第323話 本格的には明日からなんで

 集合場所にはバスと護衛車両がエンジン音を響かせていた。

 世の中から車両の動きが激減しているため、鼻をつく排気ガス臭が妙に懐かしい。

「なんだか、あちらの二人。大変そうなんです、五条さんが助けたのです?」

「助けたと言うより、手助けした感じかな」

「ええっと……」

 ヒヨが小走りでやってくると、肩を貸しあう木屋と大宮を心配そうに見やった。二人ともすっかり土まみれで焦燥しきっており、今回の講習前後で人相風体がすっかり変わってしまっている。

「でも五条さんが手助けして、こんなだなんて。はてさて、これいかに?」

 小首を傾げるヒヨの横で、志緒は小さく溜め息一つ。そこには、やらかしたに違いないという絶対の信頼があった。

「ヒヨさん、そこはあまり突っ込まない方がいいわ。世の中には触れない方が良いこともあるのよ」

「そうなんですか。ああ、つまりあれですね。ご飯に合う塩辛も、あんまり材料について確認しない方がいいのと同じ感じなんですね」

「うんうん、それでいいと思うわ」

「でも塩辛美味しいですよね」

「うんうん」

 志緒は適当に頷きつつ、木屋と大宮を気の毒そうに見ている。

 その他の講習参加者が不安そうにざわつくなか、入鹿だけはそうでもない。顔を突き出し興味津々の詮索するような様子だ。

「ほえー、ぼろぼろやんけ。あそこまで苦戦したとか、どんだけー」

「それだけ頑張られたのでしょう。ご苦労が分かりますが」

「俺には分からんね。それよか、これでやっと戻れるわ。帰って飯にするべ」

 待っている間も、散々に文句を言って騒いでいたのだろう。入鹿の甲高い声が響くなり、詮索するばかりだった皆が動き、大袈裟なほど木屋と大宮の健闘を称え親愛を込め肩やら背中を叩き迎え入れていた。

「五条さん、あなたね。ほどほどにしなさいな。もし参加者に何かあったら大変なのよ、今回の一件が台無しになる場合もあるわ。そうなったら貴方だって困るでしょ」

「もちろん気を使っている。だから今回は本当に軽くだ」

「あら意外、貴方がそんな程度で済ませるなんて」

「本格的には明日からなんでな」

「……だと思ったわ」

 志緒はこめかみを押さえて息を吐いた。


 全員が揃ったので、ようやく帰路につく。

 さっさと乗り込んだ入鹿の次に、木屋と大宮が皆に勧められ乗り込んでいく。よろめく二人の後ろで皆が一列になり、大人しく乗車を待っている。

 主催者側である亘たちは外に待機したまま、遅々として進まない列を見やった。

「で、今回の訓練で皆の感じはどうだった?」

「そうね、悪魔を十体倒そうと真面目に取り組んでいたわ。多少危ういところはあったけれど、私やヒヨさんが助けに入って問題なし。でも一番はサキさんのお陰ね、あちこち動き回って皆を助けてくれたもの……ところで、サキさんどうしたの?」

「うちのお嬢様ぜうさまは気にしなくていでくれ」

 言って亘は金色の髪を撫でれば、そこからパラパラ砂や土が落ちていく。一度スマホに戻し再召喚すれば汚れも落ちるのだが、それを頑なに拒むため汚れたままだ。

 亘はサキの柔らかいほっぺを摘まんで強制笑顔にさせた。

 見た目は面白く可愛い光景だが、もしも他の人間が同じことをすれば、瞬時に吹っ飛ばされているに違いない。

「で、訓練の成果は確認しているのか?」

「そうね、レベルアップしてる人も何人かいるけど多いわね。一番高いのは意外にも簀戸さんでレベル3。でも一緒にいたという入鹿さんは、レベルアップどころか一体も倒してないのよ。こちらは、どうしましょうね」

「どうもこうも、困るのは本人だけだろ。配属先ぐらいは考慮してもいいが、その後でどうなるかは本人次第だ。それ以上の責任は負えないさ」

「切り捨てるみたいに突き放すのはどうかと思うわ」

 素っ気ない言葉に、志緒はこめかみを揉んでいる。

 だが亘は皮肉げに笑うばかりだ。

「学校じゃあるまいに、懇切丁寧に全員をすくい上げる必要はない。そこに労力を注ぎ込むぐらいなら、伸ばせる人材を伸ばすべきだ」

 バスの外にある列は解消されているが、しかし中に入ってからの列はまだある。既に着席した者たちが、窓の向こうから見つめてくるため、亘はそちらに背を向け周囲を警戒している風を装った。見られることは嫌いなのだ。

「あなたに酷い目に遭わされた二人ですけど。レベルはどうなの?」

「酷い目って言い方は失礼じゃないか」

「はいはい、それでどうなの」

「二人ともレベル8だぞ、どうだ」

 亘は誇るように言った。

 さぞ驚くかと思いきや、しかし志緒はしんみりと頭を振った。

「かなり苦労したのね」

「そうなんだよ。悪魔を殺さないように捕まえたが、これが大変だったんだ」

「何言ってるのかしら、今のはあちらの二人に言ったのよ」

「さようで」

 ちょっとだけ拗ねた亘は、足の間に挟んだサキの頬をつまむことに集中した。ヒヨがバスに乗れると呼びに来るまで、むにむにしながら気を紛らわせている。


◆◆◆


 本部に戻って解散し、そのまま部屋に直行してサキを丸洗いで、それから肩揉み足揉み腰揉み。毛繕いは後にさせて貰って食堂へ行けば、ファーストクラスの客に飲み物とキャビアをサービスする客室乗務員のように食事を運んでやる。

