第266話 それを思えば目立たずこそっとしたい
両手にお盆を持った亘は食堂テーブルの間をすり抜け、七海たちの席へと向かう。そこは四人掛けながら一つだけ空いたままとなっており、自分の為に空けておいてくれたのかと亘は申し訳ない気分だ。
ただし、実際には違う。そこには気後れして誰も座れなかっただけだ。
なにせ優しげな顔をした七海、楽しげな様子のエルム、元気良さげなイツキと三者三様に可愛い少女が揃っている。男であれば完全に照れて緊張してしまうだろうし、女であればそんな席にわざわざ座ろうとは思わないのだから。
「ありがとう、座らせて貰うよ」
そんな亘の動きに、周囲からヒソヒソした声があがった。
聞こえるか聞こえないかの声の中には、あいつは誰だと問うものもあれば、分不相応とか空気が読めないといったものもある。
亘は自分が何か悪い事をしたのか戸惑い――しかし神楽が飛び降りた。
「やっほー、ナナちゃんにエルちゃんにイツキちゃん。ほらさ、マスターも早く座ったらどうなのさ。ボクもうお腹空いたよ」
そして七海も動いた。
「手伝いますね」
ごく自然に立ち上がったかと思えば、動きを止めた亘の持つお盆の一つを受け取ってテーブルに置いてしまう。エルムとイツキはもう一つのお盆が置けるようにと、場所の確保をしてくれる。
それでようやく亘も戸惑いを捨て座る事が出来た。
「助かるよ」
「ふふん、このぐらい当然ってもんだぞ。でも俺たちもさっき食べ出したばっかだし、ちょうど良かったぜ」
「そうか、次からはもう少し早く来ると同じ時間になるかな」
軽く笑っている亘の膝にサキがよじ登り足に跨がった。女の子としては少々はしたないが、他に座る場所がないので仕方がないだろう。
その金色の髪を撫でてやりながら、亘はさらに笑って頷いた。
「しかし混んでたからな。三人がここに居ても、ちっとも気付かなかったな」
「そうです? 私は五条さんが食堂に入られた時から気付いてましたよ」
「そうか七海は目が良いんだな」
「はい、もちろんそうなんです」
亘と七海は軽く笑い合うが、エルムと神楽は何とも言えない顔だ。
もっと言うべき言葉があるだろうと亘を見る視線と、何か訝しげに七海を見る視線がある。なんにせよ、どちらも何も言及はしなかったのだが。
そして何も気付かぬイツキはサキの顔を覗き込む。
「ドン狐、よく寝られたか?」
「無礼」
「なんだよ、睨むことないって思うぞ」
口を尖らせたイツキが手を伸ばし頬をつつけば、それにサキが噛みつこうとする。中性的な黒髪少女と、お嬢様っぽい金髪少女。見た目は違えど、どこか仲良さげな姉妹の雰囲気だ。少なくとも亘にはそう見えた。他の者がどう見ているかは知らないが。
「改めまして、おはようございます五条さん。それから小さな女神さんと、凄い大きな狐さん」
七海は最後に小さく付け加えた。
当然と言えば当然だが、話題の存在が誰かはバレバレだ。あげくに亘がそれを隠したいという事まで察しているらしい。エルムとイツキもニヤッとして、仲間同士の内緒事のつもりのようだ。
「分かっていると思うが、あまり言わないでくれよ」
「もちろんやけど、うちが思うに五条はんはもっと自分を誇ってええのに」
「こういう事は隠れてやるものだ」
「おっ、なんか格好いいやん」
だが亘は手を左右に振った。
「格好よくない。何にせよ、やったのは神楽だからな。神楽を褒めてくれ」
「違うよマスターの指示だからさ。マスターを褒めてよね」
「頑張った神楽を認めてやりたいんだがな」
「ボクはマスターを認めてあげたいもん」
ここでまた亘と神楽の言い争いが始まり、同じテーブルのメンバーは何だかなといった様子だ。もちろん周りから見ている他のテーブルの者は戸惑い気味で様子を窺っている。
「ところで、カウンターで何かあったみたいですけど。どうかされました?」
「それがさー、聞いてよ。もう酷いんだからさ」
七海の問いに神楽は頬を膨らませ両腕を上下に振り、自分のご飯が貰えなかった事が如何に酷いかと、身振り手振りを交え訴えだした。時々、跳ねたりテーブルを踏みしめたりと力説だ。
本人の気持ちはともかくとして、そんな一生懸命な小さな姿は周囲のテーブルからの注目さえも集め、何やら人々をほっこりとさせていた。
そして亘は黙っている。
ここで自分が誤解された事の文句を言いたいところだが、しかし神楽の訴えとは少し事情が違う。いい歳をした大人が、それを言いつのって愚痴っても格好悪いだけだ。自分の憂さを晴らしても、自分の評判を落としてしまうだろう。
そもそも、今はその事も気にならなくなっている。何故なら七海たちと合流できて嬉しくなっているからで、人間という者は満たされてさえいれば大概の事には寛容になれるということだ。
「うーわ、神楽ちゃんのご飯が貰えんかったんか。そら酷い。よっし、それやったら何とかしてあげんとな。とりあえず、うちのどーぞ」
「チビ悪魔が可哀想だからな、俺のもやるぞ」
「でしたら私の分も」
空いた皿に皆が少しずつバナナを分けてくれる。そこにサキから強制供出させた分を合わせれば、ゆうに一本分以上になるだろう。だが普段の食事から考えれば到底足りないのも、また事実。
亘は使役する者としての責任を取る事にした。
「ほれ、このバナナの半分をやるよ」
