第113話 渚に戯れ

 昼より夕方が近い時間帯だろう。

 人の数はやや減ったが、それでもまだ海水浴場に人の姿が多い。混雑が、やや混雑になった程度だ。ビーチパラソルやテントがひしめくには相変わらずで、水着姿もあって色鮮やかだ。

 海水浴とはいうが、海で泳ぐより水際ではしゃぐ人の方が多い。音楽をガンガンかけた迷惑な集団や、酔って騒ぐ集団、日差し完全防御の重装備女性、ひたすらイチャつくカップルや楽しげな家族連れ、柔道着でマラソンする丸坊主集団と多種多様だ。

 わざわざ海に来なくてもよさそうな連中も多いが、しかし誰もが夏の海を満喫しているのは間違いない。

「熱っ、熱ちちっ」

 亘は砂浜の上を歩きながら小さく悲鳴をあげた。照りつける日差しを浴びた砂は驚くほど熱く、それがビーチサンダルの隙間から入り込む。足を交互にあげ悶えていると、その滑稽な仕草を通りすがりの女性に笑われてしまう。

 きまり悪いため、波打ち際で足を冷やしながら歩く。寄せては返す波は歩きにくく、慣れない感覚で少々気持ち悪い。人混みを裂けつつ、砂浜と波打ち際を交互に歩いて行った。

 意外なことだが、亘が進んでいくと普通の人も恐そうなお兄さんも自然と道を譲ってくれる。妙に皆が親切だった。

 それも無理ないことで、小首を捻る本人は気づかないが傍から見た亘は思いの外に威圧感がある。海パン姿で上半身裸だが、その身体は鋭く締まって目を引いている。異界の地で戦い続け鍛えられた身体をしており、マッチョな見せ筋とはまた別のベクトルで威圧感があった。


 神楽から教えられた、おおよその場所辺りに到着する。

「さて、この辺りのはずだがな……」

 周囲を見回すと、海水浴客の雰囲気が変わったことに気付く。丸坊主頭の少年たちが惚けた顔で体操座りして並んでいる。さらに、子連れのお父さんたちがしてはいけない顔となり、彼女そっちのけでガン見する彼氏の姿もある。逆に女性陣は沈鬱な顔や膨れっ面だ。

「……いた」

 それらの視線の先を辿っていくと、渚で戯れる七海とエルムの姿を発見する。混雑する海辺で、そこだけポッカリと侵されざる空間だ。 

 グラビアアイドルの七海はさすがビキニがよく似合う。はちきれんばかりの形良い胸、お腹から腰にかけてのくびれにお尻と、どこをとっても申し分がない。さすがに人が多い場所なので、黒縁の伊達眼鏡をかけている。

 もちろんエルムだって平均並の胸はあって、手足もスラリとしている。元気よく動く姿には、明るく健康で活力に満ちている。

 どちらにも、それぞれの魅力があった。

「いいなあ」

 そんな静と動な水着姿が渚に戯れる姿は、見ているだけで幸せ気分になれるものだ。つい呟いてしまい、亘は微笑みながら二人の元へと向かう。だが、しかし。

「そこのあなた、ダメですよ。見るだけですから。それ以上は近づかないで下さい」

 近づこうとした亘は見知らぬ男に制止されてしまった。相手は水泳帽を被り、見事な逆三角形体型をしている。小麦色よりなお濃い日焼けをしており、胸には監視員との名札を下げている。

「え? でも、知り合いなんですけど」

「皆さん、そう仰るんですよ。あなたね、いい年してナンパとか、恥を知りなさい。恥を」

「はあ……すいません」

 監視員はこうして海水浴場の平和を守っているのだろう。しかし……何故ここまで言われねばならぬのか。本当に知り合いなのだが、これではどうすればいいのか分からない。

 大きな声で呼ぶという選択肢は脳裏に浮かばず、亘は途方にくれてしまった。

「あっ、五条さん!」

 そんな姿に七海が気付いてくれた。

 手を振って駆けてくるが、黒縁の伊達眼鏡で知的で真面目さがいつもより強調され、水着の開放感とのギャップが良い感じだった。エルムも笑顔で駆けてきて、途中で七海を追い越す。

「遅いでーって冗談や。お疲れさんや」

 七海とエルムに囲まれると、どこからか舌打ちが幾つも響くが気にしないでおく。

「お疲れ様です。遅かったですけど、ごめんなさい事故の対応は大変でしたか」

「それは大したことない。少しブラブラしてきただけだ。チャラ夫とサキは?」

「あそこやで」

 ビーチパラソルの下で荷物番するチャラ夫の姿があった。神妙な顔で体操座りしており、駅のホームではしゃいでいた素振りは欠片もない。

 その近くでサキが穴掘りしている。何がそこまで駆り立てるのか、せっせと穴を掘っては土を積み上げている。すでに自分の背丈ぐらいまでは掘り進み、金の髪が穴の中で揺れ動く様子しか見て取れなかった。

