第235話 狐さんネットワーク
片側三車線の幹線道路を一匹の狐が疾走していく。
路上に放置された車両を跳ね飛ばし踏み潰す巨大さだ。輝くような金の毛並みに紅のラインが入り、フサフサとした多量の尾には幾筋か黒が混じり、背後でうねるようになびく。
獣足が踏みしめる舗装が燃えあがり、まるで炎の中を駆け抜けるような幻想的な姿だ。
その背に跨がる亘は金色の毛を手綱のように握るのだが、背には七海が抱きつき、髪には神楽がしがみつく。
「前方に悪魔の群れだよ。どーすんの?」
「なぎ払え!」
びしっと右手で示すと、大狐が口から炎がプロトンビームの如き勢いで吐き出される。そこに存在した悪魔の群れは一瞬で焼き尽くされ、もはやその前進を阻むものは何もない――わけでもない。
「ちょっとさっ! 前は川だよ! 止まって!」
「構わん、行けっ!」
亘は拍車をかけるよう踵で合図を送った。大狐は応えて加速。川に向け突進していく。ダンッと踏みしめ跳躍。爽快な浮遊感から無重力感へとなり、落下の胃がフワッとするエアタイムになる。
ドンッと着地の衝撃がはしり、堤防天端と川側の法面を痛めつける。さらに勢いのまま土を蹴散らし跳躍。その先にあった駐車場とフェンスを跳び越え道路へと戻る。
大狐が身体を一直線にさせ力強く足を動かし加速すれば、信号も歩道橋もあっという間に流れ過ぎるように背後へと消えていく。空気が直接ぶち当たる速度感覚は半端ないほどだ。
T字路。
突き当たり正面はビルであった。強固なコンクリートの壁にさしもの亘も目を見開き顔を引きつらせたが、大狐は跳躍。ビルの外壁に着地するように止まり、三角跳びの要領で直角に曲がった。
途中にあった電柱が薙ぎ倒され、電線がブチブチと切れていく。
「「きゃああああっ」」
神楽も七海も悲鳴をあげるが、どこかジェットコースターを楽しむノリの悲鳴だ。一方で、そうしたものが苦手な亘は強ばった顔で金色の毛を握るしかなかった。
いきなり、急ブレーキで踏ん張り足下の舗装を砕きながら停止する。投げ出されかけた亘は七海を庇い大狐の背にしがみついた。耳元を神楽が悲鳴をあげ吹っ飛んでしまうが、流石にそれは止めきれない。
恐る恐る目を開けると、赤い鳥居がそこにあった。
◆◆◆
亘は強ばった身体を無理に動かすと、しゃがんだ大狐の背から降り立った。ヨロヨロとしながら、しかし即座に行った事は逆立った前髪を直すことだ。風圧をまともに受けた生え際が微妙に痛かった。多分きっと大丈夫と呟きつつ、恐る恐るスマホを鏡代わりに覗き込み、ほっと安堵した。
それからようやく背後の七海に振り向く。
「よし、大丈夫か。車酔い――この場合は狐酔いかもしれないが、まあとにかく気分はどうかな?」
「私は大丈夫ですよ。凄いスピードで迫力満点でしたよね」
「楽しんで貰えてなによりだよ……」
そんな傍らで大狐の姿が一瞬で女の子に戻る。金色の長い髪を揺らしながら駆け寄ってくると、得意そうな褒めて貰いたそうな顔で見上げて来た。
「着いた」
「稲荷神社か……なんでここに」
鳥居に掲げられた神額を眺め、亘は訝しげに眉をよせた。稲荷神社となれば狐繋がりぐらいしか思いつかない。そうなると狐が盗まれた品々を探すというのだろうか。バカバカしいと頭を振った。
そこに神楽が飛んでくる。先程吹っ飛んでいったが無事だったらしい。もっとも、あの程度でどうかなるとも思っていなかったので心配もしていなかったが。
「もーっ、酷い目にあっちゃったよ。止まるならさ、もっと丁寧に止まってよね」
「んっ、ごめん」
戻って来た神楽が頬を膨らまし、サキをポカポカ叩き文句を言っている。
「文句言うわりに楽しんでただろ。それはいいから、どうするんだ」
「行こ」
サキは亘の手を取り、秘密の場所に案内する子供のような顔をした。
「あのさボク思うんだけどさ。こんだけ早く移動できるならさ、最初っからサキに乗って移動すればよかったんじゃないの?」
至極最もな意見だ。数日掛け歩いた以上の距離を短時間で移動したのだから。
亘は軽く視線を逸らした。
「そらそうだが、普通は移動といったら車か電車だろ。誰も狐に乗って移動しようと思うか? 思わないだろ」
