通すな悪魔、無期限戦闘決行中だ」

「調子のいいやつだ」

 軽い笑いの中で、各自が自分の従魔を引き連れ武器を手に覚悟を決めている。

 子供の頃は山野を走り回り、今では考えられないような野蛮な遊びをして、生き物を捕まえ食らい、逞しくも腕白に育った世代なのだ。しかも幾つもの苦難や困難を乗り越え、悲しみを沢山知って心も強い。

 本気になった年寄りは恐ろしい。


 むしろ若い方が、よっぽど腰が引けて覚悟もない。

「なにあの数。マジ聞いてないんですけど!? 簀戸君、俺を助けてくれぃ」

「これは助けるとかではないですね、むしろ助け合いませんと」

「嘘でしょこれ。俺、もう帰っていい? こんなんワンチャンないって、無理無理」

「今から帰るのは難しいですね」

 簀戸は淡々と言った。

「それに、これは強くなるチャンスです。僕は戦いますよ」

「簀戸君、お前は俺を裏切るのか」

「そういう問題じゃありません、戦わないと駄目ですよ。僕は行きますよ」

 しっかりと宣言すると、簀戸は肩を掴む手を払い、老人たちの集団へと加わった。集団に加わればリスクが低下、なおかつ足手まといの入鹿を切り離す判断だ。もちろん、そこには好悪の感情もあるのだが。

 既に戦端は開かれ、血気盛んな大宮を先頭に戦いが始まっている。簀戸は集団の中に駆け込み、そつなく戦いに加わった。

 後ろに残された入鹿は爪を噛み辺りを見回す。

「マジで信じられん。あいつらアホやないけ。常識ないんじゃね?」

 ぼやいた後に、すたこらと走りだすが、目の前の戦いとは別方向だ。

 一人で逃げ出したのだが……群れを外れた存在は格好の獲物でしかない。入鹿の前に数体の悪魔が現れた。明らかに嬉しそうな様子で、舌なめずりさえしている。

「ちょっ!? うせやろ、誰か助けて。マジで助けろって」

 その叫びは届かない。

 既に戦いが始まっているのだから、亘や七海は戦っている皆に意識を向けている。戦うと言いながら、途中で気を変えて一人勝手にどこかへ行く者がいるなど思いもしせず、だから気付いてもいない。

 探知能力のある神楽や聴覚の鋭いサキは気付いていたかもしれないが、わざわざ助けに行ってやるほど優しくない。そもそも自分勝手な者を助けるなど、本来は誰もしないことなのだ。

「こっち来んなっ! なんで誰も助けに来ないんだゴミカス野郎どもが!」

 どこまでも他力本願であるのは、これまでは嫌な事から目を背け、問題が起きると騒ぎ立て他人に押し付け生きてきたからだろう。

 しかし今は周りに誰もいない。

 自ら立ち向かわねばならない現実が迫ったのだ。

「くそくそ、くそがっ。こうなったら! 出て来いゴミヤロ」

 入鹿は自分の従魔を喚び出した。

 今この時に至っても、それさえもしていなかったのだ。

「俺を助けろ。戦え」

 裏返った声で命じると――入鹿は身を翻し一人で駆けだした。

 走りだす方向は、皆が力を合わせる戦いの場ではない。見える範囲に危険はなさそうな、しかし間違いなく危険が潜むであろう無人の町だ。

 入鹿はこれまでの人生同様に、目の前の嫌なことから逃げて逃げて逃げ続ける。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る