第236話 御稲荷さんの使いでシンシーな狐さん

 人の気配のない道路を奇怪な存在が歩いていた。

 それが女であると分かるのは長い髪と体つきからだけで、顔には目も鼻も口もない。しかし手足には幾つもの眼があり、ぎょろぎょろと動き瞬いていた。

 その無数の眼が傍らの車を見やる。

「っ!」

 気付かれたと悟った老人は側溝の中に孫を押し込むと、自らは大声をあげ悪魔――百々眼鬼へと体当たりをした。

 覆わぬ反撃によろめく相手であったが、即座に容赦ない平手打ちが老人を襲った。一撃で吹っ飛ばす威力がある。

「ぐがっ……」

 倒れた老人は必死に起き上がる。

 口元の血を拭い百々眼鬼から逃れようとするが、どこかを痛めたらしく緩慢な動きだ。足下をふらつかせ、泳ぐように手を動かす姿は懸命だが滑稽なものであった。何度も振り向き百々眼鬼の姿を確認するのだが……その表情に絶望はない。

 あるのは強い意志。

 老人は自らを囮として、少しでも車から引き離そうとしているのであった。

 命をかけた緩慢な逃避行は足をもつれ倒れた後も、這ってでも続けられる。百々眼鬼の多数ある眼は嘲笑うが如く三日月形となって手が伸ばされ――。

「ガルちゃん、体当たりっす!」

 怒りに燃えた声と共に百々眼鬼は吹っ飛ばされた。

 それをしたのは狛犬のような悪魔で、老人は怯えつつ戸惑いをみせる。しかし、そこに茶髪のチャラチャラした格好の少年が駆けてきた。

「爺ちゃん大丈夫っすか! もう心配ないっすよ、俺っちが来たからにはもう安心安全」

「う、後ろ悪魔……」

「おっと、しまった。心配しなくて大丈夫っすよ、申し遅れたっすけど、今の俺っちはこういうものなんで……って、ここで名刺を出したいんすけど。えーっと名刺、名刺はどこだったかな」

「後ろに悪魔が」

「うん? ああ大丈夫っす。ガルちゃんに任せておけば。そんなら、改めてどうぞっす」

 少年はようやく見つけた名刺を誇らしげに、しかし慣れない手つきで差しだした。そこには、内閣官房長直轄悪魔対策事業本部DP飽和対策課非常勤班と長々しい所属があり、肩書きは実動主任主査とあった。あまりに長すぎるため肝心の名前は端にあり、少年の指が邪魔で長谷部という名字しか読めない。

「爺ちゃん名刺持ってないっすか。そっすか、残念っす。俺っち的には名刺交換とかしたいんすけどね。ああ、でも気にしないでいいっすから。なんせ、こんな状況っすからね」

「は、はあ……?」

「あっ、それよか怪我っす怪我。気付くのが遅れて申し訳ないっす。直ぐに治せるんで心配ないっすから。でもなんでか皆は嫌がるんすけどね、おーいガルちゃん。この人の治療を――」

 騒々しい少年が呼び寄せた狛犬型がやって来るのだが、それを見やる老人は他の悪魔に対するような恐怖を感じなかった。なぜなら、その悪魔が非常に申し訳なさそうな顔をしているからだ。

 なんにせよ孫の存在を伝えるまで少し苦労する老人であった。


◆◆◆


「チャラ夫主任主査、老人とお孫さんの保護完了しました」

「だーかーら近村さんってば、そんな固い呼び方しないで欲しいっすよ。こんな肩書きなんて、保護した人を安心させるためのものっすよ。あとなんで名前だけチャラ夫なんすか!」

「いえ、こういう事をしっかりせねば駄目なのです。我々はみなし公務員とはいえ、きちんとした呼び方をせねば、他の者に示しがつかないのです。ちなみに名前について、そう呼べと長谷部係長さんから言われてまして」

「志緒姉ちゃんめっ!」

 チャラ夫は足下のガルムの頭を撫でつつ、ぶつぶつ文句を言う。

 混乱の中で合流したのだが、そのまま姉の強権発動によってNATSへの協力を命じられている。本当は内定を貰っているキセノン社に行きたいところだが、今は新藤社長を含め連絡が取れない状況のため仕方がない。