「つまりさ、忘れてたって事だね」
「……そうとも言う」
しかしながら、また乗りたいとは思わぬ亘であった。
ほんの僅か道路を離れただけで、急に深々とした雰囲気が漂いだす。参道を進むにつれ、両脇の灯籠に次々と火が灯っていく。それは不思議な光景ではあるがしかし。そういったギミックに――例えば人感センサーなどで――慣れているので、あまり驚きはない。
むしろ境内に入ったところで思わず声がもれる。
「おおっ、これは」
多数の狐が勢揃いしていたのだ。
大小様々で、大きなものは大型犬並もある。体毛もキツネ色したオーソドックスなものから白、黒、銀と様々だ。
「うわぁ凄いですね。アカギツネの、しかもギンギツネがいますよ! 可愛いですよね」
七海が感嘆の声をあげた。
その視線を辿ってみると、銀と黒の入り交じったキツネがいた。見事な毛皮をプレゼントに使えないかと、ジッと亘が見つめると、不穏な気配を察したのか身を縮こまらせてしまった。
そして狐だけではなく人の姿も入り混じる。
だが、それは異質さを感じさせる姿だった。まず着ている衣服がおかしい。文明開化時代にハイカラと呼んだようなものだ。コスプレではないのは、生地や着慣れた様子から分る。どこか尖った顔つきで、よくよく見れば手足が獣であったり尻尾があった。どうやら狐の化生らしい。
亘がごくりと唾を呑むのは、怪異を前にしたからではない。単に大勢の視線を浴びているからだ。
無数の狐たちが見つめる中を、サキに手を引かられ進んでいった。
「これはこれは、玉藻御前に連なりし御方。如何様ですかな」
境内の中央まで進んだところで、一匹の白狐が進み出てきた。
誰が見てもひと目で神使と思う威厳があり、パサついた毛並の三本尾だ。ボウボウに伸びた獣毛が眉のように下がり、その合間から覗く目は叡智ある光を湛えていた。
見つめられるサキはニンマリと笑う。
「失せ物探し。我が式主が命ずる」
「ほうほう、それはそれは。噂は耳にしておりましたが、まっこと人に使役されておられたとは……ではでは、そちらが式の主でございますか」
「そう」
「いえいえ、わかり申した。失せ物探し、まあまあやらせて頂きましょう」
狐の口から人の言葉が出るのは妙な気分で、しかも明らかに乗り気ではないと分る声色だった。視線を転じてみると、他の狐たちも同様に面倒そうな態度をあからさまに取っているではないか。
これでは本当に真面目に探すかどうか分ったものではない。
(おいこら、本当に大丈夫なんだろな。なんかダメそうな雰囲気だぞ)
(んっ、大丈夫……多分)
(ダメだったら、どうなるか分ってるな?)
亘に睨まれ、サキはガタガタ震えだした。上目遣いで精一杯の可愛く健気な表情をしている。そんな様子が原因だったのか、狐たちの間からヒソヒソと訝しげな声があがった。
さらに居並ぶ狐たちの間を割って、古い唐服の男が現れた。吊り目顔の鍾馗みたいな顔だ。バカにしたように鼻をならしながら発した声は野太いものだった。
「いかに玉藻御前の系譜といえど、人間如きに使役されるまで零落しておるではないか。あげく、たかが人間の命に従えなどと巫山戯るな。我らを何と思っておる」
周りの狐たちの間から、そうだそうだと同意の声があがる。
サキは鼻の頭に皺を寄せた怒り顔で周囲を見回し、喉からグルグルと威嚇の声をあげだした。今にも周囲に狐火を叩き込むか、大狐になって暴れ出しそうだ。
「生意気」
反応した狐たちも気色ばむ。
そんな一触即発の雰囲気のなか、亘はサキの頭に手を載せひと撫ですると、持っていた刀を渡す。
「しばらく持ってろ。落としたり傷をつけたら……分ってるな」
ガクガクと頷く様子に頷き、亘はゆっくりと鍾馗顔の狐に近づいた。
「さてと、つまり人間だからって文句があるんだな。うん、なるほど。そうか、確かにそうだよな。いきなり来て頼んでもダメだもんな」
あちゃあと神楽が目を覆う。震えながらサキも口をつぐむ。七海は何も聞こえないと耳を塞ぐ。揃ってソソクサと後退って距離を取った。神使の狐も何かを察し、そっと離れていく。流石に歳経て叡智を抱いているだけあって、生存本能に忠実だ。
鍾馗の狐は訝しげになった。
抑えていた力を解放。