 御機嫌になったサキの様子を確認すると、ようやく自分の食事に取りかかった。

 既に時間が遅いせいで食堂には殆ど人がいない。

 テーブルが幾つも並ぶ大きな空間だが、今は生真面目そうに規則正しく食べる防衛隊佐官、六法全書片手の官僚らしき者など、少数がところどころに点在するだけで閑散とした雰囲気だ。

 食堂担当の人たちも既に片付けなどを始めている。

 しかし、律儀に待っていた仲間に囲まれた亘のいる場所は賑やかだ。

「サキばっかし甘やかしちゃってさ、狡いってボク思うんだけど。マスターはもっともーっと、ボクをちやほやして大事にしなきゃだよね、うん」

「ほれ、大事な神楽にブロッコリーをやろう」

「なにさ!」

「嬉しいだろう、さあ喜べ」

「ふんっだ! いいもんマスターなんて知らないもん」

 神楽は怒りの唸りをあげ、自分の頭ほどあるブロッコリーをむしゃむしゃやっつけた。イツキが苦手なピーマンを出せば、これもがじがじやってしまう。

 面白がった亘は同じようニンジンを摘まんでぶら下げてみた。

「ほれほれ食べてみ――っ、こいつ噛んだ?」

「そらそうやら、神楽ちゃんが怒るのも当然ってもんや」

 けらけら笑うエルムとイツキに、微笑む七海。

 雨竜くんは白虎が来たので、一緒に食堂のおばちゃんたちの元に駆けて行く。それで食べ物を貰って御辞儀をしているので、おばちゃんたちに可愛がられている。竜や虎のプライドはどこに行ったという姿だ。

 それはとても賑やかで和やかで心楽しい一時である。

「ボク、もうマスターと一緒に寝てあげない。お風呂で頭を洗ったげないし、寝癖も直したげないし、ご飯だって分けたげないし――」

「分けて貰ったことはあったか? むしろ奪われるばかりだったが」

「マスターは黙っててよ。あと、それからそれから……もうっ、マスターが口を挟むから出て来なくなったじゃないのさ。ほんっとにマスターのことなんて知らない」

「そうか、明日は神楽に来てもらおうと思ったが、嫌なら――」

「行くに決まってるじゃないのさ」

 即座に言った神楽は、キッと鋭い目で睨んでくる。

「なんで、そーいうこと言うのさ。どーしてボクの気持ちとか分かんないの?」

 もう言ってることは無茶苦茶――少なくとも亘には理解できない――な神楽は、抗議するように腕を動かし白袖を振った。しかしテーブルの上でコップと並ぶ小さな姿は人形のようで迫力もなく、可愛い以外の何ものでもなかった。


「ちょっと待って下さい」

 七海は微笑ましそうに笑っていたが、テーブルの上に腕を組み胸を載せ身を乗り出してきた。亘は視線が彷徨いそうになるが、それは宜しからずと、気付かれる前に急いで逸らすことに成功した。

「神楽ちゃんは、今は私の従魔ということになってますよね。ですから、ここで神楽ちゃんが行ってしまいますと、とても問題があります」

「神楽が行くと問題?」

「通常の従魔ですと、使役者からあまり離れられませんよね。ですから、誰かがおかしいと気付いてしまうのではないでしょうか」

「なるほど、それがあったな。すっかり忘れていた」

 神楽やサキは少し特殊で、使役者である亘とどれだけ離れて行動していようと――メンタル面以外では――何の問題もない。しかし、七海が言ったように通常は離れて活動することはシステム上からできなかった。

 亘は指先を上下させ思案する。

「神楽は無理か、そうするとチャラ夫を呼んでガルムに頼むしかないか」

「そんなのないよ。どおしてなのさ……」

 ショックを受けた神楽は半泣き声で膝から崩れ落ち、テーブルに両手をつき嘆いた。面白がったサキがフォークでつついても無反応なぐらいだ。

「ですが」

 七海はすっくと背筋を伸ばしてみせた。

「全てを解決する良い方法があります」

「あるのか?」

「はい、あります。つまり、私も一緒に行けばいいのです」

「確かにそれもそうだ。なるほど」

「なるほどなんです。と言うわけですから、明日は私を連れて行きましょう」

 両手を握った七海は軽く頬を染め、しかし一生懸命に断言している。その前で神楽は膝立ちになって両手を合わせ、期待する目で見上げていた。

 これには亘も苦笑しかない。

「では、そうするか。待てよ、そういうの桃川さんに話を通してからだな。何の調整もせず決めるのはトラブルの元だからな」

「それでしたら大丈夫です。桃川さんには私から説明しますから。そこは必ず理解して貰いますので」

「ふーん、そうか。なら頼む」

 言って亘は箸を手に取った。

 ふと見れば、神楽が心配そうな顔で七海に視線を向けている。

 きっと七海が桃川を説得できるのか不安なのだろう。ダメそうなら自分からも頼まねばならない、そう思いつつ亘は食事の残りを平らげにかかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る