第114話 心地よかった夏の日差し

「すんませーん、ボール取ってもらっていいです?」

「はいどうぞ」

「お姉さん、ありがと。ねえねえ、良かったら俺らと一緒に遊ぼ」

「ごめんなさい」

 断られた男はボールを受け取ると残念そうに戻っていく。

 先程からこれだ。どこからかビーチボールが飛んできて七海の足元に転がる。それを拾い上げると、嬉しそうにやって来た男が遊びに誘ってくるのだ。

 何度となく繰り返されたパターンに、七海は疲れた様子で息をついた。

「ビーチボールで遊ぶのなら、周りの迷惑にならないよう遊ばないといけませんよね」

「……そうだな」

 主原因の言葉を聞いて亘も疲れた気分で息をついた。なにせ、注目の的の隣を歩くと『何でお前が』との視線しかない。人からの視線が気になる性格としては、神経をガリガリ削られる思いだ。

「なんだかお疲れみたいですけど。大丈夫ですか」

 心配してくれるのはありがたいが理由など、言えたものではない。

「大したことない。まあなんだな、少し人混みに疲れただけだ」

「あっ、それ分かります。実は私もなるんですよ。今日は大丈夫ですけど」

「こうして海に遊びに来ておいてなんだが、人混みってのはどうにも苦手だな。偶に来る分にはいいけどな」

「そうですよね。私も――」

「すんません。ちょっといいですか」

 しかし、またしても前を塞ぐように男が現れた。亘との会話を邪魔され、流石の七海も少し気分を悪くする。

 だが相手の男は気にした様子もない。ポロシャツ姿で頭にタオルを巻いているが、首から下げた名札を見せながら話を続ける。

「実は僕、ザングリTVのスタッフなんですけど。良かったら君、テレビ出てみない? バラエティ番組のロケだから有名人にも会えるよ。それに君なら、これを機会に芸能界デビューだって夢じゃないよ」

 男は七海を上から下まで粘つく視線で眺めまわす。そして、出演者らしい芸能人の名前を次々あげていく。横で聞いている亘にはサッパリな名前だが、人気だの若手お笑いとの形容詞がつくところからすると、きっと有名なのだろう。

 七海は固い顔のまま、困ったように両手を振ってみせる。

「ごめんなさい。勝手にテレビとか出るのとかは、所属している事務所で禁じられてますから」

「え? 所属……あぁっ! 君って、舞草七海ちゃんじゃないの! うわぁ、うわぁ本人じゃん。もしかして何かの撮影? ねえねえ撮影?」

「ただのプライベートです。そのう、失礼します」

 妙に馴れ馴れしい男の言葉に七海はそそくさ逃げ出す。それでも男は追いかけようとしたが、亘が一歩出て目で制すると身を引いた。ようやく男は残念そうに身を引いて下がっていく。


 亘は七海の後を追いかける。改めて思うが、やはり七海は有名人の部類に入るのだろう。なにせ写真集も出ているし、雑誌の表紙を飾ったりもするぐらいなのだから。

 少し先に行ったところで申し訳なさそうな顔の七海と合流した。

「七海も有名人だから大変だな」

「そんなことありません、大して知られてませんよ。ほら、五条さんだって知らなかったじゃないですから」

「こいつは一本取られたな、はははっ」

 笑いながら歩くと、海の家に到着した。

 当然だが、かき氷は人気で行列して並ばねばならなかった。大人しく並んでいるとラーメンの鶏ガラや、焼きそばソースの香ばしさが鼻腔をくすぐるではないか。良い匂いにそそられるが、夕食のことを考えると諦めるしかない。世の中には大食いの人もいるが、それが少し羨ましい。

 ふいに七海が亘の腕に触れる。そうやって、亘を支えに背伸びをすると氷が削られていく様子を見ているではないか。

「氷が削られるのって、見ていて飽きないですよね。シャリシャリして涼しそう」

「でも削っている人は冷たくて大変だろうな」

「それもそうですね。シロップはどうしましょう。私は赤色にしようかな」

「じゃあ自分は緑色かな。エルムは青色にして、サキは黄色だな。チャラ夫は……」

「きっとレインボーがいいですよ」

 そんなことを話しつつ、しかし亘が見ているのはかき氷ではない。自分に掴まり立ちする少女のことしか見ていなかった。

 夏の日差しに黒髪が映え、首元から鎖骨、そして胸の膨らみまで眩しい肌が見えている。頭一つ上から見下ろすと胸の谷間も見えるではないか。

 ここまで来る間に何度もナンパされかけたように、人目を引く魅力的な少女だ。それがどうしてか自分の隣にいる。腕に触れた手から、夏の日差しとは違う温かな優しい熱を感じてしまう。リアルに隣にいるのだ。