 同じデーモンルーラー使いであった近村たちと協力し、防衛軍兵士と共に悪魔退治に駆けずり回っているのだ。

「しかしチャラ夫主任主査は強いですね。どうやって鍛えたのですか」

「俺っちの尊敬する兄貴に指導して貰って、鍛えられただけっすよ」

「よく言われている方ですね。凄い方のようですね」

「凄いとかじゃくって、超凄いっす。常に冷静で物事を良く考えて、ああいうのを大人の男って言うんすよね。いつかあんな大人になりたいって、憧れにして目標なんすよ」

 きっと本人が聞けば全力で否定するであろうし、その従魔が聞けば全力で止めるに違いない。しかし何も知らぬ近村は、その超凄いと言われる人に憧れた。

「もしお会いできたら、我々も鍛えて貰えるように頼んで頂けないでしょうか!」

「えー、お勧めしないっすよ。ハードと言うかインフェルノつうか、ルナティック? すんごく厳しいっすから」

「大丈夫です! 頑張りますから是非! 実はですね、終わった後はむせび泣いて喜べるってNATSの皆さんにも聞いているんです」

「……大人は信じたらだめっすよ。まあ、頼むぐらいは構わないっすけどね。でも一応は止めたって事だけは覚えといて欲しいっす」

 チャラ夫はそれだけ言うのが精一杯であった。

「しかしですね、チャラ夫主任主査の周りは凄い人ばかりですね。彼女さんもNATSに協力するなり、あっという間に体制をしきってるでしょう。あの方が居なかったら、こんな活動も無理だったはずですよ」

「ふっ、当然っす。綾さんは出来る女なんすよ。綾さんは凄くて素敵で物事に対する考えは厳しいんすけどね、でもその中に優しさと愛があるんすよね。常に広い視野で物事を見て考えて先の先まで考えて、でも細かいところも考えてくれるんす。でもプライベートはちょっとだけドジっ子なところがまた可愛いんすけど、でも包容力があって――」

 惚気を語りだすチャラ夫に、触れてはならぬ部分に触れたと悟る近村であった。故に、道の脇にぼうっと現れた人外の姿に恐怖しつつ少しだけ救いを感じてしまう。

「あんのう、もうしもうし。そこな御方」

 尖り眼で肌合いも青白く、何より気配が違う。人外である事はひと目で分かり、それが放つ気配は並の悪魔を遙かに超えていた。

「うん? それ俺っちに言ってるんすか」

「あいあい。少しお願いがあるのですが、人間の偉い方に会いたいのです」

「なるほど偉い方っすか。偉いっちゅうのはどれぐらいなんす?」

「あいあい、君主もしくは殿様のように人間を統率している方なのですが」

「そっちっすか。細かいとこ聞いてすんませんっす」

「こちらこそ、お伝え方がマズくて申し訳なく」

 平然と喋るチャラ夫の様子に近村は呆気にとられている。もちろん、同行する防衛軍兵士も同様だ。悪魔は戦うべき相手で、人類の敵という認識なのである。

「チャラ夫主任主査! 何で普通に喋ってるのですか、相手は悪魔ですよ悪魔!」

「いやだって、俺っちの兄貴なんか普通に神様とだって喋るんすよ。それとか異界の悪魔が、もう来ないでくれって泣いて頼んできたりとか。それを思えば喋るぐらい普通っしょ」

「…………」

 自分で頼んだ訓練に一抹の不安を感た近村を気にもせず、チャラ夫は再び悪魔に話しかけた。

「一番偉い人は無理っすけど。でも、そこと話せる人なら会えるっすよ」

「はいはい、助かりもうした。何人もに声をかけたものの話を聞いて貰えず」

「そりゃまた苦労したっすね」

「あいあい」

 和気藹々話すチャラ夫の様子に、この人も凄いと思う面々であった。


◆◆◆


「正中課長。なーんか偉い人に会いたいって、御稲荷さんの使いでシンシーな狐さんが言ってるんすよ。会わせてあげて欲しいっす」

 NATSの課長である正中はチャラ夫の話を聞くなり固まった。この男にしては珍しく、口を半開きとして眼を何度も瞬かせ、信じがたい話の内容を必死に理解しようとしている。

「待ちなさい。今、御稲荷様の使いと言ったのかね」

「そっす。そこのシンシーな狐さんっすよ」

「シンシーだと? 御稲荷様の使いとなると……シンシーとは、まさか神使!?」

「なんか白い狐さんなんすけど、尻尾とか触らせて貰ったら凄く滑らかなんすよ。ふっ、でもガルちゃんの毛並みに比べたらまだまだっすけどね」

 ようやく状況を理解しだした正中だが、今度はガタガタ震えだした。

「待て待て待て、待ってくれ」

 稲荷神社となれば全国津々浦々に存在し、さらには分祀社や祠を数えれば無数となる。その勢力は絶大なものとなり、この状況下では絶対に敵に回せぬ存在である。今は中立の立場でいるが、もし機嫌を損ね敵となれば、ぎりぎりで保っている人類の命脈は尽きる。震えて当然だろう。

