第116話 赤お兄ちゃん

 それは、キセノン社でDP関連の開発部門を担当する法成寺研究員だ。小太りな脂ぎった肌で、目を子供のようにキラキラさせ愛嬌のある様子だ。ただし、キセノン社で行われる非人道的実験の中心人物であり、倫理観的には異常者である。

 その姿はいつもの白衣でなく、よれよれの赤アロハシャツに短パン姿と、だらしない格好だ。しかしむしろそれが似合っている。

「法成寺研究員じゃないですか、お久しぶりです。神楽ですか……出ておいで」

「えーどしたの、ボクに何の用?」

「ふぉおおお、神楽ちゃんじゃあー!」

 旅館の中は従魔召喚が解禁されているため、神楽を喚んでみせる。それで法成寺が奇声をあげだした。神楽は慣れた様子で平然としているが、初対面のサキは面食らっている。目を見開き緋色の瞳の瞳孔を開かせると、小走りで亘の背にしがみつく。そして、そこから恐々様子を伺う始末だ。

「おおおっ! 神楽ちゃん! 今日も巫女巫女しい!」

 法成寺は跪き、巫女装束で飛ぶ神楽を拝むように両手を合わせた。天から降臨してきた女神でも崇めるような雰囲気だ。なにせ巫女マニアなので仕方ない。

 慣れた様子の神楽は気安い感じで声をかける。

「法成寺のお兄ちゃんだね。白じゃなくて赤い服だから、赤お兄ちゃんだね」

「これ、失礼なことを言うでない」

「いいえ神楽ちゃんから頂いた渾名! 地獄の底まで持ってきます!」

 持ってくなと全員が思ったに違いないが、誰も指摘はしなかった。

 神楽の前でハアハア興奮し続ける法成寺の姿に、中堂はしかめ面だ。そしてまたしても芝居がかった仕草で両手を上にあげ、やれやれと首を振っている。


 そこに新たな集団が現れる。トストスと多数の足音がやって来た。

「まったく何を騒いでいるのですか」

 呆れ声をあげるのは、キビキビとした仕草の藤島秘書だ。後ろにチャラ夫や何人かの社員を伴っている。その中に説明会で世話になった海部の姿があり、亘は軽く会釈しておく。すると海部も覚えていたのか、同じく会釈を返してきた。

 大勢の知らない人が登場したため、人見知りな神楽は慌ててスマホに引っ込んでしまった。たちまち法成寺が悲痛な声をあげる。

「そんなー、神楽ちゃんー。もう一回、もう一回喚んでー。お願いプリーズ!」

「五条様、これはどういったことでしょうか」

 法成寺が亘へと泣きつくため、またぞろ亘が何かしでかしたと思ったのだろう。藤島秘書は冷たい目で睨んでいる。

「違います。何でもありません。部屋がどこかの話をしてただけですよ」

「そうですか。法成寺さん、部屋割りは貴方の役目でしたね。説明してください」

「うう。神楽ちゃん……」

「法成寺さん!」

「はいぃ! 部屋割りね、どこやったかな。ここは違う、あっ。あった」

 ズボンのあちこちを探し、法成寺がヨレヨレになった紙を尻ポケットから取り出した。食いカスの油染みなど色々ついているが、それが部屋割り表らしい。

 また雑なことをと中堂が顔をしかめている。

「五条さんは、三階の松の間だねー。長谷部君も一緒だよ」

「長谷部君? それは、どなたですか」

 亘が眉を訝しげな顔をすると、チャラ夫が憤慨した。

「俺っちすよ! 俺っちのこと!」

「ああ、チャラ夫のことか。そういや長谷部チャラ夫って名前だったな」

「祐二っす! 長谷部祐二!」

 チャラ夫がムキになるがスルーする。チャラ夫はチャラ夫なのだ。

「あとねー。舞草さんと金房さんも同じ部屋だね」

「「えっ!?」」

「あ、勘違いさせてごめんねー。女の子二人で一緒の部屋ってことね。二階の桧の間だから」

 言葉が足らなかったことに気づき、法成寺は頭を掻きながら訂正する。愛嬌のある仕草だが、横にいる中堂は顔をしかめている。他人のミスが許せない質なのだろうか。七海やエルムが居なければ舌打ちしていたに違いない。

 そして法成寺が残りの部屋割りを説明していき、最後に皆の見えるところに紙を置いた。食べ染みで汚れているので誰も触ろうとしないが、社員たちは紙を囲んで自分の部屋を再確認しだす。

