第118話 マジやばくない

 古びたお堂の中は、木と磯が混じった独特の臭いがする。狭い中に多数の人間がいるため酷く狭い。足下の色褪せた木板に薄らと積もった細砂を足裏でジャリジャリしていると、袖がクイクイ引かれた。

「兄貴、兄貴。それで、どんな感じだったっすか。もしかして、キッスしてたっすか!?」

「……その純真さを失わないでくれたまえ」

「ちょっ、何すかそれ。教えてくださいよー」

 一生懸命なチャラ夫をいなしつつ、藤島秘書が配る紙袋を受け取った。中身は特殊繊維で編まれた紺色のツナギだ。やや大きめサイズだが、私服の上に着用するにはちょうど良く、面ファスナーで留め調整すると着替えは完了だ。

 ただし着替え終わると夏のお堂の中だ、海辺の風が吹き込むとはいえ、少々暑苦しくなってくる。しかも足下の細砂が中に入ったのか、少し気持ち悪かった。


 亘が自分で用意したベルトポーチをツナギのベルト付け直していると、目聡く気付いたチャラ夫がまたしても尋ねてくる。

「兄貴、それはなんすか」

「大したものではないさ、パチンコ玉を入れてるだけだ。投げて使おうと思ってな」

「おお! 指弾っすか!」

 指弾とは鉄玉を親指で弾いて攻撃する暗器術だと言われている。実際どんな威力か、本当に実在する技か亘は知らない。少なくとも亘はアニメやマンガ以外で見たことはなかった。

「普通の人間が、そんなワザを修得してると思うか?」

「えー。じゃあ、兄貴のことだから足元に投げて相手を転ばせるっす?」

「下がコンクリートなら、それもいいかもな。でも、期待させて悪いが単に投げるだけだぞ」

 一握りして投げるだけだ。ただしその威力は凄まじい。パチンコ玉は鋼鉄の散弾となり、試しに投げつけた餓鬼の上半身がごっそり削られ消失した威力だ。あまりの無残さに、神楽やサキから顰蹙の声が上がったぐらいである。

 こんな物を用意したのは、最近あまり道具を使わなくなった反省だ。

 APスキルによって自身が強くなり、従魔の戦力も充実してきた。もはや何か道具を用意するよりも、殴るか魔法で倒した方が簡単で効率が良い。しかし、それに満足してはいけないと考えた結果、遠距離攻撃用の武器として用意したのだった。

 神楽たちの顰蹙は、その辺りの意図を察し自分たちの活躍が奪われそうだったからかもしれない。

「ちょっとー、見えないんですけどー。マジ暑いんですけどー、早く終わらせて欲しいんですけどー」

「……本当、早いとこ終わらせたいな」

「そっすね。俺っちも早く着替えるっすよ」

 キララのけたたましい声にうんざりし、お堂の中の全員は手早く異界へ行く準備をしたのだった。


◆◆◆


「ギャー! 何アレ何アレ! マジやばくない!? 撮って撮ってよ、画像撮って! 投稿して一儲けしなきゃ!」

 異界の地に降り立ち、従魔を召喚した途端にこれだ。

 目隠しを外されたキララが召喚の光景を目にしたらしい。大興奮でけたたましく大騒ぎだ。その騒々しさは、耳を塞ぎたくなるぐらいに酷い。

 現れ出た神楽は目を白黒させ、怖がって亘にしがみついてしまう。

「マスターあの人、なにさ?」

 人見知りなのもあるが、キララの珍奇な興奮具合にすっかり気圧されている。同時に現れたサキが煩そうに一瞥しただけに比べると、先輩従魔としては失格だろう。

「気にしない方がいいぞ。むしろ気にしたらダメだ」

「うん……でも、あの女の人の気配、覚えがあるよ。確か裸で、むぎゅっ」

「式主、神楽潰れてる」

「気にするな。さあ行くぞ」

 亘は仲間を連れ歩き出した。素っ頓狂な声から離れたい気持ちもあるが、神楽に余計な発言をせぬためだ。せっかく覗き疑惑を回避したのに、台無しにされては堪らない。


 背後から絶叫めいた興奮の声が聞こえる。どうも悪魔が出たのだろうが、それはキセノン社に任せておく。あんな声を聞きながらでは、まともに戦えやしない。

 しばらく歩いていると、ようやく静かになった。

「ああ異界の中は静かだな」

「俺っち、ああいうのは勘弁っす。もっと知的でクールな感じがいいっす」

「あんま悪う言いたくはないんやけど、ちょっとなあ」

「生贄と言う感じではないですよね」

 ほっとする一同のなかでサキだけ憮然としている。

「まだ聞こえる」

 なまじ聴覚が優れているため、まだキララの大騒ぎが聞こえているらしい。それで亘の手をガブガブするのは気晴らしなのだろうか。甘噛みと言うには少々痛かったが、それを好きにさせたまま辺りを見回す。