鍾馗の狐が血相を変えた。
操身之術を発動。
鍾馗の狐が引きつった。
そして亘は笑みを浮かべ、手を伸ばす。多大な気配を垂れ流し、あまつさえ獣の天敵といった称号の効果もある。その場にいた狐たちを恐怖のどん底に突き落とすには充分であった。
そして――。
「どうかお願いします」
ゆっくりと手を伸ばし掴むと、鍾馗顔の狐は目を見開き抵抗しようとするが、それを許さない。骨の軋む音など構わず少しずつ力を込めていく。苦悶の呻きをあげ逃れようとする狐の様子など無視する。
相手の顔を真正面から覗き込む動きは丁寧なものだが、亘は瞬きすらしない。穏やかに笑っているのだが、そこには何か恐ろしい迫力がある。
「ちょっと探して貰いたいものがありましてね、この通りお願いにあがったわけですよ」
見物していた狐たちは目を背けた。
亘が手を放すと、鍾馗顔の狐は狐の姿に戻り、境内のスミに逃げ込むと頭を抱えガタガタ震えお祈りしている始末だ。
「あと、お願いが必要な方は?」
狐たちは必死に首を横に振った。
◆◆◆
亘はサキから受け取った刀を頭上に掲げて見せた。丁子乱れの華やかな刃文が周囲の光を反射し鉄の表面へと見事なまでに浮かび上がる。
「これは皆の宝となるもので、大切に伝えてくべきもの。それを個人の欲望で奪って私物化するなど言語道断だと思う! しかし、この未曾有の混乱に乗じ多くの宝が奪われた。絶対に許されるべきではない! だが、盗んだヤツを罰しろとは言わない。せめて探しだし取り返したい! その為に力を貸して欲しい!」
亘は疚しさの欠片もなく語った。
狐たちは吊り目をわななかせ聞き入っているが、実態を知る神楽とサキは呆れ顔になり、七海はどんな顔をすべきか困りながら視線を逸らしている。
そして神使の狐は、はらはらと涙をこぼし噎び泣いた。
「なんとなんと、今世にこれほどの篤志家がおられようとは。感服しました!」
「えっ……あ、いや。そんな」
「分かりました、我らが総力を持って奪われた宝を探し出してみせましょう。必ずや必ずや元ある場所へと戻し、守ってみせましょう」
神使の狐が宣言すると、周囲の狐たちからも、おーっと気合いの声があがる。
「えっ。出来ればまず一旦は自分のところに……」
「なんのなんの、皆まで仰るな。一つたりとも見逃しはしませぬ。我らの誇りにかけ、なしとげてましょう。全国津々浦々の社に連絡し、宝物が奪われることなきよう守らせます。ささっ、その刀もお預かり致しましょう」
「えっ、これも……」
狐たちの向ける尊敬と畏敬の眼差しに亘は戸惑った。そんな目で見られたことは一度もない。しかし渡すには惜しすぎ直ぐには手放さない。
「ほらさ、マスターってばさ。ちゃんと渡さないとねー。皆の宝なんだよね」
「ぬぐぐぐっ……」
ニヤニヤする神楽に促され、亘は渋々と刀を手放した。狐たちが大事そうに運んでいく姿を名残惜しく見つめ続ける。
狐たちはキビキビ動きだした。その筆頭は先程の鍾馗顔の狐である。どうやら全国津々浦々の稲荷神社と、そこに属する眷属に命じ文化財の保護にはしってくれるらしい。嬉しいが嬉しくない。
「確か稲荷神社は全国に凄い数があったはずですよ。狐さんネットワークなら、すぐ解決ですよ。サキちゃんって、とっても偉かったんですね」
「神楽より偉い」
「なにさ、お揚げにつられるくせにさ。ふーんだ」
そして亘が腹の中でどうやって刀を取り戻そうか考えていると、二本足で立った狐が周囲の制止も構わず近寄ってきた。その腕にはふっくらした仔狐が大事そうに抱えられている。
「あんのぅ、うちの子ば撫でてやっとくれんですかのぅ」
「え? 別に構わないけど」
身長差があるため屈み込み目線を合わせると、仔狐は不思議そうな目をしていた。無垢で円らな瞳で、亘の方が恐る恐る手を伸ばし小さな額を撫でると、嬉しそうにキャッキャと喜んだ。究極の萌えで癒やしであった。
「はぁこりゃ、ありがたやありがたや」
嬉しそうに母狐が何度も頭を下げる。その後は我も我もと行列ができ、亘は仔狐たちの頭を撫で続けることになった。
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