第115話 部屋割りの紙

「んっ、着いたのか」

 ワンボックスカーが駐まり、亘は車内で目を覚ました。海水浴場で乗車した途端、耐えがたい睡魔に襲われ爆睡している。不思議なことに寝ていたとしても、人は目的地に着くと自然と目が覚めることが多い。寝ている間も周囲の状況を把握しているのだろうか。

 首のコリを解しながら、大欠伸と共に車外へと出た。夕方特有のムワッとした空気に、その土地ならではの臭いがある。そして海辺ということで、どこか纏わり付くような感じもある。

 小高い斜面の上だ。少し離れた場所に柵があり、その向こうに海原が広がっている。耳を澄ませば、潮騒と海鳥の鳴声が僅かに聞こえる。普段の街中とはまるで違うものだ。

 目の前には一軒の古びた旅館があり、そこが宿のようだ。玄関脇に『歓迎キセノン社様御一行』とあるので間違いない。

「なんだか、古っちい旅館だな」

 つい、呟くが少し不満な声になってしまう。

 キセノン社の社員旅行なので、きっと宿は豪華なホテルだろうと期待していたのだ。それゆえのガッカリ感である。招待旅行なので文句を言っていけないと思いつつ、つい口にしてしまう。

 おかげで聞きつけた藤島秘書が銀縁眼鏡を指で押し上げ、ジロリと睨んでくる。

「この旅館丸ごと貸し切りにしておりますが、何かご不満でも?」

「あ、いえ。それは凄いですね。はははっ」

「従業員も関係者を配置し、館内で従魔を自由に出せるよう配慮したのですが。何かご不満でも?」

「お気遣いありがとうございますです、はい」

 亘は項垂れてしまった。向こうがどう思っているかは知らないが、どうにも苦手だ。

 車から降りてきたサキが手を握ってくると、真似して項垂れてみせた。そうして並ぶ姿は、妻に逃げられ途方に暮れる親子に見えないこともない。


 チャラ夫が続いて車から降りてくると、旅館を見上げ感嘆の声をあげた。

「おお、これは風情があっていいっすね。この木造感がいいっすよね。くーっ、看板のかすれ具合。これぞザ歴史! って感じっす」

「チャラ夫様には気に入って頂けたようで、何よりです。考えて選んだ甲斐がありましたわ」

「そっすか、藤島さんが選んだっすか。センスいいっすね。この鄙びた雰囲気に褪せた木の色合い。実にいいっす! やっぱ宿っちゅうもんは、旅館っすよ。旅館」

「ふふふ、さあ中に参りましょう」

 藤島秘書は嬉しげに笑い、ご機嫌な様子になっている。

 普通なら煽てにしか聞こえない言葉でも、チャラ夫が言えば不思議とそうは聞こえない。それは本心で言っているからに違いない。

 自分の思ったことを素直に話せない亘からすると、その素直さは羨ましくそして少しだけ疎ましくも思える。要するにやっかみだ。

「旅館に泊まるなんて、久しぶりです」

「ウチもやな。そういや、一年の時の臨海学校がこんな場所やったか」

「そうでした。あの時にエルちゃんと最初に話したんですよね」

「思えば随分と経ったもんや。もうずっと昔のようやな」

 エルムが遠い目をして、随分と年寄り臭いことを口にしている。若者からすれば一年や二年なんて随分昔に感じるに違いない。だが、亘の様な社会人からすると年単位の時間経過はあっという間で、下手するとつい先日の感覚になる。

 これが若さかと亘が項垂れていると、やや軽薄な声が響いた。

「はぁい。お嬢さんたち、僕が荷物を持ちますよ。どうぞお入り下さい」

 顔を上げると、ロングでボリュームのある髪をしたイケメンが現れていた。パリッとした青いアロハシャツに白い短パン姿をワイルドに決めている。そして亘が運ぶつもりだった七海たちの荷物を手に取ると、爽やかな笑顔で旅館へと案内していく。

 しかもどうやら、お嬢さんだけしか見えてないらしく、亘は置き去りだ。

 どこか見覚えがあるが、ムカつく男だ。まず髪のボリュームがある時点で腹立たしいが、イケメンな点でそれが不愉快になる。百歩譲って、そうした点を差し引いたとしても、気取った仕草や芝居がかった仕草が……そこで思い出す。