「マスターありがと! じゃあ、ボク半分だけ貰うからね」
言って神楽は笑顔のまま、亘の皿にあるバナナを全部食べてしまった。それはもう凄い勢いで、止める間もないぐらいだ。
「おい……半分と言ったじゃないか」
「だからさ、半分残しといたよ」
しれっと示されたのはバナナの皮だ。
亘が反論しようとするものの、神楽は七海たちとの会話に興じだしてしまう。仕方なくバナナの皮を見やって、小さく嘆息し……今日はどこかで食糧を探そうと真剣に考えだした。ついでにサキはバナナの皮は食べられるのかと驚いていた。
その時であった、食堂がざわつき聞き覚えのある声が響いたのは。
「うーっすうーっす、うぃーっす」
騒ぎの中心にいるのは、チャラ夫で辺りに適当な挨拶をしながら歩いている。
どうやら皆から絶大な人気と信頼があるらしく、何人かは立ち上がってまで挨拶するぐらいだ。
「あいつ……人気だな」
「そうらしいぞ。俺が聞いた話だとよ、チャラ夫ってば悪魔退治のエキスパートでエースってことなんだぜ。凄いよな」
「なるほど、チャラ夫のやつ偉くなったもんだ……って言い方が悪く聞こえるが変な意味じゃない。感心して言っているだけだからな」
「分かってるって」
「あいつが頑張ってきたのは事実だからな。正当な評価だよ」
その言葉にはイツキのみならず七海とエルムも同意して頷いている。
だが、亘は心の中で算段をしていた。即わち、このままチャラ夫を目立つ立場に置いておけば自分の面倒が減るのではないかと。
目立って格好いいのは一見すると華やかで羨ましいかもしれない。
しかし、それに比して他人の嫉妬をかって厄介事に巻き込まれる可能性が高まる。そして何より、世間というものは目立った者が凋落すれば大喜びだ。大バッシングとなって過去の洗い浚いが徹底的に調べ上げられ、小学校の卒業文集に書いたことまで晒されての開処刑が始まるなど、その末路は悲惨となる。
それを思えば目立たずこそっとしたい。そこそこのポジションで評価され、程良く良い思いをすることが一番良いに違いない。
亘が頷いていると――チャラ夫がまっしぐらにやって来る。
その目が明確に自分を見つめている事に気付き、亘は慄然とした。
「兄貴! おはようございます!」
あげく最敬礼しつつ大きな声で挨拶までしてくる。
先程の亘に対する注目が収まりかけていたというのに、ここで再び注目されてしまった。それ以上は余計な事をするなと目配せで注意をするのだが、そんな高等な意思疎通にチャラ夫が気付く筈もない。
「どうしたんすか? あっ、もしかして目にゴミっすか?」
「いや、いいんだ。気にしないでくれ……」
「そっすかー。あっ、そうっす!」
取って付けたような大声に、亘は果てしなく嫌な予感を覚えた。神楽は周りの注目が集まった時点で姿を隠しており、サキはバナナの皮を食べてみようか迷っている。
「みんな、この方が俺っちの尊敬する兄貴なんす!」
チャラ夫は両手を広げ高らかな宣言をした。
最悪だ。
極めて最悪だ。
「おい、止めような。チャラ夫」
「この兄貴は超兄貴で最高なんす、俺っちの目標にして憧れ! 兄貴さえ来てくれたら、もう何も恐くないっすよ!」
亘は鼓動で人が殺せればと思った。だが羞恥で早まった鼓動ではチャラ夫を始末することは出来ないらしい。
「朝飯一緒でいっすか? いっすよね。あ、別に今のは、いっすと椅子をかけて椅子を催促したわけじゃないっすよ。やあやあ、ここにお邪魔させて貰うっす!」
誰かが用意してくれた椅子に座り、チャラ夫はテーブルに自分のお盆を置いた。ただでさえ四人掛けテーブルにお盆を五つ置いて狭いところ、さらに増えてなお狭くなる。
七海とエルムが素早く皿を持ち上げお盆を重ね、息の合った行動でスペースを開けている。それをして貰っても気付きもせず、どっかり椅子に座ったチャラ夫は傍若無人にバナナの皮を剥き、意外に細かく白い筋まで取って食べだした。
「それよか聞いたっすか? 昨日の夜の凄い事。なんつーか怪我してた人がいきなり回復したそうなんっすよ! しかも小さな女神が出たらしいんっすよ。それってもしかしてなんすけど――」
大声で喋るチャラ夫に戦慄し、亘は心の底から余計な事を言うなと懇願した。きっと神楽も同じ事を懐の中で祈っているに違いない。サキはバナナの白筋は食べてはいけなかったのかと頷いた。
「俺っちが思うに、神様が来てくれたんすよ!」
「ん?」
「ほら、狐さんたちが助けてくれてるっしょ。だから俺っちが思うには、どっかの神様が同じように助けてくれたんすよ。ありがたや、ありがたや」
チャラ夫が手を合わせると、他の者も同じように手を合わせ拝みだす。神楽の小さな姿に、もしやと思っていた者もいたのだが、チャラ夫が言うならそうに違いないと疑念を晴らしている。
不幸中の幸いと言うべきか、チャラ夫は大狐については見知っている上に、目の前で起きた出来事のため、それをわざわざ言いふらしはしなかった。
何にせよ胃の痛くなった亘が顔をしかめると、七海がさっとお茶を持って来て差し出してくれた。
礼を言って飲む横で、ついに決心したサキがバナナの皮に囓りついている。
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