第117話 かしこみかしこみ
「――かしこみかしこみまおす」
海水浴場の端に設営された仮設テントにて神職が祝詞をあげ、祭壇に玉串を捧げ拝礼する。神前に海産物や穀物などが捧げられのは、よく見られる光景だ。しかし、それらに混じり白襦袢姿の少女が正座していた。
法被を着る村長や村議会議員、そして村人たちは頭を垂れている。そんな厳粛な儀式に亘たちも参列しており、隅っこで大人しく頭を垂れていた。
生贄の儀式、真っ最中だ。
さらに祝詞が幾つかあげられると、最後の仕上げとなる。白襦袢姿の少女が手漕ぎ船に乗り込むと、若衆の手によって浜辺から押し出される。ギイギイと櫓を漕ぐ船が海を進み、岩場の陰に消えると神事は終わりだ。
これから少女は岩場のお堂へと赴く。これまで捧げられた生贄同様、そこで忌籠りを行い姿を消すことになる。
村人たちは後ろめたさを覚えつつ家々に戻り、悲しみにくれ――たりはしていない。
『さあ、皆様。ただ今より、海産物の無料配布を開始いたします! 奮って参加してちょーだいー!』
村長のマイクパフォーマンスによって観光客たちが沸いた。
この生贄の儀式は七十年に一度の奇祭として、盛大な観光PRがされ内容も豊漁祈願祭とされていた。この後は、地元の和太鼓愛好家による奉納太鼓、地元密着アイドルのステージが予定されている。
そして、無料で焼きサザエなどの海産物が振る舞われるとあって大盛況だ。恐らく七十年後を待たず、来年もやるに違いない。
大勢の観光客に、それを当て込んだ地元の物産販売。辺りは活気に満ちた声が飛び交い、生贄の儀式の悲壮な雰囲気は欠片もない。
きっと、同じように数々の祭が時代の流れによって本来の目的とかけ離れたものになってきたのだろう。そして形骸化により、DPを浄化する役割を失ったに違いない。
そう考えると、目の前でおどけるユルキャラの着ぐるみなんぞ、後ろから蹴り飛ばしてやりたい気分だ。
「こんなことで、世の中大丈夫かね」
「五条様。お気持ちは分かりますが、依頼は依頼です。我慢して頂けますか」
「こりゃすいません」
賑やかな会場を離れ、キセノン社の社員など異界を攻略予定の仲間を伴っての移動だ。
向かうのは少女が運ばれていった、お堂である。手漕ぎ船で運ばれたのは演出の一環であって、実際には陸側から行くことが出来る。
「しかし、あの生贄の娘はどこかで見たような……」
「そっすか? 俺っちは見覚えがないっすけど。はっ! まさか兄貴は昨日一人でいる時に、こっそりナンパしてたっすか。そんで見覚えがあるとか」
「お前じゃあるまいし、冗談言うな。海の家の従業員だったかな」
「私は見覚えありませんけど」
七海が小首を捻る。亘がナンパしたとかの話は、完全にスルーだ。そんなことありえないと思っているのなら、それはそれで哀しい。
「事故現場の野次馬にでもいたかな? うーん」
「五条様、そろそろ本来の話に集中して頂けませんか」
「あっ、すいません」
亘が謝ると、藤島秘書は歩きながら話を続ける。
「それでは昨日のミーティングの最終確認です。まず依頼の目的は先程の少女を守ること。ただし原因を取り除くために、彼女を異界の中に連れて行く必要があります」
「質問いいでしょうか」
七海が手をあげると、藤島秘書は優しく微笑んだ。その態度は、やはり亘に対するものとは全然違う。
「どうぞ、舞草さん」
「ミーティングの時から不思議でしたが、私たちだけで先に原因の悪魔を倒してはどうでしょうか。今更こんなこと言って、ごめんなさい」
「構いませんよ。そのことですが、実は既に試しております。しかし一定の悪魔を倒しても、異界の主は現れませんでした」
「そうなんですか?」
「ええ。アマテラスの情報によりますと、特定条件下でしか現れない悪魔がいるそうです。今回の場合は、生贄の存在が条件ということでしょうね」
それを聞いた亘は腕組みしながら頷いた。どうやら異界の主は隠しキャラらしい。
「なるほど。抜け目ない社長が、ぶっつけ本番をやらせる理由は、それでなのか……あ、すんません」
ジロッと藤島秘書に睨まれてしまい、亘は慌てて頭を下げた。これまでそんなに怒らせるようなことは……したかもしれない。主に社長のスケジュールを滅茶苦茶にし、秘書の仕事を増やしたりとかでだ。
「続けます。生贄役の少女は、我が社の人間で守ります。現れた悪魔や異界の主を、五条様方に退治して頂きます」
その言葉に、キセノン社の男女隊員が頷いて見せる。キセノンヒルズの異界で捕らわれていた連中だ。向こうは気にする様子はないが、亘はあの時の会議室で目にしたシーンを覚えているので、バツが悪くてまともに話しかけられやしない。
「じゃあ生け贄の守りはお願いします。すいませんな」