「ああ、あそこか。ちょっと見てくる」

 亘は周囲からの舌打ちに耐えきれなくなり、七海とエルムを置いてチャラ夫へと近寄った。

「兄貴、俺っちはもうダメっす。動いたら擦れてヤバイっす」

 チャラ夫は情けない顔で笑ってみせる。きっとこの一時間近くを必死に耐えてきたに違いない。すっかり疲れ切った顔だ。事故原因にもなった七海のアレを見た後で、それが目の前で動いていれば無理もない。気持ちは十二分に理解できる。

 亘は優しく頷いてみせた。

「そうか、大変だったな」

「ダメなんす。全然鎮まらないっすよ。見ちゃいけないのに見ちゃうし……兄貴はなんで平気なんすか」

「これがOTONAの余裕ってもんだ」

 亘はまるで賢者のように落ち着いていた。そこには悟りでも開いたような穏やかさがある。誰も居ない岩場でコッソリ着替えたが、それにしては時間がかかっただけのことはある。

「さすがっす。俺っちも早く大人になりたいっすよ」

「式主、遅い。お腹空いた」

 タンクトップ風水着にシャツを着たサキが穴から這いだしてくると、頬を膨らませてきた。すかさず先程の逆三角形体型の監視員が穴を埋め直しているが、砂浜の平和と安全はこうして守られているのだろう。

「なんだ砂まみれじゃないか」

 手も足も砂まみれで、顔まで砂が付いているぐらいだ。亘がそれを拭ってやろうとすると、サキがをガシッと腕を掴み掌をクンクン嗅ぎだした。

 サキは獣並みの嗅覚を持つ。何か気付いたらしく軽く眉を顰め、紅い瞳をジロリとさせる。

「何してた」

「暑いだろう、かき氷でもどうかな。はははっ」

 亘は素早くサキを小脇に抱え、ギュッと絞めて何も言えないようしてしまった。

「かき氷ですか、いいですね。食べましょうよ」

「ウチも賛成や」

 七海とエルムがやって来ると、チャラ夫が身を縮こまらせた。本格的にヤバイようだ。しかし、いくらヤバかろうが本能には逆らない。目線は目の前に現れた魅惑ボディに釘付けである。

 腹を押さえたように見えるチャラ夫に七海が小首を傾げた。

「チャラ夫君、お腹が痛いのですか。かき氷は止めて、別のものにしますか?」

「大丈夫っす。ちょーっと、その……元気すぎるだけっす。むしろ冷やしたいっす」

「ははーん。さてはウチらの、セクシー姿で元気になっちゃったんやな」

「へへへっ……」

 チャラ夫は曖昧な笑いで誤魔化した。きっと痛いぐらいの状況だろうに、健気なことだ。同じ男として同情を禁じ得ない。

「はははっ、かき氷を買ってきてやるさ。味はどうせ同じだろ、色は適当だからな」

「それなら、私も一緒に行きます」

 七海が自分の荷物の横へと、両足を抱えるようにしゃがみ込む――図らずもチャラ夫の真横だ――と、羽織るためのパーカーと財布を取り出しはじめる。


 おかげでチャラ夫は一層苦しげとなったが、けれどやはり目を離せず横目で食い入るように眺めている。それは周囲のギャラリーとて同じこと。辺りの男どもの視線は無邪気な少女の水着姿のあちこちへと集中していた。

 無理なからぬと思う亘は、態とらしく視線をそらしている。本当は胸の谷間でも眺めたいところだが、エルムがにやけ顔で見てくるので我慢するしかないのだ。

「じゃあ行きましょうか」

 何も知らない当人は小さくハミングしながら上機嫌で立ち上がった。そうしてパーカーを羽織ると、嬉しそうな顔で横に並んだ。

 水着姿が隠されると安心……などということはない。むしろ隠されていると、余計な妄想が逞しくなってしまうものだ。例えばだ。パーカーの裾下からビキニのお尻が僅かにでも見えていると、その肉付き良さそうなお尻そのものを妄想してしまう。

 人間とは逞しい想像力を持つ生物だとよく分かる。

 亘は七海に手を引かれ浜辺を歩いて行く。弾むような足取りを身近に感じていると、はやくも賢者モードが終わりそうであった。

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