 古い異界のはずだが、入る前の風景とさして変わらない。ほぼ同じで、言われなければ海の家や駅舎といったものが存在しないことも気づかないぐらいだ。つまり、この近辺の土地開発は手付かずということだが。


 鮮烈な青だった空は曇天のような灰色がかり、煌めく青だった海は薄い鈍色となっている。なにより、海面は波もなく静謐な湖面のようだ。浜辺に海水浴客や、その色とりどりなビーチ用品は存在しない。

 幸いなのは気温が程よく、特殊繊維のツナギを着た状態でも暑くはないことだった。

 そうした景色を眺め、亘は意を決してチャラ夫に向き直る。言わねばならないことがあった。

「さて、遅まきながらチャラ夫に謝らせてもらう。色々あってレベルがな……思ったより上がってしまったんだ」

「やっぱしっすか。兄貴から感じる雰囲気が前より強そうって思ってたんすよ」

「ああ。実はな、レベル29なんだ」

「マジっすか!? 凄いっす、流石兄貴っす!」

 亘は申し訳なさそうに告白し、非難され文句を言われることさえ覚悟していた。けれど、そんな反応はない。それどころか、チャラ夫は感嘆の声をあげさえする。

「あれ、怒ったりしないのか。レベル差が大きく開いて……しかも、七海も一緒にレベルアップしてるんだぞ」

「気にならないって言ったら嘘っす。でも、それよかレベルアップおめでとうって気分っすよ」

「チャラ夫、お前……」

「ふっ、俺っちもこう見えて成長してるっすよ。これが大人の余裕ってやつっす」

 チャラ夫がキザっぽく前髪を払う仕草をすると、亘だけでなく全員が一歩身を引く。

「……神楽調べてくれ、こいつ偽物かもしれん」

「そだね。きっと偽物だよ!」

 神楽が真剣な顔で頷くと、チャラ夫の周りをスキャンしながら飛ぶ。時折、訝しげに顎に手をやり唸ってみせる。

「うーん。信じがたいけどさ、本物のチャラ夫だよ。そっか、きっと状態異常なんだね」

「なるほど、異常回復で治るならいいが」

「酷す! なんすか、それは! 失礼っすよ!」

「ははははっ、いや悪い悪い」

 地団駄踏む姿に亘は大笑いした。やはりチャラ夫はチャラ夫だ。こんな風に騒々しく騒いでくれる方が似合っている。七海とエルムも同じ感想らしく、口を押さえて笑ってた。


「まあ冗談はそれとして、さっさと戦闘を開始するか。それじゃあ頼むぞ」

「ん、呼ぶ」

 合図されたサキが前に出ると、ケーンケーンと大きな声で吠えてみせた。白いワンピースのお嬢様ぽい姿でするには、全く似合わない仕草だ。

 七海が警棒を構えるが、初めて見るチャラ夫とエルムはキョトンとしたままだ。神楽が偉そうに腰に手をあて注意を促す。

「ほらさ、ボサッとしないの。悪魔がいっぱい来るんだからね」

「へ? どういうことっす?」

「今のはな、サキの持つスキルの一つで『敵寄せ』だ」

「そんなスキルを持っとるんか。サキちゃん凄いやないか。ほんで、どんぐらい悪魔が寄ってくるんや」

「エ、エルムちゃん、あれ! あれを見るっす!」

「ひえっ」

 指さされた方を見たエルムが小さく悲鳴をあげる。

 そこには海の中から次々と出現する甲羅に人の顔がある蟹や、ヒトデの中央に目がある異形どもの姿があった。水や海藻を滴らせ、ぞくぞくと向かってくるではないか。しかも、古い異界ということもあって、どれも強そうである。

「攻撃する」

 どやっ、という顔をしたサキが早速火球を撃ち放ち、群れの中で爆発させた。何体かが吹き飛ぶ様子が見えたが、大群は減った感じはない。続けて神楽も魔法を放とうとするが、亘がそれを止める。

「ちょっと待ってくれ。海から来るなら……魔法を水中に叩き込んでくれ」

「それじゃあさ、効果がないとボク思うよ」

「いいから、いいから」

「はいはい、『雷魔法』だよ」

 神楽の頭上に生まれた光球が音もなく飛び、水中に叩き込まれる。次の瞬間には、爆発と共に大きな水柱があがった。

「ほらさ、ダメじゃないのさ……え?」

 何の効果もない攻撃に、神楽が不満げな顔で文句を言いかける。だが、次々水面に浮き上がった悪魔どもの姿に神楽は唖然とした。

 それは爆発の衝撃波で気絶し、浮き上がってきたものだ。

「はへ?」

「さあ、そんな感じで片付けていこうか」

「それではアルルの広範囲魔法を使いますね」

 他のメンバーが呆れる中で、それに対応できるのは七海だけ。亘のすることを、平然と受け入れアルルに攻撃を命じている。

 すでに上陸し接近する悪魔には亘がパチンコ玉の散弾を投げつけ、血煙と共に倒してみせる。それでチャラ夫とエルムも我に返り、一足遅れで自分の従魔に攻撃の指示を出した。

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