 視線を感じたのか、七海は振り仰ぐように視線を向けてきた。

「どうしましたか?」

「なんでもない。なんでもないさ、はははっ」

 振り仰いできた七海に笑いかけ亘は自重する。下手なことをして全てを台無しにしたくない。どこまでいってもヘタレな亘だった。


◆◆◆


 砂利敷きの駐車場だ。辺りに数台の車が駐まっているが、それらは関係ない。夕方となったため、迎えの車が来るのを待っているところである。

 亘は膝にサキを載せ、七海と並び縁石に座っている。目線の先では渋滞する車列が続いているので、迎えは予定通りに来られなくて当然だろう。

「よいしょっと」

 隣に座る七海が立ち上がる。亘は座ったままのため、自然と可愛らしいお尻が目の前だ。砂がついているため、尚のこと形状がよく分かる。薄布一枚に隔てられた、魅惑のお尻が目に入るのは仕方ないことだ。食い入るように見つつ、そう自分に言い訳している。

 七海が水着のについた砂を払い、そして内側に入った砂が気になるのか水着に沿って指をはしらせる。流石に亘も慌てて目を逸らした。

「完全に乾きましたから、もう上に服を着てもいいですよね」

「そうだな、おっと着替えるなら待ってくれ」

「どうしましたか?」

 亘は横にサキをのけ立ち上がる。遊び疲れたサキは不満げにするものの、眠気に負けてかそのまま寝てしまう。そして七海と道路の間に入る。今度は事故が起きないようにとの配慮だが、そうと告げることはできない。

「いやなんだ……七海の着替えを人に見られるのは嫌だなーって。はははっ、何を言ってるのやら」

 冗談めかして言ったつもりだ。しかし七海は虚を突かれた顔となり、やおら顔を赤らめ下を向いてしまった。そのまま何か小声で呟いている。聞き取れず問い直そうとすると、そこに道路の様子を見に行ったエルムが戻ってきた。

 こちらは既に着替え、水着の上に衣服を着用している。

「渋滞の向こうで迎えの車を見つけたで。タイミングの良いとこで、渋滞から出るそうや。そんでチャラ夫君が連絡要員として乗っといて貰ったで」

「そうか、じゃあ行くとするか。その前に七海が着替えないとな」

「なんやナーナときたら早う着替えんと。それとも水着のまんま歩いてくか、にししっ」

「もお、そんなことしないよ。今、着替えるとこだったの」

「はいはい。早うしなれ」

「じゃあ、五条さん。壁になってて下さいね」

 亘の背に隠れると七海は着替えだす。乾いた水着の上にシャツやジーンズを着るだけだが、それでも着替えは着替えだ。本来ならシャワーを浴びるべきだが、更衣室はといえば大行列で利用するどころではない。

 エルムは亘と並び、同じく事故防止のため壁の役目をする。

「五条はんってば、日焼け止め塗っとらんやろ。なんやら、腕なんか凄い赤うなっとるで」

 つつっと腕をエルムの指がはしると、はやくもピリピリとした痛みを感じてしまう。

 これはいけないと、亘が心配したのは腕なんかではない。夏の日差しで最もダメージを受ける部位、すなわち頭皮だ。この後でケアを怠ると、後々になって悲劇を招くことになってしまう。

「むむっ、これはいかんな……あとで神楽に回復魔法を使わせるか」

「ほんならウチらもお願いしたいわ」

「あ、私もお願いしたいです」

 口々に回復魔法の希望があがる。神楽がへろへろになるまでMPを使わされるのは間違いない。

 今更だが、亘は心地よかった夏の日差しを気にしだし、サキを肩車すると、帽子がわりに頭をガードしたのだった。

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