 キセノンヒルズでの説明会にいた、あのスタイリッシュサラリーマンなイケメンだ。

「んっ? 行かないのか」

「そうだな行くか」

 亘はサキに促され、自分の荷物を持って後に続いた。


 安っぽい自動ドアが開き旅館の中に入ると、冷房が効いたヒンヤリした空気になる。埃っぽさをベースに様々な臭いが混じる旅館特有の臭いが一瞬鼻をつく。しかしそれもすぐに慣れ、無臭の感覚となってしまう。

「むっ、熊」

 靴からスリッパに履き替えたところで、サキが手を放しロビーに飾られる熊の剥製へと駆けていった。非常に気になるらしく、近寄ってしげしげと眺めだす。そうしていると、本当にただの子供にしか見えない。

 そんなことに和む間もなく、イケメンの調子に乗った声が辺りに響く。

「僕は中堂って言うんだよ。下の名前は頼だから、頼君でも頼さんでも気軽に呼んで欲しいな。あっもちろん、呼び捨ても歓迎だよ」

「そらどうも、中堂さん。ウチは金房です。ほんで、こっちは舞草や」

 身を引き警戒する七海に替わり、エルムが固い声で挨拶をする。しかし、中堂は気にした様子もない。そのまませっせと話し掛けていく。こうした積極性は亘にないものだ。

「へー、舞草ちゃんに、金房ちゃんか。女子高生が来るって聞いてたけど、若くていいねえ。僕なんて、就職して五年も経ったから学生時代なんて遠い昔だよ。学生時代かー、あの頃はヤンチャして悪いことばっかしてたなあ。よかったら、後で高校の話を詳しく教えてくれるかい」

 イケメンな中堂がよく通る声で喋るにつれ、亘はイライラしだす。昔はワルだったアピールもあって、苛立ちは募るばかりだ。

 七海とエルムに気安く話しかけるなと言いたくなるが、それを言えば僻みであるし、亘にそれを言う権利もない。我慢するしかないだろう。

「就職すると本当に遊べないからねえ、学生時代は思いっきり楽しんどかないとダメだよ。特に僕みたいに、重要プロジェクトを任されると寝る間もないからね。本当疲れちゃったよ。でもね、社長直々に僕に旅行へ行ったらどうかって声をかけられてねえ。社長に言われちゃあねえ、休まざるを得ないよ。まあ社長も僕に注目してるってことかな」

「あのー。荷物置いたら、どうするんですかねえ」

 自分語りを遮り、亘が後ろから口を挟んだ。頑張ってるアピールとか、自分凄いアピールでウゼエとの思いが出て、つい口調が嫌味っぽくなったのは仕方ない。


 中堂は亘を見て目を瞬かせた。ややあって、芝居がかった仕草で声をあげる。

「おや失礼。ええっと、確か三条さんでしたか?」

「五条ですけど」

 名前を間違えたことより、まるで初めて亘の存在に気づいてみせたような仕草や、大袈裟に驚いてみせる仕草が気に入らない。こいつは嫌いだと認定する。

 しかしだ。もし亘と中堂を並べ、どちらが好ましいかを世の女性に問えば、間違いなく中堂に軍配が上がる。外見だけでなく、社交性や人付き合いの良さやトークの滑らかさなど、あらゆる面で中堂の方が好ましいのは間違いない。

「いや失敬。荷物を置いたらどうするかですって? そうですね、割り当ての部屋に移動でしょうか。当然ですね」

「その割り当てが、分からないんですけどねえ」

「ああそうか、しまったな。部屋割りを持たせたヤツはどこ行ったかな。参ったな、僕がちょっと目を離すと、すぐこれだ。お客さんを待たせるなんて申し訳ない。あいつに任せてしまった僕の責任ですよ」

 頭を下げて見せた中堂に、亘のイラつきは増大する一方だ。

 上から目線も気に入らないが、それより七海やエルムに近づき馴れ馴れしくしてみせるのが、何より気に入らない。

 ただ亘自身は気付かぬが、その苛立ちの原因は独占欲と支配欲だ。七海やエルムを自分の所有物と見なし、他の男に取られるのでは不安になっている。つまりは自信のなさが原因なのだ。

 そこにドタドタとした足音が響く。薄っぺらな赤い毛氈が敷かれる廊下を、小太りの男が走ると、古びた廊下がミシミシ悲鳴をあげている。

「五条さんじゃないですかー、五条さんじゃないですかー。神楽ちゃんはいずこ!」

 素っ頓狂な大声だった。

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