 藤島秘書がキリッと場を締める。

「十八時から簡単なミーティングを行います。それと、今日の食事は明日が控えているため簡単なものになります。宴会は依頼が完了してからですので、ご了承下さい」

「終わらなかったら?」

「終わらせるよう、頑張ってください」

 亘の合の手に藤島秘書は、さも当然と厳しい顔で言いきった。

「やべえっす。明日の宴会は俺っちの肩にかかってるっす。責任重大っす!」

「はい、頑張って下さいね」

 チャラ夫の言葉に藤島秘書は優しく微笑んだ。どうにも態度に差がある。

「安全第一だからな」

 亘は呟いて自分の荷物を持ち上げた。

 松の間に移動しようと歩きだすが、中堂が荷物を運び七海たちをエレベーターに誘導していくのが目に入る。それで口をへの字にして階段に向かった。


◆◆◆


 松の間の踏込をあがって畳部屋に入る。

 十畳はある広い部屋で、中央に座卓があって茶筒や急須などのセットが置かれている。床の間には色褪せた掛け軸と花が飾られ、剥がれかけた壁紙の前にあるテレビはなんとブラウン管タイプだ。古びた外観に違わぬ内装だった。

 それでも、開け放たれた障子の向こうは海を一望でき素晴らしい景色である。きっとこれが売りなのだろう。

 そんな景色を前にしても亘の苛つきは高まるばかりだ。むせっとした表情で荷物を下ろすと、窓辺の広縁に向かう。どうにも七海たちと中堂が一緒に行動していることが気に入らなかった。

「…………」

 拗ねた子供の気分で、窓辺の椅子に腰かけ外を眺める。茜色に染まった空と海、そこに突き出た陸地は影絵のようだ。幻想的景色を感傷気分で静かに眺めようとするが、チャラ夫がそれを許してくれなかった。

「うひゃあ、絵みたいな景色っす。見て見て兄貴、船っす。海に船がいるっす!」

「そりゃあ海だからな。船ぐらいいるだろ」

「いやータダで泊まれるなんて、社長さん太っ腹っすね。デーモンルーラーのお陰っす」

「そうだな、お陰だな」

 チャラ夫は騒ぎながら掛け軸をめくり、隠し通路や御札が張られていないか確認したりする。さらには押し入れや戸棚まで開け物珍しげに確認している。

 それにつられてか、サキまでも部屋の中をウロウロし、あちこち臭いを嗅いだりしていた。ひと通り確認して満足したのか、亘の膝へとよじ登ってくる。

「そういやサキちゃんも一緒の部屋っすか? どこで寝るっすか」

「式主と寝る」

「兄貴と一緒に寝るっすか! もしかしていつも!?」

「当然」

 サキが自慢そうに顎をあげて答えてみせ、チャラ夫が変なポーズで大仰に驚いてみせる。先程の中堂と違って、芝居がかったとかの感じは受けない。コミカルで笑える仕草だからだろうか。

「はっ! まさか兄貴はこんな子供と!」

「お前の考えているような変なことは……してない」

「なんか今、変な間があったっす! あったっす! なんすか!」

 妙なところで勘の鋭いチャラ夫がしつこく追及してくる。けれど亘はサキを膝に載せたまま外を眺めるばかりだった。


 入り口のドアがノックもなしに開き、ドヤドヤとエルムが部屋に入ってきた。そのまま一直線に窓に駆け寄ってくると、外の景色に感嘆の声をあげる。目の前に若い少女の身体が伸びやかに存在すると、水着姿を見たばかりなので少々妄想が働いてしまうではないか。

「うわー、景色がええやないですか。ええなあ、こっちの部屋が良かったわ」

「お邪魔します」

 そして七海も躊躇いがちに部屋に入ってくる。

「なんだ二人揃って部屋に来て、どうした」

「いや、それなんやけど。あのキセノン社の男の人がしつこうて、しつこうて。とりあえず避難してきましたわ」

「ずっといるので、シャワーも浴びられません。困りました」

 エルムが口を尖らせ、七海がプンッと頬を膨らませる。亘はため息を――ただし明るく――ついた。

「そうか、まあゆっくりするといい」

「私、お茶煎れますね」

「そんじゃあ、お湯の準備するで」

 七海はちょこんと座卓につくと、湯呑みを並べ急須と茶筒に手を伸ばす。エルムも電気ポットに水を汲んでくると湯を沸かしだした。チャラ夫も押し入れから座布団を取り出してくると並べだす。

 それを眺め、亘は嬉しそうに笑った。

「打ち合わせまで時間があるな。よし、来る途中のトランプの続きでもするか」

「いいっすね。俺っちの強運を見せてやるっす」

「ババ抜きは運やのうて心理戦やで。相手の表情と仕草から嘘を見抜く! それが勝利の鍵や!」

「まあまあ、勝ち負けはいいですから。楽しみましょうよ」

 そしてトランプを始めるが、予想以上に盛り上がり白熱した勝負が続いた。そのため予定時間を過ぎたことに気付かず、藤島秘書に怒られることになる。

 でも亘の気分は上々で、健やかであった。

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