「と、とにかく。最上級の持て成し準備をせねば、これは忙しくなるぞ」

「大丈夫っす。気の利く俺っちは、そこの廊下に待たせといたっす。直ぐに会えるっすよ」

「馬鹿ーっ! 何てことをしてくれたんだ! とにかく、ああとにかくだ。とにかく直ぐ、ここにお通しするんだ! いや待て、もういい。私が行く!」

 正中は素っ飛んで行き、そして丁重な仕草で神使の狐を室内へと案内、上座に座らせた。少しでも失点を回復しようと必死だ。

 しかし、チャラ夫は平然と隣に座ると馴れ馴れしく話しだす。

「会ってくれて良かったっすね。この正中課長さんって、かなり忙しいんすよ。もう気の毒になるぐらい忙しいんで。あっ、俺っちに感謝する必要はないっすよ。こんぐらい普通のことっすから」

「いえいえ、チャラ夫殿にも感謝しております」

「そう言ってくれると嬉しいっすね。ちょっとー、誰かお客さんにお茶持って来て欲しいっす。あっ、お茶より甘いもんの方がいいっすかね? ちなみに俺っちのお勧めは――」

 正中は絶望を覚えつつ、それでもなんとか会話の主導権を取らねばと決死の覚悟で席についた。

「失礼致します。まずは部下の非礼をお詫び申し上げます。また、お迎えの準備が整わぬまま、このような場での会談となった事に尽きましても、お詫び申し上げます」

「あいあい、そのようなことは気になさらず」

「しかし無礼を働き誠に申し訳なく。平に平にお詫び申し上げる次第であります」

 正中は必死だ。自分の発言と対応に人類の命運がかかっていると言って過言ではないのだから。だが――。

「気にしないって狐さんが言ってるんでいいじゃないっすか。それよか、面倒な話は早いとこ終わらせるっす。茶菓子はポテチが希望なんすけど、そういえば狐さんは塩気が強いと駄目っすかね」

 誰かこいつをなんとかしろと正中は心の中で叫んだ。今すぐにでも部屋から放り出したいが、それが出来れば苦労はしない。幸いにして神使の狐は気にした様子もなく、むしろ楽しげだ。

「あいあい、塩は控えめに。そして話は早く済ませましょうな。実は我ら、ある人の子より頼まれ事をされましてな」

「頼まれ事ですか? 稲荷の方々が頼まれ……はっ!」

 その時、正中の脳裏にある人物の姿が浮かぶ。根拠などない、ただの直感だ。

「あいあい、その方は世の混乱を憂い嘆かれておられた。なれど我らに頼まれた事は、人を救う助力を請うでもなく、人が未来に残すべき宝物の回収ということ」

「宝物……?」

「しかしですな、これでは我らが名折れではありませぬか。物探しをするだけでは、我らは役に立たぬと言われておるも同然。よって、我ら人に協力し我らが力を知らしめようと。まあ、このようになりましてな」

 正中は本気で泣きたい気分であった。

 暗雲立ちこめる状況に一筋の光明が差し込んだのだ。これで大勢が救われると、人類が救われると安堵の喜びが込み上げている。

「はへー、マジっすか、狐さんが人間を助けてくれるんすか。そりゃ助かるっす。でも狐さんたちも無理したら駄目っすよ、働き過ぎは良くないって俺っちの兄貴がよく言ってたっす。戦いなんて気晴らしぐらいがちょうどいいって」

「ほうほう、なかなかの真理を突いた言葉」

「だっしょー。今はここにいないんすけどね、俺っちの兄貴は鼻歌交じりで異界の悪魔を倒すぐらい強いんすよ。きっと狐さんもびっくりするんで、今度会わせてあげるっす。あー、でも兄貴だと悪魔をDPとしかみてないとこあるっすからね。会うなら、ちょっと注意が必要かもっす」

 上機嫌で喋るチャラ夫の前で、正中の胃は安堵から奈落へと急転直下の状況となった。やはり、しばらくは胃薬が手放せそうにない。

 それでも、少しだけ先の展望が見えつつあった。

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