亘が謝るのは理由がある。『守る』という行動は、それなりのスキルが必要だ。素人が簡単に出来るものではない。そして万一があった場合は、キセノン社が全責任を引き受けるということだ。罪悪感も含めて……。
「ほんなら、ウチらに任しとき。っても、ウチが一番弱いんやけどな。にししっ」
「次は俺っちすね、たははっ」
その笑いに亘と七海がギクッとなる。レベルの関係で、チャラ夫に告白せねばならないことがあるのだ。それを思い二人は顔を見合わせた。
◆◆◆
「あーしんどぉ。あたしぃ、疲れたわ。さっさと終わって帰りたいしぃ。今時、生贄とかさぁバッカじゃないのぉ。化け物とか居るわけないじゃん」
お堂の中に入った途端、白襦袢姿で胡坐をかいた少女が言い放った。襟元をだらしなく広げ、袂でバサバサ仰ぐ姿に全員がギョッとなる。神事で楚々とした姿だっただけにギャップが酷すぎた。
大きく開いた胸元で、亘はこの少女と会った場所を思い出す。
「思い出した! 昨日の……」
つい声をあげてしまう。
それは岩場で男とアレコレしていた少女だ。神事の仕草で気付かなかったが、胸元を見て思い出す亘も大概だろう。
もちろん、目が合っていたのだから少女の方も亘に気付く。
「あー! あん時の覗き魔のおっさん!」
古びたお堂の中に素っ頓狂な声が響くと、他の者たちが反応する。主に冷ややかな目で亘へと視線を集中させた。
「この件は社長に報告させていただきます」
「五条はん……そないなことをしとったんかい。案外とやるやないですか」
「見損なったっす! 兄貴が覗きだなんて見損なったっす。そんで、どんな感じだったんすか」
「…………」
さらにキセノン社の隊員たちもヒソヒソと非難の言葉を囁いている。口々に勝手なことを言う中で、七海だけ無言だ。誰から何を言われようと構わないが、それより何より悲しそうな視線が一番堪えてしまう。
亘は素早く思考を巡らせた。こんな時闇雲に反論するのは逆効果でしかない。まず呆れたフリをする。
「あのな、偶然ばったり出くわしただけだぞ。別に覗いたわけじゃない」
実際にはシッカリ覗いてバッチリ見ている。だが、そんなことは欠片も見せず堂々としてみせるのが肝要だ。次に一定の非を認めてみせると効果的である。そうしながら無実を訴えられたら、なおベストだろう。
「しかし、彼氏と一緒にいるところを見て悪かった。偶然とはいえどな」
「まー、いーんだけどぉ。あれ別に彼氏じゃないし、ナンパされただけだしぃ」
「…………」
「兄貴しっかりするっす。どうしたっすか」
「いいのさ。ただ、この世の中に絶望しただけだ……ははっ」
亘は膝からくずおれそうな気分だった。ここに三十五歳まで女性と縁のない男もいれば、ナンパで女の子と遊べる男もいるのだ。絶望するのも当然だろう。
埒が明かないと思ったのか、藤島秘書が話を始める。
「私は藤島と申します。これは、貴女のご両親からの依頼です。貴女がどう思われようとも、悪魔からお守りせねばなりません。ご承知おき下さい」
「えーっ、化け物じゃなくて悪魔なのぉ。マジで悪魔なんて信じてんのぉ。うけるわぁ」
手を叩き、ギャハハッと笑い声をあげている。この場に居る全員から、この少女を守りたいという気が失われていくのを肌で感じる。
さっさと異界に行って、さっさと終わらせ、さっさとオサラバしたい。亘は気を取り直した。
「五条です。どうぞよろしく」
「あーよろしくぅ、ゴジョちゃん。あたしのことわぁ、キララでいいよぉ」
亘は瞑目した。
これまで生贄にされた者たちは気の毒だが、このキララに限っては悪魔に捧げた方が良い気がする。亘が提案すれば、誰も反対しないかもしれない。
藤島秘書が咳払いする。
「それではキララ様よろしいでしょうか。少し目隠しをさせて頂きます」
「いーけどぉ。でも、変なことしちゃヤダからねー。目隠しプレイとか、疲れるしー」
「普通に目隠しするだけです!」
「もー、怒っちゃやーよ」
「怒ってません!」
藤島秘書が声を荒げ頬をピクピクさせている。
イラっとなるのは亘も同じだ。とりあえず担当分けに従い、キララの世話はキセノン社にお任せするのが一番だろう。亘はそそくさと離れた。これ以上相手をしていると、精神が持たない気分だ。
癒しを求め、七海とエルムを眺めておく。
「学校には、居ないタイプだよね……」
「せやな。学校どころか、街でも見かけんタイプや。まあ、なんやな……」
「悪いこと言いたくないけど……苦手です」
「そやな。けどまあ安心しなれ、ウチらとは別行動やで」
なんだか癒される。
やはり女の子には、穏やかで優しげであって欲しい。間違っても手を叩き下品な声で笑ったり、初対面の相手に渾名をつけたりしないで欲しいものだ。
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